みちのくの山野草

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東北砕石工場技師時代になると施肥法のコンセプト変更

2024-05-05 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)

 さて、羅須地人協会時代以前の賢治の稲作経験は花巻農学校の先生になってからの約4年4か月間だけであり、豊富な実体験があったわけではない。となれば、羅須地人協会時代の賢治が、経験豊富な農民たちに対して指導できる稲作指導はおのずから限定的なものであり、食味もよくて、冷害にも稲熱病にも強いといわれて当時普及し始めていた陸羽一三二号を推奨することだったとならざるを得ないし、実際そうだった。おのずから、同品種はそもそも化学肥料(金肥)に対応して開発された品種だからそれには金肥が欠かせないので肥料設計までしてやる、というのが賢治の基本的な稲作指導法だったということになる。その当時はまだ、近隣の農家には金肥があまり普及していなかったからだ。
 したがって、金肥を必要とするこの稲作法は、当時農家の六割前後を占めていたという小作農や自小作農、つまり多くの貧しい農家にとってはもともとふさわしいものではなかったということは当然である(実際、羅須地人協会員の伊藤忠一は、「私も肥料設計をしてもらったけれども、なにせその頃は化学肥料が高くて、わたしどもにはとても手が出なかった」と証言している(『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)35p)。
 そしてまた、その金肥とは主に「窒素、燐酸、加里」の三要素のことであり、賢治の場合には、金肥の石灰はせいぜいその次であったであろう。そして実際にそうであったことは、前述した、同時代の施肥表では約三割の割合でしか石灰岩抹を使っていなかったという実態が裏付けている。
 ところが、東北砕石工場技師時代になると賢治は施肥法のコンセプトを従来のものから、石灰岩抹(炭酸石灰)中心のそれに変更した。というのは、同工場技師時代の宣伝広告「新肥料炭酸石灰」の中に、
 この不景気の、まつ最中に、値段の高い、金肥を殆んど使はずに、堆肥や、緑肥で充分の収穫を得る良い工夫がございます。それには、炭酸石灰を御使用下さい。炭酸石灰は、土壌中の窒素や燐酸や、加里などの分解を助けて、其の効能を促進して有効に働かせるからであります。然し、消石灰や生石灰では、強すぎて、土地を痩悪ならしめます。
炭酸石(ママ)(正しくは炭酸石灰:投稿者注)の効果
一、直接には石灰の肥料
 これは植物の栄養素として是非なければならない肥料分であるからであります。
一、間接には窒素の肥料
  …投稿者略…
一、間接には燐酸の肥料
  …投稿者略…
一、間接には加里の肥料
  …投稿者略…
というように書かれている(『新校本宮澤賢治全集第十四巻 雑纂本文篇』(筑摩書房)163p~)からである。
 つまり、羅須地人協会時代の賢治の施肥法のコンセプトは先程述べたように、金肥の「窒素、燐酸、加里」が中心であったはずなのに、東北砕石工場技師時代のこの広告で推奨している金肥は炭酸石灰だけであり、しかも、炭酸石灰はオールマイティ、いいことずくめの肥料であると、この広告では謳っていることになるからである。
 しからば、どうして羅須地人協会時代に賢治は石灰岩抹を中心にしたこの施肥法を強く奨めなかったのだろうか、という疑問が一方で当然湧く。

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