竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 前置漢文から日本挽歌を鑑賞する  報凶問歌

2011年09月03日 | 万葉集 雑記
万葉集 前置漢文から日本挽歌を鑑賞する

はじめに

 万葉集に日本挽歌の題名を持つ歌があります。この歌は山上憶良が作歌した歌で、前置漢文の序、やまと歌の長歌と五首の反歌を持つ、数ある万葉集の歌々の中でも異彩を放つものです。
 ここでは、その前置漢文から日本挽歌のやまと歌を鑑賞しますが、例によって、紹介する歌は、原則として西本願寺本の原文の表記に従っています。そのため、紹介する原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いです。ここでは原文・訓読み・私訳があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話で、学問ではありません。

 鑑賞の手順として、最初に原文、その訓読み試案と現代語訳を紹介し、その後にその試案の下となった前置漢文の序の解釈を説明いたします。前置漢文の序の解釈が、従来の解釈と大幅に違いますので、それにより、日本挽歌のやまと歌の解釈も全く違ったものになっています。なお、今回は資料参照が特殊ですので、それを参照される不便を配慮して文末に参照した古典の文章を載せています。ただし、その漢文訓読みは素人の無知に由来しますので、原文参照の範囲に留めていただければ幸いです。
 御承知のように万葉集巻五の掲載順序では、巻頭に神亀五年六月二十三日の日付を持つ大伴旅人の「報凶問歌」が置かれ、次に神亀五年七月二十一日の日付を持つ山上憶良が詠う「日本挽歌」、「令反惑情謌」、「思子等謌」、「哀世間難住謌」の四歌が順に配置されています。この歌の配置とその内容から、大伴旅人の「報凶問歌」と山上憶良の「日本挽歌」とは関連性があるものと酔論して「日本挽歌」を鑑賞します。つまり、山上憶良が「報凶問歌」を読んだ上での返書であると捉えています。ただし、山上憶良の詠う四歌について、その奉呈での「上」と「撰定」との用字の違いを酔論して、四歌は公務先の筑前国嘉摩郡から大伴旅人に奉呈されたが「日本挽歌」と他の「令反惑情謌」、「思子等謌」、「哀世間難住謌」とは違う意味合いで奉呈されたと考えます。そのため、大伴旅人の「報凶問歌」と山上憶良の「日本挽歌」についてだけ、ここでは鑑賞します。


報凶問歌

最初に、この酔論の元となる大伴旅人の「報凶問歌」を紹介します。

大宰帥大伴卿報凶問歌一首
標訓 大宰帥大伴卿の凶問(きょうもん)に報(こた)へたる歌一首

(書簡文)
禍故重疊 凶問累集 永懐崩心之悲 獨流断腸之泣 但 依兩君大助 傾命纔継耳
(筆不盡言 古今所歎)

序訓 禍故(くわこち)重疊(ようてふ)し、凶問(きょうもん)累集(るいじふ)す。永(ひたふる)に崩心の悲しびを懐(むだ)き、獨り断腸の泣(なみだ)を流す。ただ、兩君の大きなる助(たすけ)に依りて、傾命を纔(わづか)に継ぐのみ。(筆の言を盡さぬは、古今の歎く所なり)

私訳 禍の種が度重なり、京からの死亡通知が机に積み上がります。いつまでも、心が崩れ落ちるような深い悲しみを胸の内に抱き、独り 身を切り裂くような辛い涙を流しています。ひたすら、両君の大きなご助援により、私の命をかけて、これから、我が使命を継いで行くだけです。(手紙で伝えたいことを伝えきれないのは、昔も今も、そのもどかしさを嘆くところです。)

別訳 禍の種が度重なり、京からの死亡通知が机に積み上がります。いつまでも、心が崩れ落ちるような深い悲しみを胸の内に抱き、独り 身を切り裂くような辛い涙を流しています。ただ、両君の大きなご助援によって、死の淵をさまようこの身を、ようやく、この世につなぎ止めているだけです。


集歌793 余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理
訓読 世間(よのなか)は空(むな)しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり

私訳 人の世が空しいものと思い知らされた時、いよいよ、ますます、悲しいことです。

神亀五年六月二十三日

 この「報凶問歌」の書簡文の「禍故」の言葉とは、大乗仏教の僧侶の戒律を規定する梵網経菩薩戒の一節「不宜得財者、謂用財造悪、或因財得禍故」に示すように「禍の原因、禍の種」を意味します。また「凶問」の言葉は、唐書の一節「因是道路阻絶、一時未知煬帝凶問」に示すように「死亡、死亡通知」を意味します。従って、この書簡文の内容に従えば、大宰府に住む大伴旅人の身の回りの人々の死亡ではなく、遠く、奈良の京に住む人々の死亡通知が相次いだと解釈するのが相当になります。つまり、大伴旅人は大宰師ですから「凶問」の意味するものは、令規定に従い奈良の京からの五位以上の官位を持つ人々の死亡通知とその関係者への喪の処置が公式伝達されたと解釈するのが本来となります。そこから、書簡文の前半部を、その公式の死亡通知の数の多さと記される名前に、大伴旅人が涙したと解釈するのが本来ではないでしょうか。
 次に「傾命」の言葉には、「命が傾く」と云う意味の他に「命をかけて物事を行う」と云う意味があります。一般には「報凶問歌」の書簡文では「傾命」の言葉を「命が傾く」と解釈しますが、漢字の「纔」の言葉に「かろうじて、やっと」と云う意味の他に「今、始めた」と云う意味もあることから、ここでは「依兩君大助」の「大助」の言葉に注目して「傾命」の言葉を「命をかけて物事を行う」、「纔」の言葉を「今、始めた」と解釈しています。それが私訳の示すものです。つまり、「依兩君大助」に対する大伴旅人の決意表明のような感覚で前置漢文の内容を捉えています。当然、その「『大助』とは何か」が問題になりますが、この「報凶問歌」ではそれが示されていません。万葉集巻五全体が一つの壮大な叙事詩であると想う時、その中に答えが示されると思います。推定で、藤原房前と山上憶良による「何か」です。
 なお、やまと歌の解釈としては、書簡文の前半部に対して歌を詠ったと解釈していて、後半部の「傾命纔継耳」に対するものではないとする立場をとります。


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