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「一本足」論争(経過報告4)

2024-07-10 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(2021年6月25日撮影、岩手)

********************<(11)↓投稿者H氏/2013年10月 7日 14:54>**********************
鈴木さん、ありがとうございます。
長くないようにという件、了解いたしました。

昭和31年2月22日に『岩手日報』に掲載された、関登久也著「宮沢賢治物語(49)」には、

宮沢賢治年譜を見ると、昭和二年には先生は上京しておりません。その前年の十二月十二日のころには、
『上京、タイピスト学校において、…(中略)…言語問題につき語る』
 と、ありますから、確かこの方が本当でしょう。

とあります。
ここにおいて証言者の沢里武治は、(昭和二年よりも)「この方」(=「その前年の十二月十二日のころ」の方)が、「確か本当でしょう」と述べて、自らの証言を修正しています。

*****************<(12)↓投稿者鈴木守/2013年10月 7日 19:41>**********************
MSS 様
 何度も有り難うございます。
 ところで、先ず私の質問にお答え願えないでしょうか。つまり、
『この「訂正」が昭和52年以前に既に公になっていたのでしょうか。もしご存知であればその出典が何かを教えてください』
ませんでしょうか。

*******************<(13)↓投稿者H氏/2013年10月 7日 21:34>**********************
あれ?書き方が言葉足らずでしたらすみません。
先の私の投稿は、そこに述べたような沢里による修正(昭和2年→大正15年)が、昭和31年の『岩手日報』紙面に載ったわけですから、昭和52年以前に公になっていたのだ、ということが言いたかったのです。
鈴木さんもご存じのように、これは翌年にも単行本化されています。

それからついでですので、『校本全集』年譜が沢里の証言の一部だけを載せて一部は載せていないことが許せないという、昨日の鈴木さんのご意見について、私見を述べさせていただきます。
『新校本全集』年譜篇p.326の注*6に書いてあるように、この記載は関登久也の本からの「要約」でしょうが、鈴木さんとしては、年譜の記載においては一切「要約」を行ってはいけない、というお考えなのでしょうか?
もしも、「典拠とした資料は、一言一句洩らさずに、全文を年譜の本文に記載しなければならない」という規則に基づいて年譜の編纂をするとなると、その分厚さは今の数倍~数十倍?、値段も想像がつかないくらいになると思いますが、私にはそれは適切なやり方と思えません。

私としては、編集委員がその責任において、資料の中の重要な部分を取捨選択して年譜に掲載するというという現在のやり方は、妥当なものだと思います。
もちろん、その取捨選択のやり方が不適切だと読者が思った場合には、いろいろな形で意見を出していくべきだと思いますが、私は鈴木さんのように、「その内容以前に、一部を載せて一部は載せないことそれ自体が許されない」とは考えないのですが、どんなものでしょうか。

*****************<(14)↓投稿者鈴木守/2013年10月 7日 22:40>**********************
MSS 様
 昭和31年の『岩手日報』では

『どう考えても昭和二年の十一月ころのような気がしますが、宮沢賢治年譜を見ると、昭和二年には先生は上京しておりません。その前年の十二月十二日のころには
『上京タイピスト学校において…(略)…語る』
と、ありますから、確かこの方が本当でしょう。人の記憶ほど不確かなものはありません。その上京の目的は年譜に書いてある通りかもしれませんが、私と先生の交渉は主にセロのことについてです。
…(中略)…その十一月のびしょびしょ霙の降る寒い日でした。』

となっております。
 したがって、澤里は何ら自分の証言を訂正はしておりません。
 なぜならば、もし訂正する気があるのならば「どう考えても」という修飾はしないでしょうし、まして、「その十一月のびしょびしょ…」とは言わないでしょう。もし澤里が訂正したというのであればここは「その12月のびしょびしょ…」となっていなければならないからです。

 なお念のために言えば、「確かこの方が本当でしょう。…(略)…その上京の目的は年譜に書いてある通りかもしれませんが」の部分は、『昭和二年には先生は上京しておりません』となっている「宮沢賢治年譜」を揶揄しているにすぎません。

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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813

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