アルゼンチンとパラグアイで暮らしていた頃のことである。
日本のニュースを伝えることなど滅多にない両国のメデイアが,「ヒロシマ」「ナガサキ」報道だけは決して忘れること無く,毎年「原爆の日」特集を組んでいた。南米諸国にとって日本は遠い国で,「トヨタ」「キャノン」「ソニー」等は知っていても,日本のニュースが日常生活に直接関わるような事象は少ない。が,「原爆」の実戦使用については例外で,自分たちの問題として捉えている。また,学校でも「ヒロシマ」「ナガサキ」については時間を割いている。「これが,この国の日本に対するスタンスなのだ」「なるほど,これが南米の教育なのだ」と,妙に納得したものだった。
8月のこの時期になると,かつて彼の国で見聞した,スペイン語新聞の紙面やテレビ画面に繰り返し流された原爆投下の映像を思い出す。
70年前の8月6日広島に,同9日長崎に原爆が投下された。
1945年8月6日午前8時15分,広島上空で爆発し一個の原子爆弾(ウラン)は一瞬にして市内を焦土と化した。その威力は,TNT火薬2万トンを上回り既存爆弾の2,000倍とされる。実戦で使われた最初の核兵器であり,爆心地周辺の地表面温度が3,000~4,000℃,被爆から2~4か月で9~16万人余が死亡した(当時の人口35万人中)とされている。さらに,今年の「原爆の日」には,この1年間で死亡が確認された5,359人を加え,総数29万7,684人が原爆死没者名簿に記載され慰霊碑に納められたと報道された。
1945年8月9日午前11時2分には,長崎に原子爆弾(プルトニウム,NTN火薬換算2万2千トン)が投下され,7万4千人余が被爆死している(人口24万人中)。今年の「原爆の日」平和祈念式典には,この1年間で死亡が確認された3,373人を加え,総計16万8,767人が原爆死没者名簿に記載され慰霊碑に納められたと報道された。
これ等の数値から理解できるように,原爆の特徴は,瞬時の大量破壊,無差別大量殺りく,放射線障害が長期に人々を苦しめる点にある。恐ろしいのは,70年を経た今なお原爆死没者が増え続けている事であろう。原爆廃絶に向けた不断の努力は当然のことながら,「原爆の日」には私たち個々人が70年前に思いを致し,核兵器廃絶と不戦の誓いを確認する気持ちが必要ではないだろうか。
「広島原爆の日」原爆犠牲者慰霊平和祈念式典には100か国の代表が,「長崎原爆の日」式典には76か国代表が参列して,原爆死没者の冥福を祈り平和宣言で不戦を誓ったと言う。恐らく同じ日に,地球の反対側にある南米諸国のメデイアも「原爆特集」を組んでいることだろう。
一方,わが国の「原爆記念日」報道番組で,街角インタビューに応える若者たちの姿は何と屈託の無いことか。「原爆の日? 知らない,9月だっけ・・・」「終戦記念日? いつだった・・・,第二次世界大戦の同盟国? アメリカじゃないの・・・」。これは,ほんの一部であると信じたい。平和を祈念して千羽鶴を折る子供等も多数存在するのだから。
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