みちのくの山野草

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二 「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」

2024-05-30 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)
「校本宮澤賢治全集」の検証を

二 「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」
 早速、インターネット上で少しく調べてみたならば、どうやらそのようなことがあったらしいので、筑摩の社史であるという『筑摩書房 それからの四十年』(永江朗著、筑摩書房)を注文した。手元に届いた同書を、私は慌ただしく瞥見した。不安は的中した。
 一九七八(昭和五三)年に筑摩書房が「倒産」したとき…投稿者略…〈『筑摩書房 それからの四十年』(永江朗著、筑摩書房)八五頁~〉
とあり、やはりあの頃(昭和53年)筑摩はたしかに「倒産」していたからだ。そこで今度は落ち着いて同書を読み直してみた。すると、次のような、
 一九七〇年代の筑摩書房は、目先の現金ほしさに紙型新刊を乱発するなど、必ずしも「良心的出版社」とはいいがたい実態があったし、〈『筑摩書房 それからの四十年』(永江朗著、筑摩書房)一四六頁~〉
とか、
 倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました。なかでも許しがたいのは「紙型再版」です。つまり、同じコンテンツの使い回し。紙型=印刷するときの元版を再利用して、あたかも新しい本であるかのように見せかけ、読者に売りつけようとしました。新世紀に入ると、食品偽装事件があちこちで発覚しましたが、紙型再版も似たようなものです。〈『筑摩書房 それからの四十年』(永江朗著、筑摩書房)三四八頁~〉
という記述があったので私は愕然とした。
 それはもちろん、「「良心的出版社」とはいいがたい実態があった」とか、「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」などということを、自社の社史に直截的に書いていたからだ。ただし次に、これらの断定的記述は筑摩ならではの厳しい自戒の念と矜持が書かしめたのだろうということも想像できたので、心はやや落ち着いた。とはいえ、この記述内容は事実であり、これ程までだったのかと、私はますます不安が募ってしまった。なお、出版社の内情を知らない私には、「紙型新刊を乱発」とか「紙型再版」とかが「腐りきっていた」ことの事例であるということまでは理解できず、戸惑う点もあった。

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