読書日記

いろいろな本のレビュー

詩のトポス 齋藤希史 平凡社

2016-11-28 10:21:54 | Weblog
 トポスとは詩学において特定の連想ないし情念を喚起する機能をもつテーマや概念、定型的表現のこと。ギリシャ語で場所を意味するtoposに由来する修辞学用語。日本文学における枕詞も一種のトポスであると辞書にある。齋藤氏は気鋭の中国文学の研究者で『漢文脈の近代ー清末=明治の文学圏』(名古屋大学出版会)『漢文スタイル』(羽鳥書店)などの著書がある。本書の副題は「人と場所を結ぶ漢詩の力」で漢詩の歌枕とも言うべき場所を取り上げて、ゆかりの詩人たちの詩を鑑賞するという内容である。取り上げられているのは、洛陽、成都、金陵、洞庭 西湖、廬山、涼州、嶺南、江戸、長安である。
 最近の漢文関係は杜甫生誕1200年を記念しての杜甫の研究書や注釈書の出版が多い。以前はNHKラジオの「漢詩をよむ」のテキストが石川忠久先生の名解説・名調子でよく売れたが、最近の日中関係の悪化で下火になった。石川先生ご自身もご高齢のため番組を降りられた。そんな中で、漢詩の解釈をメインに据えたこのような書物が発刊されることは、誠に喜ばしいことで、これが機縁で中国の上記の場所へ旅行をしようという人が増えれば、日中の草の根交流が復活するのではないか。最近は中国人観光客が沢山日本に押し寄せているが、実際の日本を見て反日教育の実態を確認してもらえばいいのではないか。実際常識のある中国人はとっくの昔にそれがわかっていて、黙っているだけという気もする。
 十の場所の中で、この夏旅行した四川省の成都の部分を取り上げたいと思う。ここは詩聖杜甫が「安禄山の乱」の後、家族としばらく過ごした場所で、今「杜甫草堂」として観光名所になっている。本書も杜甫の詩で成都のイメージを膨らませている。上元元年(760)、草堂を建てた年の夏の作品に「江村」という七言律詩がある。有名な作品で漢文の教科書によく載っている。
   清江一曲抱村流  清江一曲村を抱いて流れ       長夏江村事事幽  長夏江村事事幽かなり
   自去自来梁上燕  自ら去り自ら来る梁上の燕      相親相近水中鷗  相い親しみ相い近づく水中の鷗
   老妻画紙為棋局  老妻は紙に画いて棋局を為り     稚子敲針作釣鉤  稚子は針を敲いて釣鉤を作る
   多病所須唯薬物  多病須つ所は唯だ薬物        微躯此外更何求  微躯此外に更に何をか求めん
   川はぐるりと村をめぐって流れ、夏の長い日村は静である。燕は巣を忙しく出入りして、鷗は私に慣れて近寄ってくる。
   妻は紙に線を引いて碁盤を作り、子どもは針をたたいて釣り針を作る。病気がちのこの身、薬があるだけで十分、他に何を求めようか。
 著者は言う、「碁も釣りも隠者らしい営みではあるが、その道具を作る手伝いを家族がしているという描写は、杜甫ならではのものだ。多分それはリアリズムとかそういうことではない。日常生活の活写などでもない。むしろ、戯画的なおもむきがここには感じられ、七言のリズムもそれを助けている。妻や子にありあわせの材料で隠者暮らしを手伝わせているんですよ。まあ、わたしなどはそんなところです、隠者のまねごとですな。そう読めば、結びの尾聯もまた自然な感慨として受け取れる。病気がちのこの身、薬があれば、それでけっこう、ほかに何か求めようとて、そりゃ無理だとわかってますよ。(中略)もとより安閑ではないが、諦念とも少し違う。むしろモザイクのように、小さな感情のかけらがあちこちに埋め込まれているような、そんな感覚におそわれる」と。こういう解説を目にすると何だかうれしくなる。浣花渓のそばの草堂で、一時の安静を喜ぶ杜甫の心中をうまく救いとっている。
 今、浣花渓の杜甫草堂そばには、一見して金持ちのと分かる家が沢山建っている。ガイドさんによると、どれも億をこえる値段らしい。四川大地震のあと、ここらは建築ブームのようだ。杜甫のつましい生活を共感できる場所の周りは拝金主義の嵐。中国はダイナミックだ。
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。