読書日記

いろいろな本のレビュー

秀吉の出自と出世伝説 渡邉大門 洋泉社新書

2013-08-05 09:30:21 | Weblog
 秀吉は卑賤の身から一躍天下統一した人物として名高い。最近その出自を問題にした本が目につく。目につくといっても私が見たのは、服部英雄氏の『河原ノ者・・秀吉』(山川出版2012)と本書くらいだが、なぜ今、秀吉の出自なのか。服部氏のは大部の著書で、古代・中世以来の被差別者の諸相を東大寺文書などで具体的に説明して、東大寺が被差別者やライ患者のための湯あみ所を設けていた書いている。その流れの中で秀吉の出自に触れて、彼がサルと呼ばれたのは若いころ旅芸人の仲間に入っており、さるまねをしていたからだと言っている。その秀吉が天下人となったのだから、庶民は彼のサクセスストーリーをわがことのように喜んだことが想像できる。ところが晩年の残虐な所行は庶民の心胆を沙無からしめるものがあった。挙句の果ての朝鮮出兵は、このぼけ老人の壮大な妄想の果ての愚行として歴史に汚点を残してしまった。秀吉の屋敷の塀に「おごれる者久しからず」という落書きがなされたという。こうなれば庶民の英雄も、敵になってしまう。民意とはかくも移ろいやすいのである。
 渡邉氏は服部氏の秀吉貧民説を批判しながら、彼の人間像に迫っている。出自の低さによる卑屈さと、異様な容姿とその性格、明らかに善人ではない。特に甥の関白秀次と彼の妻子に対する残虐な処刑は明らかに異常だと言える。また播磨責めで、城を水責めにして敵を根絶やしにする方法は、主君の信長の残虐性に通じるものがある。
 読んでいて、このような人生もあるのかとある種胸を打たれるものがある。そのエネルギーは出自という本人の責任ではないもので苦しめられたことによって増幅し、いつか天下を取ってやるという猛烈な上昇思考となって、出世が大きな目標となったのである。
 著者は「秀吉の身につけた処世術は、それなりの出自を持つ諸大名にはないものであった。宣教師のフロイスは秀吉を『気品に欠け』『抜け目なく狡猾で』と表現するが、現代にも少なからずこうした人物がいるはずである。それは、秀吉が幼い頃の貧しさから抜け出すために、自然に身につけた能力と言えよう」と言っているが、これを読んで腑に落ちた。
 今なぜ秀吉か。これは今太閤と呼ばれる人物が現に存在して、世間の話題となって、その毀誉褒貶にマスコミ等が血眼になっている現実の象徴なのだ。そうでなければ、この手の本が出版される意味はない。その今太閤と思しき人物とは?

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