読書日記

いろいろな本のレビュー

亡国の中学受験 瀬川松子 光文社新書

2009-12-04 21:07:24 | Weblog
 「お受験」は日本の大都市圏に於いてはセレブの部分的側面の一断面を味わえる、自称中産階級一家の大事な通過儀礼になっている。得に私立六年一貫校は最近人気が出て、教育をカネで買えるお得な手段として多くの受験生を集めている。二月の受験シーズンには小学校の授業を平気でサボり、塾で鉢巻締めて勉強する小学生の姿がテレビ等で紹介される。公立中学へ行くやつは落ちこぼれで、カネのないやつといわんばかりの塾の宣伝もバカな親にはたまらない快感のようで、家族一丸となっての塾通いは良くぞ人間に生まれてきた甲斐があったと実感できる大きな機会のようだ。
 本書はこの私立中学の受験の光りと影を現役の家庭教師が赤裸々に描いたもので、やっぱりそうかと納得させる内容を持っている。著者によれば、公立の悪口を並べて私立のよさを際立たせる手法はあくどいものがあり、ルール違反もはなはだしいという。私立の六年一貫校と比較されるのはあくまで公立中で、公立の六年一貫校ではない。私立に受かればばら色の人生が開けるような錯覚を起こさせるのがミソで、どんな欠点も公にする事はない。大学に受かるために生徒のキャパを超えた授業を続け、お陰でやる気をなくした生徒は退学していく。その生徒を公立の中学に後始末させるというのが多いのだ。特に偏差値が四十ぐらいの私学は、小子化の中で経営が苦しく、何とか大学合格実績を上げて生き残ろうとするので、理解不能な先取り授業が生徒を抑圧するのだ。その他、スタンドプレーの学校経営、蔓延するいじめなど私立の課題は多いが、それが受験産業(塾など)とつるんでいるために、悪事は公にされないのだ。私は公立高校の教員だが、同僚にもと私学勤務だった人が多い。彼らの話を総合すると、私学の勤務状況は非常に厳しく、理事長の独裁に戦々恐々としているというのが多い。公立の採用試験に合格して本当に良かったと言う人がほとんどだ。受験産業は私学の優位をことあるごとに喧伝するが、教員のレベルは私立に比べて下ということはないと思う。公立と同じ土俵にのっていないのにそれを単純比較することは意味がない。例えば土曜日に授業をすることだ。これを私立優位の根拠にするものだから、バカな親は授業の少ない公立は劣ると単純に思い込むわけだ。私学助成金は本来憲法違反の疑いがあるが、これが続いている根拠は、私学も教育という公共の福利に寄与するが故であるということらしいが、それならば公立を叩いて生き残ろうとするやり方はやめるべきだ。塾とのもたれあいも見苦しい。といろいろ文句を言ったが、私は別に私立を敵視しているわけではない。荒れた公立中学に行かせたくない気持ちもよくわかる。公立も私立もそれぞれ持ち味があって、好みに応じて選択すればよい。しかし、小学四年くらいから毎晩遅くまで遊びもせずに鉢巻締めてエイエイオーと勉強して、学校無視でそんな生活、ドウなんだい。精神的貧困の再生産じゃないか。

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