豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

一冊の本「伊豆下田、里山を歩く」

2021-04-03 13:07:52 | 伊豆だより<里山を歩く>

新型コロナウイルス(COVID-19)がなかなか収束しない。外出自粛で生まれた時間の活用法はいろいろあるが、冊子の編纂もその一つだろう。ここに紹介する「伊豆下田、里山を歩く」(土屋武彦著、A5版231ページ、2021年6月1日発行)もコロナ禍の中で誕生した 。伊豆下田生まれ、北海道在住の著者が幼少期の記憶を辿る。

本書の「はしがき」「目次」「あとがき」を引用する。

 

◇はじめに

伊豆の下田と聞いて思い浮かぶのは、「開国の港」「唐人お吉」「豊富な温泉」「美しい海と山」「金目鯛の煮つけ」「鯵の干物」等だろうか。或いは、「温暖な気候」「長閑な田舎」「人の好さ」「河津桜」を思い浮かべる方がいらっしゃるかも知れない。伊豆の下田は訪れた人々に心のやすらぎと多様な顔を見せてくれる。

温泉に心と身体を癒し、山海の幸を味わう。南国の日差しを浴びて波に戯れる。史跡を巡る等々、伊豆の楽しみ方は沢山あるが、足を延ばして里山を歩く時間をとることをお勧めしたい。田舎の陽だまり路を歩めば、村人が「何処から来なさった?」と声をかける。旅の楽しみは一層増幅するに違いない。

満開のカワヅザクラを鑑賞しながら「カワヅザクラはどのように育成され普及したのか?」と思い、熱海のハカランダを眺めては「町おこしに使えないのか?」と考える。古びた神社に開創の時代を想い、廃校跡地の門柱や銀杏の古木に子供らの声を聴く。里山を歩いていると、思いがけず陽だまりの美術館に出くわしホッとする。青野川沿いを歩きながら「コシヒカリの祖先は江戸時代この平野で栽培されていたのか」と感慨にふける。古代米を醸造した地酒を味わう。伊豆下田のランドマーク「下田富士」「寝姿山と武山」の民話伝説や歴史を学び、「あの山には深根城があり、この丘陵は下田城祉」と、静かな佇まいに北條早雲の盛衰を偲ぶことも出来る。

伊豆下田は私の生誕地である。下田市街北方に位置する山奥で幼少時を過ごし、高校卒業後は伊豆を離れて北海道で暮らした。早くも60年が過ぎようとしている。時が経つと不思議なもので、幼少時の記憶が断片的に思い出され、帰省のたびに想い出を紡ぎながら伊豆の里山を歩いている。本書は、拙ブログ「豆の育種のマメな話」の中で情報発信してきた記事を補筆し、「伊豆下田、里山を歩く」と題して取りまとめたものである。里山で触れる自然や遺跡、物語など幼少時の記憶を中心に取りまとめたのでご笑覧頂きたい。

私にとって伊豆下田は、「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川・・・」(文部省唱歌、高野辰之、岡野貞一)の景色そのものだが、一方室生犀星「小景異情」の一節「故郷は遠きにありて思ふもの・・・」と重なる部分もある。魯迅が「故郷」で描いたほどの深刻さはないが、故郷は感傷だけで解決できない多くの課題をも抱えている。本書を手にされた皆様が、伊豆観光のつれづれに里山を歩いてみようと思って頂けると有難い。本書が伊豆下田をご理解頂く一助になれば、故郷を愛する筆者にとって望外の喜びである。

なお、本書は拙著「伊豆の下田の歴史びと」の姉妹編であることを付け加えさせて頂く。

◇目次

はじめに

目 次

第一章 里山を歩く 

1 カワヅザクラ(河津桜)を育てた人々 

2 南伊豆の「早咲きサクラ」を知っていますか? 

3 熱海のハカランダ 

4 コシヒカリ、ゆめぴりか、起源を辿れば南伊豆 

5 上原近代美術館、伊豆の田舎の陽だまり美術館 

6 須原小学校、昭和二十七年度卒業生が六十年ぶりに通学路を歩く 

7 坂戸から谷津へ、河津三郎の里を歩く 

8 坂戸「子之神社」でパワーは得られるか? 

9 屋号、奥伊豆では今も使われる 

10 須原小学校(下田市)、「長松舎」から始まる九十九年の歴史 

11 古松山「三玄寺」、開創は竜王祖泉禅師 

12 竹一筋に、奥伊豆の友 

13 西伊豆の小さな漁村戸田港と「造船郷土資料博物館」 

14 下田富士と民話伝説 

15 寝姿山と武山 

16 下田の城(深根城と下田城) 

17 稲梓郷稲梓里、伊豆下田の地名考 

18 伊豆の土屋郷(須原村)と土屋氏 

19 夏のウグイス、裏山のイノシシ一家 

20 サルが渋柿をかじり、シカが遊ぶやわが家の庭に 

21 北海道で咲いた伊豆の花(マンリョウとシャガ) 

22 やはり野に置け蓮華草、冬の水田を利用した花畑 

23 彼岸花(曼殊沙華)咲く 

第二章 記憶の断章

1一枚の写真  

2 囲炉裏端は「学び」の場 

3 異邦人のような来訪者たち 

4 百姓の時代 

5 イラクサ、カラムシを食い尽くした毛虫 

6 山で摘んだ珠玉の味が忘れられない 

7 メジロと「鳥もち」 

8 ヤブツバキと椿油  

9 竹、今昔物語 

10 稲梓中学校昭和三十年度卒業生 

11 下田北高第十一回生 

12 下田北高の校訓を思い出す 

13 寂空常然の生涯 

14 禮堂文義が保存していた「感謝状」「嘱託状」 

15 四分利公債證書と支那事変行賞賜金国庫債券 

16 伯父「朝義」のこと 

17 啓山石堂が生きた時代 

18牛飼い 

19 祝日と国旗掲揚 

20 石堂が植えた「ヒイラギ」と「イヌマキ」 

資料1農業の時代/付表1須原小学校九十九年の沿革/付表2古松山三玄寺/付表3村落の形成と変遷(稲梓郷稲梓里)/資料2寂空常然の系図/資料3 明治・大正・昭和時代の記録簿等/

あとがき 

◇あとがき

伊豆の下田で私は生まれた。賀茂郡稲梓村須原××番地。稲梓村は下田の北部に位置する山村で、昭和30年に近隣6町村が合併し下田町となり、昭和46年に市制が施行され下田市となった。生家は山奥の小さな百姓だったので、子供時代は家の手伝いもしたが山野を駆け回って遊び暮らした。時代は太平洋戦争突入から敗戦に至る時期、戦後の暮らしの変貌も子供ながらにこの田舎で体感した。誰もが貧しい時代だった。学校は須原小学校から稲梓中学校を経て、下田北高等学校で学んだ。家から学校まで遠かったので小・中学時代は道草が楽しく、勉強よりも山や川で遊んだことばかりが印象に残っている。

卒業後は伊豆を離れて北海道で暮らすことになった。札幌での学生生活を経て農業試験場に入り、十勝、上川、道央、道南、南米アルゼンチン・パラグアイで生活する機会があった。現在、恵庭市恵み野に住居を構えているが、伊豆を出てから早くも60年が過ぎようとしている。時が経つと不思議なもので幼少時の記憶が断片的に思い出され、帰省のたびに想い出を紡ぎながら伊豆の里山を歩いている。

そのような中、ふるさと応援団として何が出来るだろうかと考え、「開国の舞台下田」のこと、歴史に名を遺す「下田生まれの歴史びと」のこと、「里山」のこと、「幼少時の記憶」のことなどを少しずつ紡ぎ、拙ブログ「豆の育種のマメな話」の中で情報発信してきた。このたび書籍化を思い立ち、編纂作業を進める過程で伊豆の歴史や自然を再認識し、陽だまりの里(伊豆)の長閑さや人の良さを振り返ることが出来たのは嬉しいことだった。

令和2年(2020)新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、日本でも外出自粛を余儀なくされた。この機会を利用して本書の編集・製本作業を進めた。完成度は高くないが手作りの私家本完成と言うことで満足している。

2021年6月1日                 恵庭市恵み野草庵にて 著者○○

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一冊の本「伊豆の下田の歴史びと」

2021-04-02 11:08:19 | 伊豆だより<歴史を彩る人々>

新型コロナウイルス(COVID-19)がなかなか収束しない。外出自粛で生まれた時間の活用法はいろいろあるだろうが、冊子の編纂もその一つ。ここに紹介する「伊豆の下田の歴史びと」(土屋武彦著、A5版232ページ、2021年6月1日発行)もコロナ禍の中で誕生したと言えるだろう。著者は伊豆下田生まれ、北海道在住。

本書の「はしがき」「目次」「あとがき」を引用する。

◇はじめに

嘉永7年(1854)日米和親条約が締結されると、伊豆の下田は日本外交の表舞台で脚光を浴びるようになる。ペリー提督率いるアメリカ艦隊入港、米国総領事館の設置、下田条約並びに日米通商条約の締結、ロシア使節プチャーチン提督の入港と日露和親条約批准など、この間わずか数年間であるが日本の方向性を左右するような大きな交渉とドラマが下田を舞台に繰り広げられた。奥伊豆下田で暮らす人々にとっても、この時代は刺激的で激動の時代であったと言えるだろう。

勿論、伊豆の歴史はこれだけで語り尽くせるものではない。須崎の爪木崎遺跡や田牛の上の原遺跡のように今からおよそ八千年前の縄文時代早期の土器を出土する遺跡があり、日本書紀に伊豆の名前が初見されるなど古くから大和との交流があった。しかし、伊豆は海人山人が暮らす里、遠く離れた流刑の地として知られていたにすぎない。海人は黒潮文化の担い手として操船、造船技術に優れ、山人は天城の山ひだに分け入って採鉱技術を発揮し土地を拓いていた。この海人山人の世界は、時には頼朝や早雲が活躍する舞台となった。江戸時代には重要な風待ち湊下田が江戸幕府の直轄地として、伊豆石・伊豆炭・海産物の積み出し港となり、金山・銀山では採掘が行われた。これら歴史の隅々で伊豆人は逞しく生きて来た。

この様に伊豆は歴史の宝庫としてどの時代も興味深いが、本書では開国の時代を中心に江戸~明治時代の事象と人物を取り上げた。気の向くままに拾い上げたので、全てを網羅するものでも学術的歴史書でもない。伊豆を訪れる人々が旅の途中で出逢い興味を懐くような事象を、落穂ひろいのごとく拾い集め解説したので気楽にご笑覧願いたい。

お読み頂ければ、本書の登場人物には共通する伊豆人気質とでも言えるような生き様があることを感じ取って頂けるに違いない。それは、人が好く無私な心、一途で頑固な生き方・・・伊豆人に共通する性格とでも言えようか。伊豆の自然とここに暮らす人々の人情が人を育て、歴史を創っているのだろう。

本書が伊豆下田をご理解頂く一助になれば、故郷を愛する筆者にとって望外の喜びである。なお、本書は拙著「伊豆下田、里山を歩く」の姉妹編であることを付け加えさせて頂く。

 

◇目次

はじめに

目 次

第一章 開国の舞台「下田」

1  風待ち船で賑わった下田港      

2  伊豆下田の「打ちこわし騒動」 

3  入会地をめぐる紛争「茅場争い」 

4  黒船艦隊が下田から持ち帰った植物 

5  黒船艦隊が箱館から持ち帰った植物 

6  ペリー艦隊が下田で手に入れた二つの「大豆」 

7  ワシントン記念塔の「伊豆石」 

8  ペリー艦隊来航記念碑と日米友好の灯 

9  ペリー提督来航記念碑、函館の「ペリー提督像」を訪ねる 

10  ハリスと牛乳のはなし「開国の舞台、玉泉寺」 

11  ハリス江戸出府の道程、「ヒュースケン日本日記」から 

12  村山滝蔵と西山助蔵、ハリスに仕えた二少年 

13  タウンゼンド・ハリス、教育と外交にかけた生涯 

14  日露交渉の真っ最中、下田を襲った「安政の大津波」 

15  プチャーチン、日本を愛したロシア人がいた 

16  橘 耕斎、幕末の伊豆戸田港からロシアに密出国した男 

17  「宝島」の作者ステイーヴンソンと「吉田松陰伝」   

第二章 伊豆下田の歴史人  

1  「伊豆の長八」と呼ばれた男 

2  新選組隊士となった加納通広(鷲尾) 

3  中根東里、伊豆下田生まれの儒者、清貧に生きた天才詩文家

4  中根東里と伊豆人気質 

5  石井縄斎(中村縄斎)、伊豆下田生まれの儒者 

6  篠田雲鳳、開拓使仮学校(札幌農学校前身)女学校で教えた女流詩人 

7  下岡蓮杖、写真術の開祖 

8  写真師鈴木真一と晩成社出立時の記念写真 

9  横浜馬車道にある写真師下岡蓮杖顕彰碑 

10  依田勉三、奥伊豆の里から何故「北海道十勝開拓」だったのか? 

11  三余塾、奥伊豆生まれの碩学、土屋宗三郎(三余) 

12  渡瀬寅次郎、依田勉三の十勝入植に異を唱えた同郷の官吏 

13  井上壽著、加藤公夫編「依田勉三と晩成社」に思う 

14  晩成社の開拓は成功したのか? 農事試作場としての視点 

15  晩成社の山本金蔵と松平毅太郎、札幌農学校農芸伝習科に学ぶ 

16  依田勉三翁之像(帯広市中島公園) 

17  依田勉三の実験場、晩成社「当縁牧場跡地」 

18  晩成社、鈴木銃太郎・渡邊 勝・高橋利八のシブサラ入植 

19  新渡戸稲造は何故「お吉地蔵」を建立したのだろうか

20  韮山反射炉再訪 

21  韮山代官、江川太郎左衛門英龍(坦庵) 

22  今村伝四郎藤原正長、「愛の正長」と校歌に謳われる 

23  下田市名誉市民、中村岳陵と大久保婦久子 

24 下田生まれの性格女優、浦辺粂子 

付表1 伊豆下田歴史年表/付表2 黒船艦隊が下田から持ち帰った植物標本/付表3 黒船艦隊が箱館から持ち帰った植物標本/付表4 伊豆下田歴史年表(開国の時代)/付表5 ハリス江戸出府の道程/付表6 ハリスに仕えた二少年/付表7 プチャーチン関連年表/付表8 下岡蓮杖関連年表/付表9 鈴木真一関連年表/付表10韮山反射炉年表/付表11江川太郎左衛門年表/付表12中村岳陵年譜/付表13大久保婦久子年譜/付表14浦辺粂子年譜

あとがき 

 

◇あとがき

伊豆の下田、私の生誕地である。原戸籍によれば出生地が賀茂郡稲梓村須原××番地とあるので、正確には稲梓村、まだ下田には含まれていなかった。稲梓村は下田の北部に位置する山村で、昭和30年に近隣6町村が合併し下田町となり、昭和46年に市制が施行され下田市となっている。

生家は山奥の小さな百姓だったので、子供時代は家の手伝いもしたが山野を駆け回って遊び暮らした。太平洋戦争突入から敗戦に至る時代で、戦後の暮らしの変貌も、子供ながらにこの田舎で体験した。誰もが貧しい時代だった。学校は須原小学校から稲梓中学校を経て、下田北高等学校で学んだ。小・中学時代は家から学校まで遠かったので、道草しながら歩いて登校し、勉学よりも遊びに費やした彼是ばかりが印象に残っている。高校はバス通学だったので部活動で汗を流した記憶は少なく、本ばかり読んでいたような気がする。

高校卒業後に北海道へ渡り、札幌で大学生活を送った後は、十勝、上川、道南、南米アルゼンチン・パラグアイと仕事の関係で各地に暮らした。現在は恵庭市に居を構えているが、下田を離れてから既に60年が過ぎ去ろうとしている。この間、毎年のように帰省していたが、仕事があるうちは親の元気な顔を見ればすぐに戻るのが常だった。また、両親亡きあとは墓参と空き家の管理のため年に数回は訪れているが、慌ただしく往来している。

そのような中、ふるさと応援団として何が出来るだろうかと考え、「開国の舞台下田」のこと、歴史に名を遺す「下田生まれの歴史びと」のこと、「里山」のこと、「幼少時の記憶」のことなどを少しずつ紡ぎ、拙ブログ「豆の育種のマメな話」の中で情報発信してきた。このたび書籍化を思い立ち、編纂作業を進める過程で伊豆の歴史や自然を再認識し、陽だまりの里(伊豆)の長閑さや人の良さを振り返ることが出来たのは嬉しいことだった。

令和2年(2020)新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、日本でも外出自粛を余儀なくされた。この機会を利用して本書の編集作業を進めた。完成度は必ずしも高くないが手作りの私家本完成と言うことで先ずは満足している。足りない所はいつの日か補完することにしたい。

2021年6月1日                             恵庭市恵み野草庵にて 著者〇〇

 

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