原題は「Wars,Guns,and Votes」で副題が「Democracy in Dangerouse Places」
これが「民主主義がアフリカ経済を殺す」(最底辺の10億人の国で起きている真実)と変わっている。翻訳のマジックと言うべきか。確かにアフリカの圧政部族国家にどう民主主義を根付かせるかという事は議論されているが、どう転んだらあのようなタイトルがつけられるのか。売るためにはこれぐらいのハッタリが必要なのだろう。本書が最底辺と位置づけた国は、アフガニスタン、アンゴラ、アゼルバイジャン、ベニン、ブータン、ボリビア、ブルキナフアソ ブルンジ、カンボジア、カメルーン、中央アフリカ共和国、チャド、コロモ、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、コートジボワール、ジブチ、赤道ギニア、エリトリア、エチオピア、ガンビア、ガーナ、ガイアナ、ハイチ、カザフスタン、ケニア、北朝鮮、キルギス、ラオス、レソト、リベリア、マダガスカル、マラウイ、マリ、モーリタニア、モルドバである。これらを民主化するのは並大抵ではない。
アフリカ諸国では民族間の闘争をどう解決するかが課題だと言う。著者曰く、「社会はその構成員が複数のアイデンティティーを持っているときに、きわめて健全に機能しうるが、問題が生じるのはそうした副次的アイデンティティーに対する忠誠心が、国家全体に対する忠誠心をしのぐ場合である」と。その通りだ。さすれば、これをどう解決すれば良いのかということだが、著者はタンザニアのニエレレ大統領が採用した、政治的リーダーシップによる民族国家としてのアイデンティティーの構築を挙げている。具体的には汎アフリカ主義を民族国家アイデンティティーと同じぐらい強調して共通の国民意識を育み、民族の権利はその国民意識の創出の上に成り立つ制度に支えられることを悟らせたのだ。民主的選挙制度はこういうプロセスを経て初めて実効あるものとなる。選挙が部族間の利益を獲得する争いになって、流血の騒動になるのはこのようなプロセスを経ないためである。民族闘争を止揚するもう一つの課題は国家のアカウンタビリティー(責任)だ。チエック・アンド・バランスが機能していれば、国内グループ同士の競合があっても、連邦国家を公平に保てる。それは帰属意識の共有ではなく、構成しているグループ同士が相互に猜疑心を抱いており、けれども不利益を避けるためにアカウンタビリティーの構成を利用できるからだ。こうした社会は居心地は悪いが、存在能力があると著者は言う。カナダやベルギーがこれに当たる。みんな仲良くというメッセージは多民族国家では意味がないことがこの説明で腑に落ちる。いわば消去法的共存で、論語的発想が感じられる。何はともあれ、キーワードはアカウンタビリティーである。
これが「民主主義がアフリカ経済を殺す」(最底辺の10億人の国で起きている真実)と変わっている。翻訳のマジックと言うべきか。確かにアフリカの圧政部族国家にどう民主主義を根付かせるかという事は議論されているが、どう転んだらあのようなタイトルがつけられるのか。売るためにはこれぐらいのハッタリが必要なのだろう。本書が最底辺と位置づけた国は、アフガニスタン、アンゴラ、アゼルバイジャン、ベニン、ブータン、ボリビア、ブルキナフアソ ブルンジ、カンボジア、カメルーン、中央アフリカ共和国、チャド、コロモ、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、コートジボワール、ジブチ、赤道ギニア、エリトリア、エチオピア、ガンビア、ガーナ、ガイアナ、ハイチ、カザフスタン、ケニア、北朝鮮、キルギス、ラオス、レソト、リベリア、マダガスカル、マラウイ、マリ、モーリタニア、モルドバである。これらを民主化するのは並大抵ではない。
アフリカ諸国では民族間の闘争をどう解決するかが課題だと言う。著者曰く、「社会はその構成員が複数のアイデンティティーを持っているときに、きわめて健全に機能しうるが、問題が生じるのはそうした副次的アイデンティティーに対する忠誠心が、国家全体に対する忠誠心をしのぐ場合である」と。その通りだ。さすれば、これをどう解決すれば良いのかということだが、著者はタンザニアのニエレレ大統領が採用した、政治的リーダーシップによる民族国家としてのアイデンティティーの構築を挙げている。具体的には汎アフリカ主義を民族国家アイデンティティーと同じぐらい強調して共通の国民意識を育み、民族の権利はその国民意識の創出の上に成り立つ制度に支えられることを悟らせたのだ。民主的選挙制度はこういうプロセスを経て初めて実効あるものとなる。選挙が部族間の利益を獲得する争いになって、流血の騒動になるのはこのようなプロセスを経ないためである。民族闘争を止揚するもう一つの課題は国家のアカウンタビリティー(責任)だ。チエック・アンド・バランスが機能していれば、国内グループ同士の競合があっても、連邦国家を公平に保てる。それは帰属意識の共有ではなく、構成しているグループ同士が相互に猜疑心を抱いており、けれども不利益を避けるためにアカウンタビリティーの構成を利用できるからだ。こうした社会は居心地は悪いが、存在能力があると著者は言う。カナダやベルギーがこれに当たる。みんな仲良くというメッセージは多民族国家では意味がないことがこの説明で腑に落ちる。いわば消去法的共存で、論語的発想が感じられる。何はともあれ、キーワードはアカウンタビリティーである。