ヒトラーが薬物中毒だったという衝撃的な内容だ。著者はヒトラーの主治医テオドール・モレルの遺稿を発見し、調査したところ彼の日誌には「患者A」(アドルフ・ヒトラー)に処方したさまざまな薬物の名称と投与量が克明に記されていた。さらにアメリカ、ワシントンDCの国立公文書記録管理局で、戦争直後のモレルに対する尋問記録を見つけ出した。そこで明らかになったのは、「健康帝国ナチス」とは名ばかりの実態だった。ナチスが薬物をユダヤの「頽廃毒物」などと呼んで、大々的な薬物撲滅政策を展開し、ヒトラー個人についても酒、煙草、薬物とは無縁の菜食主義者というイメージを作り上げ、結婚もせず(本書では愛人エフア・ブラウンとの愛欲生活が暴露されている)、国にその身を捧げた指導者として偶像化したが、実は多剤薬物依存だったという。ビタミンやブドウ糖だけでなく、家畜の肝臓や脳下垂体、睾丸などから抽出されたホルモン剤や強力な鎮痛剤、覚醒剤など、合計80種類もの怪しげな薬液が、静脈注射や筋肉注射でヒトラーの身体に注入された。あのユダヤ人に対するジェノサイドや生存圏確保の名目で行なわれた東欧侵略が薬物依存症の結果ということではなくて、ヒトラーの中で企図されていたものをより強力に後押ししたにすぎないということを断わっているが、いったん歩み始めた路線を守るため薬物に手を伸ばして、人工的な妄想世界に遊ぶ傾向が助長されたのだと述べている。
薬物依存の症状は、例えば1943年以降、高官全員参加の食事会と深夜のパーティーで聞き手の忍耐力を試すがごとくヒトラーの独演会が夜が明けるまで何時間も続いた。これは薬物依存によって引き起こされた多弁症だと著者は言う。またヒトラー暗殺事件の首謀者達を「ピアノ線で絞め殺せ」と言って残酷な処刑を指示したのも薬物依存の影響があるように思われる。また戦局の悪化につれて急にふけ込み、彼の取り巻きはヒトラーが自分の荷物を運ぶことさえ困難な様子を目の当たりにし、さらに眼の輝きが失せたことを感じとっていた。薬物使用の副作用である。かつての最高司令官の姿はそこにはない。
ナチの幹部ではゲーリング、ロンメルを始めとして興奮剤を使用していたことが明かされている。またポーランド侵攻に際しては兵士たちがメタンフエタミンを摂取したお陰で「絶好調」になり戦闘を有利にスムーズに展開した。この侵攻で10万のポーランド兵、6万のポーランドの一般市民が命を落としたが、あらゆる局面でこの覚醒剤が「任務完了までに疲れを知らずに」戦うことを可能にしたのである。興奮剤の使用はどの国の軍隊もやっていたが、このドイツ軍の興奮剤使用がイギリスで明らかになると、ドイツ軍の戦闘能力が、イデオロギーによるものではなく薬物に助けられたものであることが分かって安堵したとある。薬物使用は後の副作用が危惧されて、両刃の剣と言えよう。
悪の帝国がイデオロギーのみならず、薬物が悪を遂行するための夢幻の境地を提供していたということは記憶にとどめる必要があるだろう。
薬物依存の症状は、例えば1943年以降、高官全員参加の食事会と深夜のパーティーで聞き手の忍耐力を試すがごとくヒトラーの独演会が夜が明けるまで何時間も続いた。これは薬物依存によって引き起こされた多弁症だと著者は言う。またヒトラー暗殺事件の首謀者達を「ピアノ線で絞め殺せ」と言って残酷な処刑を指示したのも薬物依存の影響があるように思われる。また戦局の悪化につれて急にふけ込み、彼の取り巻きはヒトラーが自分の荷物を運ぶことさえ困難な様子を目の当たりにし、さらに眼の輝きが失せたことを感じとっていた。薬物使用の副作用である。かつての最高司令官の姿はそこにはない。
ナチの幹部ではゲーリング、ロンメルを始めとして興奮剤を使用していたことが明かされている。またポーランド侵攻に際しては兵士たちがメタンフエタミンを摂取したお陰で「絶好調」になり戦闘を有利にスムーズに展開した。この侵攻で10万のポーランド兵、6万のポーランドの一般市民が命を落としたが、あらゆる局面でこの覚醒剤が「任務完了までに疲れを知らずに」戦うことを可能にしたのである。興奮剤の使用はどの国の軍隊もやっていたが、このドイツ軍の興奮剤使用がイギリスで明らかになると、ドイツ軍の戦闘能力が、イデオロギーによるものではなく薬物に助けられたものであることが分かって安堵したとある。薬物使用は後の副作用が危惧されて、両刃の剣と言えよう。
悪の帝国がイデオロギーのみならず、薬物が悪を遂行するための夢幻の境地を提供していたということは記憶にとどめる必要があるだろう。