みちのくの山野草

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「稲の土壌の最適なpHは5.5~6.5」を知らなかった賢治

2024-05-06 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)

 そこで私は、次の
   〈仮説:賢治は、「稲の土壌の最適pH領域は5.5~6.5である」という事実を知らなかった。………④〉
を定立し、その検証をする必要があると覚悟した。
 その定立の主な理由は三つ。まず一つ目は、先に述べたように、
 賢治はあの「本当のこと〝①〟」を高橋光一にはたして教えていたのだろうかとか、はたまた、そもそもこの事実を賢治は知っていたのだろうか、という疑問と不安を私は抱いてしまった。
からである。二つ目は、同様、
と述べたが、これである。そして残りの三つ目が、
 先の『土壌要務一覧』における記述〝②〟から、賢治は「稲は酸性に耐性はある」ものの、望ましいのはあくまでも中性であると認識していたということが導かれるが、この認識は「本当のこと〝①〟」とは相容れない。
からである。
 そしてなによりも肝心なことは、ここまで調べて来た限りではこの仮説の反例は一つも見つからないから、この仮説は検証されたということである。従ってこの〈仮説④〉は、今後この仮説に対しての反例が見つからない限りはという、限定付きの「真実」となる。
 しかしもちろん、もしこの〈仮説④〉が正しいとしても、賢治のことは責められない。それは、おそらく賢治が生きていた時代には、「稲の土壌の最適なpH領域は5.5~6.5である」という事実はまだ世間には知られていなかったということも推定されるからである。いみじくも、花巻農学校で賢治の同僚だった阿部繁が、
 科学とか技術とかいうものは、日進月歩で変わってきますし、宮沢さんも神様でもなし人間ですから、時代と技術を越えることはできません。宮沢賢治の農業というのは、その肥料の設計でも、まちがいもあったし失敗もありました。人間のやることですから、完全でないのがほんとうなのです。(『宮沢賢治の肖像』(森荘已池著、津軽書房)82p~)
と、後々当時のことを振り返っているが、この追想のようにである。

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