「ボラード」とは岸壁に設置して船を繋留したり、道路や広場などに設置して自動車の進入を阻止したりする目的で設置される地面から突き出した杭のこと。「ボラード病」とは聞きなれない言葉で、著者の造語であろう。本書は佐藤優氏が『いま生きる階級論』(新潮社)の中で、全体主義国家のありようを的確に捉えた小説だと誉めておられたので、読んでみたが、結構面白かった。場所は海塚という田舎の市で、東北大震災の被害を受けて現在復興の途中という感じ。(はっきり書かれていないが)主人公はそこの小学校に通う五年生の恭子とその母である。恭子の母はこの街になじんでおらず、そのストレスで何かと恭子にきつく当たる。母はまた近所の野間さん夫婦にも心を許していない。常に監視されているように感じるのだ。
担任の藤村先生は、五年二組の十の決まりと言うのを教室に貼って教育に邁進している。①自主学習に励もう から始まって、挨拶しよう、給食を残さず食べよう等々があって、⑧結びあおう ⑨立派な海塚市民になろう ⑩みんなは一つ で終わっている。自主学習とは特活での道徳のようなもので、先生が生徒に問いかけて進めて行く授業だ。その終わりに、先生は「海塚市にとって一番大事なものは」と生徒に問うと、生徒は「結びあい!」と応じ、最後に五年二組合唱団が「海塚! 海塚! 海塚! 海塚!塚! 海塚! 海塚! 海塚!」と連呼するという具合。なんとなく全体主義の雰囲気が出てきた。東北大震災後の復興の中で「絆」が強調されたことを思い出す。藤村先生はこの自主学習を通して海塚を我が郷土としての感覚を生徒に定着させようとしているらしい。その様子は教師の特徴を余すところなく捉えていて面白い。実は作者の吉村氏は高校の教員出身であるので、教師の描写はお手の物だ。
ところが藤村先生これだけ頑張っていたのに、ある生徒の死亡事故に絡んで、急に登校しなくなって、副担任の佐々木先生に交代した。教育委員会に対応の不手際を問題視されたのだろうか。彼がどうなったのかの説明は無い。ある日突然人が姿を消すという全体主義国家の事例を思い出した。そんな中で、この親子は日曜日に港の清掃活動に参加する。市役所には「安全基準達成一番乗りの町・うみづか」の垂れ幕があり、それと連動した行事だ。そして昼食に海鮮丼が出るが、恭子はこれが苦手で、食べられない。しかし母は残してはいけないときつく命じる。そばに近所の野間さん夫婦がいるのだ。母は残すと何を言われるかわからないと言う。野間さん夫婦はさしずめ当局のスパイといったところだろうか。
その後、母は体調不良で救急車で病院に搬送されるが、その時病院は多くの急病人で母はなかなか診てもらえない。その中で、顔に包帯をした男が診察室から出てきて「全部嘘っぱちじゃねえか!」と捨て台詞を吐いて、その瞬間警官に殴られた。恭子は彼らは犯罪者だと思った。犯罪者たちは町に不満があって徒党を組んで暴力沙汰を起こしたのだろうか。これも詳しい説明はない。その後また清掃活動があり、それに参加した恭子は「海塚賛歌」に合わせて踊る自分を発見し、今までにない爽快感を覚えるが、それを母に「海塚に同調したのね」と苦言を呈せられる。
宗教でも一緒だがそこを支配しているイズムに入り込んでしまうと、自身の逡巡は消えて悩みが解消される。この感覚を著者はうまく捉えている。まあこんな話なのだが、全編佐藤氏の言う全体主義のアナロジーで埋め尽くされている。町内会はその手先で母はそれを恐れていたのだろうという恭子の言葉は同感できる。
担任の藤村先生は、五年二組の十の決まりと言うのを教室に貼って教育に邁進している。①自主学習に励もう から始まって、挨拶しよう、給食を残さず食べよう等々があって、⑧結びあおう ⑨立派な海塚市民になろう ⑩みんなは一つ で終わっている。自主学習とは特活での道徳のようなもので、先生が生徒に問いかけて進めて行く授業だ。その終わりに、先生は「海塚市にとって一番大事なものは」と生徒に問うと、生徒は「結びあい!」と応じ、最後に五年二組合唱団が「海塚! 海塚! 海塚! 海塚!塚! 海塚! 海塚! 海塚!」と連呼するという具合。なんとなく全体主義の雰囲気が出てきた。東北大震災後の復興の中で「絆」が強調されたことを思い出す。藤村先生はこの自主学習を通して海塚を我が郷土としての感覚を生徒に定着させようとしているらしい。その様子は教師の特徴を余すところなく捉えていて面白い。実は作者の吉村氏は高校の教員出身であるので、教師の描写はお手の物だ。
ところが藤村先生これだけ頑張っていたのに、ある生徒の死亡事故に絡んで、急に登校しなくなって、副担任の佐々木先生に交代した。教育委員会に対応の不手際を問題視されたのだろうか。彼がどうなったのかの説明は無い。ある日突然人が姿を消すという全体主義国家の事例を思い出した。そんな中で、この親子は日曜日に港の清掃活動に参加する。市役所には「安全基準達成一番乗りの町・うみづか」の垂れ幕があり、それと連動した行事だ。そして昼食に海鮮丼が出るが、恭子はこれが苦手で、食べられない。しかし母は残してはいけないときつく命じる。そばに近所の野間さん夫婦がいるのだ。母は残すと何を言われるかわからないと言う。野間さん夫婦はさしずめ当局のスパイといったところだろうか。
その後、母は体調不良で救急車で病院に搬送されるが、その時病院は多くの急病人で母はなかなか診てもらえない。その中で、顔に包帯をした男が診察室から出てきて「全部嘘っぱちじゃねえか!」と捨て台詞を吐いて、その瞬間警官に殴られた。恭子は彼らは犯罪者だと思った。犯罪者たちは町に不満があって徒党を組んで暴力沙汰を起こしたのだろうか。これも詳しい説明はない。その後また清掃活動があり、それに参加した恭子は「海塚賛歌」に合わせて踊る自分を発見し、今までにない爽快感を覚えるが、それを母に「海塚に同調したのね」と苦言を呈せられる。
宗教でも一緒だがそこを支配しているイズムに入り込んでしまうと、自身の逡巡は消えて悩みが解消される。この感覚を著者はうまく捉えている。まあこんな話なのだが、全編佐藤氏の言う全体主義のアナロジーで埋め尽くされている。町内会はその手先で母はそれを恐れていたのだろうという恭子の言葉は同感できる。