豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

ヤブツバキと椿油,伊豆の里山-5

2013-08-23 16:35:26 | 伊豆だより<里山を歩く>

ヤブツバキCamellia japonicaツバキ科ツバキ属,日本原産の常緑樹である。伊豆大島利島が有名であるが,奥伊豆の山々にも多く見られる。

樹高は通常5-6mだが最大20mに達する。赤い花,表面につやがある濃緑色の厚い葉,灰白色の滑らかな木肌が美しく,古くから絵に描かれ詩歌に詠まれるなど愛された樹木である。近世になると茶道のお茶花として(一輪挿し)珍重された。

また,江戸時代の大名や公家が園芸樹として愛好したことから多くの園芸種が作られ,西洋に渡ってからも改良が進み,花色・斑入り・絞り・一重・八重・大輪から小輪まで多様な鑑賞品種が多数開発された。その結果,ツバキのイメージは豪華になったが,本来の美しさは侘びを秘めたヤブツバキにあるのではなかろうか。

 

ヤブツバキは花弁が個々に散るのではなく,基部でつながって丸ごと落ちる。ポトリと言うよりボタッとかなり重い音だ。思わず何事かと,振り返らせるような湿った響きである。

その音に,何故か「・・・蛙飛び込む水の音」を連想していたら,裏木戸から出て来た祖母が言った。

「首が落ちる様子を連想させるので忌み嫌う。お見舞いには持って行かぬ」

「へー,そんなものか?・・・」

と思いながらも,小路に敷き詰められたツバキの絨毯が木漏れ日を浴びた美しくしさに見とれた。その光景は,忌み嫌うと言う表現からかけ離れていた。

振り返ると,牛舎尿溜めに落ちた一輪の花弁が青く変色している。子供の眼には,これこそ不思議な現象で興味をそそられた。

「アンモニアの所為か?」

と,落ちていたヤブツバキの花に小便を掛けてみたが,すぐには変色しなかった。

 

花が落ちて,青い実が赤く色づき,中から黒褐色の実がこぼれるころ,祖母はその実を拾い集めた。「何にするのだ?」

「油を搾る,髪に付ける椿油だ」

祖母は天日で乾燥させた子実を油屋(製油所)に持参し,搾油してもらうと言う。

 

油屋は山を越えた隣村の河津見高にあった。今井浜からしばらく坂を上った所の油屋は,農家の納屋を改造した建物に搾油機を備えていた。圧搾して油分を分離し,濾過精製する機械だったのだろう。作動中の機械から流れ落ちる油が,窓からの光を浴びて黄金色に輝いていたことを思い出す。帰りに,河津浜で磯遊びして貝を漁った記憶もリンクする。

当時は,第二次世界大戦が終わったばかりの頃で,何もかも自給自足の生活であった。油と言えば,菜種油に椿油。それぞれ地場で賄っていた。しかし,その後の経済成長は田舎の油屋(椿油製造販売)という文化を消し去った。

 

椿油は,オレイン酸やリノール酸など不飽和脂肪酸を多く含み(75%),食用,化粧品(髪油・スキンオイル),薬用,工業用などに用いられる。古くから,日本刀の磨き油,木刀,碁盤,櫛など木製品の艶出しにも使われてきた。和製オリーブオイルとの呼び方もあるようだが,今や純粋椿油の生産量は少なく貴重品に近い。

 

伊豆の里山に油屋(椿油製造販売)文化が蘇る日はあるのだろうか? 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メジロと「鳥もち」,伊豆の里山-4

2013-08-12 17:36:23 | 伊豆だより<里山を歩く>

家の裏に,幹の直径が3040cmを超えるようなヤブツバキCamellia japonica)の大木が何本かあった。木登りして遊ぶこともあったが,幹の表面が滑りやすく何度か落ちた記憶がある。

花の咲く頃にはメジロZosterops japonicas,Japanese White-eye)が群れていた。

「どれがメジロだ?」

「目の周りが白いだろう」

「なるほど,ああそれで分かるか・・・」

メジロは,緑がかった背を持つスズメより小型の鳥で,目の周りの白い輪が特徴である。甘い蜜を好み,頻繁に鳴き交わしながら群れでやって来る。

 

祖母の従兄である彦恒爺さん,良い声で囀るメジロを飼い「鳴き合わせ」を道楽にしていたが,この頃になると囮の鳥籠と「鳥もち」を持って現れた。器用な手つきで「鳥もち」を枝に巻き,近くに囮の鳥籠を吊り下げる。太平洋戦争は既に始まっていたが,伊豆の山奥ではまだ彦恒爺さんのような道楽が許されていたのだろう。

 

見物していた子供等は,メジロよりも「鳥もち」に興味を覚えた。近所の遊び仲間で年長の餓鬼大将Fが声を掛ける。

「鳥もちは,どうやって作るのだ?」

「 モチノキの皮で作る」

「モチノキ?」

数か月後であったか,翌年だったか, 文男は何処で手に入れたか「鳥もち」を竿に巻きつけトンボを追っていた。

 

幸いなるかな,我が家の水場の横にモチノキが一本あったので,皮を剥いで「鳥もち」製造に挑戦しようとした。だが,「鳥もち」で昆虫や小鳥を捕えた記憶は全くない。メジロを飼育した記憶も残っていない(祖父に鳥籠を作ってもらったが)。恐らく,鳥もち製造計画は中途で頓挫したのだろう。中途半端で諦めてしまう淡白な性格は,どうやら今になっても治っていない。

 

さて,この「鳥もち」だが,モチノキ(Ilex integra)やヤマグルマ(Trochodendron aralioides)から作ることが多い。樹皮を細かく砕いて水洗いし,水に不溶性の粘着質物質(ワックスエステル,半固体蝋)を取り出して得られる。実際には,樹皮を袋に入れ流水に数か月晒して木質部を腐敗させ,残った不溶性のもち成分を集めて作る。水に入れて保存していた。取り扱いも水で湿らして行うか,唾を点けながら枝に巻く。乾くと粘質性が強くなり,止まった小鳥が飛び立てなくなるのだ。

 

第二次世界大戦の頃まで子供等は「鳥もち」を手に昆虫を追いかけていたが,今その姿を見ることは無い。「鳥もち」は現在禁止猟具になっている。

た,日本人と関わりが深いメジロも乱獲密漁により生態系が壊れ,国際自然保護連合によりレッドリスト指定を受け,愛玩飼養のための捕獲が原則禁止されている(環境省2012)。

 

江戸の文化・風流が消えてしまった事例が此処にもある

 

今春,伊豆の山道を歩いた。ウグイスの声は終日聞いたが,メジロの囀りは耳にしなかった(季節・時期の違いもあるかな?)。集落の人口は激減,森の荒廃は勢いを増している。ヤマツバキの大木も数が減った。子供の頃遊んだような(限界集落という嫌な言葉を使わせない),里山を取り戻す術はあるのだろうか

 

自然の歪み,社会構造(地域,年齢,経済など)の歪みと格差が拡大している

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

枝豆(えだまめ)の歴史,美味しい北海道産でしょ!

2013-08-07 17:14:47 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

枝豆の季節がやって来た

小学館デジタル大辞典には,「枝豆,大豆を未熟なうちに茎ごと取ったもの。莢のままゆでて食べる。月見豆。枝豆の真白き塩に愁眉ひらく/三鬼」。また,講談社の「日本語大辞典」には,「ダイズを完熟前に枝ごと収穫したもの。さやのままゆで,中の種子を食べる。たんぱく質に富み,栄養価が高い」とある。枝豆の塩ゆでは,今やビールのつまみとして定番になっている。

 

◇いつ頃から?

奈良・平安時代には食べられていたとするのが定説のようだ(Wikipedia)。しかし,わが国への大豆伝播が縄文後期とされることを考えると,若莢を「えだまめ」として食べ始めたのはもっと古い時代かもしれないが定かでない。鎌倉時代の日蓮が寄進信徒に出した礼状に「枝大豆」と記載されたものがあり(未確認),これが最初の記録だろうか。その後,江戸時代になって「枝豆」と言う言葉が定着したようだ。

 

興津要は「食辞林」(ふたばらいふ新書1997)の中で,秋の味を代表する食品の一つとして「枝豆」を取り上げ,4句を紹介している。

・・・枝豆や莢噛んで豆ほのかなる(松根東洋城)

   枝豆もはじけるころは初月見(柳多留86

   枝豆と兎は月を見てはねる(柳多留76

   文使い枝豆売りとすりちがい(川傍柳1)・・・

 

最初の句は,未熟莢を茹でて食べたとき(枝豆),ほのかな香りを感じる様子を読んでいる。また柳多留の二句は,枝豆を八月十五夜に供える風習が当時あり,月見豆とも称したことが伺い知れる(今ではこの風習も薄れているが)。四番目の句は,興津によれば「十五夜の晩に客に来てほしい誘う遊女からの文使いと,十五夜に供える豆を売る枝豆売りとがすれちがった吉原遊郭の光景」であるという。

 

江戸の枝豆売りの始まりは明和年間(1764-72)のことで,東京日本橋中洲の埋め立て工事のさい,作業員が昼休みに枝豆を茹でて売って好評だったことが,枝豆売りの語源になったという。江戸時代の雑記「江戸見草」には・・・六月初めより,「枝豆や,ゆでまめ」と,町々,武士小路売り歩く。はじめより八月,九月になりても,一把四文ずつなり・・・とある(参照,興津要「食辞林」)。

 

大豆若莢の食習慣は,日本・中国などに限られていた。ヨーロッパやアメリカで「えだまめ edamame, green soybeans」が食べられるようになったのは2000年ごろ,海外で日本食ブームが起きてからではないだろうか。

 

◇どこが主産地?

農林水産省の統計データ(2011)によると,国内栽培面積は12,800ヘクタール,年間出荷量は47,400トン(生産量は66,100トン),主な産地は千葉県14%,北海道11%,埼玉県9%,群馬県9%,山形県7%,新潟県6%,秋田県6%などである。生鮮枝豆の出荷は5月の千葉県産の出荷に始まり,需要が拡大ずる78月にかけて多くの産地から出荷されている。

 

生鮮枝豆の輸入は少なく700800トンである(輸入元は台湾が90%を超える)が,冷凍枝豆の輸入は約67万トンに達する。輸入元は台湾3040%,中国3040%,タイ1020%,インドネシア5%などである。20年前は台湾からの輸入が殆どであったが,その後中国・タイでの生産が増加し,近年はタイやインドネシア産が増加傾向にある。

 

一方,最近になって日本産が香港や中国などへ輸出される事例がみられる。彼の地の消費者に高級・安全志向が生まれたのかも知れない。

 

◇美味しい品種?

枝豆の種類(品種)は多い。公的機関の育成品種もあるが,多くは種苗会社が品種改良し種子を販売している。市販されている主な品種は,白毛種群(一般的に枝豆と称されるもの,黄豆系統とあお豆系統がある)と特徴を活かした茶豆群,黒豆群に大別される。

白毛種群には「サッポロミドリ」「湯あがり娘」「大袖の舞」「サヤムスメ」など,茶豆群には香りがよく甘みが強い「だだちゃまめ」「越後ハニー」などが栽培され,黒豆群には甘みが強く風味豊かな「丹波黒」「紫ずきん」などがある。

 

◇北海道の枝豆

北海道における大豆栽培の記録は,永禄五年(1562)に渡島国亀田郡亀田村で栽培された五穀の中に大豆が含まれていたとするのが最も古い。その後明治に入ると各地で試作されるようになり,大豆栽培は北海道開拓と共に広まった。入植者は味噌や醤油を作る目的で大豆を播種したが,若莢を枝豆として供することもあったろう。そのような中で,「枝豆として食べて美味しい」品種が語り継がれ,現在に至っている。

 

◇往年の枝豆品種「秋田」系大豆(明治25年~昭和40年頃)

渡島の国大谷地の苫米地金次郎が移住の際携帯した秋田大豆から選出した「大谷地」に由来する品種群。開拓と共に道南から道央・道東まで広まった。「大谷地2号」「キタムスメ」に代表される暗褐目の中粒種(秋田銘柄)で,糖含有率が高く,味噌,納豆,枝豆用として味が良いと評価が高かった。

 

類似の特性を有する早生品種「奥原1号」は,早期出荷用の品種として関東で栽培された実績があり(北海道は種場としての生産が継続された),民間枝豆品種の親としても利用された。

 

昭和40年代に冷凍枝豆の生産が始まると,褐毛の毛茸は汚れと間違われるため冷凍用には向かないとされた。

 

◇枝豆は,何と言っても「大袖振」系でしょう

北海道には,「大袖振」と呼ばれる(銘柄)の品種群がある。種皮色が黄色地に緑色が腹部から鞍掛け状に覆う黄緑色の種類である。古くは,「吉岡大粒」「吉岡中粒」などが栽培され,特に「吉岡中粒」は「早生袖振枝豆」の名前で呼ばれることもあり,主として枝豆用に供された。

昭和30年以降は,「早生緑(昭29)」「アサミドリ(昭37)」「音更大袖」が選抜育成され,栽培の主体もこれら新品種に替わり,枝豆,製菓用品種として人気を保っている。これら品種群は褐毛,黒目(音更大袖は褐)であるが,糖含量が高く味が良いとの評価が高い。

 

◇冷凍枝豆には「白毛」大豆(昭和40年~)

昭和40年代になると冷凍技術が進み(供給の安定化が求められたこともあり),冷凍枝豆の生産が行われるようになった。冷凍製品の品質としてブランチ後の莢色などが需要視されるようになり,白毛品種の「トヨスズ」が使用され,その後も白目中大粒の「とよまさり」銘柄品種が使われてきた。

一方,「大袖振」大豆の枝豆適性(うまみ)を導入した白毛品種開発の努力がなされ,「サッポロミドリ」「大袖の舞(平4)」などに代表される白毛大袖振系統群が誕生した。そして今,これらの系統群が主流をなしている。

北海道では他にも,白目極大粒の「鶴の子」大豆を枝豆に供してきた流れがある。

「茶豆」「黒豆」など多様化の時代がきた

北海道における茶豆の栽培は緑肥用の「茶小粒」だけで,枝豆用の品種はなかった。山形県の「だだちゃまめ」,新潟県の「越後ハニー」などの良食味品種が脚光を浴びると,これに繋がる茶豆品種を枝豆用に庭先栽培する人が出てきている。

黒豆については,北海道産「光黒」が西の「丹波黒」に対峙して生産されてきた歴史がある。黒豆は湯煮後の莢の色が黒ずむので,最近まで商品化の試みは無かったが,「枝豆は黒豆に限る」と通を意識する人々は昔から黒豆に執着していた。近年,「紫ずきん」など「丹波黒」系の枝豆用黒豆が開発され注目されているが,北海道でも「光黒」系の黒豆品種を枝豆に供する事例が見られるようになった。

この他,北海道では極早生の枝豆用品種として「坂本早生」が栽培された歴史がある。「吉岡中粒」や「奥原1号」より早生で,種皮色が淡緑色の地に黒色が腹部から鞍掛け状に覆う中粒種である。大袖振系よりはっきりした文様で「鞍掛大豆」と呼ばれる。これも美味。

さあ,もぎ立ての枝豆をつまみにビールで乾杯!

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大豆の播種期」が早まっている(南米農業事情)

2013-08-01 17:59:12 | 南米の大豆<豆の育種のマメな話>

2013年の或る日のこと、帰国したばかりのKさんから電話があり「パラグアイでは最近,大豆の播種期が早くなった」と聞いた。

K氏は,パラグアイ大豆育種研究協力に参画した20年前からずっと同国大豆育種の現場でご苦労され,先月(20136月)任期を終え帰国したばかりである。

「以前は11月に播種していたが,最近は9月に大豆を播き始める」

と生産現場の変化を述べ,早播になった理由と問題点を指摘した。

◇後作(大豆収穫後)にトウモロコシを播くようになり,播種期が早まった。

◇中生種から早生種へ品種構成が変化した。

◇中生種のカメムシ被害が増加している。

◇莢先熟が発生し,コンバイン収穫前に除草剤による茎葉枯凋処理を行う生産者がいる。

 

大豆の播種期が早まっているとの情報は,10年前(2002326日)にアルゼンチンを訪問したときにも聞いた。パラグアイの特異例ではなく,南米大豆作全般の傾向であるのだろう。

 

農牧省マルコス・フアレス農牧研究所(INTA)ラタンシイ場長(当時)の言葉を思い出す。

「貴方がINTAにいた頃に比べ,播種期が早くなっている。従来の播種適期は11月だったが,現在10月播種になった。そして,品種も早生が多くなっている。湿潤パンパ地帯(特にサンタフェ州からコルドバ州)で作付けされる品種は,かつて熟期Ⅵ~Ⅶ群が主体であったが,近年Ⅲ~Ⅳ群の品種が多くなった。品種改良により早生群でも多収が得られるようになり,播種期が早まったのだろう」

その時の報告書を開いてみると,「パラグアイ大豆研究プロジェクトでも早播き適応性・晩播き適応性品種の育成成果が出た時には,もう一度播種期を見なおす検討をしたら良い」とある(任国外出張実施報告書,2002)。

 

従来,大豆の播種適期は11月とされた。これは,この時期に雨量が多くなる気象条件や播種期試験の結果に基づき設定されたものである(だが近年,降雨時期が変化したとの見方がある。不耕起栽培により播種期の適応幅が拡大した)。

 

筆者らが実施した2006/07年の播種期試験では10月下旬~11月上旬が多収で,従来の知見よりは半月ほど早かった(参照-土屋武彦2007:専門家技術情報第4号,パラグアイにおけるダイズ品種の播種期試験2006/07JICA-MAG)。一方,生産現場ではアルゼンチンから導入されたGMO大豆が早生のため,既に更なる早播化が進行していた。

 

同じころ,CRIAのプロジェクトではこの現象に対応するため,トウモロコシの前作に適応する早生の多収品種「Guaraní」を発表し(参照-土屋武彦2006:大豆新品種CRIA-4Guaraní)とCRIA-5Marangatú)の育成,専門家技術情報 第1号,MAG-JICA),その早播適応性を活かしパラグアイ東部の地帯に普及させようとした。K氏の話では,本品種は数百ヘクタールの規模ではあるが栽培されていると言う。

 

大豆を早く播くようになった要因は,大豆後作にトウモロコシを導入し有機物還元を図ろうとする考えに基づく。当地の従前栽培体系は大豆連作の継続であることから,地力維持のためにトウモロコシ導入は望ましい方向である(二期作に進むのは望ましくない)。

 

9月~10月の早播栽培を成功させるためには,早生品種の導入が必須だが,早生品種の収量水準や適応能力の改善が極めて重要になってくる。K氏が指摘した「莢先熟」の問題も,品種改良や総合的な栽培技術改善(栽植密度・栄養生理・病害虫対策)が必要である。技術開発の進展を期待したい。

 

ちなみに,早生品種は生育期間が短いため晩生品種より少収であるが,人類の歴史の中には早生品種の収量水準向上を実現した事例は数多くある。ここでは北海道の大豆について触れよう。例えば,「十勝長葉」から「北見白」「キタムスメ」,「トヨスズ」から「トヨムスメ」「トヨコマチ」「ユキホマレ」など最近の品種変遷をみても明らかである。

育種の評価は,画期的な大品種を称賛するにとどまらず,一歩ずつ着実に前進して蓄積されること,すなわち継続性の成果をこそ見るべきでないか。

 

なお,播種期試験と新品種「Guaraní」については,当ブログ「パラグアイにおける大豆品種播種期試験(201168日),「パラグアイ大豆,4粒莢の多い早生品種Guaraní2011716日)に記載している。

 

  

     播種期と大豆収量(パラグアイ)

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする