豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

恵庭の「クラーク博士通り」

2022-02-17 14:04:18 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

恵庭に「クラーク博士通り」と呼ばれる道がある

恵庭市を通過する国道36号線は現在、恵庭市街を迂回する「恵庭バイパス」となっているが、1996年(平成8)までは市街の中心部を横切っていた。最初の国道は1873年(明治6)に開通した「札幌本道(室蘭街道)」で、この道路を中心に市街地が形成されて行った。二回目の変更は1952年(昭和27)に制定された新道路法に基づく一級国道で、高規格水準の舗装化・直線化が進められ「弾丸道路」と呼ばれた。バイパスが出来るまではこの道路が国道36号線だった。

多くの市民は昔の国道36号線を、現在の国道(恵庭バイパス)に対比して「旧国道」「旧々国道(旧道)」と呼んでいる。恵庭バイパスが完成した後、旧国道は北海道道46号江別恵庭線に組み込まれたが、道道46号と言うよりは旧国道と言った方が分かりやすい。しかし、「旧々国道」と呼ぶのは何とも変な言い方だ。

分かりやすい呼び方はないものかと探していたら、郷土史研究家某氏が「クラーク博士通り」命名運動の顛末を教えてくれた。旧々国道はかつての札幌本道(室蘭街道)であるが、札幌農学校教頭クラーク博士が島松沢で学生たちに「ボーイズ・ビー・アンビシャス!」の言葉を残して帰途に着いた所縁の道路だから博士の名前を残したいとの発想である。町内会や商店街の方々に意見を聴くなどしたが、この名前は定着しなかったようだ。

そんな話を思い出しながら旧々国道を歩いていたら、漁川にかかる恵庭橋の欄干に「クラーク博士通り」「青年よ 大志をいだけ」のプレートがはめ込まれているのを見つけた。当時の名残なのだろう。「クラーク博士通り」はまだ市民権を得ていないと思っていたが、2022年現在、Google Mapsにこの名称が記載されているので愛称として定着するかもしれない。なお、この通りの漁町商店街では「遊ingロード1番街」と名付けて、花いっぱい商店街活動を続けている。これも、かつて栄えた歴史ある通りを活性化しようとする試みである。

道路の名称

道路の名称は、①通称名や愛称名、②道路法の路線名、③都市計画道路名等に大別される。先の「クラーク博士通り」は通称名(愛称名)。通称名は市民の中に定着してこそ通じる名称である。

*道路法の路線名

道路法(昭和27年6月10日法律第180号、最終改正:令和2年5月27日法律第31号)の第三条「道路の種類」には、①高速自動車国道、②一般国道、③都道府県道、④市町村道があると定められている。これは、私たちに馴染みの分類であるが、一方、建築基準法上の道路として開発道路、私道、農道、里道・・・等の分け方もあると言う。

*恵庭を通過する道路

恵庭を通過する道路を整理して置こう。

①高速自動車国道では、「道央自動車道(大沼公園IC~室蘭~千歳~札幌~瀧川~旭川~剣淵IC)」と「道東自動車道(千歳恵庭JCT~本別JCT~阿寒IC・足寄IC)」の2線がある。

②一般国道では、「国道36号線(札幌市~恵庭市~苫小使牧~室蘭市;恵庭バイパス)」「国道453号線(札幌市豊平3-5交差点~恵庭市盤尻~千歳市幌美内~大滝村~伊達市)」の2線がある。

③都道府県道では、主要地方道「北海道道45号恵庭栗山線(恵庭市住吉道道46号交点~栗山町桜が丘国道234号交点)「北海道道46号江別恵庭線(江別市角山国道275交点~北広島市~恵庭市小磯国道36号交点)」「北海道道117号恵庭岳公園線(盤尻国道453号交点から道道46号交点)」の3線があり、一般道道としては「北海道道369号島松停車場線(島松駅~道道46号交点)」「北海道道600号島松千歳線(恵庭市島松~千歳市北信濃)「北海道道1021号恵庭停車場線(恵庭市相生町~恵庭市泉町)」の3線がある。

④市町村道

市町村道名は、通称と公的道路名が混在する。公的には「都市計画道路名」が基本になるようだ。北海道「都市計画道路現況調査書」R3.3.31によれば、恵庭市内37路線が示されている。以下に列挙しておこう(国道、道道の一部が含まれる)。

国道36号、恵庭大通、恵庭公園大通、川沿大通、東1線大通、江別恵庭大通、島松大通、恵南柏木通、戸磯団地通、恵庭駅通、柏木戸磯通、基線通、戸磯黄金通、柏木中通、柏木通、島松駅通、19号通、柏木団地通、中恵庭通、西島松通、茂漁通、寿通、寿中通、団地中央通、団地環状通、恵み野1号通、恵み野2号通、黄金中島通、惠千通、黄金学園通、黄金中通、黄金東通、黄金西通、黄金相生通、相生通、相生中通、恵み野駅通

地区名が入っているので大方はどの辺りか見当がつくが、詳細は関係者でないと分からない。

⑤市街地以外の道路名

一方、市街地以外の道路は「基線」「西1線」「南22号」などの呼称が生きている。この名称は、北海道開拓時代に明治政府が300間(約550m)ごとに道路を造ったことによるもので、南北方向の道路は基線を定め東側に300間ごとに東1線、東2線・・・西側には西1線、西2線・・・とし、東西方向の道路は零号道路を定め南北に同じく300間(約550m)ごとに道路を配置、南1号、南2号・・・、北1号、北2号・・・と称した。現在も国土地理院の地図には道路名(線・号)が示されている。恵庭市近郊で言えば、島松市街地以北の下島松、上山口、春日、漁太、穂栄、林田地区などの道路は、基線(道道45号)から東に東1~3線、西1~8線、零号(長沼市街南端)から南に数え、南9~28号となっている。因みに、舞鶴橋辺りが南12号、国道36号「道の駅」前道路が南24号にあたる。この「号線」名称は広く認識されている。

◆愛称名を付けたい道路

恵庭の市道(都市計画道路名)の中には、先の「旧々国道(旧道)」の他にも愛称を付けたい道路がいくつかある。

例えば、「恵み野1号通」(「南島松1号通(線)」の記載もある)。恵み野住民でも、どの通りの名称か分かる人は少ないだろう。この通りは、恵み野商店会の皆さんが環境整備に努められ、「花のまちづくりコンクール」「住まいのまちなみコンクール」等の受賞歴があり、花壇には折々の花が咲く。市民が集い、観光客を呼ぶためにも通りの愛称があったら素晴らしい。

例えば、「松園通り」(松園線の記載もある)。道の駅から開拓記念公園(松園小学校跡地)に通じる道路。道路拡張や市街地形成で何本かの桜古木は伐採されたが、今も桜並木は見事である。花の拠点(はなふる)も整備されたことだから、開拓記念公園に通じるこの道路にも「歴史の路、松園通り」の愛称を付け、洒落た標識を建てるのは如何だろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タマちゃん逝く

2022-02-10 15:06:39 | さすらい考

新聞のお悔やみ欄を眺めていたら「タマちゃん」逝去の知らせに目が留まった

2022年2月7日逝去、享年86歳。タマちゃんは長寿大学の同級生だった。

長寿大学は市が社会教育の一環として設けた「高齢者の学び、社会参画」を支援する制度で、63歳以上が入学できるシステムになっている。私達の学年は入学時63名(定員50名、現在は40名定員)の大所帯で平均年齢は70.1歳だったが、タマちゃんは入学時に既に79歳で最高齢の一人。小柄で白髪、背筋がまっすぐ伸びた上品な姿で、講義の時は何時も最前列に座っていた。個人的に話す機会は少なかったが、静かな語り口が印象的だった。

多人数にもかかわらず、私達のクラスはまとまりが良く活動的な学年だった。「桜だよ歩こう会」「一泊旅行」「昼食会」など多くの学年行事を企画実行したが、タマちゃんは何時も元気な姿を見せていた。恒例の卒業記念パーテイで私たち学年が「ミュージカルっぽい 森のクマさん」を演じた時は、熊の衣装を自作し可愛い熊さんを大熱演。それ以来、タマちゃんには可愛い熊のイメージが定着し、同級生からは「タマちゃん」の愛称で呼ばれるようになっていた。

 

卒業が近づく頃、さすがのタマちゃんも少し疲れやすくなったかと感じることもあったが無事卒業式を迎えた。当年の卒業生は48名。中途退学者が多数いる中で目的を全うし卒業を果たした。卒業祝賀会時のスナップ写真にはタマちゃんの矍鑠とした姿が写っている。

また、卒業記念文集に「四年間の思い出」を寄稿しているので引用しよう(学生自治会「恵庭市長寿大学卒業・修了記念誌」2018.2)。

タマちゃん、2018年(平成30)2月28日、卒業式の日にお会いしたのが最期になりましたね。

往時を偲び、謹んで哀悼の意を捧げます。(恵庭市長寿大学第十七回生)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最終有効年月日を変更(延長)したワクチンを接種

2022-02-09 09:52:39 | さすらい考

令和4年2月3日、三回目のワクチン接種

帰宅してから接種済証を確認すると、最終有効年月日欄の日付2022/01/31を線で消し2022/4/30に変更されている。当初の有効年月日が過ぎているではないか。

多分支障はあるまいと思いながらも、「有効性、安全性は大丈夫なのか?」「誰が、どの段階で変更したのか?」「そもそも薬剤の最終有効年月日とは何なのか?」と疑問が頭を過ぎる。心なしか注射の後が痛み出した気がしないでもない。

 

問い合わせると、「ファイザー社ワクチンは、令和3年(2021)9月10日に、-90℃〜-60℃での有効期間が6か月から9か月に延長されました。有効期限が令和4年(2022)2月28日以前となっているワクチンは、有効期限が6か月という前提で印字されていますが、有効期限が9か月として取り扱って差し支えないこととされています。このことについて、市のホームページ及び市内の接種医療機関でお知らせさせていただいております」との回答を得た。つまり、貴重なワクチンの無駄をなくすために、規程条件(低温)で保存した場合の有効期限を6ヶ月から9か月に延長したと言うものである。

調べてみると、令和3年10月22日付け厚生労働省健康局健康課予防接種室発出の事務連絡「ファイザー社ワクチン及び武田/モデルナ社ワクチンの有効期限の取扱いについて」で、上記のような内容が各自治体衛生管理部局宛に通知されている。また、同時に厚労省のホームページ「追加接種(3回目)のお知らせ」(市のホームページからのリンクも)でも同様の趣旨が説明されている。

確かに回答のとおりHPで告知しているが、この情報を認識していなかったのは私だけだろうか? 毎日毎日、新型コロナについては膨大な情報が発出され溢れているので、注意を払っていたが見落としたのだろう。市の担当者に余計な手間をかけて申し訳なかったが、「そもそも薬剤の最終有効年月日とは何なのか?」「延長した根拠に科学性があるのか?」と疑問は消えない。

好意的に解釈すれば、急を要していたので安全性試験(長期保存試験)が6か月終了した段階で使用を認可したが、その後も安全性試験を継続し期限を延長したと理解できる。だが、何か泥縄的対応ではあるまいか。これを緊急対応と言うのだろうか。せめて、追加接種お知らせ文書に触れて頂ければ、無駄な心配も無くなるだろうに。

接種後の副作用は二日目に若干の筋肉痛と微熱(37度2分)があったものの、特に問題はなかった。ワクチンの供給不足、検査キッドの不足が顕在化している現状を考えれば、三回目接種が済んでまずは感謝している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

町内会の会則が気になる

2022-02-08 10:53:38 | さすらい考

町内会の会則が気になる

当町内会では1月に役員改選が行われる。区長、班長は原則輪番制になっていて、本年の区長を引き受けることになった。前回、班長を担当したのが平成21年だったから13年ぶりのことだ。

この機にと改めて「会則」を読んでみたら、気になる条項がいくつか出てきた。

その一つ、総会の成立条項に「総会は会長が招集し、出席者全員によって成立する」とある。これでは何人でも(数人でも)総会が成立する、役員だけでも総会が成立することになってしまう。総会は会の最高決議機関であるから、通常であれば、「・・・会員の過半数の出席で成立する」のような条件を付さないとおかしい。そもそも、現在の条項文では総会成立条件になっていない。

本条項が会則の中で長年生きているのは何故だろうと考えた。恐らく、総会への出席者が少なく、止む無く出席した者だけで総会が成立したことにしようとする、苦心の文章(やり方)なのだろう。誰もが目くじら立てずこれで可としてきたのだろう。総会は会長など役員選出、事業計画、予算などを諮る重要な会議だが、現会則では少数の出席(しかもその過半数)で決めることになりかねない。役員だけで決めていると言われても弁解の余地がない会則だ。

コロナ禍のここ2年は、総会を開かず、議案を全戸に配布し書面表決の手法をとっている。各総会議案を各戸に配布し、「賛成・反対、承認・非承認の意思表示(意見を添えて)の投票用紙を町内会館ポストに投函してください、投票ない場合は賛成とみなします」との対応である。意志表示のため会館まで足を運ぶ会員がどれだけいるのだろうか。全会員に投票の間口を広げたのは良いことだが、無投票は全て賛成という手法は少々乱暴すぎる。せめて、委任状を取るべきではないか。

その後の広報、会長挨拶の中で「書面表決により承認されました」と報告があった。投票数、賛成・反対数など具体的な数字については機会があれば聞いてみたい。その数字から、町内会活動に対する会員の意識が分かるような気がする

近頃、町内会(自治会)活動の課題として、会員の関心が薄い、役員のなり手がいない、役員の高齢化などが指摘されるが、会則はスッキリさせておきたいものだ。

例えば、先の総会成立条項だが二通りの選択肢が考えられる。

1.会員数が1,100名を超える大きな町内会であることに鑑み(総会を開く規模の会場もない)、代議員制を導入する。例えば、班長・区長を代議員として総会は代議員過半数の出席を以て成立することにする。気になって近隣の大規模町内会会則を調べてみると、代議員制に踏み切っている。ただこの場合、区長・班長を含めた「役員にお任せ意識」が増大するかもしれない(デメリット)。

2.書面表決方式を会則として条文化する。出席数は委任状を含めてカウントし、過半数で総会が成立するものとする。採決は書面表決及び出席者の過半数で決する。或いは、区長・班長を含めた役員会(総会に次ぐ決議機関)で対応する方法があるかも知れない。会員の総意を聞く機会を提供するメリットはあるが、どの位の会員が対応してくれるかが課題ではある。

その他にも、気になる条項、付加したほうが良いと思う事項があるが、此処では触れない。コロナが収束して役員会が開催されたら、執行部の意向を聞いてみよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月の葬儀

2022-02-07 18:15:29 | さすらい考

令和4年1月、三つの葬儀が重なった

一つは愛子叔母で享年93歳。父の末弟の奥さん。「青年団活動で知り合った」と二人の出会いを聞いたことがある。叔父は農業の傍ら土地家屋調査士の資格を得て仕事をしていたし、共済組合長など農協の役職も兼ねていた。この叔父は年齢が近かったこともあり、子供の頃よく勉強の面倒を見てもらった記憶がある。叔父が糖尿病を患い六十代で早逝した後も、叔母は矍鑠と農業を続けていた。叔母逝去の連絡を受けたのは1月4日。弔意を告げると従弟は「1年ほど前から施設に入所していたが、1月1日静かに息を引き取った」と言う。葬儀は1月10日に故郷下田のJA葬祭センターで行われた。

二つは義弟(妹の主人)明實さんで、1月19日に亡くなった。享年81歳。一昨年に脳梗塞を患い、昨年は骨折や心不全、年が明けてから腎不全からの多発性骨髄腫で入院、透析をしていると聞いていた。若い頃はがっちりした体躯で元気そのもの、晩年も山歩きやウオーキングなど健康には気を付けて過ごしていると聞いていたので突然の感があった。思わず「元気そうだったのに…」と呟いた。1月25日新板橋駅前ホールで葬儀が行われた。

この二つの葬儀は、新型コロナの感染拡大の時世を考慮して参列せず、北海道の地から冥福を祈った。

三つは義妹(妻の妹、五女)の厚ちゃん。1月7日逝去。享年73歳。腎疾患を患い5年ほど前から透析を続けていたが、すい臓がんが見つかり他臓器への転移も確認され入院していた。最期まで頑張っていたが治療の甲斐なく帰らぬ人となった。

厚ちゃんは、天使大学看護学科を卒業、看護師と助産師の資格を得て働きながら、日本女子大学大学院の通信教育で学び社会学修士の学位を取得、札幌医科大学医療学部の講師、助教授、准教授として研究と教育に尽力した。また、専門を生かしてフイリッピン、ミャンマー、ブータン、ベトナムなど海外協力にも携わった。専門は「母子看護学」「母子保健の海外協力」。日本母性衛生学会、日本助産学会、日本公衆衛生学会、日本看護科学学会、小児保健学会、日本地域福祉学会などに所属。「出産前後の女性の心理、家庭や社会との関り」「心身健康と性教育」「思春期の性」「国際協力と看護の役割」などをテーマに講演活動も多数に及んだ。

厚ちゃんの人生を振り返って見ると、目標を立て一人で決断し、努力する姿が見える。強い意志、頑張り屋だった。札幌医大では外様だったので何かと気苦労があったかも知れない。衛生環境の悪い海外で日の丸を背負っての活動は身を削るような苦労があったに違いない。晩年、体調を崩してからも、周りの人に面倒をかけまいと独り頑張る姿があった。頑張り屋の厚ちゃん、お疲れ様・・・安らかに。葬儀は1月30日広済寺でごく近しい親族のみで行った。

喪に服する冬の日々である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする