ラパスでチチカカ湖の鱒を食べる
2003年6月6日、パラグアイのエンカルナシオンを8時に出発、車でアスンシオンへ。アスンシオン空港からボリビアのサンタクルスを経由して空路ラパスに入る。エル・アルト国際空港は標高4,000mを越える高台にあり、ラパス市街は盆地の底にあるので、すり鉢の縁を辿るようにバスは市街地へ降りてゆく。ラパス市街の中心部で標高が3,600m。この町は世界一高い首都、いわば富士山より高いところにある雲の上の町である。聖フランシスコ協会に近いホテル・プレシデンテに入る。ホテルへ到着したのは午後9時半。
部屋に入ると、荷物を運んできたボーイが「頭は痛くないか、コカ茶をお持ちしましょうか」と尋ねる。4,000mまで一気に上がってきたので、動作は緩慢にならざるをえないが、高山病の症状もないし、夜も遅いのでまず夕食をとろうと、ホテル内のレストランに行く。
窓からは山の斜面に張り付くようにある民家の灯が美しい。チチカカ湖の鱒の塩焼きを注文。これは美味。食後、ホテルの展望台に上ると、USAから来た老夫婦が夜景を眺めていた。ラパスではすり鉢の底の部分に高所得者が住み、すり鉢の縁の部分には低所得者が暮らしている。山肌を上に上にと住宅を建て、今やラパス市は人口飽和状態になり、空港のある高台に新たな町が出来ている、などと会話する。
ボリビアを訪れようと思ったのは、パラグアイのエンカルナシオンに住むようになってから3年が過ぎた頃のことであった。何年前だったか、ペルーを旅してチチカカ湖に遊んだとき、対岸のボリビア国コパカバーナを訪れる機会がなかったので、是非訪ねてみたいとの思いが強く宿っていた。ガイドブックを開くと、民族衣装の婦人達が原種のバレイショやリャマの毛で編んだセータを売っている写真が載っている。南米の中でもひときわ貧しい国であるが、異国の魅力を十分与えてくれそうではないか。
二日目、大統領府と大聖堂が面しているムリジョ広場(Plaza Murillo)を訪れる。壁には独立戦争時の弾痕が見える。この国の憲法上の首都はスクレだそうだが、立法、行政の中心はこの町ラパスで、ハエン通り(Calle Jaen)に立つとスペイン統治時代を思わせる古い町並みが連なる。近年は谷の一番底に当たるプラド通り(El Prado)に近代的ビルが増え、立派な住宅もみられるようになった。乾ききった町並みであるが、雪解けの水と地下水が豊富だという。市の南に、月の谷(Valle de luna)と呼ばれる場所があり、観光地となっている。風による浸食で、月世界を思わせる風景が見られる。その後、市の中心部に戻り、聖フランシスコ協会を訪れ、そこから坂を上るサガルナガ通り(Calle Sagarnaga)を歩く。観光客相手の民芸品や民族楽器(ケーナ・チャランゴ)を売る店、市民の台所として食品や日用品を売る店が坂道の両脇に連なる。写真で見るお馴染みのおばさん達だ。
さあ明日はチチカカ湖を訪れよう。そうは言うものの、夕方になると食欲減退、高山病の症状が感じられる。こんな時は、日本食が良いかも知れないと、日本食レストラン「New Tokyo」へ行く。
高山病で急遽サンタクルスへ
三日目、明け方にムカムカとして目が覚める。隣の妻は、頭痛がするのか寝返りを打ちながら唸っている。どうやら二人とも高山病症状。これはもうだめだと、急遽予定を変更して、12:55のフライトに飛び乗りサンタクルスまで下りる。
サンタクルス空港に着くと、あの頭痛は何だったのだろう。一瞬のうちに平常の体調に戻っている。
サンタクルスはボリビア第二の都市。標高437m、年平均気温28℃、亜熱帯気候の町である。町は二重の環状線が取り巻き、都市計画された姿が見える。町は外へ外へと環状に広がり、別名指輪の都市と呼ばれている。アルテイプラーノ(高台地帯)と呼ばれるラパスがある北西部に比べ、この地帯は市の郊外に農業地帯が豊に広がっている。日系のコロニアオキナワやサンファン移住地が、農業を支えている。
伸びる大豆生産、アルゼンチンの友Juan C. Suarezに遇う
市の中心部はスペイン風の古い町並みが続く。グランホテル・サンタクルスに宿を取った。急遽予定を変更した旅で、さてどうしようか。旅行代理店を営む比嘉さんに頼んで、JICAのボリビア農牧技術センター(CETABOL、2010年日系農協協同組合に移管)とコロニアオキナワを訪ねる。砂埃の、座席から飛び上がるような道路を進む。農耕作物は、ソルガム、とうもろこし、大豆、小麦、水稲など。近年大豆の面積が増えており、外貨獲得はガスの50%に次いで、大豆が12.5%であると聞いた。
その後FAOの統計でみると、2009年大豆の生産量は150万トン、世界第8位である。ただし、全国平均収量は1.5~2.0トン/haと低く、まだまだ改善の余地がある。
帰りの日6月11日、出発のため早朝6時半ホテルのロビーにて、パンを囓りながら階段を下りてきた大男が、不思議そうに顔をのぞき込んできた。「Tsuchiyaさん?」「え、スワレス?どうして此処に」「種子のセールスと技術指導でボリビアを回っている」。彼は、アルゼンチンで技術協力をしていたときの国立農業技術研究センター(INTA)のC/P研究員で、現在は同国の種子会社に転出している。
何年ぶりかの邂逅、しかも異国の地で。人生の中には、こんな事もあるものだ。