パラグアイ大豆(技術協力の成果)
3期23年間続いたパラグアイ農業開発技術協力は2002年に終結した。成果は多方面にわたるが,中でも同国の大豆生産向上に果たした役割が極めて大きい。わが国が技術協力を開始した時点に比べ,大豆の栽培面積は3.5倍,生産量は5.5倍に増加し,同国総輸出額の40%を超えるまでに至り,国家経済を支えている。また,不耕起栽培技術の普及や耐病性新品種の開発により生産性が向上し,単収は世界の最高水準にある。
パラグアイの地域農業研究センター(CRIA)を研究サイトとして進めてきた技術協力が,23年に及ぶ歴史を閉じたのは2002年の9月である。筆者はこのプロジェクトの最終段階に大豆育種専門家として参画し,また終了後の翌年もフォローアップのため同国に滞在して相手国の自立の姿を見届ける役割を担った。本報では,本技術協力の成果と大豆栽培の現状について紹介する。なお,本課題に関連する記述としては,JICA(2003),丹羽(2004),土屋(2002,2004,2005)が参考になる。
1. 技術協力の成果
1)プロジェクト形成の背景
1973年のUSAによる大豆禁輸措置,第1次石油ショックを背景として,1975年にラプラタ河流域経済開発調査団が派遣され,各国からの強い要請を受けた日本政府は,1977年にアルゼンチンと「大豆育種技術協力」を,1979年にはブラジルと「セラード開発事業」,パラグアイと「農業開発技術協力」をスタートさせた。これら3事業は南米大豆生産の飛躍をもたらした(現在,南米3国の大豆生産量は6,800万tに達し世界総生産量の40%弱を占める)。これら諸国では大豆が国家経済を支えるまでに成長し,結果としてわが国にとって大豆の供給安定性が増している。
しかし,多大な成果を讃えられたセラード開発事業が2001年に終了し,2002年にはパラグアイ農業開発技術協力が終了するなど,時代は長大型農業技術協力が軒並み終結する転換期にある。
2)3期23年にわたる技術協力
パラグアイへの技術協力は,第1期の「南部パラグアイ農林業開発研究」(1979-1988),第2期の「主要穀物生産強化計画」(1990-1997),第3期の「大豆生産技術研究計画」(1997-2002)として進められた。第1期では地域農業研究センター,農業機械センター及び林業開発センターの3機関を整備し試験研究体制の強化を図り,第2期では大豆及び小麦など主要穀物の生産性向上を目指し,第3期では大豆に特化して,育種,栽培及び土壌分野の研究能力向上を図った。この3期23年間に及ぶ技術協力の中で,大豆は継続して実施されたテーマであった。
3)技術協力の進捗に合わせ生産が拡大
第1期のプロジェクトが開始された1979年当時,パラグアイにおける大豆の栽培面積は40万ha,生産量は77万tであった。その後,栽培面積及び生産量は毎年増加し,第1期のプロジェクトが終了する1988年には90万ha(180万t),第2期のプロジェクトが終了する1997年には94万ha(267万t),第3期のプロジェクトが終了した2004年には140万ha(420万t)を超えた。わが国が技術協力を開始した時点に比べ,栽培面積は3.5倍,生産量は5.5倍に増加したことになる。
また,特筆すべきは単収の増加であり,当初1.8 t/haであったものが,2.7t/haまで向上している。単収の増加は,気象条件に適応し病害に強く能力の高い品種が導入されたこと,不耕起栽培が定着したことなど,プロジェクトの成果が反映された結果である。
4)育種分野の対応
ここでは大豆育種分野の成果にふれよう。専門家が目標にしたのは,「個々の技術移転だけでなく,最終的に実用品種を育成すること」だった。たとえ研究者の技術が向上しても,品種を育成できなければ育種機関の存在が問われよう。CRIAは,プロジェクト終了後も自立して育種事業を進め,新品種を継続して発表出来る体制にならなければならないとの認識である。
育種の効率化:大卒の研究者1-2名と研究補助者3-4名(標準的研究単位)のみで育種事業を推進することを念頭に(財政的な理由で組織の拡大は継続しない),試験区の機械化,測定項目の簡略化,育種法の改善,茎かいよう病の幼苗検定システム化など効率化を推進した。
育種規模の拡大:実用品種を開発するためには育種材料の蓄積が必要である。規模拡大を進めた結果,育種材料は最後の5年間で2.6-8.6倍になった(表1)。すなわち,人工交配を毎年50-80組合せ行い,年間240組合せについて200集団及び1,000系統を超える材料の選抜を行い,140系統及び品種の生産力検定を実施するまでになった。この規模は,ブラジル,アルゼンチン等に比べると小さいが,わが国の育種規模に勝る大きさである。
関係機関との連携強化:JICAパラグアイ農業総合試験場(CETAPAR)とは連携を密にした。また,JIRCAS南米大豆プロジェクト,ブラジル研究公社大豆研究所及びマトグロッソ財団研究所には,シストセンチュウ抵抗性検定などで支援を受けた。
パラグアイ初の新品種誕生:1997年には同国で最初の登録品種「Uniala」「Aurora」が育成され,2001年には本格的な交雑育成品種「Don Rufo」「Pua-E」が発表された。「Aurora」については豆腐加工適性が高く,日系農協と日本の豆腐業者との契約栽培が進められている。
現在,栽培品種の主体は生育日数が126-142日,百粒重は15-18gで日本の品種に比べ小さいが,収量は3t/haを超える。優良品種の開発が進んだ結果,現在の栽培品種の能力は高い水準にあるといえよう。
ここに至までには,「財政的に困窮するパラグアイで育種を実施する必要があるのか。ブラジル品種で対応できないか」との議論が頻繁にあったという。しかし,育種の成果が目に見えてきた現在,CRIAでの新品種発表セレモニーには農牧大臣が出席して多くの生産者等と展示圃場を歩き,新品種誕生を祝う姿が見られる。
参照:土屋武彦2005「パラグアイの大豆栽培」農林水産技術研究ジャーナル28(5)42-45
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