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二 『賢治随聞』の「あとがき」の違和感

2024-06-05 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)

二 『賢治随聞』の「あとがき」の違和感
 逆の言い方をすれば、この「注釈*65」にはきな臭さが伴っているとも言える。それは、この〝関『随聞』〟の、つまり『賢治随聞』(関登久也著、角川選書)の次のような「あとがき」を知って違和感を抱いたので、なおさらそう思わざるを得ない。

  あとがき                                      森 荘已池
 宗教者としては、法華経を通じて賢治の同信・同行、親戚としても深い縁のあった関登久也が、生前に、賢治について、三冊の主な著作をのこした。『宮沢賢治素描』と『続宮沢賢治素描』、そして『宮沢賢治物語』である。…投稿者略…
 さて、直接この本についてのことを書こう。
 『宮沢賢治素描』正・続の二冊は、聞きがきと口述筆記が主なものとなっていた。そのため重複するものがあったので、これを整理、配列を変えた。明らかな二、三の重要なあやまりは、これを正した。こんにち時点では、調べて正すことのできがたいもの、いまは不明に埋もれたものは、これは削った。…投稿者略…賢治を神格化した表現は、二、三のこしておおかたこれを削った。その二、三は、「詩の神様」とか「同僚が賢治を神様と呼んだ」とかいう形容詞で、これを削っても具体的な記述をそこなわないものである。
 なお以上のような諸点の改稿は、すべて私の独断によって行ったものではなく、賢治令弟の清六氏との数回の懇談を得て、両人の考えが一致したことを付記する。願わくは、多くの賢治研究者諸氏は、前二著によって引例することを避けて本書によっていただきたい。
 …投稿者略…
    昭和四十四年九月二十一日
                                 賢治三十七回忌の日に記す

              <『賢治随聞』(関登久也著、角川書店、昭和45年2月)>

 どういうことかというと、まず第一に、『賢治随聞』は「関登久也著」ということにはなっているが、実は関が手ずから全部を著したものではないというきな臭さである。このことは、出版時期(昭和45年2月)の遥か以前の、昭和32年2月に関は疾うに没していることからも明らかであろう。
 その第二は、「願わくは、多くの賢治研究者諸氏は、前二著によって引例することを避けて本書によっていただきたい」と懇願していることのきな臭さである。もはや故人となってしまった関の著作を換骨奪胎したとも見られかねない〝関『随聞』〟の方を読めと、原本を引例することは避けて自分等が改稿した方の著作を読んでほしいという僭越な懇願をしていると言える。
 しかも第三に、『新校本年譜』は、先に引いた注釈、
    *65 関『随聞』二一五頁の記述をもとに校本全集年譜で要約したものと見られる。
から示唆されるように、実際にこの懇願に呼応して〝関『随聞』〟を引例していると言える、それである。もしかすると、この「沢里武治氏聞書」は、『賢治随聞』におけるものが、それこそ一次情報ではないかもしれないのに……。

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    来る6月9日(日)、下掲のような「五感で楽しむ光太郎ライフ」を開催しますのでご案内いたします。 

    2024年6月9日(日) 10:30 ▶ 13:30
    なはん プラザ COMZホール
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           先着100名様
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