竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 その卅二 相聞歌の相違を楽しむ

2013年06月22日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 その卅二 相聞歌の相違を楽しむ

 前回はおおらかな性と云う側面から万葉集の歌を楽しみました。男女の愛の歌は万葉集ではおおむね相聞と云うジャンルに含まれ、その分量は万葉集歌全四五〇〇首余りの内、一七五〇首ほどの比率を占めます。
 さて、その恋歌を扱う相聞の部において贈歌とその反歌との二首組み合わせを相聞応答歌と区分しますと、万葉集では四二組八五首(一部、三首の組や長短歌の組もあり)を見ることが出来ます。一方、古今和歌集では恋歌の区分の中、八組の相聞応答の恋歌を見ることが出来ます。この八組十六首がどれほどかというと、古今和歌集で恋歌に分類される歌が三六〇首ほどですので、だいたい、万葉集と古今和歌集では同じ比率となるでしょうか。
 ここでは、恋の相聞応答の歌と云うジャンルに視線を当て、そのジャンルから男女の恋の歌を楽しみたいと思います。そこで、最初に古今和歌集での相聞応答の恋歌を紹介したいと思います。なお、その現代語訳はインターネットHP「古今和歌集散歩」のものを参照させて頂いています。

歌番476 みすもあらす みもせぬひとを こひしくは あやなくけふや なかめくらさむ
訳文 見ないわけでもなく、見たともいえない人を恋しいから、どうしようもなく今日は物思いにふけてっているのかなあ。
歌番477 しるしらぬ なにかあやなく わきていはむ おもひのみこそ しるへなりけり
訳文 知っているか知らないかをどうして筋もないような区別を仰るんですか。ただ、あなたの恋の思いだけが、人と人とを逢わせてくれる案内役なんですわ。

歌番556 つゝめとも そてにたまらぬ しらたまは ひとをみぬめの なみたなりけり
訳文 隠そうとして包むのだが袖に溜まらずにこぼれてしまう白玉は、あなたにお逢いできない私の目からこぼれる涙なんですね。
歌番557 おろかなる なみたそそてに たまはなす われはせきあへす たきつせなれは
訳文 いい加減に聞いている人の涙は、袖に水玉となって落ちるんだわ。私は、導師さまのお話しに感動して、涙を堰き止めることができないわ。だって、激流のような瀬なんですから。

歌番645 きみやこし わかやゆきけん おもほへす ゐめかうつつか ねてかさめてか
訳文 あなたが訪ねてきてくれたのかしら、私があなたの所へいったのかしら。分からないわ。昨夜のこと、夢だったのかしら、現実だったのかしら。寝ていたのかしら、それとも、覚めていたのかしら。分からないわ。
歌番646 かきくらす こころのやみに まとひにき ゆめうつゝとは よひとさためよ
訳文 思い乱れるその心の闇に私も迷ってしまい、分かりません。夢であるのか現実であるのか情交を結んだあなたが決めて。

歌番654 おもふとち ひとりひとりか こひしなは たれによそへて ふしころもきむ
訳文 好き合っている二人ですが、もしも、どちらか一人が恋死ぬようなことになったなら、誰のためと言って喪服の藤衣を着るのですか。着ることなんてできません。
歌番655 なきこふる なみたにそての そほちなは ぬきかへかてら よるこそはきめ
訳文 あなたの死を悲しみ、泣き恋う涙で袖が濡れたなら、私は、人目につかぬ夜、藤衣に着換えましょう。
注意 「ふしころも」は訳文では「藤衣」と解釈し、葬送で着る粗末な衣装を意味します。ただし、歌が万葉集歌413の句「藤服 間遠にしあれば いまだ着なれず」を引用しているのであれば、歌意は大きく変わります。歌は疎遠になった女への言い訳と、その女からの返しになります。

歌番706 おほぬさの ひくてあまたに なりぬれは おもへとえこそ たのまさりけれ
訳文 大幣のようにあなたを誘う女が多くなってしまったから、私、あなたのことを思っているけど、頼りにはなりませんわ。
歌番707 おほぬさと なにこそたてれ なかれても つひによるせは ありてふものを
訳文 大幣のようだと評判が立ってしまった。しかし、大幣が流れていっても、流れる着く浅瀬はあるというものですよ。結局、あなたのところに寄り付きますよ。
注意 この歌に宇治市にある県神社で行われる大幣神事の祭礼の風景が背後にあるとすると、季節の特定が可能になります。

歌番736 たのめこし ことのはいまは かへしてむ わかみふるれは おきところなし
訳文 頼りに思わせてくれた言葉のいっぱい詰まったお手紙を今はお返ししますわ。だって、あなたに忘れられてお婆ちゃんになってしまったんですから。
歌番737 いまはとて かへすことのは ひろひおきて をのかものから かたみとやみむ
訳文 今は、もうこれでお終いと送り返してくれた手紙、その言の葉を拾っておいて、私自身のものですが、あなたの形見と思っていようかしら。

歌番782 いまはとて わかみしくれに ふりぬれは ことのはさへに うつろひにけり
訳文 今はもうこれでお終いとお思いになって、時雨が降って木の葉が色変わるように古くなった私に、あなたのお言葉さえ変わってしまったんだわ。
歌番783 ひとをもふ こころこのはに あらはこそ かせのまにまに ちりもみだれめ
訳文 あなたを思う私の心が木の葉のようなものであるなら、風が吹くに任せてあちこちへと散り乱れもしましょう。(私の心は、あなただけのもの。)

歌番784 あまくもの よそにもひとの なりゆくか さすかにめには みゆるものから
訳文 空の雲のように、遠くよそよそしくなってしまうんですね。でも、そうはいっても、あなたのお姿、毎日、拝見していながらなんですが。
歌番785 ゆきかへり そらにのみして ふることは わかゐるやまの かせはやみなり
訳文 雲さんが山を離れて行ったり来たりして、空にばかりいることは、自分のいるべき山の風が強いからなんですよ。(私が行ったり来たりしながらあなたの家を離れているのはね、あなたの態度がきついからなんですよ。)

 ご存じのように古今和歌集の歌は基本的に声に出して歌を詠う歌です。掛け詞や本歌取りとか、色々な技法が使われていますから、意訳の取り方は非常に複雑になっています。そのため、そのおよその意訳を掴んだ上で、歌の調べを楽しむのが良いようです。例として歌番646の歌「かきくらすこころのやみにまとひにき」の「かきくらす」を「貴女を欠いて暮らす」と取るか、「私はこのように暮らす」と取るかで、独り寝の夜の雰囲気は違うでしょう。ただ、古今和歌集ではこのような理屈より、歌が発声により詠われたその瞬間の雰囲気の方が重要と思われます。ですから、この古今和歌集の歌が持つ特性、直観で歌の世界の理解を求めるという、その特性は素養の無い者には辛いところとなります。なお、漢字混じり平仮名で表記された古今和歌集伝本は藤原定家が行った古今和歌集の解釈がベースのようで、本来は一字一音の変体仮名表記だったと思われます。紹介しました歌番654の歌の現在での解釈は定家のものが基本と思われますが、さて、どうでしょうか。
 次に万葉集からも相聞応答の恋歌となる二首相聞歌を五組ほど紹介します。まず、初めは男女の会話の雰囲気を感じて下さい。

集歌2508 皇祖乃 神御門乎 衢見等 侍従時尓 相流公鴨
訓読 皇祖(すめろき)の神し御門を衢(みち)見しと侍従(さもら)ふ時に逢へる君かも
私訳 皇祖の神の御殿で、通路を見張るためにお仕えしている時の、その時だけに、お目に懸かれる貴方ですね。
集歌2509 真祖鏡 雖見言哉 玉限 石垣渕乃 隠而在孋
訓読 真澄鏡(まそかがみ)見とも言はめや玉かぎる石垣淵(いはがきふち)の隠(こも)りし麗(うるわし)
私訳 見たい姿を見せると云う真澄鏡、その鏡に貴女の姿を見て、逢ったと語れるでしょうか。川面輝く流れにある岩淵が深いように、宮中の奥深くに籠っている私の艶やかな貴女。

集歌2510 赤駒之 足我枳速者 雲居尓毛 隠往序 袖巻吾妹
訓読 赤駒し足掻(あがき)速けば雲居にも隠(かく)り行(い)かむぞ袖枕(ま)け吾妹
私訳 赤駒の歩みが速いので彼方の雲の立つところにも、忍んで行きましょう。褥を用意して待っていてください。私の貴女。
集歌2511 隠口乃 豊泊瀬道者 常消乃 恐道曽 戀由眼
訓読 隠口(こもくり)の豊(とよ)泊瀬(はつせ)道(ぢ)は常(とこ)消えの恐(かしこ)き道ぞ戀(こ)ふらくはゆめ
私訳 人が亡くなると隠れるという隠口の立派な泊瀬道は、いつも道が流される、使うのに恐ろしい道です。恋い焦がれるからと、気を逸らないでください。

集歌2812 吾妹兒尓 戀而為便無 白細布之 袖反之者 夢所見也
訓読 吾妹子(わぎもこ)に恋ひてすべなみ白栲し袖返ししは夢(いめ)し見えきや
私訳 愛しい貴女に恋しても逢えず、どうしようもないので、白栲の夜着の袖を折り返して寝たのを、貴女は夢に見えましたか。
集歌2813 吾背子之 袖反夜之 夢有之 真毛君尓 如相有
訓読 吾(あ)が背子(せこ)し袖返す夜し夢(いめ)ならしまことも君に逢ひたるごとし
私訳 私の愛しい貴方が白栲の夜着の袖を折り返した、その夜の夢なのでしょう。夢の中の貴方はまるで実際にお逢いしたようでした。

集歌2826 如是為乍 有名草目手 玉緒之 絶而別者 為便可無
訓読 かくしつつあり慰(なぐ)めて玉し緒し絶えて別ればすべなかるべし
私訳 このように振る舞って、ずっと気持ちを慰めて来て、玉の紐の緒が切れるように二人の仲が切れてしまえば、なんとも遣る瀬無いでしょう。
集歌2827 紅 花西有者 衣袖尓 染著持而 可行所念
訓読 紅(くれなゐ)し花にしあらば衣手(ころもて)に染(そ)めつけ持ちて行くべく思ほゆ
私訳 貴女が紅花の花であったなら、私の下着の袖に染め付けて身に着けていたいと思います。

集歌3109 慇懃 憶吾妹乎 人言之 繁尓因而 不通比日可聞
訓読 ねもころし憶(おも)ふ吾妹(わぎも)を人言(ひとこと)し繁きによりてよどむころかも
私訳 心からねんごろに懐かしく思う私の愛しい貴女よ。貴女への人の噂話がうるさいので、訪問が途絶えがちの今日この頃です。
集歌3110 人言之 繁思有者 君毛吾毛 将絶常云而 相之物鴨
訓読 人言(ひとこと)し繁くしあらば君も吾(あ)も絶えむと云ひに逢ひしものかも
私訳 恋とは「人の噂話がうるさくなったならば、貴方も私も共に、二人の仲は絶えて終わり」と決め付けて、お逢いするようなものでしょうか。

 さて、万葉集では男女の恋歌は「相聞」と云うジャンルに集合され、古今和歌集では「恋歌」と云うジャンルに集合されます。先に紹介しました古今和歌集の歌々も、万葉集の歌々も、それぞれが似たテーマで男女の恋を詠っています。ところが、ジャンルの名称は「相聞」と「恋歌」とで違います。そこには万葉集編者と古今和歌集編者とで男女の恋歌に対する考え方の相違があったものと想像されます。
 このジャンルの名称の違いについて個人の好みと手持ち資料の制約の中で探してみました。ずいぶん古い本ではありますが、伊藤博氏の本に「萬葉集相聞の世界(塙書房;昭和三四年)」と云うものがありました。そこでは、ここで紹介した古今和歌集の恋歌と万葉集の相聞との相違について

万葉集の「相聞」は、広義の「恋歌」、しいて定義をすれば、「男女間を主とする個人間の私情伝達の歌」という、性格的または内容的意義の部立であったということができよう。
なお、相聞歌の源流は掛合にあった。掛合は問答である。よって、「相問」なる語義を持つ「相聞」をあてはめただけだという見方も出るかもしれない。(225頁)

満葉の帰属は、京師内でもっぱら風流生活を志向しながらも、その背景や基盤として片や田舎の生産機構を直接経営するという、二面の生活を送っていた。
・・中略・・
萬葉歌が、一般に野趣と素人臭さをぬぐいさりえず、平安朝の洗練された文学と大きな距離を持つ根源もまた、ここに存するであろう。萬葉歌の重大な一分野、相聞歌の、勅撰集的恋歌との質の相違も、同じ論理で解けることは、いうまでもない。(183頁)

とあります。
 個人の浅はかな感想ですが、万葉集の相聞応答の歌には男女の体臭と肌の温もりがありますが、古今和歌集の相聞応答の恋歌にはそれを強く感じることはありません。それを伊藤氏は「野趣と素人臭さをぬぐいさりえず、平安朝の洗練された文学と大きな距離を持つ」と指摘されたのだと、独り合点しています。そこには常に相手を視線に置く「相聞」と、恋と云うテーマを歌人それぞれが技巧で詠った「恋歌」との差があるのでしょう。
 大伴坂上郎女に田所(庄)の歌が見られるように、大伴旅人や山上憶良に代表される万葉集第二世代であっても貴族と大衆との距離感は平安貴族のように極端ではなかったと思われます。そのため、歌垣での男女の歓交や野良での逢い引きの姿は奈良貴族たちにとってそれは日常であったかもしれませんし、場合によってはその当事者であった可能性もあります。そこには前回に紹介しました「おおらかな性」の世界があったと確信していますし、当事者たる人々が作歌する時、その世界が前提だったと思います。
 ただ、万葉集にしろ、古今和歌集にしろ、載せられる相聞歌や恋歌の採歌先は宮中や貴族の邸宅などで開催された宴でのものと思われます。つまり、一部の人麻呂歌集の歌を除くと実際の妻問いや逢い引きでの歌ではありません。あくまでもその宴席の場に合わせた創作と考えられます。(明治時代人は全て実作と考え、それ故に恋歌を詠う女性歌人を淫売と罵っていますが) 
 参考として次の二首相聞は、一見、豊前国の企救半島の海岸を詠っているようですが、歌を詠う男女は奈良の都に居る人たちです。宴席で大伴旅人や山上憶良達の歌が話題になれば大宰府に因んでその順路である企救半島の海岸を想像し歌を詠うかもしれませんし、三月、桜の季節の宴会で柿本人麻呂が話題に登れば「企救と妹」の組み合わせが詠われる可能性もあります。しかし、歌の地名はただ作歌上での設定であって、実際に男女二人が豊前国、企救半島の海岸に立って居る訳ではありません。

集歌3219 豊國乃 聞之長濱 去晩 日之昏去者 妹食序念
訓読 豊国(とよくに)の企救(きく)し長浜行き暮(くら)し日し暮(く)れゆけば妹をしぞ思ふ
私訳 豊国の名高い企救にある長浜へ行き日々を過ごす、そのような侘しい日が暮れ行くと愛しい貴女のことばかりが思い出されます。
集歌3220 豊國能 聞乃高濱 高々二 君待夜等者 左夜深来
訓読 豊国(とよくに)の企救(きく)の高浜高々(たかだか)に君待つ夜らはさ夜更けにけり
私訳 豊国の名高い企救にある高浜、その名のように背を伸ばし遥か彼方を望みながら愛しい貴方の訪れを待つ夜は、次第に更けて行きました。

 しかしながら、作歌者がそれぞれの属する時代と社会背景に縛られると考えますと、歌にはそれが反映されると思います。そのためでしょうか、万葉集の相聞歌は相手が現実の人として想像できるし、恋歌には性愛の匂いが付き纏います。また、女性の立場が、まるきり、違います。万葉集の女性は男性と対等の立場です。性愛を為すときの男女の取る状況から歌での女性の姿が受身であるとの解説がありますが、例として紹介した集歌2508の歌や集歌3110の歌には平安時代のような「ただ待つ女」と云う感覚はありません。
 対等な相手がいる。ここに同じ恋歌のジャンルですが万葉集は「相聞」と命名し、男女の立場の違いが明確な古今和歌集では「恋歌」と命名したと推測します。古今和歌集の建て前では「恋」は男が起点です。邸宅に隠れ住む女はただそれを待ち、受けるだけです。一方、万葉の時代、女もまた男と同様に野良を行きますし、騎乗もします。野良行きで見染めた好みの男に女から仕草や態度で恋の合図を送ることは可能です。
 このように万葉集と古今和歌集での同じテーマ、同じ恋の応答歌と云うスタイルのものを紹介しましたが、時代背景で作歌やその鑑賞は大きく違うようです。ただ、そうした時、長い和歌の歴史の中で、万葉集の歌だけが孤島のように独り独立した特異な歌集であることを感じられるのではないでしょうか。万葉集は「万葉集か、それ以外」と云うような態度で鑑賞するのが良いようで、新古今和歌集以降の和歌鑑賞法だけで良いかと云うそうではないと思います。

 今回は古今和歌集の歌へ散歩をしました。その古今は一字一音の変体仮名表記の上、清音・濁音の区別はせず、すべて清音表記が原則です。このため、掛詞や縁語など多くの技法を多く取り入れられています。その分、難しいです。
 古今の玄関まで行きましたが、その門構えが立派過ぎて、びっくりして逃げて来ました。実に意気地もなければ、素養もありません。恥ずかしいことです。

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