竹取翁と万葉集のお勉強

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山上憶良を鑑賞する  有馬皇子の挽歌

2010年08月30日 | 万葉集 雑記
有馬皇子の挽歌

 先の集歌34の歌が、朱鳥四年(690)の紀伊国への御幸における川島皇子への代作と思われますが、この歌も同じ朱鳥四年(690)の紀伊国への御幸での歌でしょう。歌の標に「追ひて和へたる謌」とありますので、先行する有間皇子の御製とされる集歌141と142の歌を受けての長忌寸意吉麻呂が詠う集歌143と144の歌に対する、答歌の位置にあるようです。
 集歌145の歌は、山上憶良を始め人々は「有間皇子の変」の真相を知っていますが、それを公表してはいけない事も知っているような詠い様です。さて、「有間皇子の変」の当時に十九歳ともされ、場合によっては未成年扱いとなる年若い有間皇子と蘇我蝦夷をクーデタで襲ったような百戦錬磨の中大兄との間で、一体なにがあったのでしょうか。その真実は、ただ、山上憶良が詠うように松だけが知っていることなのでしょうか。
 参考に、朱鳥四年の紀伊国への御幸には柿本人麻呂も随行したと思われますが、万葉集に伝わるのはこの朱鳥四年ではなく、大寶元年の文武天皇の紀伊国の御幸の時のものです。

山上臣憶良追和謌一首
標訓 山上臣憶良の追(お)ひて和(こた)へたる謌一首

集歌145 鳥翔成 有我欲比管 見良目杼母 人社不知 松者知良武

訓読 鳥(とり)翔(かけ)り成(あ)り通(かよ)ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ

私訳 皇子の生まれ変わりの鳥が飛び翔けて行く。しっかり見たいと目を凝らして見ても、人も神も何があったかは知らない。ただ、松の木が見届けただけだ。

右件歌等、雖不挽柩之時所作、唯擬歌意。故以載于挽歌類焉。
注訓 右の件の歌どもは、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く時に作る所にあらずといへども、、唯、歌の意(こころ)に擬(なぞら)ふ。故以(ゆゑ)に挽歌の類(たぐひ)に載す。


参考歌 その一
有間皇子自傷結松枝謌二首
標訓 有間皇子の自ら傷みて松が枝を結べる歌二首

集歌141 磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武

訓読 磐白(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結び真(ま)幸(さき)くあらばまた還り見む

私訳 磐代の浜の松の枝を引き寄せ結び、旅が恙無く無事であったら、また、帰りに見ましょう。


集歌142 家有者 笥尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉尓盛

訓読 家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る

私訳 家にいたならば高付きの食器に盛る飯を、草を枕に寝るような旅なので椎の葉に盛っている。


参考歌 その二
長忌寸意吉麻呂見結松哀咽謌二首
標訓 長忌寸意吉麻呂の結び松を見て哀しび咽(むせ)べる歌二首

集歌143 磐代乃 岸之松枝 将結 人者反而 復将見鴨

訓読 磐代(いはしろ)の岸の松が枝(え)結びけむ人は反(かへ)りてまた見けむかも

私訳 磐代の海岸の崖の松の枝を結ぶ人は、無事に帰って来て再び見ましょう。


集歌144 磐代之 野中尓立有 結松 情毛不解 古所念

訓読 磐代(いはしろ)の野中に立てる結び松情(こころ)も解(と)けず古(いにしへ)念(おも)ほゆ

私訳 磐代の野の中に立っている枝を結んだ松。結んだ枝が解けないように私の心も寛げず、昔の出来事が思い出されます。


参考歌 その三
大寶元年辛丑、幸干紀伊國時結松歌一首(柿本朝臣人麿歌集中出也)
標訓 大寶元年辛丑、紀伊国に幸(いでま)しし時に結び松の歌一首(柿本朝臣人麿歌集の中に出づ)

集歌146 後将見跡 君之結有 磐代乃 子松之宇礼乎 又将見香聞

訓読 後見むと君が結べる磐代(いはしろ)の小松が枝末(うれ)をまたも見むかも

私訳 後でまた見ようと貴方が結んだ磐代の小松の枝を、貴方はまた見られたでしょうか

コメント
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