恵庭市長寿大学は昭和51年に開学,平成10年には講座選択制の導入や大学院の新設など変遷を経て,本年度41年目に当たる。2月28日には,長寿大学第17回卒業生48名,長寿大学大学院第15回修了生26名が卒業・修了証書を授与された。学生自治会では、今年度も記念誌を発行した。
◇長寿大学を卒業・修了される皆様へ(学生自治会長)
この度,長寿大学を卒業される皆様,大学院を修了される皆様,おめでとうございます。心からお祝いとお慶びを申し上げます。また,学生自治会活動に対するご支援ご協力に対し心から感謝申し上げます。皆様が「楽しく充実した大学生活のために,自治会や学年行事を活性化しよう」と主体的に取組まれた活動は,長寿大学の範となるものでした。
大学院修了生の皆様が入学されたのは六年前,東京スカイツリーが完成した年でした。その後も,富士山の世界文化遺産登録,北海道新幹線の開業,日本人のノーベル賞受賞など明るいニュースがありましたが,一方では,地震など自然災害が頻発し,地球温暖化による海水温上昇,季節外れの台風や豪雨など異常気象が当たり前に感じられる時代でもありました。また,グローバル化・競争社会を標榜する経済政策は格差社会をもたらし,政治ではポピュリズムの台頭,自国第一主義の動きが起こり世界の枠組みが大きく変わろうとしています。難民問題やミサイル発射対応にも解決の糸口が見えません。
このような中,皆様の学生生活は如何だったでしょうか。希望を胸に緊張感で迎えた入学式,新しい友との出会い,先生方の心に響く言葉の数々,研修旅行や学年行事で子供のように笑った楽しい思い出,講座の司会や発表会でちょっぴり緊張した記憶などが次々と蘇っておられることでしょう。そして,卒業・修了の日を迎えた今,達成感と喜びがふつふつと湧き上がっていることだろうと推察致します。卒業後も,学び,出会い,アグレッシブに行動する気持ちを持ち続けて下さい。高齢者にとって「簡素な生き方,前向き人生」こそ,幸せに暮らすキーワードと考えます。
健康に留意され,学生時代に培った絆と知恵を糧として,心豊かな人生を送られますよう祈念申し上げ,お祝いの言葉といたします。
(恵庭市長寿大学学生自治会編「恵庭市長寿大学大学第17回生,大学院第15回生卒業・修了記念誌11p」2018.3)
◇この老人のように(卒業生A)
札幌農学校で教鞭を執ったクラーク博士は,島松駅逓所まで見送りに来た学生達に「青年よ,大志をいだけ(Boys, be ambitious like this old man)」の言葉を残して明治10年4月米国へ去った。この有名な言葉は誰もが知るところだが,後に続く「この老人のように(like this old man)」の部分はあまり注目されない。
この老人とは誰なのか。クラーク博士自身と言うのが通説だが,中山久蔵を指すとの説もある。中山久蔵は明治六年に島松沢で初めて水稲(赤毛)の試作に成功し「寒地稲作の祖」と称される人物。明治十七年から駅逓取扱人を務めている。クラーク出立の時,傍らにいたとしてもおかしくない。
だが,北海道の開拓は稲作でなく牧畜畑作を目指すべきだと考えるクラークが,僅か三作を終えたばかりの水稲試作を成功事例として認識していたとは思えない。百歩譲って,久蔵を知っていたとすれば,「成功の見込み少ない寒地稲作に挑戦する老人(久蔵は五十歳であるが)の姿」に感銘を受けたと言うことだろうか。Be ambitious(大望をいだけ,野望を持て)の言葉は,久蔵に重ねると妙に落ち着くのも確かだ。
さて,時を経て今の時代にクラークが恵庭に立てば,「青年よ,大志をいだけ。この長寿大学の学生たちのように」と言うに違いない。
長寿大学に学ぶ学友たちは,若者に劣らぬ向上心と探求心を持ち,何よりも行動的である。新しいことに挑戦する強い意志,正義感,仲間を慮る心,社会に役立とうとする奉仕の心で充ちている。クラークが若者に語り掛けた「大志」の具体像がここにあるように思える。
若い頃の不真面目さを懺悔する気持ちで入学した長寿大学だが,学生生活は刺激的である。所詮無理な話だが,私もクラーク博士に「この老人」と呼ばれるように生きたいと思う。
参照:恵庭市長寿大学学生自治会編「恵庭市長寿大学大学第17回生,大学院第15回生卒業・修了記念誌63p」2018.3