新型コロナウイルス(COVID-19)がなかなか収束しない。外出自粛で生まれた時間の活用法はいろいろあるが、冊子の編纂もその一つだろう。ここに紹介する「伊豆下田、里山を歩く」(土屋武彦著、A5版231ページ、2021年6月1日発行)もコロナ禍の中で誕生した 。伊豆下田生まれ、北海道在住の著者が幼少期の記憶を辿る。
本書の「はしがき」「目次」「あとがき」を引用する。
◇はじめに
伊豆の下田と聞いて思い浮かぶのは、「開国の港」「唐人お吉」「豊富な温泉」「美しい海と山」「金目鯛の煮つけ」「鯵の干物」等だろうか。或いは、「温暖な気候」「長閑な田舎」「人の好さ」「河津桜」を思い浮かべる方がいらっしゃるかも知れない。伊豆の下田は訪れた人々に心のやすらぎと多様な顔を見せてくれる。
温泉に心と身体を癒し、山海の幸を味わう。南国の日差しを浴びて波に戯れる。史跡を巡る等々、伊豆の楽しみ方は沢山あるが、足を延ばして里山を歩く時間をとることをお勧めしたい。田舎の陽だまり路を歩めば、村人が「何処から来なさった?」と声をかける。旅の楽しみは一層増幅するに違いない。
満開のカワヅザクラを鑑賞しながら「カワヅザクラはどのように育成され普及したのか?」と思い、熱海のハカランダを眺めては「町おこしに使えないのか?」と考える。古びた神社に開創の時代を想い、廃校跡地の門柱や銀杏の古木に子供らの声を聴く。里山を歩いていると、思いがけず陽だまりの美術館に出くわしホッとする。青野川沿いを歩きながら「コシヒカリの祖先は江戸時代この平野で栽培されていたのか」と感慨にふける。古代米を醸造した地酒を味わう。伊豆下田のランドマーク「下田富士」「寝姿山と武山」の民話伝説や歴史を学び、「あの山には深根城があり、この丘陵は下田城祉」と、静かな佇まいに北條早雲の盛衰を偲ぶことも出来る。
伊豆下田は私の生誕地である。下田市街北方に位置する山奥で幼少時を過ごし、高校卒業後は伊豆を離れて北海道で暮らした。早くも60年が過ぎようとしている。時が経つと不思議なもので、幼少時の記憶が断片的に思い出され、帰省のたびに想い出を紡ぎながら伊豆の里山を歩いている。本書は、拙ブログ「豆の育種のマメな話」の中で情報発信してきた記事を補筆し、「伊豆下田、里山を歩く」と題して取りまとめたものである。里山で触れる自然や遺跡、物語など幼少時の記憶を中心に取りまとめたのでご笑覧頂きたい。
私にとって伊豆下田は、「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川・・・」(文部省唱歌、高野辰之、岡野貞一)の景色そのものだが、一方室生犀星「小景異情」の一節「故郷は遠きにありて思ふもの・・・」と重なる部分もある。魯迅が「故郷」で描いたほどの深刻さはないが、故郷は感傷だけで解決できない多くの課題をも抱えている。本書を手にされた皆様が、伊豆観光のつれづれに里山を歩いてみようと思って頂けると有難い。本書が伊豆下田をご理解頂く一助になれば、故郷を愛する筆者にとって望外の喜びである。
なお、本書は拙著「伊豆の下田の歴史びと」の姉妹編であることを付け加えさせて頂く。
◇目次
はじめに
目 次
第一章 里山を歩く
1 カワヅザクラ(河津桜)を育てた人々
2 南伊豆の「早咲きサクラ」を知っていますか?
3 熱海のハカランダ
4 コシヒカリ、ゆめぴりか、起源を辿れば南伊豆
5 上原近代美術館、伊豆の田舎の陽だまり美術館
6 須原小学校、昭和二十七年度卒業生が六十年ぶりに通学路を歩く
7 坂戸から谷津へ、河津三郎の里を歩く
8 坂戸「子之神社」でパワーは得られるか?
9 屋号、奥伊豆では今も使われる
10 須原小学校(下田市)、「長松舎」から始まる九十九年の歴史
11 古松山「三玄寺」、開創は竜王祖泉禅師
12 竹一筋に、奥伊豆の友
13 西伊豆の小さな漁村戸田港と「造船郷土資料博物館」
14 下田富士と民話伝説
15 寝姿山と武山
16 下田の城(深根城と下田城)
17 稲梓郷稲梓里、伊豆下田の地名考
18 伊豆の土屋郷(須原村)と土屋氏
19 夏のウグイス、裏山のイノシシ一家
20 サルが渋柿をかじり、シカが遊ぶやわが家の庭に
21 北海道で咲いた伊豆の花(マンリョウとシャガ)
22 やはり野に置け蓮華草、冬の水田を利用した花畑
23 彼岸花(曼殊沙華)咲く
第二章 記憶の断章
1一枚の写真
2 囲炉裏端は「学び」の場
3 異邦人のような来訪者たち
4 百姓の時代
5 イラクサ、カラムシを食い尽くした毛虫
6 山で摘んだ珠玉の味が忘れられない
7 メジロと「鳥もち」
8 ヤブツバキと椿油
9 竹、今昔物語
10 稲梓中学校昭和三十年度卒業生
11 下田北高第十一回生
12 下田北高の校訓を思い出す
13 寂空常然の生涯
14 禮堂文義が保存していた「感謝状」「嘱託状」
15 四分利公債證書と支那事変行賞賜金国庫債券
16 伯父「朝義」のこと
17 啓山石堂が生きた時代
18牛飼い
19 祝日と国旗掲揚
20 石堂が植えた「ヒイラギ」と「イヌマキ」
資料1農業の時代/付表1須原小学校九十九年の沿革/付表2古松山三玄寺/付表3村落の形成と変遷(稲梓郷稲梓里)/資料2寂空常然の系図/資料3 明治・大正・昭和時代の記録簿等/
あとがき
◇あとがき
伊豆の下田で私は生まれた。賀茂郡稲梓村須原××番地。稲梓村は下田の北部に位置する山村で、昭和30年に近隣6町村が合併し下田町となり、昭和46年に市制が施行され下田市となった。生家は山奥の小さな百姓だったので、子供時代は家の手伝いもしたが山野を駆け回って遊び暮らした。時代は太平洋戦争突入から敗戦に至る時期、戦後の暮らしの変貌も子供ながらにこの田舎で体感した。誰もが貧しい時代だった。学校は須原小学校から稲梓中学校を経て、下田北高等学校で学んだ。家から学校まで遠かったので小・中学時代は道草が楽しく、勉強よりも山や川で遊んだことばかりが印象に残っている。
卒業後は伊豆を離れて北海道で暮らすことになった。札幌での学生生活を経て農業試験場に入り、十勝、上川、道央、道南、南米アルゼンチン・パラグアイで生活する機会があった。現在、恵庭市恵み野に住居を構えているが、伊豆を出てから早くも60年が過ぎようとしている。時が経つと不思議なもので幼少時の記憶が断片的に思い出され、帰省のたびに想い出を紡ぎながら伊豆の里山を歩いている。
そのような中、ふるさと応援団として何が出来るだろうかと考え、「開国の舞台下田」のこと、歴史に名を遺す「下田生まれの歴史びと」のこと、「里山」のこと、「幼少時の記憶」のことなどを少しずつ紡ぎ、拙ブログ「豆の育種のマメな話」の中で情報発信してきた。このたび書籍化を思い立ち、編纂作業を進める過程で伊豆の歴史や自然を再認識し、陽だまりの里(伊豆)の長閑さや人の良さを振り返ることが出来たのは嬉しいことだった。
令和2年(2020)新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、日本でも外出自粛を余儀なくされた。この機会を利用して本書の編集・製本作業を進めた。完成度は高くないが手作りの私家本完成と言うことで満足している。
2021年6月1日 恵庭市恵み野草庵にて 著者○○