猛暑日が続いた8月上旬,伊豆の田舎にいた。
お盆の前に墓地を掃除し,家の周りの片づけや草刈りもしなければと出掛けたのだが,北海道の暮らしに慣れた身には何しろ暑い。早朝の涼しいうちに作業をしなければと取り掛るが,10分も経たぬうちに汗が背中や腹部を流れる。額の汗で眼鏡が滑り落ちる。
熱中症で倒れたとニュースになるのも嫌なので,頻繁に水分を補給し,小休止する。木陰に腰を下ろすと,僅かな風にも汗が体温を冷やしてくれる。冷たくなった下着を換える。「ジージー」と蝉の声が降り注ぐ。合間に鶯が鳴く。
鶯と言えば「春告げ鳥」と呼ばれるように春の印象が強い。夏のこの季節に鶯の囀りが聞こえるのに一瞬「おや?」と思った。しかも,朝から昼過ぎまで一日中,「ホーホケキョ,ホーホケキョ,ケキョ,ケキョ・・・」だ。時折,「チャ,チャ・・・」と地鳴きも入れる。その声は賑やかでヒステリックでさえある。鶯は春先に里へ下りてきて「ホーホケキョ」と春を告げるので春鳥のイメージが強いが,実は夏の時期に山林の低木林や藪で繁殖し,囀りは2月初旬から8月下旬頃まで年中聞かれるのだと言う。山里に人間が突然現れて,自然の静けさを刈払機のエンジン音で妨害するのだから,鶯も頭に来ようと言うものだ。縄張り宣言と外敵への威嚇を繰り返す。
因みに,鶯はスズメ目,ウグイス科,ウグイス属,ウグイス種で,学名はHoromis diphoneである。体長が16cm(雄)~14cm(雌)で,オリーブ褐色の背と腹部は白色の全体的には地味な小鳥であるが,鳴き声は日本3鳴鳥に数えられる(他にオオルリ,コマドリ)。東アジアが生息地帯で,渡り区分は留鳥に分類されている。英名はBush Warbler(藪で囀る鳥),藪の中で姿は見つけにくいが鳴き声はよく通る。我が家も,そして小休止している場所もまさに奥伊豆の谷間の藪に囲まれた環境にある。
鶯の語源は,「春になると山奥から出てくる」(奥出づ)が転じたとの説がある。「奥伊豆」に繋がるなあと,暑さに火照った頭で勝手に考えた。
しばらくして身体の熱が冷めると,小川のせせらぎに気づく。水辺に小さな蝶が舞っている。
しかし,作業を済ました後方を振り返れば,強い陽射しを受けた灼熱の空間があり,刈払ったばかりの茅は見る間に乾き牧草の香りを漂わせている。江戸時代からこの近くの川沿いは「茅原野」と呼ばれていた。茅の多い浅薄な地域であったのだろう。耕作を止めた田畑は数年で茅原に変貌してしまう。子供の頃の記憶を辿れば,この谷間の棚田には多くの人々の営みがあり,美しい景色を誇っていたが,離農が進みいまはその姿が無い。
山村の高齢化が進み,離農に拍車がかかったもう一つの要因に「猪害」など鳥獣被害がある。
我が家の裏山に棲息している猪一家も,夜になると活発に行動し,畑を掘り返し,水が残る水田跡地で泥浴びをし,家に通じる農道脇の球根(山百合など)を漁り,軒下まで夜ごとやって来る。彼らは石垣を崩し,崖を上り下りするコースは崩れて獣道と化す。彼らが縦横無尽に生き,人間は彼らが崩した石垣を補修して回る。野生動物の天国である。此処で農耕を続けるためには,電牧柵など対策が必須であるが,これら防御法も万全ではない。共生共存の理屈だけで農業を存続させることは出来ない。「地方創生」の掛け声は大きく地方自治体も細やかな取り組みはしているものの,農政から見れば多くの里山は既に切り捨て対象地域になっているのではあるまいか。
子供の頃,年に数回であったが,猪猟から戻った猟師が分けてくれた猪肉を長葱と煮て食べたことが思い出される。肉など滅多に食べられない戦後のことで,「こんなに美味しい食べ物が世の中にはあるのだ」と思った時代が懐かしい。裏山の猪一家は,勿論そんな昔のことを知る由もない。
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