花好き・旅好き女性のセカンドライフ  (ブログ始めて16年目)

幾つもの持病があるが、伯母の介護をし、春~秋はガーデニ
ングと家庭菜園、合間に旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

「世界の文化は実に異なる」と再認識させられた本

2018年01月25日 | 読書
図書館で見つけ、大月書店「くらべてわかる世界地図5」の「文化の世界地図」(藤田千枝編、坂口美佳子著)を借りて来て読んだ。
この本は児童図書の本棚に有った物で、各ページに可愛らしい絵と分かり易い説明、そしてカラフルな統計表が掲載されていて、子供からお年寄りまで興味を持って読み、知識を広げる事ができる様に編集されている。

この本から、私があまり知らなかったことで再認識させられたことの幾つかを書きたい。
1、使用されている言語(003年現在)
 1位は10億人が話している「中国語」だが、2位の「英語」は3億5000万人しかいなくて、私の予想より少なかった。
3位は2億5000万人の「スペイン語」、4位が2億人の「ヒンディー語」だった。なるほどと思った。5位が何と「アラビア語」で1億5000万人だ。
因みに「日本語」は1億2000万人で9位だった。

2、宗教
 国境を越えて幾つかの宗派に分かれている宗教は「世界宗教」と言われ、「キリスト教」「イスラム教」「仏教」などが主なものだ。
 世界の3人に1人が「キリスト教徒」、5人に1人が「イスラム教徒」、7.5人に1人が「ヒンドゥ教徒」で、17人に1人が「仏教徒」だ。
 「仏教」の内、「大乗仏教」を信仰している国は「中国」「日本」「韓国」「北朝鮮」「ベトナム」「カンボジアの一部」だ。

3、人口構成の特徴 「日本」は「人口に子供が占める割合」が世界1少ない国だ。2位が「ロシア」、3位が「イギリス」と「スエーデン」だ。
 その反面で「人口に占める一人暮らし世帯の割合」が最も高い国は「スエーデン」(40%)、2位が「日本」(28%)、3位が「フィリピン」と「フランス」(27%)だ。「フィリピン」が意外だった。

4、生死・結婚・離婚
 先ず「戸籍制度」がある国が「日本」と、かって「日本」が占領していた「韓国」「中国」(台湾)だけだった。
 また、「死者の葬り方」では「土葬」が一番多く、「火葬」だけの国は「日本」「インド」だ。
他の多くの国は「土葬と火葬」の両方が伝統的に行われたり許可されている。
 国によっては「鳥葬」「水葬」の他、「曝(ばく)葬」(野ざらしにして鳥や動物に食べさせる)「洞窟葬」「樹上葬」などもある。
 「イスラム教」では24時間以内に「土葬」する。「火葬」は地獄に落ちた者が受ける神の罰だと考える。また、アッラー以外の神に祈る事は禁じられているので、お墓参りはほとんどしないらしい。
 「ヒンドゥー教」では、「火葬」で魂は天に昇り、魂の再生を信じて墓は作らないという。

(※私は2015年10月に、国教を「イスラム教」と定めている「イラン」で、現在は禁止されている「鳥草」の丘に行った事がある。興味がある方はこのブログのカテゴリー「西アジア」で「イランの旅」の12「ヤズドの市内観光」②を見ると、写して来た写真も載せてあるので参考にしてもらいたい)

5、音楽の音階 「西洋音楽」ではドレミファソラシドの音階だが、「中国」では「ミ」が無い。「インド」では「レミラシ」が半音低い。「スコットランド」は「ファとシ」が無い。「日本」の民謡には「ミとシ」が無く、「雅楽」には「ドとファ」が無い。「沖縄」「中国の雲南省」「ブータン」には「レとラ」が無いという。この違いも面白かった。

6、マナーとタブー
 「フランス」では、自動車の助手席に子供を乗せてはいけない。「スペイン」では、信号無視、横断歩道以外の場所での道路の横断には罰金がかせられる。
 「日本」では、お椀を口まで持ち上げて食べるが、「欧米・中国・韓国」では、スープの食器を持ち上げない。「中国・韓国」では、料理を平らげると「足りない」という意思表示になるので、少し残すのが良い。
 「欧米」でトイレのドアを叩くと「早く出ろ」と受け取られる。
 「ヒンズー教」で牛が神聖な動物とされるのは、マラリア蚊が牛の血が好きで、牛の側にいればマラリアにならないからだそうだ。これは初めて知った。

この本の一部を紹介しただけだが、興味を持ってもらえただろうか。
次回、図書館に行ったら、このシリーズの他の本を借りて来たいと思っている。

※この所、北海道だけでなく、本州の日本海側や東京まで大雪が降っていると報じられている。
私の所も今朝の気温は今冬の最低気温だった。(朝5~6時頃、-16℃だったらしい)
また午前中、断続的に雪が降り、-5℃前後の中で2回、合わせて1時間強、除雪をした。手袋を履いていても指が冷たくなって痛くなった。
この強い寒波は、早く終って欲しい。
                                     

 
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モーリッシュが見た大正の日本(5)

2009年10月12日 | 読書
彼は日本の文字については、
「西洋の文字はやさしいけれど、日本の子どもは四十八種のかなを習い、その後五百の漢字を墨と筆で書いて頭に叩き込む。アルファベットを日本でも取り入れたら、どんなに国語の授業が楽になることか」と。
また「逆さまの国」のところでは、「日本では水平に行を連ねて書くのではなく、垂直方向に書かれ、印刷されたものを、右から左に向って読む。」と、書いている。

その後、ローマ字を日本の文字にすることを考えた人もいたらしい。
私は、漢字というのは象形文字から発展してきて、1字の中に物の存在や様子、人間の感情まであらわす事ができる凄い力を持った文字だと思う。
だから今、人口13億人になろうとしている中国で、漢字の簡略化を進めていることを、私は一面では理解できても、せめて常用漢字は簡略化して欲しくないと思う。
3月に行った台湾でも、漢字を守ろうとしている事を知り、嬉しかった。
先月行った東ヨーロッパでは、どの国も幾多の戦争を乗り越えて来た歴史があるが、言語や文字は、民族の文化であり、存在そのものだと思った。
その意味でも私は、今後も日本語と漢字が大切に受け継がれて行く事を願いたいと思う。

また、植物学者の彼は、実に細かく日本の植物分布や農業、果樹栽培を観察して記録に残している。
次は「庭について」の中の一文である。
「日本の庭は、いかなるヨーロッパの庭とも本質的に趣を異にする。」
「ヒノキは日本の庭で大変重きをなす木であるが、庭では自然とは全く別の習性が与えられ、側枝がクッションのような形になるよう剪定されている。」
「松の木などは、今年出た新しい葉だけを残して後は全て切り落としてしまう。凝り性にも程があるというもので、こんな木はまるで散髪屋にでも行ったような顔をしている。」
「植物生理学の立場からすると、こんなお化粧ごっこは止めにするべきである。」
とまあ、日本人が樹木に施す自然とはかけ離れた剪定に驚き、ユーモアを交えながら苦言を呈している。

果樹の剪定は明治期に欧米から伝わった技術らしいが、庭木を剪定したり、盆栽にして楽しむのは日本人特有だと聞く。
私は、西洋やインドの公園で動物の姿に刈り込んでトピアリー仕立てにした木を見た事があるが、モーリッシュは見てなかったのだろうか。
私も生垣の剪定ならまだ判るが、余りにも極端に散髪された木には、違和感を感じる。

さらに彼の観察は続く。
「日本人は自然を愛するのに大変熱心である。彼らの熱狂振りは世界中に知れ渡っている。
彼らは例え一握の砂ほどの土地しかなくても、猫の額ほどの土地すら持たない場合でも、小さくてかわいらしい盆栽の樹木や岩や池や橋、石灯籠を陶器の盆に詰め込んで、庭のミニチュアを作る。」
その結果彼は、こうした日本人に特有な庭作りの原因を、小さくて狭い家、狭い庭がなせる事だと理解したようだ。
また、全ての植物には命が宿っているとして敬う日本人の自然観にも、その原因を見ていたようだ。

まだまだこの本には、研究熱心で、ジャーナリズムの精神に溢れた彼の異国日本に対する観察が続く。
私はこの本を読んで、関東大震災、伊勢神宮、宮中行事、サハリン紀行、富士登山などの記述から、当時の状況を細かく知る事ができたし、異国の彼の目を通して当時の生き生きとした日本人の生き様を知った。
また後書きを読んで、彼の偉大さも改めて知らされた。
今は、大変興味が持てる良い本に出会った事を亡きモーリッシュに感謝している。








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モーリッシュが見た大正の日本(4)

2009年10月11日 | 読書
「贈り物」
彼は繰り返し日本で体験したプレゼントについて、次のように述べている。
「日本人の贈り物の渡し方は洗練されている。人を訪ねても直ぐに贈り物の事を言わない。最後の最後になってから、どうでも良いことのように言う。
立派で高価な品物でも、つまらないものをお渡しする無礼をお許し下さいと言って詫びる。小奇麗な包装の右側にはのしと呼ばれる紙片がつけられ、大したものではないという事を伝えるのに粗品と書き入れる。」

「日本では色々な機会に贈り物を貰う。学生が研究室に来て帰る時に、さもホンのついでであるかのように贈り物を渡される。それは故郷の絵葉書、漆の箱、日本人形、風呂敷、もぎたての柿が入った小箱、有名な魚の燻製などである」と書いている。

観察の仕方が細かい事に驚くが、日本人が一寸した機会にするこのような贈り物の習慣を、彼は「感謝の気持ちを表す行為」と結論づけている。私も彼の見方に同感する。

また、私が思うには日本人の贈り物の仕方も、戦後、日本にアメリカ文化が入って来てから大分変わったと思う。
訪ねた人は、贈り物を早めに渡す。貰った側もその場で直ぐ開き、一緒に喜んだり食べたりするようになった。
そして最近は、送り手が「粗末なものですが‥」等と言ういい方をする事は、少ないのではないだろうか。
日本では、『粗末なもの』だと言って差し上げるのは、贈り物に対して相手に負担感を持って欲しくないと言う思いやりの心なのだが、西洋人の考え方に立つと、粗末だと判っているものを差し上げる事は、相手に大変失礼な事だ、となるのだ。

それにしても、日本人には贈り物癖があると言ってもいい位、現代は一層贈り物の機会が増えた。
古くからの歳暮、中元などの他、、各種の祝い事、果ては外国の習慣に同調した誕生日、クリスマス、バレンタインデー、結婚記念日などだ。
数え上げたら年中、何がしかの贈り物をしたり貰ったりしているが、それは今では人間関係を良くする潤滑油なのかも知れないと私は思う。
(実際にはバレンタインデーのように、商業者の販売戦略から始まり、あっという間に日本の文化となった不思議な事も多いのだが)

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モーリッシュが見た大正の日本(3)

2009年10月10日 | 読書
「国民教育」の章には、次のように書いてある。
彼が勤めた仙台の東北帝国大学の生物実験室の隣に、大きな国民学校があった。部屋からは手に取るように校庭で遊ぶ子ども達の姿が見られたらしい。
「子ども達は、1時間に1回、校庭に出て来て、のびのび身体を動かす。そしてこの事は1日に何度も繰り返される。だから子ども達は学校嫌いにならないのだ。」

「子ども達には、落ち着きは全く見られない。日本の大人の見事な落ち着き振りは、年のせいではなくて克己心を叩き込まれたためなのだ。」と、彼は結論づけている。

26年も前の事になるが、私は1度、イギリスの小学校を見学した事がある。
その時、授業中ずっと、小学校低学年の子ども達が全く私語をしない事が不思議だった。
(その小学校は、ロンドンの低所得者が多い町にあった。1クラスに生徒十数人、教師1人、助手1人がいた。
生徒は自分の学習計画に基づいた勉強をするので、1人1人バラバラな科目を黙々と静かに勉強している。教師は全体に黒板前で説明をすることは1度も無く、子どもが小声で質問したら、答えを言わずに勉強方法を教えていた。)
私は、学校生活もそうだが、多分小さい頃から日曜日に行く教会のミサで、必要な時はじっとする教育を受けて来て、それが習慣となって身についているのだろうし、また家庭生活は大人が中心で、子どもの我侭な行動は厳しくしつけるのではと考えたのだが、本当はどうなのだろうか。

それに比べて日本の子ども達の落ち着きの無さは、彼をきっと驚かせたのだろうし、彼と出会う紳士達の振る舞いとの格差が不思議だったのだろう。
私も帰国後、子どもの父母参観で小学校に行った時、落ち着きの無い子ども達の姿が改めて強く目に写った。またそれよりももっと衝撃的だったのは、授業中教室の後ろに立っている母親達の遠慮が無い私語だった。私語をしていい時かどうかの判断ができない親に、落ち着いた子どもを育てる事は期待できないかも知れない。

「日本の大学は、ヨーロッパやアメリカの大学と十分張り合う事ができる。
現在5つの国立大学があるが、6つめの大学が朝鮮の首都ソウルに建設中である。」と当時の状況を書いている。
さらに「日本の大学の目的は、天皇が布告し、『国家にとって有益な学問の理論と実践を教え、各分野で独創的な研究を推し進める事、さらに学生の個性を発展させ、国家にとって健全な思想を育成すること』だ。」と書いている。
それに続いて、「教える側の自由はあるが、国の始まりについて紀元前660年からという事に批判的な意見を述べる事ができない奇妙な制約がある。」と言っている。
そして、「教わる側の自由は無いに等しい。」とも。

また、面白いことも見抜いている。
それは、「残念な事に眼鏡をかけている学生が多いが、中にはインテリ、学者を装うために眼鏡をかけている者がいることも確かだ。」と。
続けて、「こんなに近視が多いのは、小学校の頃から小さな込み入った文字を読み書きさせられるからだ。」と結論付けている。
確かに日本人は近視の人が多い。かって外国人は、カメラを持ち眼鏡をかけた人は日本人だ、と思ったそうである。
でも、彼が言うように文字(漢字)が原因なのだろうか。私は当時の照明や姿勢も大きいと思っているのだが、いかがだろうか。

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モーリッシュが見た大正の日本(2)

2009年10月09日 | 読書
彼が書いている西洋と逆な日本の生活習慣についてもう少し‥‥
日本では帰宅すると家に上がる前に靴を脱ぐが、西洋では家の中で初めて靴を脱ぐ。
その理由として彼が考えた事は、日本には家具がなく、畳の上で食べ、書き、寝るから、畳の床は西洋の机の上と同じだという結論なのだ。

もう少し踏み込んで彼が考えたら、気候風土、床材の違いに気づいたのではと、私は残念に思う。
雨が多い日本では玄関で汚れた履物を脱いでから、湿気や汚れに弱い畳の部屋(西洋の床は、木か石やタイル、レンガ、モルタルなどで極めて丈夫にできている)に入るのが合理的だと判ったはずだ。
さらに、湿度が高い日本でずっと靴を履いていたら、足が蒸れて不潔になりやすい。(だから和服の時は、下駄やぞうりを愛用したのだと思う)
西洋では湿度が低いし、弾力がある温かい畳と違い、床は硬い材質なので、靴をはかなかったら足が冷えるし、歩くときの衝撃がじかに脳に伝わるから、家の中でも履いて来たのだと私は思う。(気温が高いエジプトや南欧では、夏の間、日本の草履にそっくりなスリッパを履いて来たみたいだが)

「女性の扱い」の章には、次のように書いてある。
奇妙な事に、日本の男性は女性に服従を求める。
娘は父に従い、妻は夫に従う。寡婦になったら息子に従う。
彼女は人に命令する事ができないし権力も、家族から尊敬されることもない。客が来たら食卓に一緒に座らず、給仕だけする。
そして常に、女は男より下なのだと思い込まされる。
夫が妻に好意を感じなくなって別の美人の所へ行ってしまっても、じっと耐え忍ぶ必要があるのだろうか。
これは西洋人には理解できない事だ、と言っているのだ。

きっとこの時代の日本女性の家庭内、社会における立場を見た彼は、さぞかし驚いたのだろうと推察できる。
しかし、これも残念なことに、彼は当時の家父長制家族制度のことには目を向けていないのだ。
嫁した女性は夫の家の嫁であり、その家の跡継ぎとなる男子を産み、その家の家風を受け継ぐ事だけが妻の存在価値だったことには気づいていないのだ。
特別な場合を除き、家や夫の遺産の相続権も子どもの親権すら持っていなかった事を知ったら、彼は何と思っただろうか。
そしてこうした女性への人権無視がなくなるのに、法律ではさらに20年以上後、第2次世界大戦終結後の新憲法成立、民法改正を待たなければならなかった。
しかし、例え法律が変わっても、社会的な習慣が変わるのには可なりの時間が必要である。
敗戦から64年後の今日でも、日本の人々の女性観はまだまだ遅れている面が多い事を、彼が知ったらどう思うだろうか。
今回、婚姻時の選択的夫婦別制を含む民法の懸案事項を、法務大臣が来春成立させたいと言った事に対して、民主党の総理大臣さえ時期尚早だと暗に反対している事に、私は落胆している。





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モーリッシュが見た大正の日本(1)

2009年10月08日 | 読書
この本のタイトルは「植物学者モーリッシュの大正日本観察記」だが、私は前から比較文化論に関心があったので、図書館で見つけたのを借りて来た。
ハンス・モーリッシュは1856年、当時のオーストリア帝国(現在のチェコ共和国)に生まれ、ウイーン大学を卒業後、1909年、ウイーン大学の植物生理学主任教授となった。
1922(大正11)年9月から1925(大正14)年3月までの2年半、東北帝国大学に招かれて日本の学生達を指導した。
その間、日本のあちこちを旅行し、自然や気候風土を体験し、植生を調べ、当時の人々と交流しているが、その中で西洋と違う日本の独自な文化に大いなる関心を抱いたのだった。
そして帰国の1年半後にこの本を出版している。
帰国後はウイーン大学総長も務め、1937年81歳で死去している。

この本は、日本語に翻訳されて2003年に草思社から出版された。421ページの分厚い本である。
まだ半分しか読んでいないが、仕事の傍ら、当時の日本の社会、風俗、芸術などを細かく鋭く観察し、日本人の生活観、思想を理解しようとした大作である。
確か前に朝日新聞でこどもの日の特集記事が載っていた中に、「日本の国ほど子どもを大切に見守り、育てている国は無い。」というような事を、昔、言った外国人がいると書かれていたが、その人がこのモーリッシュだったのだ。

先ず、「逆さまの国」に書いてある事を紹介したい。
カンナの刃のつけ方、使い方が西洋と逆。のこぎりの刃先が後ろに向いているので、自分の身に引き寄せて仕事をするのが日本人だ。鉛筆の芯を研ぐ時、刃先を向こうに向けて持って削るのも逆だ。濡れた傘を閉じたら握りを下にしておくのが逆。売り子はつりの計算を引き算するが、西洋では足し算で出す。

手招きの仕方も逆だ、と続くが、日本の大工は先に屋根を仕上げてから壁や中を作るが、西洋では土台を作ったらその上に壁を積み上げて、最後に屋根をのせる、という下りについては、私は日本の材木と西洋の石材やレンガとの違いに触れていないのが不思議だった。建材の違い、降雨量の違いを見れば、なぜ逆なのかが判るはずなのにと思った。

日本の酒飲みを「左利き」と言うように、日本人は酒盃は左手で持つし、靴を履く時は左足から履く、と彼が言うのに至っては、私は彼の思い込みだと思うがどうだろうか。

また、日記を書く時、日本人は年→月→日と書くが、西洋では反対である。
手紙の宛名書きも、日本では町名→通り名→番地→受取人名だが、西洋は逆だ。
客をもてなす時、日本では1番上等な床の間の近くに主賓が座り、その家の主人は反対側の目立たない場所に座る。西洋では最も良い席に主人か主婦が座り、その隣に客を座らせるというように、実に細かく観察して彼なりの結論を出している。
今で言えば、彼は社会学者の目を持っていたのだと思う。





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