豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

帝国主義の誤謬(北大道新アカデミー2022前期)

2022-06-30 15:02:55 | 講演会、学成り難し・・・

潰えた石橋湛山の「小資本主義」と外務省改革派グループの論理

石橋湛山は静岡2区選出の国会議員だったので、子供の頃から名前を知っていた。太平洋戦争から戻った村の大人達は選挙のたびに「吉田だ」「鳩山だ」「社会党だ」と議論していたし、鳩山派を引き継いだ石橋湛山に期待を寄せる人々が多かった。中学校を卒業する頃には新聞を読むようになっていたので石橋湛山の総裁選出ドラマに胸を躍らせたが、湛山の思想を理解していたわけではない。

総裁選の顛末は以下の通り。「日ソ国交正常化を果した鳩山首相引退後の総裁選で、アメリカ追従を主張する岸信介に対し、石橋は中華人民共和国など他の共産圏とも国交正常化することを主張して立候補。総裁選の1回投票では岸が1位であったが、石井光次郎と2位・3位連合を組んだ決選投票で当選。党内融和のために決選投票で対立した岸を内閣の副総理として処遇するのであった。内閣発足直後には国民皆保険を目指す閣議決定を行い、積極財政を行うとし全国遊説行脚を敢行、自らの信念を語るとともに有権者の意見を積極的に聞いてまわった。帰京後軽い脳梗塞で倒れ、政治的良心に従うと潔く退陣。後任首相には岸が任命された。首相在任期間は65日と短かった」。石橋の辞任には、「潔い」「無責任」と相反する論評があった。

今回の「北大道新セミナー」演題に石橋湛山の名前を目にしたとき記憶が蘇り聴講を申し込んだ。講義は、ジャーナリスト時代及び政治家としての湛山の思想を近代史の中でどう位置付けるかが主題だったが、かなり難解だった。

西洋を追いかけ、時代が遅れて突き進んだ日本帝国主義の領土拡大行動。帝国主義の誤謬に気付き異を唱えた人々がいたのに、戦争を回避できなかった弱さは何処にあるのだろうと講義を受けながら考え続けた。また、ロシアのウクライナ侵攻が時代を経て重なるのを覚えた。失われる命、経済的損失は計り知れないのに、戦争を何故止めることが出来ないのだろう。人間の愚かさなのか?

講師は北海道大学日本史学研究室教授 権錫永(KWEON Seok-Yeong)博士。研究分野は日本近代思想史、植民地期朝鮮文化史。「近代において3度も大きな戦争を遂行し、あちらこちらに植民地をもった日本という国をどのように理解すべきか、知識人はそういう国家的行為とどのように向き合ったのか・・・」を研究テーマにしていると言う。

 

◆権錫永「潰えた石橋湛山の小日本主義の夢」2022年6月11日

石橋湛山は、戦前は「東洋経済新報」主筆・社長として一貫して日本の植民地政策を批判して加工貿易立国論を唱え、戦後は「日中米ソ平和同盟」を主張して政界で活躍。保守合同後初めての自民党総裁選挙を制して総理総裁となったが、在任65日で発病し、退陣(大蔵大臣、通商産業大臣、内閣総理大臣、郵政大臣などを歴任)。退陣後は中華人民共和国との国交正常化に尽力した、ジャーナリスト・政治家である。

国家存亡にかかわると言う「危機認識」、「国益のため」と言う粉飾された主張が帝国主義の根幹にあった。湛山は「自国の利益を目的とするはずの帝国主義が実は自利に反している。自利を真剣に考えた先に正義が宿る」と帝国主義の誤謬を指摘し、植民地を棄てよ、現実の数字(膨張政策の欠損)を重視せよと小日本主義を唱えた。国民の幸福だけでなく人類の幸福に貢献する道を求めた。

◆権錫永「帝国主義の誤謬と外務省革新派グループの論理」2022年6月25日

帝国主義の誤謬を指摘し転換を図った事例として、もう一つ「外務省革新派グループの極東連合構想(日本主義)」がある。

西洋による東洋の支配・搾取からアジア民族を開放し、アジアの民族的協力社会を建設しよう、日本がその核となる。核となる原理は日本主義(皇道主義)、理想のためには武力行使もあり得るとした極東連合構想。昭和の戦争はこの構想と重なる理想主義的な外交方針によって推し進められた。彼らにとって国民とは何だったのだろう? 

今の政治家も、新型コロナやロシアのウクライナ侵攻を背景に「危機だ」「国益だ」と叫ぶ。この言葉に国民は逆らうことが出来ないだろうと考えているに違いない。しかし、この言葉を耳にした時こそ「何が危機で、真の国益とは何?」と我々は賢く熟考する必要があるだろう。勿論前提になるのは、情報がコントロールも隠蔽もされていないと言う状況にあること。

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北海道文教大学特別公開講座2022を聴講する

2022-06-22 13:12:24 | 講演会、学成り難し・・・

テーマは北海道の食文化

コロナの感染者数が減少傾向となり、北海道文教大学でも公開講座を開催。久々に恵庭市黄金町にある同校の門をくぐった。

今回の特別公開講座は同大学国際学部の事業の一環として開催されたもので、学生の他に市民数十名も聴講。共通テーマは「北海道の食文化」。食の視点から北海道(恵庭)の歴史を復讐する良い機会となり、有意義な時間が持てた。公開講座開催に感謝する。

渡部俊弘学長は開会挨拶で「北海道文教大学は学生及び地域のプラットホームでありたい」との趣旨を述べられたが、「地域や企業との連携で大学の存在意義が高まる、学生には社会との関りの中で己の進むべき道を探求して欲しい」「大学は(この取組みは)、あなたたちが旅立つためのプラットホームです」との思いが込められているのだろうと勝手に解釈。全く同感である。北海道文教大学が精力的な情報発信、取り組みをされていることに敬意を表したい。地元大学の隆盛は一市民として嬉しいことだから。

 

◆長町章弘「北海道の遺跡からわかる昔の食生活、恵庭の遺跡を中心に」(北海道文教大学特別公開講座2022.5.24)

恵庭市郷土資料館学芸員である長町章弘氏は、カリンバ遺跡など恵庭にある数多い遺跡調査に携わった体験、研究から、「遺跡から分かる食生活」「縄文人は何を食べたか」「調理の方法」「食材保存の方法」など具体的に解説。旧石器時代から縄文時代、続縄文文化期、擦文文化期、アイヌ文化期に至る恵庭の歴史を辿り、カリンバ遺跡に隣接する大学で学ぶ意味を併せ考えて欲しいと述べた。

 

◆高島英也「北海道の歴史、北海道の未来を考えるヒントに、第一回大地の誕生から明治前夜まで」(北海道文教大学特別公開講座2022.6.7)

サッポロホールデイングス株式会社顧問高島英也氏は、豊富な歴史知識と深い知見を駆使して「大地の誕生から明治前夜まで」の北海道史を解説。「アムール川から流れ込む淡水の影響による豊かなオホーツクの恵み」「北海道独自の文化園形成」「アイヌの広域な交流」「蝦夷地の意味」など。冒頭、高島氏は「何のために歴史を学ぶか?」と問い掛け、「今起きていることを理解する」「これから起きることを予測する」「生きるための知覚能力・認知能力を磨く」と整理していたが、その通り。また、資料の中で独自の読書メモ(エクセルファイル)を引用していたが、小生もこの方法をとっている。歴史など多くの事象を時系列・体系的に理解するために良い手法なので推奨する。

 

◆高島英也「北海道の歴史、北海道の未来を考えるヒントに、第二回明治から現代まで」(北海道文教大学特別公開講座2022.6.14)

北海道開拓の歴史から現在に至る経過を解説し、現在の課題について以下のように述べた。「農業のICT化と大規模化、食の輸出拡大、インバウンド需要の掘り起こしは、人手不足解消、国際競争力強化のためには必須な活動である。しかしながら、今の施策の方向性だけでは需要と供給のバランスのみで価格決定される価格競争に晒されるだけ。外資を含めた大資本から搾取されるだけの土地となってしまうリスクがある。インバウンドへの期待も限度がある。政治・行政の旗振り・支援は必須、しかしながらそこに過度に頼ってはいけない」「自立するには?」「地域の活性化を食の視点から考えよう」「地域とは?」「活性化とは?」と結んだ。

昔から思っていたことだが、北海道は官依存体質が抜け切れていない。必要なのは、意識の改革ではあるまいか・・・。

 

◆野村真弘「北海道とサッポロビール、146年前からSDGs.」(北海道文教大学特別公開講座2022.6.21)

サッポロビール株式会社北海道工場長野村真弘氏は、「なぜサッポロビールは北海道で生まれたのか?」「サッポロビールの原料へのこだわり」「恵庭に工場を建設した理由」「北海道における社会活動」「ビールが出来るまで」「サッポログループのサステナビリテイ」について紹介、解説。材料と製法に拘っているサッポロビールの姿勢が感じられた。ビール大麦の育種、協働契約栽培について近くで接し、工場へも何回となくお邪魔しているので、小生にとってもサッポロビールは身近な存在である。

聴講者から「缶ビールより瓶ビールが美味しいと感じるのは何故か?」など多数の質問があった。「工場長、貴方はどの銘柄を飲みますか?」に何と答えたと思いますか・・・。

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カリンバ遺跡のトクサ、恵庭の花-32

2022-06-13 18:03:27 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

「砥草」スギナの近縁種

恵庭公園(恵庭市駒場)の谷で湧出したユカンボシ川に沿って下り、恵南柏木通りに面する辺り(公園東端)の窪みにトクサの群落が見られる。かつて仲間と一緒に「歩こう会」と称して散策していた折に、北海道で初めてトクサ群落に出会った場所。その後しばらくはトクサの群生を見かけなかったが、今春(2022年)カリンバ遺跡保護地を訪れた際トクサの群生を見た(写真、道路から観察できる)。

 (左:カリンバ遺跡のトクサ)

トクサは日本庭園で鑑賞用に植えられることもあるが、石炭紀(およそ3憶5千万年前)から存在する太古のシダ植物と言われる。石炭紀の大気は酸素の濃度が高かったため稲妻などによる野火のリスクは現在よりもはるかに高く、トクサは耐火性のケイ酸を蓄積することで野火から生き延びるよう進化したと考えられているそうだ。縄文人やアイヌの人々が道具や装飾品を磨くのにトクサを使っていたとも考えられる。カリンバのトクサは約3,000年前から代を経て綿々と生き延びて来たのだろうか。

地下茎から枝分かれせず真っすぐ伸びる茎は、太さ6mmほどで中空だが高さは1mにもなる。茎の表面には60本近い溝が縦に走り、表面はザラつき、これが砥石代わりになるため「砥草」と命名されたと言われる。また、「歯磨草」との別名もある(歯磨に使ったのだろう)。アイヌ語ではトクサを「シプシプ」と呼ぶが、これも物を磨く際の擬態語に由来。英名のScouring rush(磨き草)も語源は同じである。

 

子供の頃、生家の水場近くにトクサが植えられていた。祖父が「この草はサビ落としに使う」と教えてくれたので、錆びたナイフを擦ってみたら綺麗になった。紙やすりの代用なのだと納得した少年時の記憶を思い出す。茎を引っ張ると、節の部分からスッポリ抜けるのが面白く遊んだこともあった。

トクサが砥石代わりになるのは、茎の表皮細胞壁にプラントオパール*と呼ばれるケイ酸(シリカ)が含まれているため。生のままでも植木鋏や爪を研ぐことに使えるが、秋に刈り取ったトクサを煮て乾燥したものは紙やすりのように柔らかくて使いやすくなる。現代でも弓矢の仕上げ、高級柘植櫛や漆器の仕上げ工程で使われているそうだ。

俳句の世界で「トクサ(木賊)刈る」が秋の季語。高浜虚子は「谷水を踏まへて刈りし木賊かな」「木賊皆刈られて水の行方かな」「木賊刈る翁に飛べり黒蜻蛉」と詠んでいる。この事からも、生活の中にトクサを刈る風習が根づいていたと思われる。研磨剤のほかに生薬としても利用された。

*プラントオパール:遺跡調査で植生環境を推定する手段として利用される。

(上:恵庭公園のトクサ)

◆トクサ(砥草、木賊、学名:Equisetum hyemale

シダの仲間、トクサ科トクサ属。北半球の温帯地域に分布。日本では北海道から本州中部にかけての山間の湿地に自生する。

地下茎が横に伸び、地上茎を直立させる。茎は触るとザラついた感じがし、引っ張ると節で抜ける。節の部分にあるギザギザは退化した鞘状の葉。6~8月頃になると茎の先端にツクシの頭部のような胞子葉群(胞子嚢穂、長さ1cmほどの楕円形で緑色から黄色に変わる)をつけ、ここに胞子ができる。日本庭園ではよく植えられるが、スギナ(ツクシ)の近縁種で繁茂しやすいためスギナ同様に厄介な雑草となる(参照:植木ぺデイアほか)。

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アルゼンチン・パラグアイ大豆育種技術協力の成果品、文献目録

2022-06-07 18:36:00 | 海外技術協力<アルゼンチン・パラグアイ大豆育種>

南米大豆育種への貢献

昔のことになるが、農業試験場で大豆育種(新品種開発)の仕事をしていた関係で、海外技術協力に携わる機会が多かった。アルゼンチン共和国へは1978~1984年にかけて5回派遣され、2年4か月コルドバ州のマルコスフアレス市に滞在。また、パラグアイ共和国へは2000~2008年にかけて3回派遣され、5年1か月エンカルナシオン市に滞在した。JICA(国際協力機構、当時国際協力事業団)による大豆育種専門家としての任務であった。派遣先は相手国の農業研究センター、同国の研究員らと共に汗を流した。

アルゼンチンは今でこそ世界第3位の大豆生産国(5,200万t)であるが、当時は栽培が緒に就いたばかりで育種を始めようとしている時期であった。専門家は育種目標の設定、育種体制の確立、育種技術の指導など育種の根幹から関わった。

パラグアイは大豆栽培面積が急増した時期で(日本からの技術協力は1979年開始)、カンクロ病被害が問題となっており、新たに大豆さび病やダイズシストセンチュウが発生したため対応に苦慮していた。これら病害に対する抵抗性品種の開発指導が急務となっていた。

これらのプロジェクトは、両国関係者の絶大な支援協力、同国研究員及び派遣専門家の努力により大きな成果を収めたと評価されている。

技術協力の進捗状況及び成果については報告書や論文としてその都度公表に務め、プロジェクト終了後も国内の雑誌や講演会で「南米の農業事情」など情報発信を行ってきた。資料の多くはJICA図書館や事務所、相手国研究機関等で閲覧可能と思うが、散逸するのが気になるので筆者の関係分を「文献目録」として整理して置く。

参考になれば幸いである。

文献目録

(1)開発に関わった大豆品種

01 「Carcaraña INTA」(1980):良質多収,アルゼンチン最初の育成登録品種

02 「CRIA-2 Don Rufo」(2002):早生,カンクロ病抵抗性,多収,パラグアイ初の交配育成登録品種

03 「CRIA-3 Pua-é」(2002):早生,カンクロ病抵抗性,多収,パラグアイ登録品種

04 「CRIA-4 Guaraní」(2005):早生,カンクロ病抵抗性,パラグアイ登録品種

05 「CRIA-5 Marangatú」(2005):早生多収,カンクロ病抵抗性,パラグアイ登録品種

06 「CRIA-6 Yjhovy」(2008):中生の早,シスト線虫抵抗性,パラグアイ初の抵抗性登録品種

 

(2)報告書・著書

01 赤井純・玉田哲男・土屋武彦(1978):アルゼンチン国に対する大豆病害ならびに栽培技術協力に関する報告書,国際協力事業団 37p.

02 Akai J.,T.Tamada und T.Tsuchiya(1979):Informe del Estudio de Cooperación Técnica sobre Cultivo y Enfermedades de Soja para La Republica Argentina. JICA, 38p.

03 土屋武彦(1980):アルゼンチン国大豆育種技術協力に関する報告書(第2年次),国際協力事業団 72p.

04 土屋武彦(1980):アルゼンチン国派遣大豆育種専門家総合報告書,国際協力事業団 123p.

05 Tsuchiya T.(1980):Informe General sobre la Cooperación Técnica del Mejoramiennto Genético de Soja para La Republica Argentina. JICA, 261p.

06 土屋武彦(1981):アルゼンチン国大豆育種技術協力第5年次短期派遣専門家総合報告書,国際協力事業団

07 土屋武彦(1984):アルゼンチン国大豆育種技術協力第7年次短期派遣専門家総合報告書,国際協力事業団

08 土屋武彦・酒井眞次・中西浩・中山利彦・砂田喜与志(1984):アルゼンチン国大豆育種技術協力総合報告書1977-1984,国際協力事業団 47p.

09 Tsuchiya T.,S.Sakai und H.Nakanishi(1984):Informe General de la Cooperación Técnica para el studio sobre el Mejoramiennto Genético de Soja en la Repubulica de Argentina(1977-1984). JICA, 60p.

10 土屋武彦・酒井真次(1986):大豆育種に関する専門家活動報告(アルゼンチン),個別派遣専門家活動報告シリーズ 82.国際協力事業団国際協力総合研修所 50p.

11 土屋武彦(2000):南半球で育種する,豆の育種のマメな話(自費出版),北海道協同組合通信社p104-123

12 Chavez C.,A. Altamirano,M. Kamiya,T. Tsuchiya(2001):Manual de Extracción de ADN por el Método CTAB y PCR por PAGE,CRIA-Manual Técnico No.12, 8p.

13 Schapovaloff A,E. Rodoriguez,D. Pino,C. Chavez,D. Bigler,T. Tsuchiya,M. Komeichi, H. Sawahata(2002):Nuevas Variedades de Soja [Glycine max(L.)Merr.] CRIA-2(Don Rufo),CRIA-3(Pua-e),CRIA-Informe Técnico No.1. 11p.

14 Chavez C,A. Altamirano,M. Kamiya,T. Tsuchiya(2002):Análisis de Resistencia al Nematode del Quiste de la Soja a Travéz de Marcadores de SSR,CRIA-Informe Técnico No.2

15 土屋武彦(2002):パラグアイ国における植物品種の保護制度と新品種の登録,専門家技術情報第1号,パラグアイ大豆生産技術研究計画 6p. 

16土屋武彦(2002):大豆新品種の解説CRIA-2(Don Rufo)及びCRIA-2(Pua-e). 専門家技術情報第2号,パアラグアイ大豆生産技術研究計画 8p.

17 丹羽勝・土屋武彦・豊田政一・塩崎尚郎・大杉恭男(2002):ブラジル・アルゼンチン大豆研究見聞記,専門家技術情報第4号,パラグアイ大豆生産技術研究計画 19p.

18 丹羽勝・土屋武彦・豊田政一・塩崎尚郎・大杉恭男(2002):パラグアイ農業の諸相,専門家技術情報第5号,パラグアイ大豆生産技術研究計画 33p.

19 土屋武彦(2002):パラグアイ大豆生産技術研究計画(大豆育種分野)専門家業務完了報告書,国際協力事業団 29p.

20 Tsuchiya T.(2002):Proyecto de Investigación sobre la Producción de Soja en el Paraguay(Mejoramiento de Soja),Informe Final del Experto. JICA, 36p.

21 Tsuchiya T.(2003)Editor:Mejoramiento para la Resistencia al Nematode del Quiste de la Soja. JICA,33p.

22 Tsuchiya T.,M. Sato(2003):Manual,Proceso de Elaboracion del Queso de Soja. JICA,7p.

23 土屋武彦(2003):パラグアイ大豆生産技術研究計画F/U(大豆育種分野)専門家業務完了報告書. 国際協力事業団 10p.

24 Tsuchiya T.(2003):Informe Final del Experto. JICA,12p.

25 Tsuchiya T.(2003):Por qué se Realize el Mejoramiento de la Soja en Paraguay. JICA,51p.

26 Tsuchiya T.(2006):Por qué se Realize el Mejoramiento Genético de la Soja en Paraguay,Segunda edición. JICA,52p.

27 土屋武彦(2006):大豆新品種 CRIA-4(Guaraní)とCRIA-5(Marangatú)の育成,専門家技術情報第1号,ダイズシストセンチュウ及び大豆さび病抵抗性品種育成プロジェクト12p.

28 土屋武彦(2006):パラグアイにおける大豆連絡試験の解析,専門家技術情報第2号,ダイズシストセンチュウ及び大豆さび病抵抗性品種の育成プロジェクト 20p.

29 Chávez C. Rodriguez,D. Bigler,A. Morel,M. Komeichi,T. Tsuchiya(2006): Nuevas Variedades de Soja(Glycine max L. Merr. ) CRIA-4(Guaraní),CRIA-5(Marangatú). Informe Técnico de Soja No.3,CRIA. 15p.

30 Tsuchiya T. y A. Morel(2007):Evaluación de Resistencia al Nematodo del Quiste de Lineas de Soja en Condiciones de Infección Natural(2006/07),CRIA. 16p.

31 Morel A.,H.Montiel,A. Alttamirano,C. Altamirano,R. Morel y T. Tsuchiya(2007): Comportamiento de 13 Cultivares de Soja en 7 Épocas de Siembras. Resultads de la Investigación en el Área de Mejoramiento Genético de Soja Cicro 2006/7. p52-60

32 Morel,A.,T. Tsuchiya y L. Pedrozo(2007):Monitreamiento de Parcelas sobre el Nemátodo del Quiste(NQS), Yjhovy-Canindeyú, 2007. Resultads de la Investigación en el Área de Mejoramiento Genético de Soja Cicro 2006/7. P61-67

33 Tsuchiya T.(2007):Mejoramiento Genético sobre la Resistencia al NQS en el Paraguay. JICA,103p.

34土屋武彦・Anibal Morel Yurenka(2007):パラグアイにおけるダイズシストセンチュウ汚染圃場を利用した抵抗性材料の選抜(2006/07),専門家技術情報第3号,21p.

35 Morel A.,H. Montiel,A. Altamirano,C. Altamirano,R. Morel y 土屋武彦(2007):パラグアイにおけるダイズ品種の播種期試験(2006/07),専門家技術情報第4号,14p.

36 Morel A.,H. Montiel,A. Altamirano,C. Altamirano,R. Morel y 土屋武彦(2007):パラグアイにおけるダイズ品種国内連絡試験の解析(2005/06-2006/07),専門家技術情報第5号,42p.

37 Tsuchiya T.(2008):Soja - Sabrosa,Nutrtiva,Saludable. JICA,64p

38 Morel A. C. Chavez,E. Rodriguez,D. Bigler,M. Komeichi y T.Tsuchiya(2008):Lineas Promisorias de Soja Resistentes al NQS “LCM 167 y LCM 168" 

39 Morel A,C. Chavez,E. Rodriguez,D. Bigler,M. Komeichi y T.Tsuchiya(2008):Nuevas Variedades de Soja Resistentes al NQS,CRIA-6 (Yjhovy) 

40 Morel A,C. Chavez,E. Rodriguez,D. Bigler,M. Komeichi y T.Tsuchiya(2008):ダイズシストセンチュウ抵抗性新品種候補LCM 167, LCM 168. 専門家技術情報第6号,39p.

41土屋武彦・A. Morel(2008):ブラジル,アルゼンチンのシスト線虫抵抗性育種事情. 専門家技術情報第7号,26p.

42 Tsuchiya T.(2008):Informe Final del Proyecto(西和 プロジェクト事業完了報告書)22p.

43 Tsuchiya T.(2008):Informe Final del Experto(西和 専門家業務完了報告書 21p)27p.

44 Tsuchiya T.(2008):Informe de las Actividades del Proyecto,Año 2006 al 2007(西和 プロジェクト進捗状況報告書集2006-2007年)26p.

45 土屋武彦(2010):南米におけるダイズ育種の現状と展望(大豆のすべて、分担執筆)p33-41,喜多村啓介編集,サイエンスフォーラム 538p.

46 土屋武彦(2020):ラテンアメリカ 旅は道づれ(自費出版)晩鐘舎246p.

47 土屋武彦(2020):パラグアイから今日は!(自費出版)晩鐘舎196p.

 

(3)論文・学会発表

01 Padulles N.L.,J.E.Nisi,L.Salines und T.Tsuchiya(1979):Mejoramiento Genetico de Soja en La EERA de Marcos Juarez. 4th Reunion Tecnica Nacional de Soja en Argentina. 

02 土屋武彦(1981):アルゼンチンにおける大豆品種の収量性,日本育種作物学会北海道談話会報18,p35

03 土屋武彦(1981):アルゼンチンにおける大豆生産の現状と育種技術協力,十勝農学談話会 22,p11-23

04 酒井真次・土屋武彦(1982):アルゼンチンにおける大豆育種技術協力,農林水産省作物育種部門総括検討特別検討課題講演要旨

05紙谷元一,Carlos Chavez,Antonio Altamirano,土屋武彦(2001):パラグアイ共和国地域農業研究センター(CRIA)育成ダイズシストセンチュウ抵抗性系統のDNAマーカー解析,日本育種・作物学会北海道談話会

06 David Bigler,Carlos Chavez,Eduardo Rodriguez,Takehiko Tsuchiya y Michitaka Komeichi (2002):Desarrollo de las Variedades Precoces, Resistentes a las Enfermedades y de alto Rendimiento ,Don Rufo y Pua-e. Seminario sobre la Investigacin del Cultivo de Soja en el Paraguay.

07 David Bigler,Carlos Chavez,Eduardo Rodriguez,Takehiko Tsuchiya y Michitaka Komeichi (2002):Desarrollo del Germoplasma de Alto Rendimiento, Siembra Tardía y Resistencia al NQS en CRIA,Seminario sobre la Investigacin del Cultivo de Soja en el Paraguay.

08 David Bigler,Carlos Chavez,Eduardo Rodriguez,Takehiko Tsuchiya y Michitaka Komeichi (2002):CRIA-2(Don Rufo), Nueva Cultivar de Soja de Ciclo Precoz para la Region Sureste de Paraguay. 24th Reunion de Investigacion de Soja de la Region Central de Brasil.

09 David Bigler,Carlos Chavez,Eduardo Rodriguez,Takehiko Tsuchiya y Michitaka Komeichi(2002):CRIA-3 (Pua-e), Nueva Cultivar de Soja de Ciclo Precoz para la Region Sureste de Paraguay. 24th Reunion de Investigacion de Soja de la Region Central de Brasil.

 

(4)定期刊行物への寄稿

01 土屋武彦(1979):アルゼンチン雑感,十勝野(十勝農試緑親会)13,p66-69

02 土屋武彦(1980):アルゼンチンの人々,十勝野(十勝農試緑親会)14,p73-77

03 土屋武彦・酒井真次(1981):アルゼンチンの大豆作と育種研究(1),農業技術 36(6)p246-249

04 土屋武彦・酒井真次(1981):アルゼンチンの大豆作と育種研究(2),農業技術 36(7)p299-302

05 土屋武彦(1984):アルゼンチン研修員のことなど,十勝野(十勝農試緑親会)18, p43-44

06 土屋武彦(2000):パラグアイ国から今日は,むーべる(上川農試親睦会)30, p3-5

07 土屋武彦(2004):南米パラグアイのダイズ栽培(1)日系移住者が築いたパラグアイのダイズ栽培,農業及び園芸,79(1)p23-30

08土屋武彦(2004):南米パラグアイのダイズ栽培(2)パラグアイのダイズの高生産性と栽培実態,農業及び園芸,79(2)p256-262

09土屋武彦(2004):南米パラグアイのダイズ栽培(3)日本の技術協力とパラグアイのダイズ育種,農業及び園芸,79(3)p358-365

10 土屋武彦(2004):海外事情 パラグアイの大豆栽培「日系移住者が輸出品目指し,本格栽培」ニューカントリー 52(1)p64-65

11 土屋武彦(2005):パラグアイの農業,最近の話題,北農 72(1)p101-106

12 土屋武彦(2005):パラグアイのダイズ栽培,研究ジャーナル,28(5)p42-45

13 土屋武彦(2006):パラグアイ事情,北農 73(3)p277-280

14土屋武彦(2008):大豆新品種の公表とプロジェクト終了式典が開催される,JICAパラグアイ事務所だより,2008年3月号

15土屋武彦(2008):ダイズシストセンチュウ及びさび病抵抗性品種の育成(フェニックスプロジェクト)を総括する,JICAパラグアイ事務所だより,2008年4月号

16 土屋武彦(2008):南米大豆の生産動向とGM大豆,グリーンテクノ情報 4(2)p53-58

17 土屋武彦(2009):南米ダイズ生産の発展に寄与した日本,農林水産技術同友会報47,p12-15

18 土屋武彦(2010):南米における大豆生産の実態,農業1529(平成22年1月号),p53-58

 

(5)講演会

01 土屋武彦(2004):パラグアイの農業と大豆生産,農林水産同友会北海道支部例会 2004.8.27

02 土屋武彦(2005):南米における技術協力について,緑の地平線の会 2005.6.11

03 土屋武彦(2008):ダイズシストセンチュウ及び大豆さび病抵抗性品種の育成(フェニックスプロジェクト),JICA専門家ボランテイア連絡会(於JICAパラグアイ) 2008.2.15

04 土屋武彦(2008):ダイズシストセンチュウ及び大豆さび病抵抗性品種の育成(フェニックスプロジェクト),JICA専門家帰国報告会(於JICA東京) 2008.3.24

05土屋武彦(2008):南米大豆の生産動向とGM大豆,緑の地平線の会(十勝農試研修会)2008.9.26

06土屋武彦(2009):大豆品種の話 in 旭川(旭川市大豆プロジェクト) 2009.2.4

07土屋武彦(2009):南米大豆の生産と育種,緑の地平線の会(上川農試研修会) 2009.9.11

08土屋武彦(2013):大豆の話,世界の大豆と北海道の大豆(農業者サロン) 2013.7.20

09 土屋武彦(2016):南米生活は,いつもアスタ・マニヤーナ(明日があるさ),恵庭市長寿大学講座2016.2.17

10 土屋武彦(2020):市民憲章と歩む市民の集い講演「海外から見た日本」,市民憲章だより第34号p2(令和2年3月31日恵庭市民憲章推進協議会)

 

(6)新聞等メデイア対応

01 Akai J.,T.Tamada und T.Tsuchiya(1978):Visita de tecnicos japoneses en soja. LA GASETA 1978.3.9

02 Akai J.,T.Tamada und T.Tsuchiya(1978):Visita de mission japonesa al INTA. 1978掲載

03 Tsuchiya T.(1979):Mejoramiento genetico para el cultivo de soja. LA NACION 1979.2.17

04 土屋武彦(1979):大統領,大豆栽培にもっと力を,アルゼンチンから帰国,十勝農試職員も昼食会に,北海道新聞1979.10.10

05 土屋武彦(1980):こんにちは,南米は有望な食糧基地です,アルゼンチンから帰国した道立十勝農試研究員土屋武彦さん,北海道新聞1980

06 砂田喜与志・土屋武彦(1981):大豆の育種勉強,アルゼンチンから四人目の研修者,北海道新聞1981.8.12

筆者以外の文献も公表されているが、本稿では省略した。

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恵庭の樹-6、「はなふる」のシンボルツリー(楡)

2022-06-04 17:58:39 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

「はなふる」のアクセント樹・・・

2020年11月、恵庭に花の拠点「はなふる」が誕生。2022年6月25日~7月24日には此処を拠点に「第39回全国都市緑化北海道フェア(ガーデンフェスタ北海道2022)」が開催。花のまち恵庭の花の拠点に相応しく、人々が集う場所となった。

「はなふる」のガーデンエリア設計監修は高野ランドスケーププランニング株式会社の代表取締役村田周一氏。他に、北海道を代表する11名のガーデナーが趣向を凝らした7庭園を設計している。

「はなふる」を訪れて最初に眼に入るのは、ガーデンエリア中央の広場であろうか。広い緑の芝生と円形の回遊路。個々の庭園がこの空間を取り囲むようにある。各庭園の花々にも癒されるが、訪れてホッとするのはこの広場ではあるまいか。

この広場にある一本の「ハルニレ」。他の樹々が新たに栽植されたものだが、此の大樹は元々あった場所に残されたものだろう。この樹を此処に置いた設計者の意図は分からないが、ひと際目立つこの大樹は「はなふる」のシンボルツリーに相応しい。勝手ながら「恵庭の樹」リストに登録することにしよう。

ところで、旧保健センターの駐車場脇にあった「恵庭三四会20周年記念植樹(平成8年10月16日建立)」はどうなったのだろう? と、気になって探したら、シンボルツリーの対面(北側)に移植されていた。

◆「はなふる」のシンボルツリー

 

恵庭三四会20周年記念樹

左は移植前、右は移植後)

高野文彰君を悼む 

設計監修に携わった「高野ランドスケーププランニング」の名前を聞いて、朋友高野文彰君を思い出した。彼は大学の同期生である。

同窓会名簿によれば、農学部農学科昭和41年3月卒業生は14名。教養課程を経て学部移行したのは定員割れの18名(5講座、定員25名、留年する者もいたので卒業が14名)だったので谷間の学年と言われた。講義以外の活動に熱心な輩が多く、あまり真面目な学年ではなかった。高野君は園芸第二講座で造園学専攻だったが、どちらかと言えば馬術部専科、晩年まで馬と共にあった。仲間内ではダンデイー高野で通っていた。卒業後、日本技術開発を経てジョージア大学大学院修了、USAでの設計事務所勤務体験を経て帰国したと言う。

小生は植物育種学を専攻、卒業後は農業試験場で泥臭く働いていたので交友はなかったが、時を経て平成26年(2014)3月恵庭での講演会で再開した。十勝で同期会でもやるかと話していたが叶わず、昨年の新聞で逝去したことを知った。高野文彰(高野ランドスケーププランニング社創業者・取締役会長)、令和3年(2021)8月31日永眠。享年78歳。そんな年齢なんだと我が身を振り返った。 

同社HPによれば、高野ランドスケーププランニングは1975年に東京でスタート、バブル期の1990 年に会社を北海道に移転。「デザインと創造性」「参加型公園づくり」「森とエコロジー」の3つを得意分野とし、それらの3つがお互いに刺激しあい、ダイナミックにプロジェクトを展開。マレーシア、フランス、台湾など海外でも活躍し、近年は中東、サモアなどでも展開している、とある。受賞に輝くプロジェクトは数多く、「十勝千年の森(清水町)」「あさひかわ北彩都ガーデン(旭川市)」「大雪森のガーデン(上川町)」「ナチュの森(白老町)等は誰もが知っている。

高野君は同社取締役会長としてIFLA(国際造園家連盟)環太平洋アジア地区会長、IFLA副会長職にも就任。また、高野ランドスケーププランニングでの45年間の全軌跡を、高野文彰著「ランドスケープの夢」として刊行したと聞く。

君が描いた千年の夢は何だったのか、著書を手にして君を偲びたいと思った。

ともあれ、「はなふる」の象徴樹ハルニレは、君の思いを恵庭の子供たちに伝え続けることだろう。今日も散歩の途中「はなふる」に立ち寄り、時を重ねるハルニレの姿に君を重ねた。

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