みちのくの山野草

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「当時身辺にいた人々が、どうして千葉氏に言及していないのか」

2024-04-16 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)

 そこでそれまでに調べてきた事柄から、千葉恭の宮澤家別宅寄寓期間について次のような、

〈仮説1〉千葉恭が賢治と一緒に暮らし始めたのは大正15年6月22日頃からであり、その後少なくとも昭和2年3月8日までの8ヶ月間余を2人は下根子桜の別宅で一緒に暮らしていた。

が定立できるし、その反例もないことが確認できたから検証できたことになる。ただし、恭は一方で、
 先生が大櫻にをられた頃には私は二、三日宿つては家に歸り、また家を手傳つてはまた出かけるといつた風に、頻りとこの羅須地人協會を訪ねたものです。〈『四次元7号』(宮澤賢治友の會)16p〉
とも語っているから、毎日いつも下根子桜の別宅に泊まっていたという寄寓の仕方ではなく、「二、三日宿つては家に歸り」という寄寓の仕方での少なくとも「8ヶ月間余」という意味でだが。また一方で恭は、
   私が炊事を手傳ひましたが
とか、
   私は寢食を共にしながらこの開墾に從事しましたが 〈共に『四次元7号』(宮澤賢治友の會)15p~〉
とはっきり述べていた。
 したがって、本当のところは、「羅須地人協会時代」の賢治は厳密には「独居自炊」であったとは言い切れないということになりそうだ。そして、どうやら千葉恭の宮澤家別宅寄寓等ついては、一部意識的に隠されてきた蓋然性が高いし、新たな事実も幾つか明らかにできたので、これらのことに関して実証的かつ詳細に論じた拙著『賢治と一緒に暮らした男―千葉恭を尋ねて―』を平成23年に自費出版した。

 拙著出版後、同書を宮澤賢治研究の第一人者の入沢康夫氏に謹呈したところ、
 これまでほとんど無視されていた千葉恭氏に、御著によって、初めて光が当たりました。伝記研究上で、画期的な業績と存じます。それにしても、貴兄もお書きになっておりますが、当時身辺にいた人々が、どうして千葉氏に言及していないのか、不思議ですね。
というご返事を頂いた。まさに入沢氏のご指摘どおりで、なぜ言及していないのか私も不思議に思っていた。
 なお、確かにそのとおり不思議なのだが、同時に次のことも私にはとても不思議だった。それは、千葉恭の著した追想の中身等が賢治に関する論考等においてしばしば資料として引用されているというのに、恭自身のことが全くといっていいほど調べられていないということがだ。それは裏返せば、賢治に関する論考においては、本来は必須であるはずの裏付けを取ることや、検証することもないままに「賢治研究」等がなされてきた虞があるということである。一方で、基本に忠実に研究しようという姿勢があればそれはかなりのことが可能だったはずだ。例えば、恭は当時鎌田旅館に下宿していたと言っている(『宮澤賢治研究』(草野心平編、筑摩書房発行(昭和33年版)257p)わけだし、澤里武治もそこに下宿したと言っている(『續 宮澤賢治素描』(関登久也著、眞日本社)61p)わけだから、武治に聞き取りをすれば恭の言動等を裏付けることができたはずだが、どうして賢治研究家はそのようなことをしてこなかったのだろうか。
 話を元に戻す。入沢氏のご指摘のとおりかなり不思議だ。私も今まで恭のことを調べてきて知ったのだが、恭自身が書き残している賢治関連の資料は結構残っているというのに、恭と賢治との関係に言及している恭以外の人物が書き残している資料等はなさそうだからだ。恭は賢治と少なくとも8ヶ月間余を「下根子桜」で一緒に暮らしていたはずなのに、また二人の付き合いは大正13年~昭和3年頃までの足掛け5年の長期間に亘っていたと考えられるのに、さらには、賢治が亡くなった際には電報を貰っていたというのに(恭の三男滿夫氏によれば、賢治から父に宛てた書簡等もあったそうだが昭和20年の久慈大火の際に焼失してしまったと恭は言っていたそうだから、それはやむを得ないにしても)、である。
 いや、しかし絶対未だ明らかになっていない資料が必ずあるはずだ。そう思っていた矢先、ある資料が私の目に留まった。それは『校本宮澤賢治全集第十二巻(下)』掲載の17枚の〔施肥表A〕を眺めていた時のことである。私は吃驚し、次に抃舞した。それは、〔施肥表A〕〔一一〕の中に、
   場処 真城村 町下
   反別 8反0畝

という記載があったからだ。

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  『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

 目次は下掲のとおりで、

現在、岩手県内の書店で販売されております。なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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