読書日記

いろいろな本のレビュー

教育格差ー 階層・地域・学歴 松岡亮二 ちくま新書

2020-02-06 11:06:39 | Weblog
 「格差社会」は現代の課題として大きな問題になっている。一部の人間が富を独占する半面、日々の糧に困窮する人間が余りに多い現実。それを解決するのが政治の役割だが、政治家にその気概はない。彼ら自身が手にした権力を行使して、民の税金をかすめ取っているのが現実だ。一方テレビでは、セレブの生活拝見とばかり、その豪勢な日常を視聴者に見せて、貧乏人の嫉妬を煽っている。金持ちが偉いという誤ったシグナルを流すテレビもテレビだが、それに同調してしまうコメンテーターの浅慮もひどい。

 一方で芸人・タレントが学歴を誇示して出場する狂乱怒涛のクイズ番組。芸人・タレントの中でも最近は学歴がものをいうご時世らしい。これからは漢字検定や一般教養試験の参考書を勉強してから芸能界に入らないといけなくなるかもしれない。もちろんこのような形で学歴(学校歴)信仰を刷り込んで、それがこどもの勉学意欲に繋がるとすれば、それはそれで意味があるのかも知れない。

 片や、子ども虐待のニュースが日常的に流れる。我が子、あるいは連れ子を虐待する親は総じて若い。しかも父が無職という報道が多い。経済的に困窮する中で行なわれる暴力。子どもに暴力をふるう親は自分もかつて被害者だった場合が多いと識者は指摘する。まさに負のスパイラルで、彼らにとって結婚はいかなる意味を持つのだろうか。親に虐待されて死んだ子どもは教育を受ける以前に他界したわけだから、本書の教育格差云々以前の問題である。これも本書のいう階層の問題であろう。ここに政治の目を向けなければ虐待は無くならない。

 本書は出身家庭と地域によって子どもの最終学歴は違ってきて、それが収入・職業・健康などさまざまな格差の基礎だという。現状、日本は「生まれ」で人生の可能性・選択肢が大きく左右される「緩やかな身分社会」だということを様々な統計で説明している。「社会経済的地位」(SES)がキーワードで、これが高いと子どもの学歴が高くなるということだ。当たり前と言えば当たり前で、アメリカの名門大学を見ればすぐわかる。高い授業料を支払える階層しか行けないのだ。著者曰く、「社会経済的地位」が高いと親は「意図的な教育」が可能になる。すなわち習い事とか、塾通いとか、海外旅行、読書・音楽指導等々、文化的な厚みでもって競争を勝ち抜くことができる。この議論を親が大学出かそうでないかによって調査した統計をもとに説明している。昔であれば、親の学歴で人生が決まるということをいうと、人権問題だと糾弾される恐れがあったが、時代も変わったものだと感慨深い。

 逆に「意図的な教育」を受けられない子どもは太刀打ちできないことになる。昔は「家貧しくして孝子出づ」で、家は貧乏でも学力優秀な子どもはいたが、今はその出現率が低い。モーターボートレースのようにスタートでほぼ勝負が決まってしまう。これをどうするかが喫緊の課題である。

 著者はこの「社会経済的地位」(SES)の子どもたちの可能性に投資することで、勉強を諦めて競争の場から退場していた層が再び参入できるようにすることが必要だ、そのために「みんな」が欲しがる「椅子の数」(有名高校・大学、人気企業の採用数等々)を巡って厳しい奪い合いが起こるかも知れないが、社会の活性化に繋がる利点があると説く。

 教育改革は政治家が好んで使う言葉だが、著者はこの現実を踏まえた上での政策が必須だという。そして教員も「社会経済的地位」の恩恵を受けて来た階層と言えるので、教育格差を学ばずに教員免許状取得が可能な現状を改め、「教育格差」を必修科目にすべしと提言している。著者の提言が一日も早く実現することを願う。

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