みちのくの山野草

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第一章 「筑摩の倒産」と「252c等の公開」 一 はじめに

2024-05-29 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)
「校本宮澤賢治全集」の検証を

第一章 「筑摩の倒産」と「252c等の公開」 一 はじめに
 私は、賢治好きの友人の影響もあって、中学生の頃は既に賢治が大好きになっていた。そこで、賢治のことも賢治作品も実はよく分かっていなかったのにもかかわらず、若い頃の私は、「尊敬する人物は誰ですか」と問われれば、
 微分的で破滅的な生き方をした啄木と違って、積分的で求道的な生き方をした、貧しい農民のために献身したストイックな賢治です。
などと、粋がって答えていたものだった。 ところが、今から約半世紀以上も前の学生時代のことになるのだが、恩師の岩田純蔵教授が私たちを前にして、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだがそのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
という意味のことを嘆いたことがある。
 そこで私は、尊敬している人物は賢治であり、しかも岩田教授は実は賢治の甥(賢治の妹シゲの長男)だったからなおのこと、恩師のその嘆きがずっと気になっていた。とはいえ、学生時代はもちろんのこと、仕事に就いた後も私にはそのようなことを調べるための時間的余裕はなかった。
 それが十数年前に定年となって、気になっていた恩師の嘆きに関して調べようと思えばそのための時間を持てるようになった。そこでまずは、そもそも恩師が嘆いていた中身とは具体的にはどんなものだったのだろうかと思いながら、それに関連することが載っていそうな資料等を渉猟してみた。ところが、ずばりそのことを示すものは何も見つからなかった。
 しかしこのことを通じて、私は文学については門外漢であって、賢治に関しては非専門家ではあるが、現「賢治年譜」等の中にはあまりにもおかしいことが少なからずあるということをそれほど苦労もせずに知った。そして、実際に検証してみるとそれらの殆どはやはり皆おかしかった。
 一方で、私はとんでもないパンドラの箱を開けてしまったのだということも覚った。それは、従来の通説や定説に対しての反例がいくつか見つかったから、もはやそれらは棄却されるべきものだからだ。しかも、それらの中には看過できない人権問題等も絡んでいるものさえもあった。

 それにしてもなぜだったのだろうか。筑摩書房ともあろう出版社が昭和52年にあのようなことをしてしまったのは。文学全集や個人全集等を出版し続け、良心的で硬派の出版社だと思っていた筑摩が、「賢治の書簡下書252c」のことを「新発見」と称して、プライバシー侵害の虞もある関連下書群を公けにしたのは。しかも、これらの下書群を確と検証することもなしに推定し、さらにそれを基にして推定を繰り返した、人権侵害等の虞もある推定群を公開(以下、この関連下書群の公開のことを「252c等の公開」と略記)したのは。ここ十数年ほど、私はこれらの原因や理由が分からず、ずっと悩み続けてきた。
 それが先のコロナ禍で、倒産のニュースが流れることが多かったせいか、とある日、「あれっ、そういえば、あの頃筑摩も倒産した気がする」という記憶が甦った。すかさず、もしかするとそれが一つの大きな原因だったのではなかろうかと直感し、一気に不安になったのだった。

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    来る6月9日(日)、下掲のような「五感で楽しむ光太郎ライフ」を開催しますのでご案内いたします。 

    2024年6月9日(日) 10:30 ▶ 13:30
    なはん プラザ COMZホール
    主催 太田地区振興会
    共催 高村光太郎連翹忌運営委員会 
       やつかのもり LCC 
    参加費 1500円(税込)

           締め切り 5月27日(月)
           先着100名様
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