中南米大陸に栄えたマヤ,アステカ,インカ帝国など「インデイオ文明」が滅びたのは,15世紀末コロンブスによるアメリカ大陸発見以降のスペイン侵攻に始まる。16世紀に入るとスペインは,航海大国をめざし黄金を求めて殖民征服事業を推し進めた。
インカ帝国の滅亡を描いた各種書物によると,スペイン軍は甲冑に身を固め馬に乗り,村に入ると老人や子供までも無差別に虐殺し,ある時は策を弄して黄金を略奪し,残虐極まりない行為を繰り返したと記されている。その状況は目に余るものがあったはずである。征服軍にはキリスト教司祭も同行していたが(大義は布教だが,実際は従軍神父として兵士を弔う目的があった),これらの行為をどのように捉えていたのだろうか?
コロンブスが大陸に到達した翌年の1493年5月,教皇アレクサンドル六世はスペイン国王にあて「贈与大勅書」を発布した。この勅書は国王に征服した土地の支配権を与え,それによりインデイオにキリスト教を布教し,インデイオにキリスト教の信仰を確立することであった。だが実際の軍の行為は,インデイオの村に押し入り残虐を尽くし,黄金を略奪することになったのである。
さすがに,これらの行為に心を痛めた神父もいたのであろう。行為を正当化するために,「降伏勧告状」と称する詭弁が考え出されている。インデイオの村を攻撃する前に,村の入り口で文書を読み上げるというのだ。
「この土地はローマ教皇によりスペイン国王へ贈与された。それ故,スペイン国王の支配下に入り,キリスト教の布教を受けよ。さもなくば,捕え財産も没収するから心得よ。戦で命を落とし被害を蒙ることになっても,それはお前等の責任であり,これは正当な戦いである・・・」
しかし,突然現れた異国人が早口でしゃべるのを,誰が聞いていたというのだろう。たとえ聞いたとしても,それに従うお目出度い人間が何処にいるのであろうか。結果は,教皇と国王の権力を笠に着て,暴虐の限りを尽くす征服者の姿が其処にあった。
この侵略論理はどこにあるのか?
修道士ラ・カサス(新大陸における蛮行を告発し続けた)に対峙する論敵の言葉として,概略以下のようなことが述べられている。
「インデイオは偶像を崇拝し,人間を生贄にささげ,野蛮人である。このような愚鈍な人間は徳の高いスペイン人の支配に服従すべきだ。支配を拒否する場合は戦いを仕掛けて征服し奴隷とする,これが正義である。真の宗教を信じるスペイン人に征服されれば,インデイオは慈悲心や文明を身に着け魂が救済されるのだから,大きな恵みを受けることになる。金銀はインデイオには必要ないものだ。その代わりに鉄を手に入れることができ,文明が進化する。小麦や農畜産技術もスペインが持ち込んだもので,十分な代償ではないか」(参照-岩根圀和著「物語スペインの歴史人物編」)
これに対して,ラ・カサス(Bartolome de Las Casas)のような聖職者がいたことは救いである。彼は,1484年スペインのセビリア生まれ。1502年に新大陸へ渡るが,コロンブス率いるスペイン軍による略奪と虐殺を目のあたりにする。1506年セビリアに戻って司祭職となり,従軍司祭として再び新大陸に渡る。そこで,スペインが国家を上げて進めていた殖民征服事業における不正行為と先住民に対する残虐行為を告発することになる。その後1547年にはスペインに戻り,ロビー活動や執筆活動で生涯告発を続けた。
しかし,大義をかざす布教の構図は今も変わっていないのではないか。世界のあちこちで繰り返される紛争にも,ご都合主義の大義が見え隠れする。インデイオ文明滅亡の歴史が繰り返されているようにさえ思える。
インデイオは我々とルーツを一つにするモンゴロイドであるが,太陽や自然の神々を崇拝し,高い文明を築いていた。征服者が自分たちの宗教を強制する必然は何だったのか。黄金略奪が目的であったと言わざるを得まい。そのために,都合の良い論理(思想)が構築される。今もこの時のように,「贈与大勅書」「降伏勧告状」が罷り通ってはいまいか。
インカの神話に「天地創造神ビラコチャ(Con-Tici Viracocha)は,髭を生やした大きな白い人間で・・・助けにやってくる」とあったため,インカの人々が初めて見るスペイン人にこの神話を重ね合わせ,ピサロ率いるスペイン軍に敗れたとの話がある。戦後の日本人も自由と平等を掲げるビラコチャをみたのではないか。昨今のグローバリズム論争も,後になって「ビラコチャと見間違えた」では済まされまい。
2011.12.29