みちのくの山野草

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『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』のはじめに

2024-06-18 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(2021年6月25日撮影、岩手)


         【杜(ず)撰(さん)】 著作で、典拠などが不確かで、いい加減なこと。
             〈『広辞苑』(岩波書店 第二版)より〉
         このままでいいのですか『校本宮澤賢治全集』の杜撰
                               鈴木 守
目    次
はじめに 1
第一章 杜撰 ───────────────────4
㈠ あらゆることを疑い 4
㈡ 一次情報に立ち返る 7
㈢ 自分の頭と足で検証 14
㈣ 杜撰が招いた冤罪 22
第二章 「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」─ 31
㈠ 絶版回収事件 31
㈡ 二つは同じ構図 35
㈢ 賢治のためにも「総括見解」を 38
第三章 通説を疑う──────────────── 43
㈠ 賢治の甥の嘆き 43
㈡ 真偽を自分の目で確認 48
㈢ 読者の皆様がご自身でも検証を 84
第四章 賢治終焉前日の定説も杜撰 ─────────85
㈠ 賢治の聖人化 85
㈡ 菊池忠二氏の疑問 90
㈢ 賢治終焉前日の定説までもが杜撰だった  95
終 章 このままでいいのですか────────── 102
《さくいん》 106
 
《用語について》
・〈悪女・高瀬露〉:〈悪女〉にされた高瀬露のこと。
・「羅須地人協会時代」:宮澤賢治が下根子桜の宮澤家別宅に住んでいた二年四カ月
・「旧校本年譜」:『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)所収の「賢治年譜」
・『新校本年譜』:『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)補遺・資料 年譜篇』(筑摩書房)
・ 帰花:花巻に帰ること。
・「定説❎」:『新校本年譜』の大正15年12月2日の次の記載のこと。
 セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(のち沢里と改姓)武治がひとり見送る。「今度はおれもしんけんだ、とにかくおれはやる。君もヴァイオリンを勉強していてくれ」といい、「風邪をひくといけないからもう帰ってくれ、おれはもう一人でいいのだ」といったが高橋は離れ難く冷たい腰かけによりそっていた。───❎
・「定説★」:『新校本年譜』の昭和8年9月20日の次の記載のこと。
 夜七時ころ、農家の人が肥料のことで相談にきた。どこの人か家の者にはわからなかったが、とにかく来客の旨を通じると、「そういう用ならばぜひあわなくては」といい、衣服を改めて二階からおりていった。玄関の板の間に正座し、その人のまわりくどい話をていねいに聞いていた。家人はみないらいらし、早く切りあげればよいのにと焦ったがなかなか話は終らず、政次郎は憤りの色をあらわし、イチははらはらして落ちつかなかった。話はおよそ一時間ばかりのことであったが何時間にも思われるほど長く感じられ、その人が帰るといそいで賢治を二階へ抱えあげた。───★
・〝「新発見」の書簡下書252c等の公表〟:「新発見」の賢治書簡下書252c群及び「推定群⑴~⑺」の公表のこと。
・【仮説】自然科学その他で、一定の現象を統一的に説明しうるように設けた仮定。ここから理論的に導きだした結果が観察や実験で検証されると、仮説の域を脱して一定の限界内で妥当する真理となる。 〈『広辞苑第二版』〉
〈註〉引用文はゴシック体にしてある。

〈表紙〉 三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)
 白い片栗はまるで、宮澤賢治、高瀬露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。そして、
「曲学阿世の徒にだけはなるな、跪くのは真実の前にだけだ」と檄を飛ばされた気がした。

  はじめに
 先頃、現在使われている小学六年生用の国語教科書をたまたま目にした。するとそこには、
 そして、一九三三年(昭和八年)九月二十一日が来る。
 前の晩、急性肺炎を起こした賢治は、呼吸ができないほど苦しんでいた。なのに、夜七時ごろ、来客があった。見知らぬ人だったけれど、「肥料のことで教えてもらいたいことがある。」 と言う。すると賢治は、着物を着がえて出ていき、一時間以上も、ていねいに教えてあげた。
〈『国語⑥創造』(光村図書出版、令和3年、122p〉
というように、巷間言われている宮澤賢治終焉前日の面談がありありと描かれていることを知った。そしてまた、私も小学生の頃にこんなことを教わったような記憶が蘇る。とはいえ、その頃とは異なり私は訝った。このようなことを今でも相変わらず、それも小学校で、純真な子どもたちに教えていることがはたしてこのままでいいのだろうかと。
 かつての私は、賢治に関してはかなりバイアスがかかっていて良心的に解釈していた。ところが、ここ十数年ほど賢治に関することを検証し続けてきた結果、それは危ういということを気付かされた。巷間言われている賢治に関することで、常識的におかしいと思ったところはほぼ皆おかしかったからだ。そこで、「見知らぬ人」に対して「呼吸ができないほど苦しんでいた」賢治が「一時間以上も、ていねいに教えてあげ」たということは常識的にはあり得ないし、この面談の内容が事実であったということを実証している人も見つからないから、この面談もその一つの例なのかなと不安になる。賢治は「貧しい農民(当時の農民の多くは貧しかったのだ)のために己の命まで犠牲にして尽くした」人であったと思わせてしまうようなこの面談を、未だ判断力が十分には育っていない純真な子どもたちに事実であったかの如くに教えていることに問題はないのだろうか、と。
 一方で、今年(令和5年)は賢治没後90年だ。それに気付いて私は、人物の評価は没後百年には定まると誰かが言っていたことを思い出し、「もしそうであったとするならば、あと10年で宮澤賢治像は確固たるものになってしまうのか」、と焦りながら独りごちた。
 というのは、現在の「賢治年譜」等には幾つかの問題点があり、別けても、賢治が血縁以外の女性の中で最も世話になったはずの高瀬露が、あろうことか「とんでもない悪女」にされているという現実は人権問題だから看過出来ないので、私は昨年の一月十五日、筑摩書房に宛てて後掲のような《『筑摩書房』宛のお願い文書》をお届けした。そして、拙著『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』もお届けし、それも読んでいただき、特にその第一章の「六 おわりに」で私は次のように、
 一方でこの「252c等の公表」によって、賢治には従来のイメージとは正反対の、「背筋がひんやりしてくるような冷酷さ」があった、ということも実は公開されてしまったと言える。しかもこのことは、今となっては覆水盆に返らずだ。だから私は、この上、「恩を仇で返す」ような賢治であってはほしくない。
 というのは、巷間、露はとんでもない悪女だとされ続けているわけだから、この実態が続けば、賢治が生前血縁以外の女性の中で最も世話になったのが露であったというのに、賢治は露に対して「恩を仇で返した」と歴史から裁かれかねないからだ。しかし、この悪女が濡れ衣であったならば、賢治は露に対して「恩を仇で返した」、と誹られることは避けられるし、しかもそれは濡れ衣であったということを私たちは実証出来ているから、賢治と露のために筑摩に問う。
 せめて、なぜ「新発見の252c」と、はたまた、「判然としている」と断定出来たのかという、我々読者が納得出来るそれらの典拠を情報開示していただけないか、と。願わくば、『事故のてんまつ』の場合と同様に、「252c等の公表」についても「総括見解」を公にしていただけないか、と。
お願いをしたので、その対応等を期待していた。
 だが、その後筑摩書房からは未だ梨の礫だ(田舎の老いぼれがこのようなお願いをしても無視されるのは当たり前かな)。そこで私は、ステップは踏んだのだから許されるだろうと思って、今度はこの小冊子を出版することにした。というのは、この『筑摩書房』宛の文書では、他のことと違って人権問題は喫緊の課題だから(実はこのこと以外にも『校本宮澤賢治全集』には杜撰な点が幾つかあるが、それらのことについては遠慮して申し上げなかった)このことに絞って訴えた。しかし、何一つ連絡がないので、こうなったならばもう遠慮などせずにそれらのことも公に訴えようと決意し、この冊子を出版し、いわば遺言としたいと思った次第だ。

《『筑摩書房』宛のお願い文書》

2022年1月15日
株式会社筑摩書房
代表者 喜入 冬子 様

 突然のお手紙を差し上げる失礼をお許しください。

 私は岩手の花巻市に住まう鈴木守と申しまして、ここ十数年ほど、高瀬露という女性が着せられた濡れ衣を晴らすことに主に取り組んで参りました。そして、その不条理を世に訴えて、高瀬露の名誉と尊厳を取り戻すための最後の著書としてこの度出版しましたのが、この冊子『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』です。
 実際これまでの出版等によって、高瀬露は〈悪女〉などではなく、巷間流布している〈高瀬露悪女伝説〉は全くの濡れ衣だと賛同して下さる方々も少しずつ増えて参りました(『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』をご覧になっていただければ、ご領会いただけると思います)。
 しかしながら、一度拡散してしまった〈悪女伝説〉を完全に払拭することが容易でないことは歴史の教えてくれるところでもあります。がしかし、これは人権問題ですから私には等閑視できませんし、喫緊の課題だとも思っております。そこで今後は、著書ではなく別な方途を通じてその払拭のために粘り強く今後も取り組んで参ります。
 つきましては、この冊子をご高覧いただき、この質問状に対するご回答を賜りたくお願い申し上げる次第です。なお、それがご無理な場合には、4月末頃までにその旨だけで結構ですのでお知らせいただけないでしょうか。

 末筆ながら、御社のますますのご発展をお祈りしております。
鈴木 守
〒025―0068 花巻市下幅21の11
〈追伸〉
 参考資料といたしまして、
 『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)
 『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』
     (森義真、上田哲、鈴木守共著、露草協会編、ツーワンライフ出版)
も同封いたしました。

 もちろん、賢治に関して非専門家の私がこのような冊子『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』を出版したからといって、この課題がすんなりと解決出来るとは思っていない。がしかし、だからといって見て見ぬ振りは出来ない。このまま看過していたのでは、これらがそのまま近々「事実」や「真実」となってしまう虞(おそれ)があるからだ。そこで、そうなることを避けたいという思いからこの冊子を出版することにした。
 それからこの出版にはもう一つの理由がある。詳しくは後述するが、今から約半世紀以上も前にある方が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
という意味のことを嘆いた。当時まさにその賢治を最も尊敬していた私にはとてもショックだった。その方の嘆きが、私にこの冊子を出版をさせたもう一つの大きな理由だ。

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 〝「菲才だからこそ出来た私の賢治研究」の目次〟へ。
 〝渉猟「本当の賢治」(鈴木守の賢治関連主な著作)〟へ。
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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

【新刊案内】
 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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