みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

三 〈悪女・高瀬露〉は人権に関わる重大問題

2024-06-12 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)

三 〈悪女・高瀬露〉は人権に関わる重大問題
 ただし、〝㈦ 「聖女のさましてちかづけるもの」は露に非ず〟についてはどうかというと、㈠~㈥とは決定的に違っている。俟っていてはだめだからである。なぜなら、

 巷間流布している〈高瀬露悪女伝蹴る説〉がもし捏造されたものであったとするならば、この件だけは歴史の判断に委ねていていいとは言えない。それは人権に関わる重大な問題であり、先の㈠~㈥とは根本的に異なっていて、喫緊の課題となるからである。

 そこで私はこの〝㈦〟を敷衍して、〈高瀬露悪女伝説〉を検証してみた。すると懸念していた通りで、この伝説はやはり捏造されたものであることを私は実証出来た。となれば、〈悪女・高瀬露〉は濡れ衣であり、いわば冤罪であり、人権問題である。まして、かつてとは違って今の時代、何にもまして優先されるべき喫緊の人権問題である。すっかり年老いてしまった私だがこうなってしまった以上、知ってしまった真実に私は目を背けることは出来ない。
 そこでこのことを世に訴えたいと願って、拙著『本統の賢治と本当の露』〝第二章 本当の高瀬露〟でこのことを公にした次第だ。そして同書の「おわりに」において、

 だが一つだけ、決して俟っているだけではだめなものがある。それは、濡れ衣、あるいは冤罪とさえも言える〈悪女・高瀬露〉、いわゆる〈高瀬露悪女伝説〉の流布を長年に亘って放置してきたことを私たちはまず露に詫び、それを晴らすために今後最大限の努力をし、一刻も早く露の名誉を回復してやることを、である。もしそれが早急に果たされることもなく、今までの状態が今後も続くということになれば、それは「賢治伝記」に最大の瑕疵があり続けるということになるから、今の時代は特に避けねばならないはずだ。なぜなら、このことは他でもない、人権に関わる重大問題だからである。それ故、「賢治伝記」に関わるこの瑕疵を今までどおり看過し続けていたり、等閑視を続けていたりするならば、「賢治を愛し、あるいは崇敬している方々であるはずなのに、人権に対する認識があまりにも欠如しているのではないですか」と、私たち一般読者までもが世間から揶揄や指弾をされかねない。
 一方で露本人はといえば、
 彼女は生涯一言の弁解もしなかった。この問題について口が重く、事実でないことが語り継がれている、とはっきり言ったほか、多くを語らなかった。
            『図説宮沢賢治』(上田哲、関山房兵、大矢邦宣、池野正樹 共著、河出書房新社)93p~〉
というではないか。あまりにも見事でストイックな生き方だったと言うしかない。がしかし、私たちはこのことに甘え続けていてはいけない。それは、あるクリスチャンの方が、「敬虔なクリスチャンであればあるほど弁解をしないものなのです」ということを私に教えてくれたからだ。ならば尚のこと、理不尽にも着せられた露の濡れ衣を私は一刻も早く晴らしてやりたいし、そのことはもちろん多くの方々も願うところであろう。
 まして、天国にいる賢治がこの理不尽を知らないわけがない。少なくともある一定期間賢治とはオープンでとてもよい関係にあり、しかもいろいろと世話になった露が今までずっと濡れ衣を着せ続けられてきたことを、賢治はさぞかし忸怩たる想いで嘆き悲しんでいるに違いない。それは、結果的に賢治は「恩を仇で返した」ことになってしまったからなおさらにだ。だから、「いわれなき〈悪女〉という濡れ衣を露さんが着せられ、人格が貶められ、尊厳が傷つけられていることをこの私が喜んでいるとでも思うのか」と、賢治は私たちに厳しく問うているはずだ。そこで私は、露の名誉回復のためであることはもちろんだが、賢治のためにも、今後も焦らず慌てずしかし諦めずに露の濡れ衣をいくらかでも晴らすために地道に努力し続けてゆきたい。
              〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)140p~〉

と決意を述べて、かなり肩の荷を降ろすことができた。

 すると、この『本統の賢治と本当の露』の出版もあったりしたからであろうか、森義真氏が行った講演『賢治をめぐる女性たち―高瀬露について―』(令和2年3月20日、矢巾町国民保養センター)において、同氏から、
 そうしたところに、上田さんが発表した。しかし、世間・世の中ではやっぱり〈悪女〉説がすぐ覆るわけではなくて、今でもまだそういう〈悪女〉伝説を信じている人が多くいるんじゃないのかなと。しかしそこにまた石を投げて〈悪女〉ではないと波紋を広げようとしているのが鈴木守さんで、この『宮澤賢治と高瀬露』という冊子と、『本統の賢治と本当の露』という本を読んでいただければ、鈴木さんの主張もはっきりと〈悪女〉ではないということです。はっきり申し上げてそうです。
とか、
 時間がまいりましたので結論を言います。冒頭に申し上げましたように、「高瀬露=〈悪女〉」というこれは本当に濡れ衣だと私は言いたい。それについては上田哲さんがまず問題提起をし、それを踏まえて鈴木守さんが主張している。それに私は大いに賛同します、ということです。
            〈『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(露草協会編、ツーワンライフ出版)八頁~〉
と仰っていただいた。そしてまた、この講演録も所収した『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(森 義真、上田哲、鈴木守共著、露草協会編、ツーワンライフ出版)を『露草協会』から出版してもらった。

 これでやっと、恩師岩田教授からのミッションに対してはほぼ果し終えることができたかなと、私は胸をなで下ろしたのだった。それは、ここまで為し終えることができたので、〈悪女・高瀬露〉は濡れ衣であったということは今後次第に世間から受け容れられてゆくだろうから、以前に取り上げた〝㈠~㈥〟等と同様に、今後は歴史に委ね、焦らずに俟っていればいいのだと自分自身に言い聞かせることができたからである。……私はある時点まではこのように考えていた。

 続きへ
前へ 
 〝「菲才だからこそ出来た私の賢治研究」の目次〟へ。
 〝渉猟「本当の賢治」(鈴木守の賢治関連主な著作)〟へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

【新刊案内】
 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 早坂高原管理棟(6/6、レンゲ... | トップ | 賢治は稲作に適する土壌のph... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

菲才でも賢治研究は出来る」カテゴリの最新記事