豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

カササギ(鵲)、恵庭の野鳥

2024-01-12 10:10:03 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

「恵み野」にもカササギ

北海道恵庭市恵み野の拙宅にカササギが時々飛来する。

最初に気付いたのは令和4年(2022)のことで、カラスがゴミを漁りにきたのかと視線を向けると、カラスに似て頭は黒いが肩から腹にかけて白い。あれ、カラスの変異種かと一瞬思ったが、よく見ればカラスより少し小柄で尾が長く、ツートンカラーのスマートな体型である。ヨーロッパ中世のナイト(騎士)のようではないか。空を飛ぶ姿も羽ばたくと言うよりふわふわと滑空する。

最初の年は何時も2羽(つがい)で行動していた。向かいの家の屋根や電柱から拙宅の屋根、芝生の庭にも下り立つ。また、ある時は恵み野旭小学校の前でカラスに交じって地面の餌を漁る姿を観た。昨年(令和5年、2023)秋には4~5羽の飛来を観察、若鳥を伴っての来訪だったのだろうか。恐らくこの近くに巣を作り、繁殖したのだろう。これまで恵庭ではこの鳥を見かけなかったので、新たな生息域となったのかも知れない。

そして、令和6年(2024)新年早々にもやって来て「カシャカシャ」と鳴いた。中国の故事(鵲喜じゃっき、良いことが起こる前兆)にあるように、今年こそ良いことが起こる前兆だと思いたい

写真に収めることは出来ていないが、鳥類図鑑等で調べると「カササギ」と思われる。散歩の途中、カササギの巣はないかと大きな樹を見上げる昨今だ。

 

*令和6年(2024)1月12日の北海道新聞投書欄に載った一枚の写真(「背中で一休み」恵庭市/竹尾さん)。背中に乗っている鳥はカササギに似ている。とすれば、この写真は何処で撮ったのだろう?

*令和6年(2024)1月16日の朝、カササギを写真に収めた。此のところ雪が降り続き除雪作業に追われる日々である。昨日と一昨日は除雪中に2羽を見かけたが、カメラを準備する暇もなく飛び去った。今朝は運よく4~5羽をカメラに捉えた(雪が舞う)。

**令和6年(2024)1月17日の朝、除雪をしていると鳴き声が聞こえたので見上げると1羽のカササギがいる。鳴き声に「キキキ」と返せば、「カシャカシャ」と応える。数回遊んだ後で写真を撮る(晴天)。

**令和6年(2024)3月16日、恵み野旭小学校の周辺で毎日のように見かける。大きな2羽、小型の4-6羽が近くに生息しているようだ。1月30日、隣家のゴミ箱をカラスが荒らした後にカササギがやってきて食べ物を漁った。また別の日に、街路樹の銀杏上部に巣の跡らしきものを見たが、カササギの巣だろうか。

  

 

◆カササギ(鵲、学名Pica pica、英名Magpie)

スズメ目カラス科に分類される鳥類(サギの仲間ではない)。佐賀県では鳴き声から「カチガラス」、福岡県では「コーライガラス(高麗烏)」とも呼ぶ。英語では「マグパイ」、賑やかな鳴き声から付けられた。中国には鵲喜(じゃっき、良いことが起こる前兆)という語があり、カササギの鳴き声は吉事の前兆とされている。

外見:カラスより一回り小さく、黒い頭と白い腹、青みを帯びた黒い尾が特徴。その羽毛は黒地に白い模様を持つ。

生態:雑食性。昆虫、ミミズ、貝類、魚類、カエル、果実類、穀物、豆類などを食べる。

人里を好み(山野には生息しない)、移動範囲が少なく同じ村に住み続ける。冬の間に大きな樹上(電柱など)に巣を作り、4~6月にかけて巣立ちする。若鳥は12月頃まで親と過ごすが、その後はツガイとなって縄張りをもつようになる。

脳の割合が大きく、鏡に映った姿を自分自身と認識できる能力(ミラーテストをクリア)を有すると言われる。

分布:北半球に広く分布しているが、日本では佐賀平野を中心とした狭い範囲に生息。地域を定めた国の天然記念物に制定され(大正12年佐賀県、福岡県)、佐賀県では県鳥(昭和40年)に指定し保護活動を進めている。佐賀県内に約9,000羽が確認されると言う。

近年、九州以外の北海道、新潟県、長野県、愛媛県などでも繁殖が記録されている。北海道では1984年に室蘭市や苫小牧市周辺で1~2羽が確認されて以降生息が確認された(堀本富宏2004「北海道胆振地域におけるカササギの記録」山科鳥類学雑誌36.1)。

人里を好み、山野には生息せず、移動範囲が少ないカササギの生息地域が何故拡大したのか。

酪農学園大学森さやか等は「九州のカササギのDNAは中国のものに近く、北海道のカササギDNAはロシアに生息するカササギDNAと一致」と解明した(2015)。カササギは、飛鳥時代に中国大陸から持ち込まれたという記録、17世紀に朝鮮半島から佐賀県に移入したと言われているが、北海道のカササギはロシアからの貨物船に乗って来たのではないかと推察されている。

*鵲の 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更けにける (大伴家持、新古今和歌集、小倉百人一首)

 鵲の橋/天の川:中国の七夕伝説では、織姫と彦星を七夕の日に逢わせるため、沢山のカササギが翼を連ねて橋を作ったとされる。

 

写真は竹下信雄「日本の野鳥」から引用

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「ベニシタン(紅紫檀)」の赤い実を野鳥が啄ばむ、恵庭の花-36

2023-12-23 13:54:59 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

ベニシタンの赤い実

拙宅の庭の片隅にある夏椿の根元に、ベニシタン(紅紫檀)が根づいたのは何年前のことだったか。北国の師走、雪が降る頃になると、背丈の低いベニシタンの木は無数の赤い実を着ける。もともと植栽したものではない。夏椿を訪れた野鳥が何処かの庭から運んできた種子が芽生えたものだ。

背丈は低く、水平に枝を広げ、枝には小さな卵型の葉が整然と密生する。小さな花は目立たないが、多数の赤い実は人の眼を惹きつける。特に、雪が降り、辺りが白一色になるとベニシタンの赤い実は存在感を増す。

熟した実を摘まんでみると食用になるようなものではないが、野鳥が毎年やって来る。今年もヒヨドリが赤い実を啄ばんでいる。イチイの実はとっくに食べ尽くし、街路樹のナナカマドの実も食べ飽きてやって来たのだろうか。

   

◆ベニシタン(紅紫檀、チャボシャリントウ、コトネアスター、学名Cotoneaster horizontalis、英名Rockspray cotoneaster)

バラ科、シャリントウ属の常緑(半常緑、寒冷地では落葉する)広葉小低木。原産地は中国西部。樹高が低いわりに色鮮やかな実がなることから、庭木、盆栽、鉢物として広く普及。渡来したのは明治初期、赤い実が木を覆うようにできる様を、インド原産で紅色の染料となるシタン(紫檀)の木になぞらえ、ベニシタン(紅紫檀)と名付けられたと言う。

開花は5~6月、その年に伸びた葉の脇に咲く。直径4~6mmほどの両性花で、淡い紅色あるいは白い5枚の花弁がある。ただし、花弁は全開せずに直立するのみで、未熟な果実と見分けがつきにくい。萼筒から生じる軟毛が目立つ。

果実は直径5mmほどの楕円球で、秋(9~10月)になると濃い紅色に熟す。実は長持ちする。弓なりに伸びる枝に多数の赤い実がぶら下がる様子は人目を惹きやすく、野鳥もこれを食べに集まる。

葉は長さ5~15mmの小さな卵形。ツゲとよく似た感じで、枝から互い違いに整然と密生する。革質で表面は光沢のある濃緑色。裏面と葉柄には毛を生じる。常緑樹だが、寒冷地では秋に紅葉の後、落葉する。このため半常緑性あるいは落葉性とすることもある。

学名にあるhorizontalisは水平を意味し、枝は多数に分岐しながら横に広がる。樹高は最大1mほどで、かつてはグランドカバー的な使い方も多かった。

5月頃に花、10月以降に果実が鑑賞できるベニシタンの花言葉は「統一」「安定」「変わらぬ愛情」「童心」。主にその葉や果実の姿、冬になっても果実が残る様子などからイメージされたと言う。

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「ヤツデ」の花が咲く、恵庭の花-35

2023-12-22 13:54:09 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

北国に咲く

真冬日が続く北海道、今朝の気温は氷点下18℃。窓際に置いた鉢植えの「ヤツデ」が開花した。白い可憐な五弁花である。

昨年の秋、妻が伊豆下田の草庵から実生苗を持ち帰り移植したもので、樹高は未だ15cmほどだが7枚の葉を着けている。葉の大きさは葉柄10cm、葉身10~15cm、切れ込みは5~7と未だ幼樹だが、その風情は別名「天狗の羽団扇」の面影を彷彿とさせる。

伊豆の里山では庭木として植えられているのをよく見かけた。草庵でも亡父が水場の脇に数株植えてあった。ヤツデは昔から魔除けの意味で庭に植えたと言われ、葉を乾燥させたものは生薬(去痰など)、風呂に入れるとリウマチに効果、蛆用の殺虫剤としても用いたと書籍にあるが、亡父がそんな使い方をしていた記憶はないので鑑賞用だったのだろう。

或いは、関東大震災の折、高熱に囲まれながらも焼失せず、火に耐えた常緑樹(ヤツデ)の話を知っていたのだろうか。

寒い冬を越して、翌春には黒く熟した実をつけると書籍にある。虫媒花とも記されているので、この鉢植えの花が室内で実を結ぶか見届けたい。楽しみが一つ増えた。

  

   

◆ヤツデ(八手、学名 Fatsia japonica、英名Japanese Aralia)

別名はテングノハウチワ(天狗の羽団扇)。ウコギ科ヤツデ属の常緑低木。高さは2~5mほどになり、多くは株立ちする。日陰に強く、日当たりの悪い森林の中にもよく自生する。

葉は20cm以上と大きく掌状に裂けた独特の形をし、長い葉柄を有し互生あるいは輪生。葉の表面につやがあり、裏面はやや白っぽくて若いときには茶褐色の軟毛があり、やや厚手。葉の先端は尖り、葉縁はわずかにギザギザがある。若葉のときは卵形、次に3裂から次第に数を増して7、9、11の深い裂け目をつくる。2年たつと柄ごと落葉。

花は10~12月頃、茎の先に球状の散形花序がさらに集まった大きな円錐花序をつくる。花は直径5mmほどの5弁花で白い。雄蕊は5本、雌蕊(花柱)も5本あり、花びらは小さくて反り返る。

原産地は日本、関東地方南部以西の本州、四国、九州、沖縄に分布。葉はサポニンを含み、去痰など薬効のある生薬にもなる。

「花やつで」は初冬の季語。

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降霜に負けじと庭の「小菊」かな、恵庭の花-34

2022-11-11 11:51:32 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

晩秋、11月になると北海道では紅葉もピークを過ぎ風に舞い始める。庭の草花は枯れ、園芸シーズンの後片付けが始まる。晩秋は訪れる冬に備えて庭木の冬囲いをそろそろ始めようかと言う季節なのに、拙宅の庭ではピンクの「小菊」が咲いている。最低気温が氷点下を示す朝もあるのに、健気に、ゆく秋を惜しむように、寒風に揺れている。

植えたのは遠い昔、何年前か覚えていない。毎年ろくな管理もしていないが今年も花開いた。折々に季節を感じさせてくれる花が庭にあるのは幸せなことだ。11月7日、写真に収めた。

◇菊(キク)、家菊(イエギク)

学名Chrysanthemum morifolium、英名Mum、Florist’s chrysanthemum、キク科、キク属の多年草。原産地は中国。江戸時代に改良が進み園芸品種の数は多い。開花期は9~11月、花色は赤、ピンク、黄、オレンジ、白、紫、緑、茶、複色など多様。花の大きさで「大菊」「中菊」「小菊」に分類され、小菊は名前のとおり花径が9cm以下のもの。

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ホトトギス(杜鵑草)咲く、恵庭の花-33

2022-10-03 11:24:38 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

ホトトギス咲く

昨年の秋、伊豆の草庵を訪れた折に水場の石垣にひっそり咲く草花を見つけた。その中の一本を北海道に持ち帰り鉢植しておいた。その時は名前も気にしなかったが、鉢植えの株は順調に生育、10月初めに開花。蘭の花を想わせる花だ。茎は細く、葉は薄緑で草姿は弱弱しいが、花は可憐ながら華やかである。

調べてみると、ホトトギス(杜鵑草、油点草)らしい。花弁の斑点が鳥のホトトギスの羽毛模様に似ていることから名づけられたと言う。ユリ科、ホトトギス属、学名はTricyritis hirta。多年草で草丈40~100センチ、山野の林下、崖や傾斜地などの日当たりの弱いところに自生すると言う。子供の頃、伊豆の山道を歩いて通学していたが、竹藪の陰で見た記憶が蘇る。

葉は細長い楕円形で互生、葉縁にぎざぎざがなく、つけ根が茎を抱くようになっている。葉の脇に蕾をつけ、白地に紫の斑点がある花を1輪から3輪上向きにつけている。花びらは6枚で斜め上に向かって開く。6本の雄蕊があり、花柱(雌蕊)は3つに裂け、更に先が2つに裂けている。

東アジア(日本、台湾、朝鮮半島)からインドに分布し、20種内外が確認されているそうだ。そのうち日本では13種が確認されており(ヤマホトトギス、ヤマジノホトトギス、シロホトトギス、タイワンホトトギス、キバナノホトトギスなど)、うち11種が日本固有種だと言う。日本列島を中心に分布していることから、日本が原産であると推定されている。

花言葉は、日本「秘めた思い、永遠にあなたのもの」、海外「優雅、デマ」だそうな。「晩夏から晩秋までの長い期間ホトトギスがひたむきに咲き続けることに因む」と言われるが、「日陰を好み生育するが、花の姿は自己主張が強い」ことによるのではあるまいか。花の写真を撮りながら「なるほど」と思った。

ホトトギスと言えば、誰もが野鳥の「時鳥」を先ず思い浮かべるだろう。或いは徳富蘆花の小説「不如帰」を思い出すかもしれない。俳諧の世界でも時鳥の句は多い。「鳴かぬなら・・・」と詠んだ三武将の逸話も有名。

それに比べて杜鵑草は影が薄い。杜鵑草を詠んだ句は浅学にして知らない。そこで探していたら、次の句が目に留まった。

殉教の土の暗さに時鳥草/後藤比奈夫

追記:鉢植えの他に、一株を庭の花梨の根元に植えたのを思い出した。探してみると、北海道の厳しい冬を乗り越えて健気に咲いている。案外丈夫なんだ。

追記2023.10.12:今年も開花しました。

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カリンバ遺跡のトクサ、恵庭の花-32

2022-06-13 18:03:27 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

「砥草」スギナの近縁種

恵庭公園(恵庭市駒場)の谷で湧出したユカンボシ川に沿って下り、恵南柏木通りに面する辺り(公園東端)の窪みにトクサの群落が見られる。かつて仲間と一緒に「歩こう会」と称して散策していた折に、北海道で初めてトクサ群落に出会った場所。その後しばらくはトクサの群生を見かけなかったが、今春(2022年)カリンバ遺跡保護地を訪れた際トクサの群生を見た(写真、道路から観察できる)。

 (左:カリンバ遺跡のトクサ)

トクサは日本庭園で鑑賞用に植えられることもあるが、石炭紀(およそ3憶5千万年前)から存在する太古のシダ植物と言われる。石炭紀の大気は酸素の濃度が高かったため稲妻などによる野火のリスクは現在よりもはるかに高く、トクサは耐火性のケイ酸を蓄積することで野火から生き延びるよう進化したと考えられているそうだ。縄文人やアイヌの人々が道具や装飾品を磨くのにトクサを使っていたとも考えられる。カリンバのトクサは約3,000年前から代を経て綿々と生き延びて来たのだろうか。

地下茎から枝分かれせず真っすぐ伸びる茎は、太さ6mmほどで中空だが高さは1mにもなる。茎の表面には60本近い溝が縦に走り、表面はザラつき、これが砥石代わりになるため「砥草」と命名されたと言われる。また、「歯磨草」との別名もある(歯磨に使ったのだろう)。アイヌ語ではトクサを「シプシプ」と呼ぶが、これも物を磨く際の擬態語に由来。英名のScouring rush(磨き草)も語源は同じである。

 

子供の頃、生家の水場近くにトクサが植えられていた。祖父が「この草はサビ落としに使う」と教えてくれたので、錆びたナイフを擦ってみたら綺麗になった。紙やすりの代用なのだと納得した少年時の記憶を思い出す。茎を引っ張ると、節の部分からスッポリ抜けるのが面白く遊んだこともあった。

トクサが砥石代わりになるのは、茎の表皮細胞壁にプラントオパール*と呼ばれるケイ酸(シリカ)が含まれているため。生のままでも植木鋏や爪を研ぐことに使えるが、秋に刈り取ったトクサを煮て乾燥したものは紙やすりのように柔らかくて使いやすくなる。現代でも弓矢の仕上げ、高級柘植櫛や漆器の仕上げ工程で使われているそうだ。

俳句の世界で「トクサ(木賊)刈る」が秋の季語。高浜虚子は「谷水を踏まへて刈りし木賊かな」「木賊皆刈られて水の行方かな」「木賊刈る翁に飛べり黒蜻蛉」と詠んでいる。この事からも、生活の中にトクサを刈る風習が根づいていたと思われる。研磨剤のほかに生薬としても利用された。

*プラントオパール:遺跡調査で植生環境を推定する手段として利用される。

(上:恵庭公園のトクサ)

◆トクサ(砥草、木賊、学名:Equisetum hyemale

シダの仲間、トクサ科トクサ属。北半球の温帯地域に分布。日本では北海道から本州中部にかけての山間の湿地に自生する。

地下茎が横に伸び、地上茎を直立させる。茎は触るとザラついた感じがし、引っ張ると節で抜ける。節の部分にあるギザギザは退化した鞘状の葉。6~8月頃になると茎の先端にツクシの頭部のような胞子葉群(胞子嚢穂、長さ1cmほどの楕円形で緑色から黄色に変わる)をつけ、ここに胞子ができる。日本庭園ではよく植えられるが、スギナ(ツクシ)の近縁種で繁茂しやすいためスギナ同様に厄介な雑草となる(参照:植木ぺデイアほか)。

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恵庭の樹-6、「はなふる」のシンボルツリー(楡)

2022-06-04 17:58:39 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

「はなふる」のアクセント樹・・・

2020年11月、恵庭に花の拠点「はなふる」が誕生。2022年6月25日~7月24日には此処を拠点に「第39回全国都市緑化北海道フェア(ガーデンフェスタ北海道2022)」が開催。花のまち恵庭の花の拠点に相応しく、人々が集う場所となった。

「はなふる」のガーデンエリア設計監修は高野ランドスケーププランニング株式会社の代表取締役村田周一氏。他に、北海道を代表する11名のガーデナーが趣向を凝らした7庭園を設計している。

「はなふる」を訪れて最初に眼に入るのは、ガーデンエリア中央の広場であろうか。広い緑の芝生と円形の回遊路。個々の庭園がこの空間を取り囲むようにある。各庭園の花々にも癒されるが、訪れてホッとするのはこの広場ではあるまいか。

この広場にある一本の「ハルニレ」。他の樹々が新たに栽植されたものだが、此の大樹は元々あった場所に残されたものだろう。この樹を此処に置いた設計者の意図は分からないが、ひと際目立つこの大樹は「はなふる」のシンボルツリーに相応しい。勝手ながら「恵庭の樹」リストに登録することにしよう。

ところで、旧保健センターの駐車場脇にあった「恵庭三四会20周年記念植樹(平成8年10月16日建立)」はどうなったのだろう? と、気になって探したら、シンボルツリーの対面(北側)に移植されていた。

◆「はなふる」のシンボルツリー

 

恵庭三四会20周年記念樹

左は移植前、右は移植後)

高野文彰君を悼む 

設計監修に携わった「高野ランドスケーププランニング」の名前を聞いて、朋友高野文彰君を思い出した。彼は大学の同期生である。

同窓会名簿によれば、農学部農学科昭和41年3月卒業生は14名。教養課程を経て学部移行したのは定員割れの18名(5講座、定員25名、留年する者もいたので卒業が14名)だったので谷間の学年と言われた。講義以外の活動に熱心な輩が多く、あまり真面目な学年ではなかった。高野君は園芸第二講座で造園学専攻だったが、どちらかと言えば馬術部専科、晩年まで馬と共にあった。仲間内ではダンデイー高野で通っていた。卒業後、日本技術開発を経てジョージア大学大学院修了、USAでの設計事務所勤務体験を経て帰国したと言う。

小生は植物育種学を専攻、卒業後は農業試験場で泥臭く働いていたので交友はなかったが、時を経て平成26年(2014)3月恵庭での講演会で再開した。十勝で同期会でもやるかと話していたが叶わず、昨年の新聞で逝去したことを知った。高野文彰(高野ランドスケーププランニング社創業者・取締役会長)、令和3年(2021)8月31日永眠。享年78歳。そんな年齢なんだと我が身を振り返った。 

同社HPによれば、高野ランドスケーププランニングは1975年に東京でスタート、バブル期の1990 年に会社を北海道に移転。「デザインと創造性」「参加型公園づくり」「森とエコロジー」の3つを得意分野とし、それらの3つがお互いに刺激しあい、ダイナミックにプロジェクトを展開。マレーシア、フランス、台湾など海外でも活躍し、近年は中東、サモアなどでも展開している、とある。受賞に輝くプロジェクトは数多く、「十勝千年の森(清水町)」「あさひかわ北彩都ガーデン(旭川市)」「大雪森のガーデン(上川町)」「ナチュの森(白老町)等は誰もが知っている。

高野君は同社取締役会長としてIFLA(国際造園家連盟)環太平洋アジア地区会長、IFLA副会長職にも就任。また、高野ランドスケーププランニングでの45年間の全軌跡を、高野文彰著「ランドスケープの夢」として刊行したと聞く。

君が描いた千年の夢は何だったのか、著書を手にして君を偲びたいと思った。

ともあれ、「はなふる」の象徴樹ハルニレは、君の思いを恵庭の子供たちに伝え続けることだろう。今日も散歩の途中「はなふる」に立ち寄り、時を重ねるハルニレの姿に君を重ねた。

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恵庭の樹-5 松園通りの桜並木

2022-05-10 10:49:23 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

恵庭の桜名所

5月連休の或る日、町内会行事ヘルシーウオーキングに参加した。コースは、恵み野東町内会館を出発し漁川堤防敷地を経て「花の拠点(はなふる)」で休憩。その後、松園通りの桜並木を帰るコースと恵み野中央公園を巡って戻るコースである。参加者はちょうど満開の桜を愛でることが出来た(写真は松園通りの桜並木)。

桜が開花する頃、毎年のように「恵み野桜回廊」を歩く。「恵み野桜回廊」とは私が勝手に付けた名称だが、恵み野の桜を鑑賞しながら散策するコース。例えば、川と道の駅「花ロード恵庭」(花の拠点はなふる)を出発点とした場合、恵み野南緑地を通り恵み野中央公園の水路に沿って進み、恵み野北緑地を経て恵庭開拓記念公園へ向かい恵庭市郷土資料館で休憩。その後、松園通りの桜並木を経て「花の拠点はなふる」に戻るコースである。緑地帯及び公園にも桜が多いが、松園通りの桜並木は心地よい。コースは逆の道順でも良いし、恵庭市立図書館で一休みすることも出来る。また、市街から電車を利用する場合はJR恵み野駅東口から駅前道路を真っすぐ進み、恵み野中央公園に入る。

恵み野中央公園は昭和50年(1975)「恵庭ニュータウン恵み野開発」の一環として造成されたので、桜樹齢は50年弱と比較的若い。一方、松園通りの桜並木は老樹が続くので一見の価値がある。

松園通りの桜はいつ頃植樹されたのだろうか? 気になっているが情報がない。松園通りは、漁川沿いに旧長州藩士が入植し廻神美成が私立松園小学校を建設した頃(明治22年1889)には存在したと考えられるが(参照、大日本帝国陸地測量部大正5年測図)、桜並木があったかどうか分からない。松園通りに沿って茂漁川第3幹線用水路が走っていることから推察すれば、むしろ用水路沿いに植栽されたと考えるべきだろう(黄金の漁川第2幹線用水路沿いにも同年代の樹例と思われる桜並木がある)。

島松村共同用水組合や漁共同用水組合が結成されたのは130年前の明治27-28年(1894-95)なので、いずれにしても植栽はそれ以降のこと。現在の用水路が覆道になっていていることに鑑みれば、この工事に合わせ植栽されたのかも知れない。

松園通りの桜が「花の拠点(はなふる)」整備や住宅地造成のため、残念ながら今年も何本か伐採された。しばらく後になって、桜の樹例を確認しようと伐採株を観たが、年輪を判別できなかった。桜並木の植栽年を御存じの方が居られたら、ご教示願いたい。

桜の寿命は必ずしも長くない。養生しなければ通常100年と言われる。松園通りの桜並木も傷みが進んでいる。この桜並木を恵庭の樹として保護したいと思うのは私だけだろうか。

  

恵庭市内の桜名所は、他にも「桜公園」「恵庭公園」「黄金文教大学通り」「紫雲台孝子堂」などある。「桜公園」は昭和57年(1982)春、「えにわ湖」を憩いの場とするためダム下流右岸に約1,000本のチシマ桜・エゾ桜・ベニ桜などを植え桜公園としたことに始まる。「恵庭公園」は駐車場脇の桜が美しい。「黄金文教大学通り」の桜並木は、平成時代に行われた新市街地形成事業で栽植された桜でまだ若い。大事に育てられ将来の桜名所になることを期待したい。

個人的には黄金中央2丁目角(歩道)にある一本桜も気に入っている。

左上:恵み野南緑地、右上:恵み野駅前通り(環状線)

左下:桜公園、右下:紫雲台孝子堂

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カリンバ自然公園の「ザゼンソウ」、恵庭の花-31

2022-05-02 11:11:47 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

僧侶が座禅を組む姿に似て座禅草

4月の或る日、ミズバショウの写真を撮ろうとカリンバ自然公園へ出かけた。ミズバショウの群生地に、仏炎苞が白くない黒赤~暗紫の個体が散見される。形がよく似ているのでミズバショウの変異個体かと見間違えるが、別の種類である。案内板には「ミズバショウの仲間、ザゼンソウ、黒ずきん(黒紫色)をかぶったお坊さんが座禅をして座っている姿に似ていることからつけられた名といわれています」とある。

「仏像の光背に似た形の花弁の重なりが僧侶の座禅姿に見える」ことが名称の由来とされる。また、花を達磨大師の座禅する姿に見立てて、ダルマソウ(達磨草)とも呼ぶ。一方、英語では全草に悪臭があることからスカンクキャベツと呼ぶそうだが、名前を聞いただけでも匂いが漂ってくる。

カメラのレンズを向ける。ミズバショウは仏炎苞と花序が地上に伸びているので華やかだが、ザゼンソウの仏炎苞は地際から生えている(一部埋もれているように見える)ので些か写真映えしない。仏炎苞の色も地味だ。

家に帰って調べてみると、開花期に発熱し周辺の氷雪を溶かし、臭いで花粉媒介昆虫を誘引するなど、ザゼンソウには植物の知恵が詰まっていることを知った。

発熱システムについては、①ザゼンソウの肉穂花序にはミトコンドリアが豊富に含まれており、②気温が氷点下になると根に蓄えているデンプンと酸素が活性化し、③デンプンと酸素にミトコンドリアが結合して呼吸活動が活発化するため、ザゼンソウ花序が発熱すると言われている。子供の頃はお化けのように見えて近づかなかったが、興味ある植物だ。

北アメリカ東部および北東アジアに分布。日本では、諏訪市、兵庫県香美町、大田原市、甲州市、滋賀県高島市、鳥取県智頭町などの群生が知られているが、北海道ではどうだろう。恵庭ではカリンバ自然公園の他に漁川沿いの湿地帯で見たことがある。

 

◆ザゼンソウ(座禅草、学名: Symplocarpus renifolius)は、サトイモ科ザゼンソウ属の多年草。冷帯、および温帯山岳地の湿地に生育。開花時期は1月下旬から3月中旬。開花する際に肉穂花序で発熱が起こり約25℃まで上昇する。そのため周囲の氷雪を溶かし、いち早く顔を出すことで、この時期には数の少ない昆虫を独占し受粉の確率を上げる。発熱時の悪臭と熱によって花粉を媒介する昆虫であるハエ類をおびき寄せると考えられている。

地下茎は太くて短い。葉は2~7枚が根出し、ほぼ円形で長さ幅とも30~50cmになり、先は急にとがり、基部は心臓型。浅緑でつやがあり、葉柄は太く長く葉身と同じ長さになり、基部は幾分さや型で重なり合う。花は葉が出る前に咲く。花茎は太く長さ10~20cmになるが半ば中にあるため仏炎苞は地際から生えているように見える。仏炎苞は暗紫から淡紫、まれに白や緑もある。形は半球形で先がとがり、中には長円形で長さ2cm余りの花穂がある。穂には小さな花が多数密集して着く、果実は初夏から盛夏にかけて黄色に熟するが有毒。

自家不和合であり、昆虫などによる花粉の運搬を必要とする。多くの種子は野ネズミによって食害されるが、一部は野ネズミの貯食行為によって運ばれる。種子はそれによって散布され、被食を逃れて発芽することが出来る(参照:北海道の植物図鑑)。

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ミズバショウ咲くカリンバ自然公園、恵庭の花-30

2022-05-01 10:27:44 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

ミズバショウが咲いている・・・

桜の開花には少し早いが、水芭蕉が咲く頃だろうとカリンバ自然公園まで散歩の脚を伸ばした。4月下旬の穏やかな日のことである。自宅からは徒歩で約45分(3.1km)、少し長い散歩で心地よい汗をかいた。カリンバ遺跡の保護地区に繋がるカリンバ自然公園(黄金1号近隣公園)は旧カリンバ川跡で湿地が残り、自然林にはミズバショウの群落がみられる。遊歩道が設けられているのでミズバショウなど自然植物を観察できる。

自然公園にはコブシが咲き、ミズバショウの白い苞も開いていた。年配女性の二人連れが散策している。車いすの老人が音楽を聴きながら公園に向かって時を過ごしている。鴨が2羽ミズバショウの間で何かを啄ばんでいる。長閑な空間の中、遊歩道からミズバショウを写真に収めた。

ミズバショウの隣に、形が似ているが「白」ではなく「濃い赤色」の個体が散見される。「ザゼンソウ」と呼ぶらしい。黒頭巾(黒紫色)を被ったお坊さんが座禅をして座っている姿に似ていることから付けられた名前だと言う。

ミズバショウの名前を知ったのは「夏の思い出」の歌詞。尾瀬にミズバショウ群落があるのだと、その時覚えた。そして、十勝に住むようになってからは芽室町上美生のミズバショウ群生地を訪れ、北海道では「ヘビノマクラ」と呼ぶと教わった。花序の形を蛇の枕に見立てた表現だが、ミズバショウが咲く周辺は湿地なので「危険だから近づくな」と子供たちへの警句だったのだろう。また、ミズバショウの葉が牛の舌に似ていることから「ベコノシタ」とも呼ぶそうだ。地域によって他にも呼び方があるようだが、葉の形状による場合が多い。アイヌ語では「パラキナ(幅の広い葉)」である。

北海道には大空町、女満別町、芽室町、雨竜沼湿原、大沼などよく知られた群生地があるが、恵庭市のカリンバ自然公園は市街地でミズバショウ群落を観察できる貴重な場所である。

 

◆ミズバショウ(水芭蕉、学名: Lysichiton camtschatcensis Schott)は、サトイモ科ミズバショウ属の多年草。北海道と中部地方以北の本州の日本海側及びシベリア東部、サハリン、千島列島、カムチャツカ半島に分布する。

湿地に自生し、発芽直後の葉間中央から純白の仏炎苞と呼ばれる苞を開く(花ではなく葉の変形したもの)。仏炎苞の中央にある円柱状の部分が花序で、数十から数百の小花が集まっている。それらすべてが雄蕊と雌蕊を持つ両性花だと言う。受粉後、花序は大きく成長し緑色肉質の果穂になる。開花時期は低地で4月から5月、高地では融雪後の5月から7月。葉は花の後に出て立ち上がり、長さ80 cm、幅30 cmに達する。大きく成長した個体の塊茎からは細長く短い地下茎が生じ、栄養繁殖することもある。

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