読書日記

いろいろな本のレビュー

ヒトラーとは何か セバスチャン・ハフナー 草思社文庫

2017-12-14 15:00:02 | Weblog
 ヒトラーの伝記では最近イアンカーショーの大部の『ヒトラー上・下』(白水社)が刊行された。彼の人生を克明に時系列で描いた対策で優れた作品だった。本書はそれより40程前のもので、1977年に出版されると、たちまちベストセラーとなり、一年ほどのあいだに西ドイツだけで30万部を売り上げた。本書はその文庫版である。著者のハフナー(1907~1999)はドイツのジャーナリスト。ナチス政権下の1938年にイギリスに亡命し、「オブザーヴアー」紙で活躍し、戦後、ドイツに帰り政治コラムニストとして活躍した。「訳者あとがき」によると、本書の成功の理由は、複雑な事柄を本質的な要素だけに還元し、それらを徹底的に分析し、要点をかいつまんで指摘したことにあるという。確かにヒトラーの時代を生きた者の皮膚感覚みたいなものが文章に横溢している。それはヒトラーの人間性に書き及んだ時にボルテージが上がることでわかる。第6章「犯罪」から引用しよう。
 著者曰く、「ヒトラーが犯罪者呼ばわりされるのは、彼が軍事目的あるいは政治目的ではなく、まったくの個人的な欲求から、数え切れないほど多くの罪なき人々を殺害したからである。(中略)ヒトラーの大量虐殺は、戦争中行なわれた。だがそれは戦闘行為ではなかった。彼は戦争を口実にして、戦争とは何の関係もなく、ただかねてより彼個人が望んでいたと言うだけの理屈で、大量殺人をおかしたのである。ヒトラーにとって人間を殺すことは、害虫退治と変わらなかったのだ。(中略)1942年から45年のあいだに、世界中で次のような認識が呼びさまされた。ヒトラーの大量虐殺は、たんなる「戦争犯罪」ではない、これは犯罪そのものである。文明の破局をもたらした前古未曾有の犯罪であり、通常の「戦争犯罪」が終わったところからはじまるものであると。このような認識はその後行なわれたニュルンベルク戦争裁判によって、再びあいまいにされてしまったのである。いま思い出しても胸糞の悪くなる、いまわしい裁判だ」そしてニュルンベルク裁判の批判が始まる。これがなかなか面白い。要点をかいつまんで言うと。まず被告席に主(あるじすなわちヒトラー)がいなかった。特にまずかったのは、ヒトラーの大量虐殺がほんの副次的な起訴事項として強制労働や強制輸送と同列に、ただ「人道にたいする罪」として十把ひとからげに扱われてしまったことだ。主要起訴事項は「平和にたいする罪」、要するに戦争自体が犯罪だとするものだが、戦勝国も戦争をしていたことに変わりはないのだから、裁判とは言っても、しょせん罪人が罪人を裁いただけのことであり、実際被告が有罪判決を受けたのは、ただ戦争に負けたという理由からであった。ニュルンベルク裁判は多くの混乱を引き起こした。この裁判以後ドイツ人は、非難されるたびに、待ち構えていたように「で、おまえたちはどうなんだ」と切り返す習性が身についてしまったと。なかなか鋭い指摘で、東京裁判もこのアナロジーで理解が可能だ。
 結論をいうと、ヒトラーの大量虐殺は戦争犯罪などというやわな枠でひっくくれるようなたまではない。人間に対する「害虫退治」、これは戦争犯罪とは本質的に別のもので、新たな罪名を考えるべきほどのものだという。ヒトラーは冷静に組織だって虐殺を実行した、生存圏確保という名目でやらずもがなの戦争をやり、無辜の民を死に追いやった。この事実を踏まえて、このような人物が権力を握る危険性を認識するためにもこの時代の歴史を研究を継続することが人類の重要な課題といえる。
 

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