竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集 集歌871から集歌875まで

2020年08月26日 | 新訓 万葉集
(前置漢文 序)
前置 大伴佐提比古郎子 特被朝命奉使藩國 艤棹言歸 稍赴蒼波 妾也松浦(佐用嬪面) 嗟此別易 歎彼會難 即登高山之嶺 遥望離去之船 悵然断肝黯然銷魂 遂脱領巾麾之 傍者莫不流涕 因号此山曰領巾麾之嶺也 乃作謌曰
序訓 大伴佐提比古の郎子(いらつこ)、特に朝命を被(こほむ)り、使を藩國に奉る。艤棹して言に歸き、 稍蒼波に赴く。妾(つま)松浦(佐用嬪面(さよひめ))、此の別るる易(やす)きを嗟(なげ)き、彼の會ふの難(かた)きを歎(なげ)く。即ち高山の嶺に登りて、遥かに離れ去く船を望み、悵然みて肝を断ち、黯然みて魂を銷す。遂に領巾(ひれ)を脱ぎて麾(ふ)る。傍(かたはら)の者涕を流さずといふこと莫(な)し。これに因りて、この山を号けて領巾(ひれ)麾(ふる)の嶺(をか)と曰ふ。乃ち、謌を作りて曰はく
序訳 大伴佐提比古の郎子は特別に朝命を頂いて、藩國への使いを務めた。船団を整えてここを出発し、次第に青海原に遠ざかっていった。妻の松浦(名前をサヨヒメ)は、この別れがたちまちであることを嘆き、その再開するのが難しいのを嘆いた。そこで高き山の嶺に登って、遥かに離れ去く船を望み、失望のあまりに断腸の思いがし、目の前が暗くなり魂を失くすほどであった。最後には、肩に掛けた領巾を脱ぎて振った。傍に立つ者で涙を流さない者はいなかった。これにちなんで、この山を名付けて領巾振るの嶺と云う。そこで、謌を作って云うには、
集歌八七一 
原文 得保都必等 麻通良佐用比米 都麻胡非尓 比例布利之用利 於返流夜麻能奈
訓読 遠人(とほつひと)松浦(まつら)佐用姫(さよひめ)夫恋(つまこひ)に領巾(ひれ)振りしより負(お)へる山の名
私訳 遠くはなれた人を待つ、その松浦の佐用姫は恋人恋しさに領巾を振ったことから、その名にちなんだ山の名よ

後人追和
標訓 後(のち)の人の追ひて和(こた)へたる
集歌八七二 
原文 夜麻能奈等 伊賓都夏等可母 佐用比賣何 許能野麻能閇仁 必例遠布利家無
訓読 山の名と言ひ継げとかも佐用姫(さよひめ)がこの山の上(へ)に領巾(ひれ)を振りけむ
私訳 山の名前と云い継げと、佐用姫がこの山の頂で領巾を振ったのだろうか

最後人追和
標訓 最後(いとのち)の人の追ひて和へたる
集歌八七三 
原文 余呂豆余尓 可多利都夏等之 許能多氣仁 比例布利家良之 麻通羅佐用嬪面
訓読 万世(よろづよ)に語り継げとしこの岳(おか)に領巾(ひれ)振りけらし松浦(まつら)佐用姫(さよひめ)
私訳 万年の後の世まで語り継げと、この丘で領巾を振ったらしい松浦の佐用姫よ

最々後人追和二首
標訓 最最後(いといちのち)の人の追ひて和へたる二首
集歌八七四 
原文 宇奈波良能 意吉由久布祢遠 可弊礼等加 比礼布良斯家武 麻都良佐欲比賣
訓読 海原(うなはら)の沖行く船を還(かへ)れとか領巾(ひれ)振らしけむ松浦(まつら)佐用姫(さよひめ)
私訳 海原の沖を行く船にこちらに還れとして領巾を振られたのだろうか、松浦の佐用姫よ

集歌八七五 
原文 由久布祢遠 布利等騰尾加祢 伊加婆加利 故保斯苦阿利家武 麻都良佐欲比賣
訓読 行く船を振り留(とど)みかね如何(いか)ばかり恋しくありけむ松浦(まつら)佐用姫(さよひめ)
私訳 行く船を領巾を振って引き留めることが出来なくて、どれほどに恋人が恋しいだろうか、松浦の佐用姫よ
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 万葉集 集歌864から集歌870まで | トップ | 万葉集 集歌876から集歌879まで »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

新訓 万葉集」カテゴリの最新記事