みちのくの山野草

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高校生になると最も尊敬する人物は賢治に

2024-04-11 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)

 そして高校生になった私は、賢治のことも賢治の作品も共によくわかってもいないのに、次第に、賢治を最も尊敬するようになっていった。
 さて、私はなぜ当時賢治を最も尊敬するようになっていったのかということを今になって振り返ってみると、それは、賢治は貧しい農民のために己の命まで犠牲にして献身したという、いわば聖人・宮澤賢治像を私の中に育ませてもらったからのようだ。そしてどうしてそうなったのかというと、私が学校で先生から教わった国語の教科書がどのようなものであったかの記憶は定かではないが、国語の教科書等であの「雨ニモマケズ」等を教わったことが大きいと思っている。今になって冷静になれば、賢治はあくまでも「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」と言っていただけなのだが、当時、先生から「賢治はこのように自己犠牲を理想にし、実行したのだ。このような犠牲的精神をあなたたちも心掛け、賢治のように生きてみなさい」と諭され、その当時は素直だった私は、そうだよな、何も出来ないにしても、
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
をして、せめて「雨や風などに負けずに」生きていこう、などと自分勝手に解釈していたのだった。
 そしてなにより、賢治終焉前日の、
 かれが死の前日、見知らぬ農夫が肥料のことで尋ねてきたとき、病状を知っている家人は気が気でなかったが、かれは病床を起き出て階下の玄関に客を迎えた。そして、一時間もきちんとすわってていねいに教えていたということである。
             〈『中等新国語 文学編 二上』(坪内松三編、光村図書出版、昭和26年)109p〉
というようなエピソードは私たちが習った教科書にも載っていたはずで、「すげぇ!、賢治は貧しい農民のために己の命まで犠牲にして尽くした凄い人だったのだ」と私はとても感動したおぼろげな記憶がある。
 こうして、私が最も尊敬する人物はいつしか聖人・賢治になっていた。

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