みちのくの山野草

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「菲才だからこそ出来た私の賢治研究」の目次

2024-04-01 14:00:00 | 目次
『菲才だからこそ出来た私の賢治研究』
    目 次
 ・菲才だからこそ出来た私の賢治研究

入沢康夫氏に感謝
 ・入沢康夫氏からの慰めと励ましに感謝
 ・入沢康夫氏に感謝(一次資料の大切さ)
 ・入沢康夫氏に感謝(真偽を自分の目で確かめる)
 ・私はそんなことは述べていないはずですが
 ・入沢康夫氏に感謝(A氏とは実は入沢氏のことである)
 ・入沢康夫氏に感謝(「賢治昭和二年上京説」の支持)
 ・『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』出版
 ・入沢康夫氏に感謝(クレーマー退却)
 ・私見・「ヒドリ=ヒデリ誤記」説

若い頃の私は
 ・小学生の頃の私
 ・中学の頃は
 ・高校生になると最も尊敬する人物は賢治に
 ・賢治の甥の嘆きに大ショック

千葉恭と独居自炊
 ・「経埋ムベキ山」をまずは全て登ってみた
 ・「協会に寝泊まりしていた千葉恭」
 ・尋ね廻って知ったこと
 ・ 「当時身辺にいた人々が、どうして千葉氏に言及していないのか」
 ・なんと、賢治自身が言及していた
 ・「千葉恭は件の楽団の一員であり、マンドリンを担当」
 ・一体いつから「独居自炊」に
 ・高村光太郎の随筆集『獨居自炊』
 ・千葉恭が無視されるようになった理由?

賢治の「ヒデリノトキ」と「サムサノナツ」
 ・賢治の大恩人である松田甚次郞もいつの間にか無視され
 ・旱魃に苦悶する赤石村
 ・ヒデリノトキニ涙ヲナガサナカッタ賢治
 ・昭和2年は冷夏で、大凶作だったという誤認
 ・昭和3年の「ヒデリノトキニナミダヲナガシ」たことはなかった賢治
 ・ヒデリノトキもサムサノナツも「サウイフモノニナリタイ」
 ・昭和6年の岩手は冷害だったのだが花巻は違っていた

賢治と「タンカル」
 ・賢治の稲作指導法とその限界
 ・貧しい農民のために献身できたとは実は言えない?
 ・「もしかすると、知らないのは私たちだけ!」
 ・「石灰岩抹といわぬ日はなかった」
 ・羅須地人協会時代の賢治の石灰岩抹施用の実際
 ・定性的段階であり、残念ながら定量的ではなかった
 ・東北砕石工場技師時代になると施肥のコンセプト変更
 ・「稲の土壌の最適なpHは5.5~6.5」を知らなかった賢治
 ・「タンカル」施用推奨の苦悩が〔雨ニモマケズ〕を詠ませた?
 ・〔雨ニモマケズ〕(祈りと願い)
 ・〔雨ニモマケズ〕(悔恨と懺悔)

 「羅須地人協会時代」終焉の真相
 ・あの「演習」とは一体何のことなのか
 ・「かつての賢治年譜」の検証
 ・「逃避行」していた賢治
 ・あの「演習」とは実は「陸軍大演習」のことだった
 ・八重樫賢師について
 ・警察からの圧力と賢治の対処
 ・大内秀明氏からの「私見」支持と示唆
 ・賢治は実家に戻って「自宅謹慎」していた
 ・書き残していなかったという事実
 ・論じてこられなかった理由と意味
 ・仮説を裏付けている賢治自身
 ・《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》

〈悪女〉の濡れ衣が着せられていても等閑視する学界
 ・「私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―」の評は?
 ・「私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―」 一 はじめに
 ・   〃   二 未完に終わった上田哲の論文
 ・   〃   三 「下敷」の検証
 ・   〃   四 「聖女のさましてちかづけるもの」のモデルは誰か
 ・   〃   五 おわりに
 ・   〃   〈注〉    

「校本宮澤賢治全集」の検証を
 ・序 「いくらなんでも」
 ・「筑摩の倒産」と「252c等の公開」 
   一 はじめに
   二 「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」
   三 「初めての絶版回収事件」
   四 「新発見の書簡 252c」等の公開
   五 とんでもない悪女であるという濡れ衣
   六 おわりに
 ・『校本全集第十四巻』の「総括見解」も 
   一 必ず一次情報に立ち返って 
   二 『賢治随聞』の「あとがき」の違和感 
   三 「沢里武治氏聞書」の一次情報とは 
   四 賢治昭和二年の上京
   五 当時の「賢治年譜」にはどう記載されていたか
   六 もう一つの「総括見解」も
 ・筑摩書房に異議申し立て
   一 おかしいと思ったところはほぼ皆おかしかった
   二 検証結果についての評価や反応
   三 〈悪女・高瀬露〉は人権に関わる重大問題
   四 『校本全集第十四巻』も『事故のてんまつ』と同じ
   五 強く異議申し立てをすべし

恩師からのミッションに応えることが出来たか

常識的にあり得ないでしょうにこんな面談

「このような教材を使って子どもたちを騙すことは避けるべき」

『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』
 はじめに
 第一章 杜撰
   ㈠ あらゆることを疑い
   ㈡ 一次情報に立ち返る
   ㈢ 自分の頭と足で検証
   ㈣ 杜撰が招いた冤罪
 第二章 「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」
   ㈠ 絶版回収事件
   ㈡ 二つは同じ構図
   ㈢ 賢治のためにも「総括見解」を
 第三章 通説を疑う
   ㈠ 賢治の甥の嘆き
   ㈡ 真偽を自分の目で確認 
   ⑸ 「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」賢治
   ⑹ 稲の最適土壌は中性でもアルカリ性でもない
   ⑺ 下根子桜からの撤退は凄まじい「アカ狩り」のせい
   ⑻ 「聖女のさまして近づけるもの」は露に非ず
   ㈢ 読者の皆様がご自身でも検証を
 第四章 賢治終焉前日の定説も杜撰
   ㈠ 賢治の聖人化
   ㈡ 菊池忠二氏の疑問
   ㈢ 賢治終焉前日の定説までもが杜撰だったとは
 終 章 このままでいいのですか

賢治研究者からのクレーム等
「一次情報に立ち返る」ことの重要さ
「一本足」論争(経過報告1)
「一本足」論争(経過報告2)
「一本足」論争(経過報告3)
「一本足」論争(経過報告4)
「一本足」論争(経過報告5)
・「一本足」論争(経過報告6)
・「一本足」論争(経過報告7)
・「一本足」論争(経過報告8)
・「一本足」論争(経過報告9)
・「一本足」論争(経過報告10)
・「一本足」論争(経過報告11)
・「一本足」論争(経過報告12)
・私はなぜ「(33)」をコメントしたのか
・「あらら。」から透けて見えるもの
・H様がそこまで仰るのであれば
・H氏の私に対する誹謗中傷ツイート
・「一本足」論争(H様に告ぐ)
・「一本足」論争(ひとまず最終回)
「テジマア」様並びに「とおりすがり」様へ
・「隠し球」を持っているとかたるH氏
・思考実験『H氏=テジマア様』
・H様へのご返事
・理不尽な「圧力」
・signaless 様へのお願い
・一連のクレームから透けて見えること(増補版)

 

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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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