豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

メンドーサのワインとアコンカグア展望

2011-04-29 11:36:21 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

アンデス山脈の麓にあるメンドーサを訪ねてみよう

この町は、ブエノスアイレスから西方に1,000km余り、空路で約1時間。メンドーサに近づくとアンデスにつながる乾いた大地が広がる。その乾燥した風景の中に、アンデスの雪解け水を利用したブドウ畑が広がり、メンドーサの町は緑豊かな街路樹に覆われている。

 

町の中心は、独立広場Plaza Independenncia、サンマルチン大通りやラスエラス通りは夜遅くまで賑わっている。この地方は、世界に知られたアルゼンチンワインの生産地。ボデーガ(ワイナリー)の数は2,000を超える。シャンドン、ヒオール、サンタ・アナなど耳にした方もいらっしゃるだろう。

 

Santa Ana, Michel Torino, Bianchi, Norton, Comete de Valmont, San Felipe等々日本へも沢山輸入されている。メンドーサはマルベック種の赤、アンデス北部のサルタやフフイへ行くと白が良いとネストルが話していたっけ。

 

私が気に入っているのは、Luizi BoscaTerazasのリセルバ。前者は、皇后が皇太子妃時代にアルゼンチンを訪問されたとき献上され、味わわれたという。まろやかな中にコクがあり、飲みやすい。後者は、前者よりやや重いが、アサードに合う。

 

アコンカグア6,960mを展望する

チリの国境まで行くバスツアーが楽しい。朝早くメンドーサを出発し、英雄サンマルチン将軍がチリ独立戦争の際、支援のため5,000の兵を率いて向かった道を進む。途中、プエンテ・デル・インカ、国境の町ラスクエバスに立ち寄り、標高4,200mのチリ国境まで登る。国境には、終戦を記念して両軍の大砲をつぶして作ったキリスト像が立っている。

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エビータの墓には花が絶えない

2011-04-28 16:04:12 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

アルゼンチン共和国ブエノスアイレス。

リベルタドール大通りをレコレータ地区に向かって歩く。この地区には、高級マンションが並び一階には洒落た店、大きな街路樹が木陰を作っている。いわゆる、ブエノスアイレスの「山の手」地区。

 

エビータの眠るレコレータ墓地に花を手向け、聖母ピラール聖堂に立ち寄る。レコレータ広場に面したレストランで軽食。オープンカフェではカップルが寛いでいる。

 

ピラール聖堂から港方向にアルベール広場を下る。リベルタドール大通りの向こう側にある赤色の建物が「国立美術館」。ヨーロッパ、日本など有名画家の絵が鑑賞できる。1911年に建てられた私邸を美術館にした国立装飾美術館に立ち寄る。どちらも一見の価値がある。

 

 

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歴史に刻まれたとみるべきだろうか?

2011-04-27 09:42:51 | 海外技術協力<アルゼンチン・パラグアイ大豆育種>

歴史に刻まれたとみるべきだろうか

 

先日,JICAアルゼンチン事務所長の野口さんから一冊の印刷物(写真)の寄贈を受けた。

 

日本がアルゼンチン共和国に対して実施した技術協力が50年を迎えたのを機に発刊された「Medio Siglo de Cooperación entre Argentina y Japón, A Tres Décadas de la Firma del Convenio de Cooperación Técnica, su Historia y Evolución(日-ア協力の半世紀,技術協力協定の制定から30年,その歴史と評価)」である。石田在アルゼンチン日本国大使,野口JICAアルゼンチン事務所長,Julia Levi外商務大臣の序文に続き,各技術協力プロジェクトの歴史と評価が要約されている。その中で,最初に掲載されているのがINTAで実施された「Proyecto de Mejoramiento de la Soja 1977-1984(大豆育種プロジェクト1977-1984)」である。INTA MJの作物開発部長Luis SalinesINTA所長Nestor Oliveriが経緯と評価を記している。年代からして,このプロジェクトがアルゼンチン国に対して最初に行われた技術協力であったことを示している。

 

文中には,日本の協力によって交配育種と系統選抜が開始され,同国最初の優良品種「Carcaraña INTA」「Inrriville INTA」が開発されたことが記されている。また,Shinji Sakai, Takehiko Tsuchiya, Hiroshi Nakanishiの名前を挙げて業績をたたえるとともに,北海道立十勝農業試験場が研修生の受け入れに大きな功績があったとしている。

 

34年前に実施されたこの事業は,既に歴史に刻まれたとみるべきだろうか。

 

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アルゼンチンの「大豆教科書」に記された日本の協力

2011-04-27 09:34:32 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

世界第3位の大豆生産国にまで成長したアルゼンチン共和国。同国における大豆栽培の歴史は20世紀後半に入ってからと新しい。

 

大豆生産が急増を開始する頃の1977-1984年,同国の国立農牧業研究センター(INTA)で大豆育種研究の構築に努力した日本の若い育種家達がいたことを,この書「El Cultivo de la Soja en Argentina(アルゼンチンにおける大豆の栽培)448p」は明らかにしている。本書は,ア国における大豆に関するる総合的な技術書とも言えるもので,大豆の歴史,生理生態,遺伝育種,栽培管理,病害虫防除,雑草対策,経済など新しい情報が網羅されている。編者はINTA ManfrediLaura M. Giorda, INTA Marcos juárezHector Baigorri,序論は所長のAlfredo Latanziと州知事のMariano Cocimano,各章は同国研究機関一線の研究者が担っている。

 

この書の79ページ,同国INTAにおける大豆育種の嚆矢は日本国の技術協力であったことが記されている。

 

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5月広場に立つ、大統領府カサ・ロサーダの朝、そしてサン・マルチン広場へ

2011-04-17 17:01:13 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

朝早く5月広場を訪れた。広場に面したカビルドでは、かってアルゼンチンの独立宣言が行われた。北側にはカテドラル、東に面して大統領府(カサ・ロサーダ)がある。広場には、まだ人の数が少なかったが、バッジ売りの露天商が出ていた。

この広場は「革命の広場」であり、戦争での勝利を祝う「勝利の広場」になり、サッカーで世界チャンピオンになったときには「祝いの広場」ともなった。

 

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フロリダ通りを北に進み、突当たりがサン・マルテイン広場。この広場は、北にリベルタドール大通り、西にはサンタ・フェ大通りがつながっている。サン・マルテイン将軍の騎馬像は昔のままに立っていたが、広場の木々は大きく伸びて枝が地表につくほどになっている。

広場から、レテイーロ駅や英国塔の方面を眺めれば、芝生の上で恋人たちが寛いでいる。この低台の広場はかって英国広場と呼ばれていたが、フォークランド(マルビナス)戦争以降はその名はなく、アルゼンチン空軍広場と呼ばれ、戦士達をまつる記念物がある。

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ボカ・ジュニアーズ・スタジアム

2011-04-16 16:24:31 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

ボカのカミニートを訪れたら、小路を抜け線路沿いに進むと「ヌエバ・ボンボネーラ」と呼ばれるスタジアムがある。ボカジュニアのホームスタジアムである。ボカジュニアは、アルゼンチンではリバー・プレートと人気を二分するチームで、多くのスタープレーヤが活躍し、世界に羽ばたいた。

 

試合がない日には、スタンドに入ることが出来る。ロビーには数々の記念品が陳列されている。サッカーファンには見逃せない。

 

スタジアムの入り口で、スタープレーヤーの足形に足を乗せてみるのもいい。

 

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アルゼンチンタンゴ発祥の地

2011-04-16 16:03:43 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

アルゼンチンの首都ブエノスアイレス南部、ボカ港は古くはアルゼンチン唯一の港だった。ヨーロッパからの移民が最初に足を踏み入れた場所で、当時は大変な賑いを見せ、小路の薄暗いバーには労働者や船員がたむろし、切なくも官能的なタンゴが生まれたという。

 

原色に彩られた壁が並ぶカミニートには、若い芸術家の卵たちが露店のギャラリーを開き、タンゴのパフォーマンスが見られ、観光客も大勢訪れる。

 

河口に面した通りには、ボカ生まれの世界的な画家キンケラ・マルチンの美術館がある。船で働く人々を力強い筆致で描いた絵は、誰もが一度は目にしたことがあるだろう。彼の故郷を愛する気持ちは強く、この地に病院や学校を建て、貧しく働く人々を理解し続けた。

 

25年ぶりに訪れたこの日も、小路のカフェで軽食を取り、美術館を訪れた。皆さんもぜひ、美術館に足をのばし、当時を偲んでほしい。

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イエズス会の遺跡トリニダを訪れる

2011-04-10 11:18:32 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

エンカルナシオンから国道6号線を30km,トリニダ遺跡がる。遺跡は赤いレンガで造られ,広い広場を囲んで中央に教会があり,周囲に学校,ガラニー族の住居跡などが散らばっている。1706年につくられ,最盛期には4,000人もの人々が暮らしたという。1933年登録の世界遺産。

 

時々訪れたけれども,いつも観光客の人影を見ることはなかった。丘陵に残されたこの遺跡は,ガラニーの末裔が暮らす集落の傍らにあり,周辺の自然に溶け込むようにある。青空のもと遺跡の建物にたてば,映画「ザ・ミッション」の感傷が湧きかえってくる。

 

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パラグアイ政府からの感謝状

2011-04-06 18:03:14 | 海外技術協力<アルゼンチン・パラグアイ大豆育種>

パラグアイ政府からの感謝状

 

パラグアイ政府から感謝状が贈られた。プロジェクト終了式典で,農牧大臣自らが専門家に手渡すという粋な計らいである。感謝の気持ちの表し方は難しいが,まあこれはサラリとしていて心地よい範疇。このほかに,仲間が寄せ書きして記念盾を贈るということも,ラテンの国ではしばしば見かける。

 

感謝状は木板(ラパチョ等)に鞣し革を張り,文字を焼きゴテで刻むか手書きしたプラカ(写真)で,多くは壁に掛けるようになっている。文面のスタイルは概ね以下のごとし。

 

Ministerio de Agricultura y Ganaderia


RECONOCIMIENTO Y GRATITUD

Al Dr.  Takehiko Tsuchiya


por su valiosa contribucion a la Investigacion Agricola de Paraguay, como Experto Asesor de Mejoramiento de Soja del Proyecto de Investigacion sobre la Producion de Soja (MAG/JICA), ejecutado en el CRIA, desde el 17/05/2000 al 30/09/2002.


Director y Funcionarios del CRIA

Capitan Miranda, setiembre de 2008.


(感謝状,*** ***博士,2000517日から2002930CRIAで実施された大豆生産技術研究プロジェクトの育種専門家として,パラグアイ国の農業研究に寄与した貴方の有益な貢献に対し謝意を表します。キャピタンミランダ市,20029月,パラグアイ国農牧省)

 

Ministerio de Agricultura y Ganaderia

GRATITUD Y RECONOCIMIENTO

Al Dr.* Takehiko Tsuchiya


Por su valiosa contribucion al Desarrollo de Variedades de Soja Resistentes al Nematodo del Quiste y Roya, en el CRIA, desde el ano 2006 al 2008.

 

Capitan Miranda, Paraguay Marzo de 2008.

 

(感謝状,*** ***博士,2006年から2008CRIAで実施された「大豆シスト線虫及びさび病抵抗性品種の育成」に対する貴方の有益な貢献に対し謝意を表します。キャピタンミランダ市,20083月,パラグアイ国農牧省)

 

 

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パラグアイ政府は,記念プラカを掲げて謝意を表した

2011-04-04 17:57:57 | 海外技術協力<アルゼンチン・パラグアイ大豆育種>

パラグアイ政府は,記念プラカを掲げて謝意を表した

 

パラグアイ地域農業研究センターのエントランスホールに掲げられた記念プレートを紹介する。

 

20029月に設置されたものには,「日本政府とパラグアイ共和国政府の23年の友情と技術協力の証として,・・・日本とパラグアイの関係者が共に力を合わせて献身したことにより,パラグアイ農業発展に寄与し,パラグアイ国民にとって価値ある成果が結実した」の文字が刻まれた。

 

20083月には「日本政府とパラグアイ共和国間の29年間の技術協力に関わった技術者たちの献身と努力に敬意を表する(以下,JICA専門家及びCRIA技術者氏名一覧)」と刻まれた。

 

刻まれたJICA専門家(長期派遣)氏名は次のとおり。パラグアイ側のC/Pは略。

 

Homenaje a la dedicación y esfuerzo de técnicos involucrados en los 29 años de Cooperación entre el Gobierno de Japón y la Republica del Paraguay

1979-2008

 

Proyecto de Desarrollo Agrícola y Forestal de la Zona Sur del Paraguay (1979-1988)

Ichiro Tsuboi, Noboru Machida, Juichi Shibusawa, Masaru Niwa, Hideo Katahira, Yoshijiro Kokubun, Morio Chiba, Takanori Igarashi, Mitsuyoshi Miyahara, Ichiro Kato, Ken Kumagai, Yasuo Kato

 

Proyecto de Fortalecimiento de la Producción de Granos Principales en el Paraguay (1990-1997)

Ichiro Kato, Hide Sawahata, Chiaki Aoyama, Tadashi Katayama, Toshihiro Nozawa, Katsue Shiraishi, Shinobu Yamazaki, Hideo Gocho, Fumio Iwata, Michitaka Komeichi, Teruo Shimada, Syozo Tsuji, Takeshi Hayasaka, Yoshimitsu Tanimura, Toru Inoue

 

Proyecto de Investigación sobre la Producción de Soja (1997-2002)

Koji Hashimoto, Michitaka Komeichi, Hisao Shiozaki, Yasuo Osugi, Takehiko Tsuchiya, Masakazu Toyoda, Masaru Niwa, Shinji Sekiguchi

 

Proyecto de desarrollo de variedades de soja resistentes al NQS y a la Roya de la Soja (2006-2008)

Takehiko Tsuchiya

 

参照:「29 Anos de Cooperacion Tecnica del Gobierno del Japon en el CRIA」Capitan Miranda-Paraguay, Marzo de 2008

 

 

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