商社マン-東京→ニューヨーク→東京→Liverpool→東京→Ann Arbor→Austin日記

07年8月から5年間NY、帰国して2年半東京、その後何故か英国Liverpoolに。。引き続き思った事書いて行きます。

見た目の重要性

2009-03-08 14:59:04 | Weblog
妻の意見だけだったら、正直若干の反発の中で否定的になってしまうこともあるが、同じような意見を米国人の友達にも言われ、自分でも「そーかな」と思ったので記録にとどめることにする。

まー正直言って自分は見た目的には背も低いし顔も平凡なので、「見た目」という尺度では「中の下」程度に位置すると自己分析している。残念だけど。

でも日本にいた時はそれでも大して困ることは無かった。なぜかと言えば日本という世界的にも稀な均質的な社会の中で、たとえば大学とか会社とか、そういう尺度においてはまあまあな生活をおそらく送っていたので、その辺で「見た目」のDisadvantageをそれなりに相殺できたからだと推察する。

でも米国に来て思うのは、社会の多様性ということに関して言えば異論を挟む術が無いほど進んでいるわけで、そんな社会では僕は、というか多くの外国人、時には米国人であっても、自分が抱えるDisadvantageを相殺する術をそれほど単純にはもてないのではないだろうか。

そういう観点から言うと、実は米国社会では「見た目」という単純且つ生理的に訴えかけるファクターというのが結構重要な意味を持つのではないか、と最近思うようになった。言い方を変えれば、その点において恵まれている場合、他の社会、特に日本のような「言わずともわかってくれよ」みたいな社会に比べ、優位に働くのではないだろうか。

こういうのを妻に言わせれば「だって何で私が人気者になっているんだと思う?」というお話になってしまうが。。。

だって嫌な言い方にはなってしまうことを承知して申し上げると、オバマだって普通に「かっこよく」無かったら今のような結果を得るのは結構難しかったのでは、と何となく思いません?
でもそんな風に考えていくと見た目において「中未満」の人々はどのようにすればよいのだろう、と半ば真剣に考えてしまう次第。まーとりあえす香水ぐらいつけるようにします。。。
コメント (1)
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