At The Living Room Reloaded

忙しい毎日の中で少し足を止めてみる、そんな時間に聴きたい素晴らしい音楽の紹介です。

Steppin' Out / Idea 6

2007-08-09 | Hard Bop & Modal
クラブ・モダン両サイドのジャズ好きから話題の新譜。2年前に突如リリースした1stもヒットしたIdea 6の新作です。リリースはもちろんパオロ・スコッティ擁する伊Deja Vuレーベルから。今のところ国内盤のCDしか出ていないものの、近いうちにアナログ盤も発売されるでしょう。さて、気になるその内容ですが、前作に比べ全体的にソリッドな演奏になっていて、最近のフロア発信型ジャズとしてはかなり上質な仕上がりになっています。フランチェスカ・ソルティーノなる女性ヴォーカルを配したM-1のTune Upや、Nu Jazz的な高速ボッサ・ビートのテーマが気持ちいいM-9のTaboo辺りは、おそらくこれから先フロアでも重宝されるはず。アグレッシヴにブロウするM-8のJunior Is Back!辺りも好ハードバップで使えるかな。ただ、もしも僕が実際にDJでプレイするならば、これらの曲ではなく断然M-3のタイトル曲。Jazz Quintet 60のYake-De-Yakを思わせる高速モーダルバップで、タイトかつ格好いい(としか言いようがない)テーマが印象的なナンバーです。ベテラン3人によるソロ回しも見事で、若さに起因するキレこそないものの、円熟した大人のプレイをじっくりと聞かせてくれます。そして絶対の名曲はM-4のBell's(I'll be waiting)。本来の主役であるフロント3管ではなく、アンドレア・ポッツァのピアノとゲスト2人にスポットを当てた異色曲ですが、個人的にはこの曲が一番肌に合います。特に夜感漂いまくりな中盤のピアノ・ソロが絶品。ニコラ・コンテの2ndの雰囲気が好きな人は、おそらくこれも好きなのではないでしょうか。ちなみにM-2のMr.G.B.はバッソ=ヴァルダンブリーニによる往年の名曲Donna Luのセルフ・カヴァー。これは確実に日本のファン向けでしょう。まぁいずれにしろ、話題に事欠かない一枚であることは確かなので、興味のある人は是非購入してみてください。

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5 コメント

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最近の新譜で思う事。。 (zazi)
2007-09-06 20:14:28
ども。変なタイミングで長文スイマセン。。
最近活気づいている”ニュー・ジャズ?シーン”ですが、そろそろ見直しの時期のような気が。。15年前くらいの「アシッド・ジャズ」と共通する部分が多いこのシーン、やはり表層的な印象は拭えないです(これは作り手と受け手、双方にある傾向と思います)。そもそも、15年後に聴ける作品がどれだけあるでしょうか?
大体何でも盛り上がってくるとアンチ意見が出るのが世の常(笑)ですが、”ニュー・ジャズ”と呼ばれる音楽には、それ自体が内包している問題点もあるように思えます。これらの過去の財産を最大限に利用した("受け継ぐ"とは違う感触の物多し)音楽手法というのは、、1:「(はじめて楽器or機材や音楽に触れたような)初期衝動的を感じさせるモノ」か、2:「極めて限定的であるはずのオタク度と一般受けを、かなり高度に両立させているモノ」に限られると思いますが(でなければ、”そこそこ良質な剽窃"の氾濫を招きますよね?)、この両者とも主題(この場合”ジャズ”)を変えない限り、繰り返しできる表現ではないので、そのままでは当然行き詰まる気がします。特に「ジャズ」という音楽は、良くも悪くも歴史と伝統を重んじる音楽と思えますので、いつまでもサンプリング気分ではしゃいでいても(現在は、高度な演奏力を持つミュージシャンに弾かせる、という手法が主流ですが)理解は求められない気がします(もしかしたら、この辺りは日本と欧州では差があるのかも)。ま、理解よりも、常に次を求めるというのも、それはそれでアリですが。
その辺り、suitebossa君はどう思っているのか聞いてみたいです。僕より全然新譜に接する機会が多いと思うので。

P.S.
そういえばこういうムーヴメント、良い点も当然あって、埋もれていた音源の発掘が盛んになる事です。過去に帰するという意味で至極真っ当ですけど。
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Unknown (管理人)
2007-09-07 00:29:52
>Zaziさん

どうも、なんか考えさせられる文ですね。

「ニュー・ジャズ」シーン全体に「うわべだけ」的な印象を受けるという点では同感です。但し、僕の場合はそのことをさほど悪いことだとは思っていませんが…。

とかく批評家は単純な二元対立構造のみで物事を考えてしまいがちで、本流(王道)から外れたものに関しては全て「偽者」として処理し、そこに何の評価を与えることもしません。つまりジャズに関して言えば、ブルーノート・プレスティッジ・リヴァーサイドなどの諸作のみこそが王道で、後のものは全てB級(駄作)であるというような評価ですね。

後にコレクターの手により様々な良質盤が「発見」されたことで、現在ではここまで極端な評価をする人は流石にあまり見られなくなり、マイナー盤や欧州盤もある程度は評価されるようになりましたが、考えてみればこれだって単に道の幅が広がっただけのことでしょう。

でも、物事って実はもっと複雑かつ多面的なもので、例えば「程よいフェイク感の心地よさ」という魅力だってあって良いはず。そして、アシッド・ジャズだとか今回のニュージャズはこうしたフェイク感を楽しむ音楽だったのではないかと僕は考えています。

要するに、本来的に小難しくてとっつき難い本来のソウルや(特に)ジャズの、誰にでも分かりやすい部分のみを抽出して再構築した音楽ですね。最もその中には、作り手が実際に本来のソウルなりジャズを深く理解していて、リスナーのためにあえて分かりやすい次元までレベルを下げているものもあれば、単に作り手自身が元の音楽を理解し切れていなくて必然的にレベルが下がってるものもあるでしょうが…。

ちょっと長くなりそうなんで、続きは分けて書きます。
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続き (管理人)
2007-09-07 01:07:29
続きです。

いずれにしろ、そもそもニュージャズの出自がフェイクだったことを考えると、その表層感が昨今のニュージャズの低迷に対して直接的に結びついてるとは僕は思いません。

それよりも問題なのは距離感。

一般的に音楽が作られ大衆に消費されるまでには概ね以下のようなルートを通ると思います。

演奏者→プロデューサー→バイヤー・販売店→評論家→コア・リスナー→一般リスナー

商流上右向きの矢印を書きましたが、もちろんこのルートは相互依存的で、例えばこれとまったく逆のルートで、各者は左隣の者に対して少なからず影響を与えていくわけです。

さて、この一連のルートをニュージャズに当てはめて考えた場合ですが、おそらく現在でも演奏者と一般リスナーの距離は以前と比べそれほど変わってません。

変わったのは間に挟まった4者の距離感。ニュージャズ発生当初においては、特にプロデューサーと僕たちコア・リスナーの間に圧倒的な知識の差があったものですが、昨今のモダン傾倒ブームによって、その差は徐々に薄まりつつあります。

ニュージャズ周辺で考えるとどちらも参考にするソースがほぼ同じな上、元々の出自から好む音の性質も似ているために、両者の間で差が生まれにくいんですよね。

だから、プロデューサーがある過去のアーティストの演奏からインスパイアーされて、それを演奏者に再現させてみたところで、僕らのようなコア・リスナー側もすぐにネタ元が分かってしまう。

それがつまらなく感じてしまう原因かな…と。

現在シーンを牽引してる須永さんにしろニコラにしろフロアー対応という視点で見たモダン・ジャズに関する知識は、多分今の僕らとそれほど変わらないと思うんですよね。

逆に言えば僕らがあまりにマニアになり過ぎたという話ですが…。

ごめんなさい、もう少しだけ続きます。
返信する
さらに続き (管理人)
2007-09-07 01:23:18
さらに続き。

とは言え、一般レベルではニュー・ジャズはまだまだ新しい音楽だとは思います。と言うよりもジャズ=お洒落というイメージが先行していて、小洒落た雰囲気を気軽に味わいたい人にとっては格好の的かな、と。

まぁそっち方向からモダンに流れてくる人間はこれからもいるでしょうし、僕自身はそういう人に対して少しでも案とヒントになればいいなって思って、こうして時々ブログをちまちま更新してる次第です。

僕が聴き始めた頃はあまりに情報がなすぎて相当苦労したんで…。

Zaziさんの仰っていることの明確な回答になっているかは分かりませんが、とりあえず僕は今のニュージャズについてこういう風に考えています。

この辺りで、取りあえずいいですかね?
返信する
くどいっすけど。。 (zazi)
2007-09-09 07:40:10
どもども。
ご返答ありがとうございます。

 そう、なんか考えちゃうような状況を「シーン」に感じるので、あえて書いてみたワケです。ややこしすぎる文章はアレなんで、かなり削って書いてみました。管理人さんの見解は大体解りましたが、自分の補足も含めてタラタラ追記します。

 僕の考えでは、 アシッド・ジャズやニュー・ジャズに分類される音楽でも優れた"一部の"モノは、ジャズのエッセンスを吸収した優れたダンス・ミュージックやポップス等であり、(真剣さや情熱をともなっていて)「フェイク感を楽しむ音楽」と称するには、少々違和感を感じます。ただ、それらを除けば、他は大体において「フェイク」音楽かもしれません。真似するのが簡単な手法だけに、結局は使い捨ての「ゴミ」になるモノも結構あるでしょう。(捨てる神いれば拾う神あり、はとりあえず置いておいて)総括として残すべきモノは多くないと言う点で「見直し」を必要に感ずるのです。僕は「ニュー・ジャズ」云々が今低迷期であるとは思っていなくて、そろそろ(可能であれば)本格的ビジネスに成長する部分(解りやすい過去の例:ジャミロクワイ)と、相反してアンダーグラウンドに潜る動きが出てくるような過渡期のような気がします。必然的に総括に入るのではないかと。

「ニュー・ジャズ」は「ジャズ」か? という問いも脳裏に浮かびましたが、これはどうでもいいです。単に音楽形態を指すなら「YES」の場合が多く、在り方や精神的な部分で、かつての「ジャズ」と照らし合わせるなら(大方において)「NO」でしょう。しかし、「ジャズ」と名につくだけでホント話がややこしくなります。。かつての「ジャズ」が持っていた「何か」を現在に表出させる表現者がいるかもしれません。でも、それは「ニュー・ジャズ」と呼ばれるシーンには限らない気がします。

 次に、作り手と受け手という視点に立ってみると、、
 まず、現在「ニュー・ジャズ」と呼ばれる音楽のファン層の大方は、そこまでマニアックではないと思いますよ。基本的に目新しくオシャレな物が好きだが、やや保守的という「音楽好き」層がメインに思います。確かに、表層的=流行好きの側面が強い一方、今では普遍を象徴するような「ジャズ」の名前に惹かれる。。。いわば、「本物志向」への賛同or流行ではないかと考えます。

 恐らく、管理人さんのように、かなりマニアックに元ネタを追いかけている人は少数派に思います。(有名DJが紹介するブツをすぐ欲しがる人は結構いますが、これはちょっと目的が違う場合が多いので除外。)真面目だと思います。ただ、う~ん。音ネタが解ってしまうからつまらない、、というのは正直な感想で、大方当たっていると思いますが、見ようによっては「ニュー・ジャズ」のコアな受け手側の表層的とも言える脆さを証明する事にもなりませんか?。。最初は(知らないので)感心したけれど、勉強して知識が追いついてきたから、興味が失せてきた。これは、ひっくり返すと、常に相手からの何らかの新しい情報を期待する、非常に受け身な態度のように思えます。(突飛な論旨のように聞こえるかもしれませんが、そうでもないはず。教科書はいつも与えられていた訳だし。)僕は、リスナーというのは、実はもっと能動的でいいと思っていて、シーンや表現者に対しても、積極的に意味付けをしていって良いと思います。例えば、ニコラ・コンテなら、彼の一種度を超したような音楽趣向の探求に、僕は面白さや凄み、あるいは共感を感じますし、それが(主にコンセプトですが)表現に滲み出ているから評価もしたいのです。ニコラ・コンテを珍しくて良い音楽を知っているという点だけで評価するのなら、DJ/トレンド・セッターとして評価はできても、表現者としては評価できないはずです。あと、マニアだらけの現在において、作り手と受け手の「違い」というのは、知識だけで決定づけられるのではなく、方向付けを決める能力や、行動力/統率力のような気がします。ちょっと辛口でしたかね?

 クラブ/DJ世代が、過去の遺産に対して新たな地平を切り開いて(従来の評価軸「歴史的な意義」を一旦転覆させて、全てを並列に置き、「現在の我々が(クラブシーンに限定するなら"フロアー"で)」どう感じるかで再構成してみよう、という試み)、結構経ちましたが、ここに来て“なんでもOK”の"やりっぱなし感"が強くないかと。裏目にも出てきた部分もあるでしょう。現在を重視するあまり、歴史や関係性をないがしろにしてしまう傾向。音楽全体を理解するうえでは「欠陥」とみなされても不思議ではないです。見直しの時期だなー、と書いたのはそういう意味もありました。

最後に、このブログ、とても有意義だと思いますよ。(情報のネタはある程度示した方がいいかも。。憶測や突っ込みを呼ぶ前に先手)
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