《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)
先に私は、
本当のところは、「羅須地人協会時代」の賢治は厳密には「独居自炊」であったとは言い切れないということになりそうだ。そして、どうやら千葉恭の宮澤家別宅寄寓等ついては、一部意識的に隠されてきた蓋然性が高いし、新たな事実も幾つか明らかにできたので、これらのことに関して実証的かつ詳細に論じた拙著『賢治と一緒に暮らした男―千葉恭を尋ねて―』を平成23年に自費出版した。
と述べたが、今回はこの「どうやら千葉恭の宮澤家別宅寄寓等ついては、一部意識的に隠されてきた蓋然性が高い」について少しく考えてみたい。さて、この件に関しては今まではあれやこれやを考え悩んできた私だが、最近、高村光太郎の日記を少し読み込んでみたところ、その悩みを解消してくれそうなのが、光太郎の山口における「7年間の独居自炊」ではなかろうかと思い始めている。というのは、同じ「独居自炊」とはいっても、賢治の下根子桜の「2年4ヶ月の独居自炊」とでは比べものにならないということを知ったからだ。簡単に言ってしまえば、「賢治の独居自炊」は「光太郎の独居自炊」と較べてものにならないということを知ったからだ。たとえば、あの小さな小屋で7回も冬を過ごすことと、下根子桜のあの別宅で3回冬を過ごすことを較べてみればそれは容易に導かれる。
しかも、羅須地人協会時代の賢治が「独居自炊」であったとは当初言われておらず、公的にそう言われるようになったのは、昭和28年発行の『昭和文学全集14 宮澤賢治集』(角川書店)に所収された小倉豊文が編の「賢治年譜」以降だ。一方で、光太郎の「独居自炊」は地元山口の人たちととけ込み、地元の人たちからも慕われていたが、賢治のそれはそこまでではなかったことも知った。
そこで、「独居自炊」という修辞は魅力的であるから、昭和26年発行の光太郎の随筆集『独居自炊』を切っ掛けにして、賢治のそれも「独居自炊」と修辞され始めたのではなかろうか。しかしそんなことをすれば当然、賢治のそれは光太郎のそれと較べてみると実態が伴わないことを知っていた人たちは、これじゃ「換骨奪胎」だと気になって、その善後策を講じなければと悩み始めたのではなかろうか。
すると、いの一番に困ったのは「羅須地人協会に寝泊まりしていた千葉恭」の存在だ。これでは、賢治の場合は「独居」とは言い切れないことになるからだ。そこで、どうすればいいのかと思い悩んだ一部の人が、千葉恭の存在を無視すれば良いじゃないかと考えるようになり、その結果、賢治学界においては、
千葉恭の宮澤家別宅寄寓等ついては、一部意識的に隠されてきた。
のではなかろうか。別の見方をすれば、 「当時身辺にいた人々が、どうして千葉氏に言及していないのか」という疑問とこのことは表裏一体なのではなかろうか。
畢竟するに、
「換骨奪胎」とも取られかねない「独居自炊」という「羅須地人協会時代」の修辞に後ろめたさがあり、そのあおりで賢治と一緒に暮らしていた千葉恭の存在は煙たくなったので、いつの間にか「これまでほとんど無視されていた千葉恭」になってしまった、ということが否定できない。
ということである。こうして、千葉恭の宮澤家別宅寄寓等ついては、一部意識的に隠されてきたのではなかろうか。つまり、このことが千葉恭が無視されるようになった大きな理由ではなかろうか?
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