読書日記

いろいろな本のレビュー

中島敦 「山月記伝説」の真実 島内景二 文春新書

2009-11-08 22:34:41 | Weblog
 高校国語二年生教科書の定番、中島敦の『山月記』を著者の年譜を追って読み解いたもの。これを読むと、主人公の李徴はまさしく中島敦の分身であることがわかる。臆病な自尊心と尊大な羞恥心は中島の心情そのものだった。彼は一高、東大出身の秀才であったが、横浜の女学校の国語教師という職を得て糊口をしのいでいた。同級生達は皆エリートとしてそれなりの職に就いていたことを思うと、中島の心境は穏やかならざるものがあっただろう。加えて持病の喘息に悩まされ、三十三歳で夭折してしまった。この中島のよき理解者であったのが東大同期の釘本久春という人物で、文部官僚として活躍した。著者によれば、袁惨のモデルはこの釘本だろうという。彼は何かにつけ不遇だった中島を助けた人物だ。そして中島の『山月記』を教科書に掲載することに功のあった人物である。中島はよき友に恵まれて後生に名を残すことができたのだ。
 李徴が詩人になりそこなった自分の作品を後生に伝えて欲しいと袁惨に頼む場面があるが、昭和の袁惨の釘本久春が毎年毎年、全国の高校二年生に中島敦の名前を刻み込んでいるのである。友情の力は偉大と言うしかない。前掲の「大人のための国語教科書」で小森陽一氏は、李徴は国家権力の中枢にいる袁惨に対して大変な憎悪を抱いており、それが彼の七言律詩に表れていると述べていたが、その誤りはこの書物によって証明されたといえる。小森氏は何でも権力と反権力のせめぎあいの図式にしないと収まらないようだ。それって55年体制を引きずっていることと同じじゃありませんか。もっとしなやかな読みが必要だと思う。

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