竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 鮒と鰒を鑑賞する

2011年03月07日 | 万葉集 雑記
万葉集 鮒と鰒を鑑賞する

 万葉集に載る鮒と鰒の歌を鑑賞しますが、例によって、紹介する歌は、原則として西本願寺本の原文の表記に従っています。そのため、紹介する原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や一部に解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話で、学問ではありません。そして、特に今回は「経験豊かな成人」を前提にした与太話であることを了承願います。

 最初に、万葉集に載る鮒と鰒の歌を鑑賞する前に大人の与太話を紹介します。この大人の与太話が、歌の鑑賞の前提であることをご了解ください。その与太話からの「呆訳」です。
 さて、唐突ですが隠語の話をしてみたいと思います。古い言葉ですが「岐神」と記して日本書紀に、その訓みが「此云、布那斗能加微」と記されるように「フナドノカミ」と訓みます。また、古事記ではこの岐神のことを衝立船戸神(ツキタツフナドノカミ)と紹介します。この岐神は、平安時代以降からか道教の庚申・道祖神信仰と結びついて本来は大和神の「塞之大神」や「道反大神」が担っていた役割を肩代わりさせられ、地域の境界を守る御塞神(オサイジン)として解釈されるようになりました。そのためでしょうか、現在の解説では、この「塞之大神」や「道反大神」の役割や道祖神との習合を下にして岐神を説明するのが過半と思います。
 ところが、どうも大和の民にとって本来の岐神とは、日本書紀の一書に紹介される「是謂岐神、此本号曰来名戸之祖神焉」の「来名戸之祖神(クナトノオヤカミ)」であって、勃起した男性器や男性が性交することを顕わす神であったようです。そのためでしょうか、この本来の姿である岐神に対してでしょうか、陰陽物や陽物を奉納する風習が全国各地に残っています。また、子宝授受や夫婦和合を願う時の神とされています。その風習の一例として扶桑略記の天慶二年の項目には、「臍下腰底刻繪陰陽、・・・、号曰岐神。又稱御霊」と紹介されています。
 つまり、古代から中世の知識者には、漢字表記での「岐神」の詞を仲介して「フナトノカミ」と「クナトノカミ」とが、その役割とともに認識されていたと思います。隠語が隠語として成り立つには創り手と読み手との間に共通の認識が必要でしょうから、この岐神について「フナト」と「クナト」の文字遊びは成り立つと思います。
 飛躍ですが、これを前提に「鮒(フナ)」の字音から、引用する文脈において「フナト」の言葉のイメージが起き、さらにその「フナト」の漢字表記である「岐神」から「クナト」へのイメージ(勃起した男根)は浮かぶとの推定を取ります。ここが素人の素人たる特権です。
 次に、万葉集では海上沖合を示す言葉としての「オクヘ」は「奥邊」や「奥部」と記述するのが一般的ですが、万葉集の中で「奥弊」や「奥敝」と特殊な用字をした歌がそれぞれ一首あります。ここで、漢辞海からその解説を恣意的に引用しますと、この「弊」と「敝」の漢字には

弊;破れる、疲労する、疲れる、隠す、前に倒す。また、弊は蔽に通じる
敝;破れる、疲労する、疲れる、隠す。また、敝は弊に通じる

のような意味合いを取ることが出来ます。つまり、成熟した男女の関係を前提にしたときに「奥弊」や「奥敝」の漢字表記からは男女の関係において、その文脈によっては奥まった場所にある蔽われた閨での性交の情景をイメージすることも可能になります。逆に男女を詠う集歌625の歌の「奥弊徃」や集歌72の歌の「玉藻苅奥敝」の詞には隠語的な用法での「弊」と「敝」の用字を敢えて行ったのではないかと推定することも可能とする立場です。飛躍ですが「淫」や「陰」の漢字が持つイメージの感覚です。
 その「鮒」と「弊」との用字が共に使われているのが、つぎの高安王が詠う集歌625の歌です。当然、「訓読み万葉集」と「漢語と万葉仮名」で記された万葉集とでは、鑑賞する世界は違います。


高安王裹鮒贈娘子謌一首  高安王者後賜姓大原真人氏
標訓 高安王の裹(つつ)める鮒を娘子(をとめ)に贈れる謌一首  高安王は、後に姓(かばね)大原真人の氏(うぢ)を賜へり
集歌625 奥弊徃 邊去伊麻夜 為妹 吾漁有 藻臥束鮒
訓読 沖辺(おくへ)往(い)き辺(へ)を去(い)き今や妹がため吾が漁(すなど)れし藻(も)臥(ふ)し束鮒(つかふな)

私訳 池の沖に出たり岸辺を行ったりして、たった今、愛しい貴女のために私が捕まえた藻の間に隠れていた一握り程の大きさの鮒です。
呆訳 奥の閨へとやって来た、今夜は私の女となった愛しい貴女のために私が捜し求めました。それが貴女の美しい柔毛のところで貴女がしっかりと握っているこの男根です。


 この歌は、宴に招かれた女性に今夜は泊って行きませんかと云うような謎かけの歌とも取れますが、感覚で、くだけた宴での、その宴に出席している女性たちへ墨書して示す猥歌でしょう。この謎かけを理解して「応応」と答えれば、それが飛鳥・奈良時代の「清々し」と表現される女性の心意気を示すと思われます。
 これだけの謎かけの歌ですから宴に参加する娘子達からの答歌があっても良いと思います。そうした時、万葉集ではひとつ置いて次のような歌があります。ここで、集歌625の歌が宴での猥歌と推定した上で、それぞれの歌の標を一旦脇に置きますと、集歌625、集歌627と集歌628の歌は連続した宴での歌と解釈が出来ます。すると、普段の解説では集歌627と集歌628の歌とのそれぞれの「戀」の字を「変」の誤字として解釈していますが、そのような誤字説を採る必要性はなくなります。つまり、これらの歌は宴で出された肴の干物の鮒から詠いだされた集歌625の歌に隠された意味である貴女を抱きたいとの意を汲んで、娘女が詠う「鮒と鯉」との言葉遊びと「(鮒)戀水」の意味合いを許にした戯れの相聞として鑑賞することが可能になります。当然、猥歌では「鮒」が生きの良い男根なら「水」は女性の潤いです。


娘子報贈佐伯宿祢赤麿謌一首
標訓 娘子(をとめ)の佐伯宿祢赤麿に報(こた)へ贈れる謌一首
集歌627 吾手本 将巻跡念牟 大夫者 戀水定 白髪生二有
訓読 吾が手本(たもと)纏(ま)かむと念(おも)はむ大夫(ますらを)は恋(こ)ふ水(みづ)定め白髪生(お)ひにけり

私訳 私を抱きたいと強く思う立派な男子は、その干乾びた鮒が求める水辺(潤いの主)を決めて下さい。愚図愚図してるうちに、お二人の立派な男子の髪には白い髪が生えしまいましたよ。


佐伯宿祢赤麿和謌一首
標訓 佐伯宿祢赤麿の和(こた)へたる謌一首
集歌628 白髪生流 事者不念 戀水者 鹿煮藻闕二毛 求而将行
訓読 白髪生(お)ふる事(こと)は念(おも)はず恋(こ)ふ水(みづ)はかにもかくにも求めて行かむ

私訳 白髪が生えたことは思いもしませんでした。干乾びた鮒が求めるその水辺(潤い)を、とにもかくにも乞い求めて貴女の尋ねて行きましょう。


参考に一つ飛ばしました集歌626の歌を、次に紹介します。

八代女王獻天皇謌一首
標訓 八代(やしろの)女王(おほきみ)の天皇(すめらみこと)に獻(たてまつ)れる謌一首
集歌626 君尓因 言之繁乎 古郷之 明日香乃河尓 潔身為尓去
一尾云、龍田超 三津之濱邊尓 潔身四二由久
訓読 君により言(こと)の繁きを古郷(ふるさと)の明日香の川に潔身(みそぎ)しに行く
一尾(あるび)に云はく、龍田越え御津の浜辺にみそぎしに行く

私訳 貴方へのために、数々の恋の誓いをしました。故郷の明日香にある川に心を清めるために禊ぎをしに行きます。
或る尾句に云うには「龍田の山を越え、難波の御津の浜辺に禊ぎをしに行く」と。


 ここで、集歌626の歌が詠われた宴で、その宴に列席する男性の多くが明日香で生まれた人々ですと、歌意には鮒が取れた明日香の川に女性が素肌の下半身を沈め、今も元気に泳ぐ鮒に身を曝す意味合いも現れて来ます。ただ、上品過ぎて集歌625の歌の答歌にはなりません。やはり、集歌627の歌の方が面白いとして鑑賞しました。

 次にもう一つ、特別に「敝」の用字を使った式部卿藤原宇合が詠う「奥敝」の言葉が載る集歌72の歌を紹介します。この歌は、伝承では慶雲三年の文武天皇の難波宮への御幸の折りに、十三歳であった藤原馬養(宇合)に夜伽の女性があてがわれ、その翌朝に年少の馬養がその情景を詠ったものとされています。
 この歌には夜伽の女性に後朝として歌を贈ったものと云うより、からかいで昨夜の首尾を聞く大人たちへの答歌の感覚があります。この歌の背景の伝承と用字からの呆訳です。

集歌72 玉藻苅 奥敝波不榜 敷妙乃 枕之邊 忘可祢津藻
訓読 玉藻刈る沖辺(おきへ)は漕がじ敷妙の枕の辺(あたり)忘れかねつも
意訳 玉藻を刈るからとて沖遠くは舟を出すまい。敷妙の枕を交わした人が忘れられないものを。
呆訳 美人の柔毛を別け奥の閨ですることは疲れ果てもう出来ません。褥を敷いて待っていた美しい枕もとのあの人が忘れられないでしょう。
右一首式部卿藤原宇合
注訓 右の一首は、式部卿藤原宇合


 これから紹介する次の集歌327の歌は年増の宮中女官が女犯禁制の僧侶をからかうことに対して、僧侶からの軽い皮肉を込めた答歌として有名な歌です。ここで鰒は古来より女隠を顕わす言葉であることがミソです。なお、標の「賜」の用字から「或娘子等」は女性ですが通觀僧より身分は上ですから、宮中の女官であることが推測されます。
 なお、干鮑は神餞や饗宴での饌食の食材ですから、僧侶に贈答すること自体は特別に奇異なことでも淫靡な意味合いがあるわけではありません。そこから集歌327の歌が詠われる「特別な前提」が宮中女官と僧侶との間にあったと思われます。それで標での「戯請通觀僧之咒願」の「戯」の言葉の意味が出てきます。


或娘子等賜裹乾鰒戯請通觀僧之咒願時通觀作歌一首
標訓 或(あ)る娘子等(をとめら)の、裹(つつ)める乾鰒(ほしあはび)を賜りて戯(たわむ)れに通觀(つうかん)僧(ほふし)の咒願(しゅがん)を請(こ)ひし時に、通觀の作れる歌一首
集歌327 海若之 奥尓持行而 雖放 宇礼牟曽此之 将死還生
訓読 海神(わたつみ)の沖に持ち行きて放(は)つともうれむぞこれがよみがへりなむ

私訳 生まれ故郷の海神が宿る沖合い遥かに持っていって海に放ち放生回向をしたとしても、どうして乾鰒が生き返るでしょうか。
呆訳 貴女方が昔に還って元のようにと回向をして願ったとしても、乾ききった干鰒のような年老い涸れた女陰を若返らすことは出来ません。


 参考に食べる鰒(鮑)を詠う歌が催馬楽(さいばら)に「我家」と云う曲名であります。歌の隠れた意味合いにおいて、鮑と栄螺は形で示し、ウニは海胆や海栗でなくあえて「石陰子」の漢字表記で示したと理解するのが良いようです。それで、私の三人の娘は抱き心地が良いから、その内の一人の娘の夫になってくれとの歌の意味が出てきます。これも奈良時代、天平十三年の恭仁遷都頃の曲とされています。

わいへは とばり帳(ちょう)も たれたるを 我家は 帷帳も 垂れたるを
おほきみきませ むこにせむ 大君来ませ 聟にせむ
みさかなに なによけむ 御肴に 何よけむ
あはびさだをか かせよけむ 鮑栄螺か 石陰子よけむ
あはびさだをか かせよけむ 鮑栄螺か 石陰子よけむ


集歌3828の歌は「鮒」の言葉からの勢いでの呆訳です。単なる実験としてご笑納ください。

詠香塔厠屎鮒奴謌
標訓 香、塔、厠、屎、鮒、奴(やつこ)を詠める歌
集歌3828 香塗流 塔尓莫依 川隈乃 屎鮒喫有 痛女奴
訓読 香(こり)塗(ぬ)れる塔(たふ)にな寄りそ川隈(かはくま)の屎鮒(くそふな)食(は)めるいたき女(め)奴(やつこ)

私訳 好い匂いのする香を塗った貴い仏塔には近寄るな。川の曲がりにある厠から流れる屎を餌に育った鮒を食べた臭いがきつい女の召使よ。
呆訳 良い女と同衾する、その立派な男の持ち物にその手で触れるな。川の曲りのところで、どうしようもない男の男根を堪能したとんでもない女よ。


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