豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
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ミツバチの分蜂が我が家(恵庭)にやって来た

2012-08-21 10:08:16 | さすらい考

お盆が過ぎた頃(気づいたのは819日午前10時だった),庭の花梨にミツバチの分蜂が現れた。トイレの窓から蜂の羽音が騒がしく聞こえて来たので,急いで外に出てみると「花梨」の樹に長径3040cmの塊が形成され,周りを数十匹の蜂が忙しく飛んでいる。風がある晴れた日だったので,花梨の小枝は激しく揺れているが,風を遮る幹の部分に塊が出来ている。

公園の立札「スズメバチに注意」が瞬時に浮かんだが,蜂の大きさや群舞する状況からみてミツバチだろうと判断した。そして,これが話に聞く「分蜂」で,旅の途中なのだと勝手に考えた。夕方には蜂の動きが静かになり,黒い塊となって闇に包まれた。ちなみに,ミツバチの分蜂は一集団2万匹ほどだという。

 

その夜,Roran Jacobsen著Fruitless Fall The Collapse of the Honey Bee and the Coming Agricultural Crisi(実りなき秋,中里京子訳文春文庫2011では「ハチはなぜ大量死したのか」と題されている)を書棚から取り出して,ページをめくった。

 

この書は,200611月フロリダの養蜂家が数百個の巣箱から働き蜂が消えてしまったのを発見する描写から始まる。その年,北半球では1/4の蜂が消え,巣箱に残されたのは女王蜂と蜂蜜だけだったという。その後,ミツバチの謎の集団死は農業に大打撃を与えることになる。

 

この奇妙な病気「蜂群崩壊症候群」(CCD:Colony Collapse Disorder)について,科学者たちが原因追及に動く。ミツバチヘギイタダニ,電磁波,遺伝子組み換え作物,地球温暖化,ウイルス,ノゼマ病,浸透性農薬など様々な説について紹介され,謎が一枚一枚剥されていく。本書では,品種「セイヨウミツバチ」の偏重や環境問題が論議され,私たちに農業や土地に対する姿勢を問い直すべきではないかと問いかけている。

 

ヨーロッパでも2009年,大陸全体で30%のミツバチを失う被害に見舞われ,ネオニコチノイド系農薬禁止が進んだ。同年,オーストラリアでノゼマ病が大発生したのを受けて同国が女王蜂輸出を見合わせたため,日本でもミツバチ不足が起こっている。ごく最近のことだ。解決のために大きな予算が注ぎ込まれているが,CCDの要因はまだ解決していない。自然界の均衡が破綻されている現状が問題なのだろう。

 

この書は,人為が過ぎてはならない,自然界と共生・平衡を保てと諭しているようだ。読み終えて,ミツバチを飼ってみたいと思わせる。

 

さて,わが庭のミツバチのその後である。

 

820日:雨模様の湿度が高い天候,ミツバチは静かな塊のまま,数匹が晴れ間をみて偵察に出ている。

 

821日:晴天,朝起きた時はまだ留まっていたが,9時に見に行くとその塊は消えていた。天候は,分蜂が訪れた日と同じように風が花梨の枝を揺らしている。花梨の葉に蝋蜜の跡を残して2万匹は姿がない。何処へ旅立ったのだろう。残念ながら飛翔の瞬間は見ていない。何処からか一匹が戻ってきて,仲間を探す姿が哀れ。

 

またいつか訪ねて来れば良い。恵庭は花の街だから。今度訪れたら,君たちに巣箱を用意しよう。

 

 

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穀物価格の高騰,今年も記録的な旱魃が起きている

2012-08-19 11:24:35 | 南米の大豆<豆の育種のマメな話>

テレビをつけると,農作物の旱魃被害の映像が飛び込んできた。枯れ上がったトウモロコシの収穫風景と農家の深刻な表情がリポートされている。念のためUSDAのホームページを開くと,合衆国穀倉地帯の旱魃状況が逐次地図に示されている。北海道新聞も社説「穀物価格高騰」(2012.8.18)及び819日の記事で,被害が農耕地の64%にも及ぶ記録的な旱魃・・・と述べている。合衆国ではトウモロコシの被害が報道されているが,大豆も生産量が大幅に落ち込み,供給不足が予想され,7月頃から穀物価格の高騰が始まっているという。

近年,地球のあちこちで,農作物の旱魃被害発生頻度が高くなっているのではないか。

 

旱魃が穀物価格の高騰をもたらし,開発途上国の低所得層を直撃した(食料が供給されず暴動化した)事例を,我々は数年前に経験したばかりである。

世界的な人口増加,新興国の旺盛な食糧需要,穀物のバイオエネルギー転化などを鑑みるに,穀物需給はそれでなくとも逼迫状況にある。これに加えて,頻発する旱魃は社会騒乱の引き金になるだろう。

 

旱魃は,昨夏の南米でも大きな被害を与えていた。パラグアイ政府は,2001/2012作期(1011月に播種し,34月に収穫)の大豆生産について,年次当初860万トン(単収2.9t/ha)の収穫を予想したが,ラ・ニーニャの発生と旱魃により大きな被害を受け,生産量は予想の49.5%(生産量436万トン,単収1.5t/ha)になったと発表している(パラグアイ農牧省)。

 

ここで,パラグアイの大豆生産量の年次推移データから,旱魃被害の発生頻度について検証してみよう。

図(写真)は,パラグアイ大豆の作付面積,生産量,単収について,20年間のデータを示したものである(年次は収穫年で示す。パラグアイ大豆生産量の推移)。

 

作付面積は20年前(1993年)の63haから,2012年には296ha4.7倍)まで,ほぼ直線的に年々増加している。一方,生産量は180万トン水準から800万トン程度まで増加しているものの,最近は減収著しい年次が見られる。例えば,20042006年は生産量が停滞し,2009年及び2012年は大きく落ち込んでいる。

 

単収の推移をみれば,収量の落ち込み,不安定さが,より顕著に理解できる。1995年には全国平均で3t/haを越え,当時は間違いなく世界一の高収量国であったが,最近は必ずしも誇れる状態ではない。収量水準が低迷している。また,平年の半作に近い低収年の発生頻度が高まっている。特に,最近の10年間では平均単収が2t/ha以下の年が5回もあるのだ。

 

要因は何か?

減収の第一要因は旱魃である。2009年,2012年は特に干ばつの影響が大きい。20042006年の減収には,2001年に初発生が確認されたさび病(アジア型)の蔓延やGM大豆不法栽培の影響(アルゼンチンから非合法導入された早生種が干ばつの影響を大きく受けた)も考えられるが,旱魃被害がなければこれほどの低収にはならなかっただろう。

 

このように,異常気象による旱魃害の発生は恒常化し始めたと言えるのではないだろうか。森を拓き,灌漑し,大規模単作農法を指向した付けが回ってきた。GM品種が生まれ,大規模化はさらに加速されている。穀物輸出国が推進してきた大規模農法が旱魃を増長したと言えなくもない。現農法のクライシスを暗示しているのかもしれない。

 

さりとて,この流れにブレーキを掛け得ても(旱魃要因の削減,ストレス耐性向上など),バックギアで半世紀前まで戻ることはできない(世界の飢えたる人々を見殺しにはできない)。問題解決が世界共通のテーマとなっている。食糧の安定生産に向けて,各国の技術開発・環境整備への投資,発展途上国への技術援助など,「農」に対する長期的・戦略的な取り組みが求められている。

 

短期的には,日本であれば食料自給率向上が必要であり開発途上国への技術援助もできるだろう。穀物輸出国には輸出制限に歯止めをかけるルール作り,世界としては備蓄の国際協力・・・等々,真剣に考える時だ。

 

 

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銀細工のボールペン

2012-08-18 18:50:51 | 南米で暮らす<歴史・文化・自然>

パラグアイの民芸品の話を続けよう

一本のボールペンがある(写真)。軸全体に繊細な模様が浮き彫りされた銀製品で,DR TSUCHIYAと刻印されている。20××年8月パラグアイを去るに当たり,同国地域農業センター(CRIA)大豆研究室のカウンターパートたちから,記念にと贈られたものである。給料の安い彼らが如何にして工面したか分からないが,心に残る記念の品となった。

 

パラグアイは金銀細工の指輪,ブローチ,イヤリングなどのアクセサリーが民芸品としても有名で,細工の技術が評価されている。当初スペインから持ち込まれたアクセサリーを基に,パラグアイの職人たちが独自の技術を生み出したものとされるが,その繊細さからパラグアイ人の手先の器用さを窺い知ることが出来る。

 

アスンシオンから15km離れたルケ市(Luque)が金銀細工の産地として有名である。実はこのルケ市は,パラグアイの伝統楽器アルパの産地としても知られ,南米サッカー連盟の本部も置かれている。アスンシオンの国際空港に近づいた飛行機の眼下には,赤い屋根と緑が広がり,緑豊かな田園都市との印象を受けるが,実はこの空港のある地域がルケである。三国戦争時に首都がおかれた場所でもある。

 

また,親しくしていただいた秦泉寺さんから贈られた金細工のマテ茶容器(写真)は,茶の間のケースの中で,思い出を満杯にして輝いている。

 

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アオポイ,パラグアイを象徴する繊細な刺繍の綿織物

2012-08-17 09:38:28 | 南米で暮らす<歴史・文化・自然>

アオポイ(Ao poí

アオポイはパラグアイを象徴する綿織物だ。輸出もされている。涼しげな綿生地に優美な刺繍を施したもので,シャツやブラウス,テーブルクロス,カーテン,装飾品などの製品がある。アオポイの名は,ガラニー語で布を意味するアオ(Ao)と繊細を意味するポイ(Poi)に由来する。17世紀この地に持ち込まれたスペイン刺繍が定着し,パラグアイ人の器用さによって,より繊細なアオポイ織物として芸術性が高められたと言えるだろう。

 

グアイラ県のジャタイトウ市(Yataity)が産地として有名である。この町は国道2号線のコロネル・オビエド(Cnel Oviedo)から南に27km,音楽家や詩人を輩出した文化都市ビジャ・リカ市(Vilarrica)の手前17kmにある。国産木綿の生産が盛んな土地柄で,アオポイを織り,販売する,草ぶきの家が並んでいる。

 

アオポイのシャツやブラウスは,パラグアイの暑い夏のパーテイには欠かせない。公式な場所でも許される着衣だ。やや硬い木綿生地の着心地がサラリとしている。

 

友人夫妻がパラグアイを訪れ,帰りしなに尋ねられた。

「お土産は何が良い?」

「小物ならニャンドウテイの・・・,記念にするならアオポイのシャツはどうかね」

 

彼はアスンシオンの専門店で,これは自分に,これらは息子たちにと,胸元に刺繍が入ったアオポイのシャツを選んだ。

彼らは今頃,お洒落なポロシャツ感覚で,札幌の夏を楽しんでいるだろうか。

 

もちろん私の手元にも,友人ロメロ夫妻から贈られたアオポイのシャツ,サンチアゴ場長夫妻から頂いたネクタイなどがある。パラグアイの人々は,アオポイを誇りにしているのだろう。

 

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ニャンドウテイ,「蜘蛛の巣」と呼ばれるパラグアイ刺繍

2012-08-16 13:56:50 | 南米で暮らす<歴史・文化・自然>

パラグアイの民芸品には,手編みレース,皮製品,銀細工,陶磁器,木工品など色々あるが,先住民族グアラニー伝来の素朴なものが多い。中でも代表的なものは繊細なパラグアイ刺繍(織物)であろう。ニャンドウテイ(Ñandutí),エンカヘジュ(Encaje jú),アオポイ(Ao poí)等がある。ニャンドウテイはパラグアイ独自の繊細さ,エンカヘジュは粗にして朴訥,アオポイは少しお洒落な感じが特徴だ。

先ずは,ニャンドウテイ(Ñandutí

グアラニー語で「蜘蛛の巣」(Ñanduが蜘蛛)を意味し,蜘蛛の巣のように繊細で美しい形状をしている(パラグアイ独特のもので「パラグアイ刺繍」とも呼ばれる)。グアバやパッションフルーツの花をデザインした模様や幾何学模様(基本図形,70種以上あると言われる)を組み合わせて,一本の糸で手編みする。

主に衣装の飾りやテーブルクロス,ヴエール,壁掛けなどに使われる。観光客向けのお土産としても人気があり,民芸品店や路上屋台で小物から大きい物まで多数販売されている。細い糸で編み上げた作品は,制作に時間がかかるため値段も高い。アスンシオンから車で1時間弱の所にあるイタウグア(Itauguá)が,産地として有名である。

 

ニャンドウテイを最初に見たとき

「どうして作るのだろう?」との疑問が頭をよぎった。何しろ,繊細な模様を色とりどりの刺繍糸だけで編み上げ,製品(蜘蛛の巣)が出来上がっている。しかも,全てが手作りで,芸術作品ともいえる代物なのだ。

 

作成手順を簡単に説明しよう。

1.材料・道具:木枠(bastidor),布(tela),糸(hilos),針(aguja

2.木枠に布を張る

3.布に円や半円,方形など模様の原型となる下絵を描く

4.下絵にそって,布の織り目を利用しながら,刺繍糸で織り進める

5.パンジー,狐の尾,蜘蛛の巣,小山,時計草,四角星,小さい籠など多数の図形(デザイン)が考案されている。基本図形をマスターすれば,独創的なデザインも作成可能

6.基本図形を多数組み合わせた下絵に沿って作品を完成させる。このまま装飾品として飾る場合もあるが,通常は以下の道程を経る

7.完成品を糊付けする

8.乾燥したら,刺繍糸を残し,鋏やピンセットを使い下絵を描いた布を除去する

9.刺繍糸だけになった完成品を衣装やテーブルクロスの飾りとして縫合する

 

因みに,添付の作品(写真)はSra. Shoko Tsuchiyaの作品。

 

◆エンカヘジュ(Encaje jú

エンカヘジュも木枠の中に手で一本一本編んでいく編物で(布を使わない),木綿糸の太さは色々あるが,ニャンドウテイに比べて粗い出来上がりとなる。日用品に供されることが多い。



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「宝島」の作者ステイーヴンソンと「吉田松陰伝」

2012-08-09 13:58:16 | 伊豆だより<歴史を彩る人々>

「知られざる吉田松陰伝」宝島のステイーヴンソンがなぜ?

子供向けの海洋冒険物語「宝島」に夢中になった思い出を持つ人は多いだろう。私もその一人だ。縁側で日向ぼっこしながら絵本に夢中になり,眼を上げて家の中を見ると真っ暗に見えたことを思い出す。

「宝島」は・・・ビリー・ボーンズと名乗る顔に傷痕のある大男が現れ,宿屋の息子ホーキンズ少年に「片足の男に気をつけろ。現れたら俺に知らせろ」と言いつけるところから物語が始まる。その後,ボーンズの周辺には怪しげな人物が出現するようになり,ボーンズは乱闘の末に死んでしまう。

ポーンズが持っていた箱から,彼がかってフリント船長率いる海賊団の一味だったことを記したノートと,財宝を隠した孤島の位置を示す地図が出てくる。ホーキンズ少年は,地元の郷士トレローニと医師リブシーと一緒に宝探しに出かける。

 

航海に素人だった彼らは,波止場で居酒屋を開いていたシルバーという片足の男の力を借りて水夫を集め,シルバーともども出航する。宝島にたどり着く頃ホーキンズ少年は,実はシルバーが海賊団の元一味で集めた水夫仲間と反乱を起こそうと相談していることを,幸運にも耳にする。船を脱出した少年ら一行は島で海賊一味と戦うことになる。昔この島に置き去りにされていた元海賊のベン・ガンの助けを借りて,一行は戦いに勝利し財宝を手にする・・・というような内容だったろうか。

 

この物語の作者はロバート・ルイス・ステイーヴンソン1850年生まれのイギリスの小説家で,「宝島」「ジキル博士とハイド氏」など多数の作品が世界中に翻訳されている。

話は変わるが,小学生の頃,夏休みになると下田市柿崎の浜に海水浴に行くことが多かった。浜の裏手にある三島神社境内には吉田松陰の石像があった。また,目の前に弁天島があり(現在は,海水浴場は閉鎖され陸続きになっている),そこの祠が吉田松陰と金子重輔が安政元年ペリー艦船に密航を企てようと身を隠した場所だと聞いて,「松陰」の名が脳裏に焼き付いた。

家に帰って祖父に尋ねると・・・吉田松陰は長州の思想家・教育者で,松下村塾では久坂玄瑞,高杉晋作,伊藤博文,山縣有朋などを教え明治維新の精神的指導者であったこと,獄中教育こと,辞世の句に「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」とある・・・と聞かされた。獄中にあってまで・・・と,子供心を揺さぶった。国を思う思想家が下田の地を訪れ,歴史を刻んだのだ。松陰の生きざまに感銘を覚えるのであった。

更に時を経て,通学していた高校の近く(蓮台寺温泉)にある吉田松陰寓居処(旧村山行馬郎邸)を訪れたこともあるが,その後の人生では松陰を意識することは少なかった。

だが,半世紀が過ぎようとする頃,ステイーヴンソンが松陰(吉田寅次郎)の伝記を書いているFamiliar studies of men and books1882)と知り,この意外な結びつきに驚いた。本当なら,世界で最初の「吉田松陰伝」と言うことになるのではないか。日本に来たこともないイギリスの文豪ステイーヴンソンは誰から松陰のことを聞いたのだろう? 彼に松陰伝を書かせようとした動機は何だったのか?

その回答は,よしだみどり著「知られざる吉田松陰伝」宝島のステイーヴンソンがなぜ?(祥伝社新書2009)にある。

本書のお蔭で子供の頃の記憶が奇妙なかたちで結び付いた。まずは,本書との出会いに感謝せねばなるまい。

本書は,「なぜ世界最初の吉田松陰伝が英国で--日本より11年も早く業績が評価された理由」「ステイーヴンソン作『ヨシダトラジロウ』全訳--それは感動に満ちた内容であった」「誰が文豪に松陰のことを教えたか--維新の群像たちが求めていたもの」「どうして伝記は封印されていたか--松下村塾の秘密を解くカギはここにある」「松陰伝がサンフランシスコで執筆された理由--文豪にとって松陰は勇気であった」「ステイーヴンソンが日本に残したもの--われわれに誇りを取り戻させてくれた」の6章から成っている。

詳細については本書に委ねよう。

読み進むにつれ時代が蘇り,再び松陰の虜になった。サムライ松陰の心の気高さ,ステイーヴンソンが感銘した日本人の美徳・潜在能力。汎地球主義,物質主義で行き詰った昨今の閉塞の時代を打破するには,松陰の国家感・先見性・勇気,さらには歴史が培った日本本来の美意識を認識することが重要なのではないかと。

また,この書物では,下田の沖合にある神子元島の灯台がステイーヴンソンの父により設計されたものだと紹介されている。この古い灯台は,松陰が密航に失敗した下田沖の海を今も照らしているのだ。また一つ,故郷下田の思い出が深まった。

写真は,柿崎の丘からみた下田港,城山公園の日米修好記念碑

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最果ての海峡「ビーグル水道」,鉛色のうねりにオタリアが群れる

2012-08-02 11:04:51 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

ビーグル水道(Canal Beagleは,南アメリカの最南端,フエゴ島(Tierra del Fuego)と,その南側に位置するナバリノ島(Isla Navarino),オストレ島(Isla Ostle)を隔てる全長240km,幅110kmの海峡(水道)で,アルゼンチンとチリの国境になっている。東の端にはチリ領ヌエバ島(Isla Nueva),西の端はチリ領ダーウィン山系がある。

イギリス海軍のビーグル号(帆船)は,一回目の航海(1826-30)でパタゴニアやテイエラ・デル・フエゴの水路調査を行い,二回目の航海(1831-36)では進化論で知られるチャールズ・ダーウィンが乗船して詳細な記録を残しており(ビーグル号航海記),同水道の名前は同船に由来するという(ビーグル号船長の名前もフイッツロイ山として名を留める)。

 

さて,この水道には小さな島や岩礁がいくつかあり,無数のアシカ,ウミウ,ペンギンなどが生息している。これらのコロニーを観察するクルーズがウスアイアから出ているので,20××年1229日船に乗った。

 

観光桟橋を離れ振り返ると,ウスアイアの町が眺望できる。その背後に迫って氷河に削られた険しい姿の山が雪に覆われている。青空も見えるが雲が低い。ここは「最果ての海峡」なのだ。海峡は鉛色にうねり,寂寥感が漂う。

 

クルーズで船が必ず訪れるのは,ロス・ロボス島Isla de Los LobosSea Lions Island)とロス・パハロス島Isla de Los PajarosBirds Island)である。アシカ,ウミウのコロニーが島を区別して占有し,或いは混在してみられるが,その数の多さに圧倒される。船が静かに近づき,観光客はカメラを向ける。岩礁に堆積したウミウの糞(グアノ)が,南極の風に乗って臭ってくる。

 

しばらく進むと,岩礁に赤と白に塗られた小さなエクレルール灯台(Faro les Echleireurs)が目に入る。同性愛の哀愁を描いた香港映画「ブエノス・アイレス」(Happy together,ウオン・カーウアイ監督作品,第50回カンヌ映画祭監督賞受賞)で象徴的に採りあげられた灯台で,「世界の果てを見たい」と旅立った主人公チャンが今も傍に佇んでいるような風情だ。

 

アシカと言えば,水族館の「アシカ・ショー」が思い出されるが,その種類は多く(アシカ科は712種),なかなか区別がつかない。鰭脚類は次のように分類され,此処に生息するのはオタリア(Otaria flavescens)だという(参照:Wikipedia)。

 

1鰭脚類

  1-1セイウチ科

  1-2アザラシ科

  1-3アシカ科

    1-3-1アシカ亜科

     1-3-1-1アシカ属

    1-3-1-1-1カリフォルニアアシカ

    1-3-1-1-2ガラパゴスアシカ

    1-3-1-1-3ニホンアシカ

   1-3-1-2オーストラリアアシカ属

   1-3-1-3ニュージランドアシカ属

   1-3-1-4オタリア属

   1-3-1-5トド属

  1-3-2オットセイ亜科

  

ちなみに,ニホンアシカは唯一日本沿海で繁殖する種類で(アザラシ,トドは冬に回遊してくる),縄文時代の貝塚からも骨が出土しているが皮と油をとるための乱獲が続き,19世紀末から20世紀初めには絶滅に追いやられている。

 

一方,ロス・パハロス島に群棲しているのは,ウミウ(鵜)の仲間である。ビーグル水道には主に5種類のウミウの繁殖地になっているのだという。遠目には黒と白の容姿でペンギンに見間違えたほどだ。

 

人類による乱獲,開発,経済発展のために行った多くの行為は,反面自然を破壊した歴史でもある。「自然を破壊して人類が滅亡した」となるか,「緑が残った,だが人類は滅亡した」となるか・・・調和,持続の意味を,自然の厳しさに触れながらビーグル水道で考えるも良い。

  

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