台湾ナショナリズムという言葉は現時点で斟酌すると大陸からの独立ということになるが、共産党政権は飽くまで中国の領土という認識であるから独立は中華民国政府と共産党政府の内戦の再発を意味する。そのような文脈で見た場合、副題にある通り台湾は「東アジア近代のアポリア」ということになる。本書の特徴は台湾問題を共産党政権、アメリカ、日本との関係、冷戦期とポスト冷戦期という広い空間と長い時間という複眼的視野で捉え直しているところで、類書にはない新しい指摘がある。
私が興味を覚えたのは、2.28事件の評価である。著者曰く、3月中旬までの間の死者の数は、行政院の1992年2月22日付け「2.28事件報告書」によると、ほぼ1万8000人から2万8000人と記されていた。しかしこの数字は、2,28事件前後の戸口調査による人口減をそのまま死傷者として扱っていたことが明らかになった。虐殺と戸口調査による人口減とは論理的には別のものであるが、当時の国民党政権に責任があることに何ら変わりはない。しかしこの死者の数はその後独り歩きを始め、日本の出版物でも多く繰り返されている。いずれにせよ、90年代の台湾ナショナリズムが大陸中国に対して持つマイナスの歴史認識が反映されたもの、と言わねばならないだろうと。
また曰く、国民党政権による2,28事件の公的説明は、台湾共産党分子などによる島内擾乱策動に一般人が乗ってしまった、というものであったがどの歴史資料を当たっても共産党が主導したとは言えず、当時の冷戦体制下における反共イデオロギーの枠組みの中で、2,28事件観が操作されていたことが見てとれると。こう見てくるとこの事件の歴史認識は簡単に説明できるものではないことがわかる。
この事件のあと、大陸の共産主義の浸透を警戒した白色テロ(国民党による赤狩り)時代がやって来て、台湾人は政治的自由を奪われ辛艱するという類書に多い記述も先ほどの共産党の策動の文脈に乗ったものであり正確ではない。実は対岸の大陸中国共産党成立1周年を「記念」して、アメリカが台湾(国民党政権)の後ろ盾となる契機を孕みながら、両岸において対峙する内戦の延長形態として現前するものとなったという指摘も目から鱗である。そうするとホウシャオシエン監督の「非情城市」も距離を置いて見なければならないかも知れない。
私が興味を覚えたのは、2.28事件の評価である。著者曰く、3月中旬までの間の死者の数は、行政院の1992年2月22日付け「2.28事件報告書」によると、ほぼ1万8000人から2万8000人と記されていた。しかしこの数字は、2,28事件前後の戸口調査による人口減をそのまま死傷者として扱っていたことが明らかになった。虐殺と戸口調査による人口減とは論理的には別のものであるが、当時の国民党政権に責任があることに何ら変わりはない。しかしこの死者の数はその後独り歩きを始め、日本の出版物でも多く繰り返されている。いずれにせよ、90年代の台湾ナショナリズムが大陸中国に対して持つマイナスの歴史認識が反映されたもの、と言わねばならないだろうと。
また曰く、国民党政権による2,28事件の公的説明は、台湾共産党分子などによる島内擾乱策動に一般人が乗ってしまった、というものであったがどの歴史資料を当たっても共産党が主導したとは言えず、当時の冷戦体制下における反共イデオロギーの枠組みの中で、2,28事件観が操作されていたことが見てとれると。こう見てくるとこの事件の歴史認識は簡単に説明できるものではないことがわかる。
この事件のあと、大陸の共産主義の浸透を警戒した白色テロ(国民党による赤狩り)時代がやって来て、台湾人は政治的自由を奪われ辛艱するという類書に多い記述も先ほどの共産党の策動の文脈に乗ったものであり正確ではない。実は対岸の大陸中国共産党成立1周年を「記念」して、アメリカが台湾(国民党政権)の後ろ盾となる契機を孕みながら、両岸において対峙する内戦の延長形態として現前するものとなったという指摘も目から鱗である。そうするとホウシャオシエン監督の「非情城市」も距離を置いて見なければならないかも知れない。