読書日記

いろいろな本のレビュー

放浪・雪の夜 織田作之助 新潮文庫

2024-05-08 09:39:40 | Weblog
 織田作之助傑作集と銘打って、11編の小説が収められている。まずは森英二郎氏によるカバー装画がいい。道頓堀のグリコ前の夜景を水彩画で描いたものだが、郷愁を誘う。織田作之助と言えば『夫婦善哉』が有名だが、恥ずかしながら今まで彼の作品は読んだことがなかった。今回本書を読んで、結構うまい作家だということが分かった。晩年はヒロポン中毒で最期は喀血して34歳で死んだが、残念なことである。彼は無頼派と呼ばれ、太宰治や坂口安吾と交流があったが、作品の物語性は共通するものがあり、ただの大阪在住の地方作家という私の見方を大いに反省した。彼の生まれ育った難波周辺の風俗を描いているが、彼自身は三高出身のインテリで、決して通俗に流れない味があって好感がもてる。

 本書では戦前・戦中の大阪の暮らしが彷彿とされる言葉が沢山出てきて、こちらも『大阪ことば事典』(講談社)で確認しながら読み進めた。巻末の注解は詳しくて大変勉強になる。少し例を挙げよう。「現糞」(験すなわち縁起が悪いことを忌み嫌って「くそ」をつけた言葉。「現糞悪い」という言い方をする。「坊んち」(良家の若い子息を呼ぶ語。坊ちゃん。)「夜泣きうどん」(夜中に屋台を引き、売り声を上げたり、音を鳴らしたりして客を呼ぶうどん屋)
「関東煮」(おでん)「まむし」(鰻めしのこと)「胸すかし」(千日前の竹林寺の前で売っていた鉄冷鉱泉。炭酸水のこともいう)「でん公」(大阪で町の不良、ばくち打ちのこと)「コーヒ」(コーヒーを短く縮めた)「おんべこちゃ」(同じであること。おあいこ)以上私の目に留まったものを挙げてみたが、「おんべこちゃ」は知らなかった。『大阪ことば事典』では、「オンベ」で出ていて、(同じこと。あいこ。また、オンベコ。オンベコチャン。)とある。大阪弁も奥が深い。

 最近はテレビなどでは大阪弁を含む関西弁を使う人間がみられるが、多くは吉本などの芸人でそのイメージは決して良くないものとして演出されることが多い。東京のテレビ局の悪意によるものがまま見受けられる。「東京に負けへんで」という気概が大阪にはあり(村田英雄の「王将」や天童よしみの歌など)、これを少々皮肉ってやろうということなのかなあと思ってみたりもする。しかし、東京に負けたくないという気持ちは「関西人」にアプリオリなものとして備わっているのではない。在阪のテレビ局などは、何かといえば「関西人」を強調するが、こちらに住む私としてはいい迷惑である。その昔、作家の池波正太郎氏は、「生粋の江戸っ子は大阪の悪口なんか言いはしないし、逆に生粋の浪速っ子は東京の悪口を言わないでしょう」という趣旨のことを言われていたが、全く同感である。それぞれの文化の中で育ってきた人間にはおのずと品格が備わるものである。

 これに関わって、織田作之助も本書の「神経」という作品で次のように言っている。曰く「帰りの電車で夕刊を読むと、島之内復興連盟が出来たという話が出ていて、【浪速っ子の意気】いう見出しがついていたが、その見出しの文句は何か不愉快であった。私は江戸っ子という言葉は好かぬが、それ以上に浪速っ子という言葉を好かない。焦土の中の片隅の話をとらえて【浪速っ子の意気】とは、空景気もいい加減にしろと言いたかった。【起ち上る大阪】という自分の使った言葉も、文章を書く人間の陥りやすい誇張だったと、自己嫌悪の念が湧いてきた」と。空襲で大阪が焼け野原になった頃の話だ。織田は大阪生まれのインテリだが、その彼にしてこの謙虚さはさすがというべきだ。池波正太郎と通ずるものがある。今度はぜひ『夫婦善哉』を読みたいものだ。