万葉雑記 色眼鏡 三一一 今週のみそひと歌を振り返る その一三一
今週も巻十四 東歌の鑑賞です。
最初に言いがかりの鑑賞を紹介します。集歌3446の歌の四句目「安志等比等其等」の「其等」は標準訓では「こと」と音読し「言」の漢字を得ます。対して幣ブログでは「そと」と音読する関係から、ままに「そと」とし、「それは」のような意味合いを得ています。そのため、歌の鑑賞は若干変わってきます。
集歌3446 伊毛奈呂我 都可布河泊豆乃 佐左良乎疑 安志等比等其等 加多理与良斯毛
訓読 妹なろが使ふ川津(かわつ)のささら荻(をぎ)葦と人(ひと)そと語りよらしも
私訳 かわいいあの娘が使う川の入り江に生えるささら荻。それを葦と人が呼ぶように、よくも確かめずに間違えて悪(あし=悪い子)と噂しているようだよ。
中西進氏の鑑賞
原文 伊毛奈呂我 都可布河泊豆乃 佐左良乎疑 安志等比登其等 加多理与良斯毛
訓読 妹なろが使ふ川津(かわつ)のささら荻(をぎ)あしと人(ひと)言(こと)語りよらしも
意訳 あの子が使う船着き場の小さな荻葦、悪いと人々は語り合っているらしいよ。
伊藤博氏の鑑賞
訓読 妹なろが付(つ)かふ川津(かわつ)のささら荻(をぎ)葦と人(ひと)言(こと)語りよらしも
意訳 あの子がいつも居ついている川の渡し場に茂る、気持ちのよいささら荻、そんなすばらしいささら荻(共寝の床)なのに、世間の連中は、それは葦・・・悪い草だと調子に乗って話し合っているんだよな。
ここで、伊藤博氏の解釈は集歌3446の歌と集歌3445の歌が関連を持っているとしているために歌の「妹」は港の遊行女婦と想定していますし、ささら荻をそのような港の遊行女婦が男との関係を持つ場所を作る屋外の草床と想像していることにあります。従いまして、集歌3446の歌の背景として男たちが港の遊行女婦たちの品定めをしていることがあり、それに対して自分の馴染みの遊行女婦は、それほど悪口を言うほどでもないという思いを詠っているということでしょうか。
一方、弊ブログは里娘に対する評判で、荻と葦を良く確かめもしないで間違えるように、その里娘のことを知りもしないで、悪口を言っていると解釈しますから、相当に歌の背景が違います。
なお、「其等」を隋唐音で音読しますと「gi + tɑ̆i」となりますから、「そと」と云う発音にはなりません。漢文訓読でのものとなります。
次に集歌3450の歌は色々と解釈が分かれます。
集歌3450 乎久佐乎等 乎具佐受家乎等 斯抱布祢乃 那良敝弖美礼婆 乎具佐可利馬利
訓読 乎久佐(をくさ)壮子(を)と乎具佐(をぐさ)つけ壮士と潮舟(しほふね)の並べて見れば乎具佐かりめり
私訳 乎久佐に住む男と小草を腰に着けた男とを岸辺に並ぶ潮舟のように比べてみると、邪気を払うと云う小草を付けた男に利がある。
中西進氏の鑑賞
原文 乎久佐乎等 乎具佐受家乎等 斯抱布祢乃 那良敝弖美礼婆 乎具佐可利馬利
訓読 乎久佐(をくさ)壮子(を)と乎具佐(をぐさ)助(ずけ)男(を)と潮舟(しほふね)の並べて見れば乎具佐勝ちめり
意訳 乎久佐の男と乎具佐の助男とを潮舟のように並べて見ると、乎久佐の方がすぐれているように思える。
伊藤博氏の鑑賞
訓読 乎久佐(をくさ)男(を)と乎具佐(をぐさ)受助(ずけ)男(を)と潮舟(しほふね)の並べて見れば乎具佐勝ちめり
意訳 乎久佐男と乎具佐受助男とを、潮舟のように二人並べて見ると、やっぱり乎具佐受助男の方がまさっているようだ。
最初に中西進氏のものは解釈で乎具佐と乎久佐とで錯誤があります。原歌からしますと優れているのは「乎具佐」の方です。
次にこの集歌3450の歌は伊藤氏が解説するように『代匠記』の解釈である二句目「乎具佐受家乎」の「受家乎」を「すけを」と音読し「助男」と解釈し、律令時代の庶民男性の世代毎区分である、「次丁」の意味合いとして解釈しています。すると、その解釈しますと、乎久佐男とは乎久佐と云う村の正丁の男であり、乎具佐受助男とは乎具佐と云う村の次丁の男となります。
当然、このように解釈しますと、25歳から60歳までの正丁と60歳から65歳の老人や軽度の不具、疾病の男の比較で、次丁の方が優れていると云う背景を説明する必要が出て来ます。そのため、当時の律令制度や平均寿命などを勘案しますと、古くからその解説は非常に困難になります。伊藤博氏のように60歳を超えても体力・経験・技量で壮年男子よりも優れた人がいるから、そのような意味合いであろうとします。
幣ブログでは集歌3450の歌を万葉集ではよく見られる言葉の響きに遊んだ歌と解釈していますので、解釈の方向性が全くに違います。乎久佐は地名ですが、乎具佐は小草とする解釈です。そこから、菖蒲などを身に付ける五月の節句祭りと想像しています。
次いで、集歌3459の歌も歌中の表記に注目すると、歌の風景が大きく変わります。
集歌3459 伊祢都氣波 可加流安我乎乎 許余比毛可 等能乃和久胡我 等里弖奈氣可武
試訓 稲(いね)搗(つ)けば皹(かか)る吾(あ)が緒を今夜(こよひ)もか殿の若子(わくこ)が取りて嘆かむ
試訳 稲を搗くと手足がざらざらになる私、その私の下着の紐の緒を、今夜もでしょう、殿の若殿が取り解き、私の体の荒れようを見て嘆くでしょう。
中西進氏の鑑賞
原文 伊祢都氣波 可加流安我手乎 許余比毛可 等能乃和久胡我 等里弖奈氣可武
訓読 稲(いね)搗(つ)けば皹(かか)る吾(あ)が手を今夜(こよひ)もか殿の若子(わくこ)が取りて嘆かむ
意訳 稲を舂くとあかぎれが切れる私の手を、今夜も若殿さまは手にとって、嘆かれるだろうか
伊藤博氏の鑑賞
訓読 稲(いね)搗(つ)けばかかる我(あ)が手を今夜(こよひ)もか殿の若子(わくこ)が取りて嘆かむ
意訳 稲を搗いてひび割れした手、この私の手を、今夜もまた、お屋敷の若様が手に取ってかわいそうにかわいそうにとおっしゃることだろうか。
文学的には「皹(かか)る」のは手ですから、原歌の二句目「可加流安我乎乎」の「乎乎」は「手乎」の誤記でなければいけません。そのため、校本万葉集では「可加流安我手乎」と校訂し、稲搗き、籾を得る農作業で手が荒れた若い娘のその手と解釈します。
一方、弊ブログは西本願寺本万葉集の原歌表記を変更しないと云う縛りで歌を鑑賞しますから「可加流安我乎乎」はそのままに音読し「皹(かか)る吾(あ)が緒を」としています。そこから、手が荒れた私の着物の緒と云う解釈を得ています。風景としては、貴族階級の若殿が秋の収穫期に荘園にやって来て農作業を指揮していますが、その若殿は風習に従い夜には若殿の世話をする女性とともに寝所で休みます。その姿は里の若い娘たちは見聞きしていますし、場合によってはその若殿の世話をする女性は里から選抜された器量の良い娘かもしれません。
幣ブログはそのような風習の中で、玉の輿を夢見た里女たちの歌と考えています。その時代、庶民の女性が人生を大きく変える可能性がある希望は、有力者に見染められその子供を宿すことや、力自慢で役所の女武者になることぐらいです。都へ出向く采女は郡司クラス以上の子女であることが規定ですから、庶民の娘では可能性はありません。ここで詠うように夜毎、若殿に着物の紐緒を解いて貰えるような関係が、目の前のありそうな夢です。手を握ってもらうだけではダメなのです。
今回も、ばかばかしい与太話での鑑賞を展開しました。標準的なものは示しました中西進氏や伊藤博氏のものにあります。
今週も巻十四 東歌の鑑賞です。
最初に言いがかりの鑑賞を紹介します。集歌3446の歌の四句目「安志等比等其等」の「其等」は標準訓では「こと」と音読し「言」の漢字を得ます。対して幣ブログでは「そと」と音読する関係から、ままに「そと」とし、「それは」のような意味合いを得ています。そのため、歌の鑑賞は若干変わってきます。
集歌3446 伊毛奈呂我 都可布河泊豆乃 佐左良乎疑 安志等比等其等 加多理与良斯毛
訓読 妹なろが使ふ川津(かわつ)のささら荻(をぎ)葦と人(ひと)そと語りよらしも
私訳 かわいいあの娘が使う川の入り江に生えるささら荻。それを葦と人が呼ぶように、よくも確かめずに間違えて悪(あし=悪い子)と噂しているようだよ。
中西進氏の鑑賞
原文 伊毛奈呂我 都可布河泊豆乃 佐左良乎疑 安志等比登其等 加多理与良斯毛
訓読 妹なろが使ふ川津(かわつ)のささら荻(をぎ)あしと人(ひと)言(こと)語りよらしも
意訳 あの子が使う船着き場の小さな荻葦、悪いと人々は語り合っているらしいよ。
伊藤博氏の鑑賞
訓読 妹なろが付(つ)かふ川津(かわつ)のささら荻(をぎ)葦と人(ひと)言(こと)語りよらしも
意訳 あの子がいつも居ついている川の渡し場に茂る、気持ちのよいささら荻、そんなすばらしいささら荻(共寝の床)なのに、世間の連中は、それは葦・・・悪い草だと調子に乗って話し合っているんだよな。
ここで、伊藤博氏の解釈は集歌3446の歌と集歌3445の歌が関連を持っているとしているために歌の「妹」は港の遊行女婦と想定していますし、ささら荻をそのような港の遊行女婦が男との関係を持つ場所を作る屋外の草床と想像していることにあります。従いまして、集歌3446の歌の背景として男たちが港の遊行女婦たちの品定めをしていることがあり、それに対して自分の馴染みの遊行女婦は、それほど悪口を言うほどでもないという思いを詠っているということでしょうか。
一方、弊ブログは里娘に対する評判で、荻と葦を良く確かめもしないで間違えるように、その里娘のことを知りもしないで、悪口を言っていると解釈しますから、相当に歌の背景が違います。
なお、「其等」を隋唐音で音読しますと「gi + tɑ̆i」となりますから、「そと」と云う発音にはなりません。漢文訓読でのものとなります。
次に集歌3450の歌は色々と解釈が分かれます。
集歌3450 乎久佐乎等 乎具佐受家乎等 斯抱布祢乃 那良敝弖美礼婆 乎具佐可利馬利
訓読 乎久佐(をくさ)壮子(を)と乎具佐(をぐさ)つけ壮士と潮舟(しほふね)の並べて見れば乎具佐かりめり
私訳 乎久佐に住む男と小草を腰に着けた男とを岸辺に並ぶ潮舟のように比べてみると、邪気を払うと云う小草を付けた男に利がある。
中西進氏の鑑賞
原文 乎久佐乎等 乎具佐受家乎等 斯抱布祢乃 那良敝弖美礼婆 乎具佐可利馬利
訓読 乎久佐(をくさ)壮子(を)と乎具佐(をぐさ)助(ずけ)男(を)と潮舟(しほふね)の並べて見れば乎具佐勝ちめり
意訳 乎久佐の男と乎具佐の助男とを潮舟のように並べて見ると、乎久佐の方がすぐれているように思える。
伊藤博氏の鑑賞
訓読 乎久佐(をくさ)男(を)と乎具佐(をぐさ)受助(ずけ)男(を)と潮舟(しほふね)の並べて見れば乎具佐勝ちめり
意訳 乎久佐男と乎具佐受助男とを、潮舟のように二人並べて見ると、やっぱり乎具佐受助男の方がまさっているようだ。
最初に中西進氏のものは解釈で乎具佐と乎久佐とで錯誤があります。原歌からしますと優れているのは「乎具佐」の方です。
次にこの集歌3450の歌は伊藤氏が解説するように『代匠記』の解釈である二句目「乎具佐受家乎」の「受家乎」を「すけを」と音読し「助男」と解釈し、律令時代の庶民男性の世代毎区分である、「次丁」の意味合いとして解釈しています。すると、その解釈しますと、乎久佐男とは乎久佐と云う村の正丁の男であり、乎具佐受助男とは乎具佐と云う村の次丁の男となります。
当然、このように解釈しますと、25歳から60歳までの正丁と60歳から65歳の老人や軽度の不具、疾病の男の比較で、次丁の方が優れていると云う背景を説明する必要が出て来ます。そのため、当時の律令制度や平均寿命などを勘案しますと、古くからその解説は非常に困難になります。伊藤博氏のように60歳を超えても体力・経験・技量で壮年男子よりも優れた人がいるから、そのような意味合いであろうとします。
幣ブログでは集歌3450の歌を万葉集ではよく見られる言葉の響きに遊んだ歌と解釈していますので、解釈の方向性が全くに違います。乎久佐は地名ですが、乎具佐は小草とする解釈です。そこから、菖蒲などを身に付ける五月の節句祭りと想像しています。
次いで、集歌3459の歌も歌中の表記に注目すると、歌の風景が大きく変わります。
集歌3459 伊祢都氣波 可加流安我乎乎 許余比毛可 等能乃和久胡我 等里弖奈氣可武
試訓 稲(いね)搗(つ)けば皹(かか)る吾(あ)が緒を今夜(こよひ)もか殿の若子(わくこ)が取りて嘆かむ
試訳 稲を搗くと手足がざらざらになる私、その私の下着の紐の緒を、今夜もでしょう、殿の若殿が取り解き、私の体の荒れようを見て嘆くでしょう。
中西進氏の鑑賞
原文 伊祢都氣波 可加流安我手乎 許余比毛可 等能乃和久胡我 等里弖奈氣可武
訓読 稲(いね)搗(つ)けば皹(かか)る吾(あ)が手を今夜(こよひ)もか殿の若子(わくこ)が取りて嘆かむ
意訳 稲を舂くとあかぎれが切れる私の手を、今夜も若殿さまは手にとって、嘆かれるだろうか
伊藤博氏の鑑賞
訓読 稲(いね)搗(つ)けばかかる我(あ)が手を今夜(こよひ)もか殿の若子(わくこ)が取りて嘆かむ
意訳 稲を搗いてひび割れした手、この私の手を、今夜もまた、お屋敷の若様が手に取ってかわいそうにかわいそうにとおっしゃることだろうか。
文学的には「皹(かか)る」のは手ですから、原歌の二句目「可加流安我乎乎」の「乎乎」は「手乎」の誤記でなければいけません。そのため、校本万葉集では「可加流安我手乎」と校訂し、稲搗き、籾を得る農作業で手が荒れた若い娘のその手と解釈します。
一方、弊ブログは西本願寺本万葉集の原歌表記を変更しないと云う縛りで歌を鑑賞しますから「可加流安我乎乎」はそのままに音読し「皹(かか)る吾(あ)が緒を」としています。そこから、手が荒れた私の着物の緒と云う解釈を得ています。風景としては、貴族階級の若殿が秋の収穫期に荘園にやって来て農作業を指揮していますが、その若殿は風習に従い夜には若殿の世話をする女性とともに寝所で休みます。その姿は里の若い娘たちは見聞きしていますし、場合によってはその若殿の世話をする女性は里から選抜された器量の良い娘かもしれません。
幣ブログはそのような風習の中で、玉の輿を夢見た里女たちの歌と考えています。その時代、庶民の女性が人生を大きく変える可能性がある希望は、有力者に見染められその子供を宿すことや、力自慢で役所の女武者になることぐらいです。都へ出向く采女は郡司クラス以上の子女であることが規定ですから、庶民の娘では可能性はありません。ここで詠うように夜毎、若殿に着物の紐緒を解いて貰えるような関係が、目の前のありそうな夢です。手を握ってもらうだけではダメなのです。
今回も、ばかばかしい与太話での鑑賞を展開しました。標準的なものは示しました中西進氏や伊藤博氏のものにあります。