竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 枕詞「押し照る」を鑑賞する

2011年03月10日 | 万葉集 雑記
万葉集 枕詞「押し照る」を鑑賞する

 少し風変りですが、難波の枕詞として有名な「押し照る」に焦点を合わせて、万葉集の短歌を鑑賞してみました。
ここで、この難波の枕詞とされる「押し照る」の言葉の意味合いを良く示しているとされるのが次の歌です。

五年癸酉、超草香山時、神社忌寸老麿作哥二首
標訓 (天平)五年癸酉、草香山を超(こ)へし時に、神社忌寸(かむこそのいみき)老麻呂(をゆまろ)の作れる謌二首
集歌976 難波方 潮干乃奈凝 委曲見 在家妹之 待将問多米
訓読 難波(なには)潟(かた)潮干(しほひ)の余波(なごり)よく見む家なる妹し待ち問はむため
私訳 難波の潟の潮干のなごりの姿を良く見ていこう。家に居る妻が私の帰りを待って旅の様子を聞くだろう、そのために。

集歌977 直超乃 此徑尓師弖 押照哉 難波乃跡 名附家良思裳
訓読 直(ただ)超(こ)へのこの道にして押し照るや難波(なには)の跡(たづ)と名付けけらしも
私訳 真っ直ぐに生駒の山並みを越えて来るこの道の景色であるから、太陽が力強く照り輝く場所としての「押し照るや、難波」の詞が伝承として名付けられたのでしょう。

 確認しますと、万葉集の歌で有名な枕詞の一つに「押し照る」があり、この「押し照る」の詞は「難波」の地を美辞する言葉となっています。ただ、歌の専門家の人たちは「押し照る」の詞を枕詞として扱い、特にその詞の意味に注目することは少ないようです。こうした時、素人の好奇心で万葉集の歌を眺めていますと、その「押し照る」の詞が「難波」の地を美辞する言葉となった由来を詠った歌を見つけることが出来ます。それが、先に紹介しました渡来系の人物と思われる神社忌寸老麿が詠う集歌977の歌です。
 この集歌977の歌は、奈良の京から生駒山系を越えたときに、峠を越えた瞬間、開けた視界に飛び込んできた難波の景色を詠ったもので、歌は目撃した風景から「押し照る」の詞の由来を実感して創られたものです。つまり、集歌977の歌を正しく鑑賞することが、万葉人が詠う「押し照る難波」を理解することになるようです。ここで、集歌977の歌の万葉集に載る順を信じると、歌は天平五年に詠われたものでしょうし、常体歌の形式で表記されていますから、集歌977の歌に使われる漢字には万葉仮名とするだけではなく、漢字本来の意味を持たしていると推定する必要があります。
 西本願寺本に載る原文での集歌977の歌を鑑賞する前に、集歌977の歌は普段の訓読み万葉集では「直超乃此徑尓弖師押照哉難波乃海跡名附家良思裳」と表記して、

体系 直超乃 此徑尓弖師 押照哉 難波乃海跡 名附家良思裳
訓読 直(ただ)超(こ)への この道にてし 押し照るや 難波の海と 名付けけらしも

と訓みます。このため原文表記の相違から歌自体の解釈が西本願寺本のものとは少し違ったものになっています。この歌の原文表記の違いを確認して、素人ですが先に紹介した西本願寺本のものを下に歌を鑑賞します。
 さて、飛鳥・奈良時代の難波の海は、生駒山系の峠からは近かったと云います。歌の景色は、大和盆地から峠を越えた途端に眼前に太陽の光を照り返す海が広がり、上空には輝く太陽がある世界でしょうか。漢語の「押」には上下から重みを加えると云う意味がありますから、光を中心に考えると老麿が詠うように「押し照る」の詞が実に相応しくなります。枕詞として処理するには、もったいないくらいに美しい光の情景です。
 つまり、集歌976の歌と集歌977の歌とを総合すると、歌の世界は、難波の潟は、夏の潮が引き切ったが、所々の干潟の砂に水気が残り、鏡のように光を照り返していて、難波の海にはさざ波が立ちキラキラと光を反射している、そんな情景でしょうか。思い込みで、梅雨の明けた季節で太陽は白く輝く午後二時から三時頃の時間帯の歌です。都人にとって奈良盆地から難波に出かけて行くときに日下(くさか)の峠で見る感動です(「日下」の用字も、この風景が背景なのでしょう)。その感動が、漢字表記の「押照」にストレートに表現されています。ここでは「押照」と云う詞は、枕詞ではなく感動を端的に示す形容詞です。体験する、この光の美の世界を味わうのが万葉歌人なのでしょう。
 この光の美を表す「押照」と云う詞は集歌977の歌以外に、長歌や短歌でそれぞれ数首ありますが、ここでは、短歌だけを以下に紹介します。拙い訳ですが、歌の情景を想像して頂ければ幸いです。

集歌2135 押照 難波穿江之 葦邊者 鴈宿有疑 霜乃零尓
訓読 押して照る難波(なには)堀江し葦辺(あしへ)には雁寝(ね)たるかも霜の降らくに
私訳 海がきらめき日が輝く難波の堀江の葦の生える岸辺では雁が寝ているでしょうか。霜が降るのに。

集歌4361 櫻花 伊麻佐可里奈里 難波乃海 於之弖流宮尓 伎許之賣須奈倍
訓読 桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなへ
私訳 桜花は今が盛りです。難波の海、その海がきらめき日が輝く宮で統治なられるにつれて。

集歌4365 於之弖流夜 奈尓波能津与利 布奈与曽比 阿例波許藝奴等 伊母尓都岐許曽
訓読 押し照るや難波の津より船装ひ吾(あれ)は榜(こ)ぎぬと妹に告ぎこそ
私訳 海がきらめき日が輝く、その難波の湊から船を艤装して私は出航したと愛しい貴女に告げてほしい。

 ここで、「押照難波」の詞の示す光の美の世界を思い浮かべたとき、次の「押而照有此月」や「月押照有」の光の美の世界が判りやすいと思います。雨上がりの澄み切った夜に満月が昇り、大地をひかり輝かせる。そのような世界でしょうか。そこは、煌々と白く輝く月が作る夜の光の世界です。

集歌1074 春日山 押而照有 此月者 妹之庭母 清有家里
訓読 春日山押しに照らせるこの月は妹し庭にも清(さや)けかりけり
私訳 春日山を明るく輝かせ照らすこの月は、愛しい貴女の庭にもひかり清らかなことでした。

集歌1480 我屋戸尓 月押照有 霍公鳥 心有今夜 来鳴令響
訓読 我が屋戸(やと)に月おし照れり霍公鳥心あれ今夜来鳴き響(とよ)もせ
私訳 私の家を月が明るく輝かせて煌々と照らす。ホトトギスよ、風流の心を持て。今夜はその声を、来啼き響かせよ。

 さて、枕詞「押し照る」に焦点を合わせて万葉集の短歌を鑑賞するにおいて、例によって、紹介する歌は西本願寺本の表記に従っています。そのため、原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。 つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話であって、学問ではないことを承知願います。


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