花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

娘が札幌から遠くに異動することに

2016年03月31日 | 高齢期の生活全般

娘から異動の連絡を受けたのは、今月初旬だった。
転勤族なので、2年~数年に1度の転勤は当たり前だが、ここ数年間は札幌に居てくれたので、近くにいると思うだけで安心感が違った。
しかし今回は、札幌から車で数時間はかかるという場所。何かあって会いたくても、直ぐに会う事は難しくなる。

1人で働きながら転勤の引越し準備をするのは大変な事だが、娘はこの2週間ほど、一人で少しずつ荷造りを頑張っていたようだ。
我が家に預かっている大型ストーブと夏のタイヤ4本を引越しのトラックに積み込む時は、私の車にも積んで運ぶことを頼まれた。
また、トラックへの積み込み時の手伝いと賃貸マンションの最後の掃除、そして不動産屋への部屋の引渡しが翌日になるので、その立会いも頼まれたので引き受けた。

荷物を出してしまった日は、我が家に泊まりに来る。気張って夕食を作ろうと思う。
また、翌日朝、自分の車で転勤先に出発する娘に、弁当でも作ってやりたいと思っている。

考えて見たら、親は何時までも手伝ってはやれない。だから、この先の長い娘の人生を考えると、転勤族なのだから引越しくらい自力でできないと駄目なのだ。
そう自分に言い聞かせながら、しかしこんな時でも大して期待されなくなった事に、一抹の寂しさも覚えるのだ。
まあ、外国に行く訳ではないのだから、郡部で生活すれば札幌が恋しくなり、これからも連休などを利用して時々顔を見せに来る筈だと思うが。
                    

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4月から始めて見たい事

2016年03月31日 | 高齢期の生活全般

明日から4月。ようやく雪が溶け、気温も上がり、寒さで縮んでいた体も伸びて来た。
そこでお題を受けて、4月から挑戦したいことを考えた。
そうだ。「ランチ」を食べに出かけることにしよう。
今までは、あまりレストランなどに行こうという気持が起きなかったのだが、4月からは雪もなくなるし、車でレストラン探訪なんて事をして見ようかな。
「ディナー」はちょっと堅苦しいけど、「ランチ」なら気軽に行けそうだと思う。
普段、どうしても家での食事は単調になりがちだから良いかも。
また美味しい店を見つけたら、そこに人を誘い、交流の場も広げられそうだ。
                        

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庭仕事が始まる

2016年03月28日 | ガーデニング・家庭菜園
昨日午後、晴天で急に気温が上がって温かくなったので、庭木の冬囲いを外す決意をした。
何故午後かと言うと、3月に入ってからの日曜日は毎週午前中、「野菜栽培の講習会」があるからだ。

夕方暗くなる直前まで黙々と縄を解き、薔薇に巻きつけていた麻布を剥がし、支えてあった3本の竹に巻きつけて置いた縄を解き、その竹をを抜いて行く。この単純作業を薔薇とつつじ、ブルーベリーの木、全部で八十本以上し続けた。

やりながら「私は偉い!こんな単純だけれど時間のかかる仕事を飽きないでし続けているのだから。」「これって登山に似ているよ。ひたすら見えない高く遠い頂上を目指して、一歩々々歩き続ける所が。」なんて思いながら作業した。

予想よりも早い3時間45分で終了。解いた縄は全部、大きな紙の収穫袋2枚に押し込んで置いた。また秋の冬囲いで使うからだ。使い込んだ縄の中で、最も古いのは8年前の縄だ。8冬も活躍したので、もうちぎれる寸前なのだ。
抜いた竹の片付けは翌日にした。

家に入ったら腰が痛むのに気づいた。寝るまで痛んでちゃんと歩けなかった。また指にも薔薇の棘が刺さっていた。ルーペで棘を確認しながら、毛抜きで何とか抜いた。爪も痛い。きつい結び目を、幾つも素手で解いたからだろう。

今朝、外に出て見ると、薔薇の枝や茎が雪の下で真っ黒くなって傷んだのが何本もあった。明日、剪定して取り除かなければならない。

剪定が済むと、薔薇の新芽が出る前に殺菌消毒をする必要がある。
去年は時期を失してやらなかったが、今年は消毒したい。そう思って町の農協に薬を買いに行った。

数年間使って来た「石灰硫黄合剤」は、今は10L入りのが最小だそうで、年に1L程度しか必要としない私には多過ぎる。しかも、注文しないと店には無いというのだ。
帰宅してからネットショップで検索した。あった。500mLのもあるが、凄く割高に付く。
薬の効力は5年だという。結局割安の10L入りを注文した。届くのに数日かかるが、値段は農協よりも安いので妥協した。そういえば、先日会った友人もこの薬を探していたので、分け合ってもいいし…

10時頃、賑やかな声がしたので窓の外を見た。家の前の歩道を保育園の園児達が並んで散歩にやって来たのだ。50cm高さの塀の上に、チューリップや水仙が発芽し出したのを、保育師と園児達がかがみ込んで見つめていた。園児達が春になって球根類から芽が出るのを観察してくれているのだ。嬉しかった。

北国にもようやく春が訪れたので、今は茶色の枝しかない木々だが、葉が出て綺麗な花が咲く日を夢見て、また庭仕事を始めたい。
                    
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たまに味わうお酒

2016年03月24日 | 医療・健康・食生活・衣生活
昨日、スーパーで見かけたリキュールを買った。
「オーストリア・ザルツブルグ」で造られた「モーツアルト」だ。
これはチョコレート・リキュールで、アルコール度数17%だ。
昨夜飲んで見た。確かにチョコレートとアルコールが混ざっているのだが、チョコレート分が薄いので私にはちょっと物足りない感じがした。

また、以前から愛飲しているのが「ベイリーズ」だ。
こちらはアイリッシュ・ウイスキーとフレッシュクリームを原料として造られた「アイルランド」のリキュールで、アルコール度数は同じく17%だ。

一度にほんの少ししか飲まないが、面白い味なので楽しみつつ飲んでいる。
                  
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伯父の命日に思う

2016年03月23日 | 高齢期の生活全般

早いもので伯父の命日がまた来た。亡くなってから9年が経ったのだ。
食後の伯母は、緊張が解けたのか、体調を崩して暫く病院通いをしていたが、温かくなるに連れて少しずつ元気になっていった。
5月には伯父の名義の田畑とその傍にある宅地、古い大きな家、大きな納屋を処分して、高齢者専用賃貸住宅に引っ越したのだった。

最近の伯母の話では、94歳で逝った伯父はほとんど世話をかけなかったという。伯母がご飯を食べさせた事も一度もなかったそうだ。
ただ、自分が亡くなった後、残る妻の生活費の事は、全く考えてくれなかったと言っていた。
私は、「伯父さんは優しくて良い人だったけれど、相続や贈与、年金、生命保険などの知識を余り持ち合わせていなかったのではないだろうか。」と伯母に話した。
農業を長くやって来た人は、大半の人間関係や情報源は家庭内と新聞、TVだけに留まりがちだし、さらに亡くなる数年前からは耳が遠くなり、人とコミュニケーションがとれなくなってしまっていた事も大きいと思う。

私が「伯父さんがもしもの事があったら、伯母さんはどうすれば良いの?」と90歳位の時に聞いたことがあった。その時の伯父の答えは「何とかなるさ。」だった。
伯母は国民年金にも加入していなかったから私は心配し、伯父の生命保険や定期預金が満期になれば、伯母と一緒に郵便局に行って、受取人などの名義を伯母に変えて置いた。結果的にそうして置いて良かったと思っている。(これ以上何があったかは書かないが…)

また、昨日も伯母に話したが、伯父は第二次世界大戦の時、三回も徴兵されていて、(始めの2回は、結婚前だそうだ)その時の軍人恩給が毎年数十万円支払われていた。本人が亡くなった後は、遺族の伯母が受け取っていて、今の伯母の唯一の収入になっているのだ。
「伯父が戦争に行って苦労したから、今、遺族恩給が貰えているんだよ。伯父さんのお陰だね。」と話した。

その一方で私は、徴用された全ての兵隊に、その配偶者が亡くなるまで高額な遺族恩給を国が払い続けている事について、戦争の代償の大きさと補償期間の長さに愕然とするのである。
国民の税収入から毎年支払われて来たと思うが、多大な負担を何時までも残す戦争には、今後は絶対になってほしくないとつくづく思う。先月の確定申告で初めて知ったのだが、伯母の遺族恩給は所得税の対象にもならないそうだ、

昨日は花とお菓子、果物を伯母が我が家に持って来た仏壇に供えた。
それにしても最後の最後まで家にいて、伯母に看取られた伯父は幸せだったと思う。できれば私も、例え「孤独死」になったとしても、伯父の様に最後は自分の家で死にたいものだと思っている。
                      

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生まれて初めて購入した音楽

2016年03月20日 | TV・映画・音楽・美術
高校1年生の時、奨学金で出始めたばかりの「オーデオセット」を買った時に、ベートーベン作曲の「運命」と裏がシューベルトの「未完成交響曲」のレコードを買って、毎日聞いた。元気が出たように思う。
                         
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「早く死にたい」と言う伯母に、どう答えたら良いだろうか

2016年03月20日 | 高齢期の生活全般

この所、ほとんど1日おきに伯母の所に行っているが、最近、「早く死にたい…」と訴えるようになった。
訳を聞くと、「自分でトイレに行けなくなったり、オムツをするようになったら、皆に迷惑を掛けて辛くなるから。」と言うのだ。
世話をしている私は困ってしまうが、「幸いに伯母さんは、一生懸命働いて来たから、まだまだ長生きしてこの生活を続けるお金がある。この施設で働く人たちにとっては、仕事ができる事は迷惑どころか、あり難い筈だよ。」と答えたが、この問題の答えを探すのは難しい。

認知症になったら「人に迷惑を掛けたくない。」なんていう考えも、弱まるのだろうか。伯母はまだ認知力ははっきりしているから、施設の他の人達を見て、自分も食事やトイレの介助が必要になったら辛いと悩むのだろう。

慈恵医大のホスピス病棟でまだ働いている日野原医師の著書を、先週、図書館から借りて来て読んだ。
その中に、「今生きている命をいとおしんで」と言う言葉があった。早速、「一人々々の命は一番大切で、尊い」という事を伯母に伝えた。
また、「最後まで周りの人のためになる生き方をしようと思えば、前向きな気持になる」とも書かれていたので、その言葉も話した。
「周りの人のためになる」とは、「相手の気持を考える事」だから、何か世話をしてもらったら「有難う」と一言、感謝の言葉を言うこと、また、不満や怒りの感情をそのまま出すのではなく、できるだけ穏やかな気持ちを持つ事ができれば、周りの人達は幸せになるとも。

そして、伯母は長年、大家族のための家事と、北海道の人たちのために大変な農作業を一生懸命頑張って来たのだから、年をとって世話になることを遠慮しなくても良いのだと話した。

一昨日行った時は、伯母の口から「死にたい」という言葉は出なかったが、また「早く死にたい」と言い出したら、今度はどう答えたら良いのだろうか。
このテーマとは異なるが、「命は永遠に循環する」という事を感動的に伝える絵本「葉っぱのフレディ」を、図書館で探して来て、伯母に見せようかなと思っている。                        
                   

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昨日一日のでき事

2016年03月18日 | 日記
この所の気温が高めだったので、道路や庭に積もっていた雪が一気に溶けて少なくなって来た。豪雪地域で育った私は、少しでも早く道路を広くしたいと、毎日時間があると雪割り、氷割りをした
氷は積もった雪の最下層に10cm程の厚さでできていて、これがなかなか溶けないのだ。それで上の雪を取り除いてから、重いツルハシを何度も振り下ろして氷を割るのだ。正直、肩が凝るし重労働だが、運動不足の身には良さそうな気がして頑張っている。
写真は今朝7時の庭の残雪と道路端の氷。夕べの内に割っておいた氷が大分溶けた様だ。この後、雨が降るらしいので、菜園の雪も一気に溶けそうだ。

 

昨日朝は、8時過ぎに氷割をしようと外に出たら、カオーカオーという聞き慣れた声がする。慌てて空を見上げたら、何と私の僅か50mほど上空を「オオハクチョウ」の群れが北へ向って飛んでいるのだ。羽を広げた白い身体が物凄く大きく見え、春の北帰行が始ったのだなと感動した。

ところで、アメリカのビザが張られたパスポートが手元に戻ったが、既に空いたページが少なくなっている。10年間有効のものだが、残り期間はまだ4年半もあるので、頁を増やす事にした
昨日、札幌の「北海道パスポートセンター」に出かけて、パスポートを預けた。受け取る際に渡す引換証には、証紙で国に2000円と道に500円、合わせて2500円分貼る必要があると言われたので買った。
裏表紙の前に新しく20枚付け足すので、40ページ増えると言われた。
また私が札幌に受け取りに行くのは面倒なので、センターの近くで働いている娘に「代理で受け取って欲しい。」と頼みに行った。

札幌に出たついでに友人にも会おうと、前日、ランチに誘って置いた
その友人はイランだけでなく、シリア、イスラエルにも旅行した事がある
会って、私の今回のアメリカビザ申請の顛末を話した。彼女は「何度かアメリカには行ったから、もういい。」と言っていた。
別れた後、彼女はスイミングスクールに行った。

札幌から戻って、今度は伯母の施設に洗濯物と土産に買った和菓子を届けに行った。
数日前に風邪を引いたと言っていたが、出た薬を飲み、今日は元気になったと聞き、ホッとした。
私が旅行に行く前にローマ字のアルファベットを紙に書いて伯母に渡したら、1週間後には自分の名前をローマ字で書けるまでになっていた。今ではリハビリの担当者から脳の体操に出された算数の問題の解答用紙に、ローマ字で名前を書いているのだ。96歳、伯母の脳の進化は恐るべしだ。

そして帰宅後、またうす暗くなるまでツルハシで氷割りをした。身体が痛いが、今夜は熟睡できそうだ。
                    
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米国のビザを取得した

2016年03月17日 | 海外旅行「北アメリカⅡ」ニューヨーク、ワシントン・ボストン

昨日、航空便の郵パックが届いた。差出人は東京の「ビザ申し込みサービスセンター」からだ。
待ちに待ったアメリカ旅行に必要なビザが取れたのだ。

ビザはパスポートの半ページにペッタリと張ってあった。
有効期間は5年だとばかり思っていたが、小さな文字を良く見ると満了日(Expiration Date)は2026年3月〇日までとなっていた。
この先実際に10年間も旅に出られるだろうかと苦笑したが、そういえばツアーで80歳代の参加者は最近珍しくないと思って、少し元気が出て来た。

昨秋、イランに行ったためにビザを取る迄本当に苦労したが、これでやっとアメリカの旅行や、アメリカで乗り継ぎをする旅行に出かけることができるので嬉しい。
早速、今度同行する友人に報告したい。
また、イランに行った事がある別の友人にも、今回の経験を報告しようと思っている。
                     

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私がネットで買うものは

2016年03月14日 | 暮らしと経済・経済生活
回数的には先ず、四国の業者から柑橘類を購入する事が多い。
家庭用の訳あり果物などが新鮮で安いから、地域の仲間と共同で購入している。
(購入量が多い程、単位重量当たりの価格が安くなったり、送料が無料になるので)

また、図書館にある本で手元に置きたいものを買う。今までに家庭菜園関係の本を3冊かな。
それと、近隣の店で探してもなかった生活用品を買う事がある。
今までした高価な買い物は、私と家族の電子辞書、2個。ネットの方が結構安かったから。
これは海外旅行の時は必ず持参する。英語やその国の単語や言い回しを調べたい時に役立てている。

衣類は買わない事にしている。生地とかサイズとか、不安だから。
                      
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一番買うのは餅菓子系統

2016年03月14日 | 高齢期の生活全般
やはり年代なのか、ケーキ類よりも餅菓子の方が好きだ。
小豆の餡は美味しい。
生クリームやバターを使っていない分、洋菓子よりも低カロリーかもと思っている。

先日はフィリピンのスーパーで小豆を見つけたので買って来た。
餡を鍋一杯作り、汁粉にして食べたが、美味しかった。
今年は自分で菜園に小豆を蒔いて、育てようと思っているところだ。
                   
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海外旅行「マレーシア・シンガポールの旅」(11)

2016年03月12日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

≪「シンガポール」市内観光≫(3)

③「スリ・マリアマン寺院」
ここは、1827年に完成したシンガポール最古のヒンズー教寺院である。
ラッフルズに同行してやって来たインド人「ナライナ・ピライ」がインド人が沢山住んでいた地域に女神「マリアマン」を祀る寺院を造る上で尽力したという。
初期の頃は、ホームレスのインド系住民に寺院の一部を解放した。
現在でも「ティミティ」という裸足で熱い炭火の上を歩き、信仰心を示す「火渡りの儀式」が行われている。
は15mの高さで、ヒンズー教特有の形をしていた。廊下の天井部分の装飾も独特だった。
(私は数年前「火渡りの儀式」をインドの隣国「スリランカ」で見たことがある。炭が燃えると表面に白い灰が残るが、その上を歩いた様に見えた)

 

④「シンガポール・リバークルーズ」

市内観光の最後は「リバークルーズ」だった。
船着場から前日夕方観光した「マーライオン」や「ラッフルズ卿の像」が立つ「マリーナ・ベイ」まで、6本の橋をくぐりぬけて一周した。30分近い時間だっただろうか。船から陸上を眺めると、角度が違って見える川岸の景観が、またなかなか良かった。
最後の写真は、「ラッフルズ卿の像」の近くに建つ「国立美術館」である。

 


                 


現地ガイド氏が最後に「シンガポールの教育事情」などを話してくれた。
小中高は6-4-3制で、高校卒業迄無料だが、留年もある。
家族が4人で妻が働いていないために月に2000ドル(1シンガポールドル=85円とすると、17万円)以下の収入なら、朝食を学校で無料で食べられるし、洋服(制服?)ももらえる。」
「公団住宅の価格は30(2550万円)~100万ドル(8500万円)するが、その7~8割を政府から援助して貰って買う。マンションは200~300万ドルである。
60㎡位の住宅を30万ドルで買う場合は、自己資金は16万ドル(1360万円)で済む。以前買ったその公団住宅が、今なら60万ドルで売れる。ただし住む所をまた手に入れないと駄目だが。今では50階建ての公団住宅も増えている。」

最後の夜は、ホテルで荷物整理をし、翌朝4時半の起床に備えて早く寝たが、夜中に何処からとも無く打楽器を含む演奏の音が響き目が覚めた。その音は朝まで続いて、私は結局3時に起きてしまった。
バスは、ホテルを5時15分に出発し、シンガポール空港に向った。

朝食はパンが4個出たが、甘過ぎて食べられなかった。空港の待合室にいた青年に声をかけると、受け取って食べてくれた。あり難かった。
その青年は、アメリカの大学院を卒業して日本を含む32日間のアジア旅行を終えた人だった。チケットを見たら、偶然にも成田空港行き飛行機の座席が隣同士だったのには驚いた。
機内でも色々と話し、メールアドレスを交換した。
先日、メールが来たので、私からは「アメリカ総領事館の面接が済んだので、次はアメリカに行くのを楽しみにしている所だ。」と返信した。すっかり英語のスペルを忘れてしまって、短い文を書くのにも辞書を引いた。やれやれである。

やはりツアーに加わっての旅行は1人でも安全で効率が良いが、時間に追われて「できればもう少し見たい」という希望は実現できない。
初めて行った「シンガポール」もそんな場所だった。機会があれば、次回は12月か1月に子どもと再訪したいと思った。
今回で「マレーシア・シンガポールの旅」を終る。何か気がついた事があれば、指摘をして欲しい。
                               (完 成)

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海外旅行「マレーシア・シンガポールの旅」(10)

2016年03月11日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

≪「シンガポール」市内観光≫(2)

②「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」
ここは「近未来型植物園」と言われているそうで、「マリーナ・ベイ・サンズ」の湾を隔てた向い側のエリアに造られていた。
先ず驚いたのは、巨大樹を鉄パイプで造形した高さ25~30mのスーパーツリーだ。根元にはパイナップル科の植物やつる性の植物が植えてあるので、今後の生育が楽しみだと思った。
高さ22mの所に全長128mのつり橋が掛けられていて、5ドルでエレベーターに乗れた。高度感たっぷりの体験は楽しめたが、時間的に他のエリアに行く事は叶わず、残念だった。

 



               



③「マリーナ・ベイ・サンズ展望台」
人気の「空中プール」は宿泊客しか使えないが、一般でも23ドル(2000円)払って展望台に上る事ができた。高い所が好きな私も行って見た。
直前に「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」で高度感を味わったためか、あるいは広大な眺望のためか、私には余り高度感は感じられなった。しかし、眼下にシンガポールを見渡し、地形全体を知る事ができた。「空中プール」を脇から見られた事も良かったので、十分に満足できた場所だった。

           



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海外旅行「マレーシア・シンガポールの旅」(9)

2016年03月11日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

≪「シンガポール」市内観光≫(1)

観光の最終日は、シンガポールの市内観光だった。
11時まで自由行動で、その後、バスで市内観光に向かうという変則的な日程に戸惑ったが、ホテルがオーチャード通りに面していたので私は一人で9時過ぎにその通りの散策に出た。
間も無く「高島屋」が見えたが、10時の開店時間に間があったのでさらに散策を続けた。
ガイド氏が言った通り「車優先社会」で、交差点以外の水平横断は柵が設けてあってできないのだ。道路の向こう側に行きたければ、横断歩道以外は一旦地下に降りる階段を探し、降りてまた上がって渡らなければならないのだ。時間がかかるが、安全に渡りたければそうするしかない様だ。

あちこちに私服の警官がいて、路上でタバコを吸ったり、違法な横断をすると補導されるらしいから注意した。
また、近代的なコンクリートだらけの街に、彩りや癒しが目的と思われる造形物が置かれていた。ビルの間の通路には植物も植えられていた。

 

 

①「シンガポール植物園」
この日も気温は32℃はあっただろう。私が楽しみにしていた植物園に入ったが、面積が広大らしく、ガイド氏が「個人で見ようとしたら迷子になります。」と言うので、ガイドに着いて行った。ほんの入り口近辺しか案内されず、時間も少なく残念だった。
国花は「ランの花」で、あちこちに植えられていた。

 
                        (最小のバナナだとか)

 

 
 

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一日で100万円を使い切る方法

2016年03月10日 | 高齢期の生活全般

体が動く内なら、少し豪華な海外旅行のツアー参加を申し込み、支払ってしまうと1日でなくなる。

また、普段世話になっている子どもに、生前贈与する。
1年間に110万円以内なら贈与税がかからないそうなので、良い方法かも知れない。

しかし、渡してしまったら子どもは世話をしなくなってしまうかも知れないという心配は伴うが。これ位の金額ではそうはならないだろうとも思う。疑心暗鬼…
                

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