花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設16年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調が重なり、家の回りの生活が主になった。

南アフリカの旅(7) 南ア国のアパルトヘイトの顛末

2008年06月20日 | 海外旅行「南アフリカ」ジンバブエ・ボツワナ・ザンビア・南アフリカ

 まず、アパルトヘイトの歴史を簡単に書く事とする。
 1948年から1991年迄、43年間に渡って続けられた南ア国の人種隔離政策(アパルトヘイト)は、最初に南アに入植したオランダ人(自らをボーア(農民)と呼んだ)の黒人選民思想がもたらしたものだといえよう。
 当時の国民党政府は、国民を白人、カラード(混血)、インド人、黒人に分類し、少数の白人が政治経済を支配し、居住地、教育、就職、宗教、恋愛に至るまで、詳細に白人以外の人種に対して徹底した差別を制度化した。

 やがて国内外でアパルトヘイト反対運動が激化。アフリカ民族会議議長だったネルソン・マンデラは捕らえられ、決して逃げ出せないケープタウンの12km沖にあるロベン島に、1990年に釈放されるまでの18年間、幽閉された。
 1990年、政府は民族融和政策に転換し、1991年、アパルトヘイトを廃止した。
 1994年に行われた初めての総選挙でマンデラが大統領に推された時から、長かった白人単独支配に変わって、他民族が共存する民主主義国家が目指された。

 今回、私達のケープタウンの現地ガイドは、白人の男性だった。彼は若かった1969年、キリスト教の宣教師として神戸で暮らしたことのある人だった。彼から現状を聞いた。

 彼は、現在の国民の85%が黒人で、政治家の大半も黒人であると話した。
 (しかし、私がwikipediaで調べたら、少し古い2001年の国勢調査の結果が出ていた。それによると白人18.75%、黒人31%、カラード48%、アジア系1.4%となっていた。彼は、「白人以外は85%」と言うべきだったのだろう。) 

 国の法律で、会社の75%の人員を黒人 (これも多分、正確には、白人以外の意味で彼は言ったのだと思う。) にすることになっていて、違反すると高い税金が課せられるそうだ。白人は55歳で定年となるが黒人はわからないという。

 黒人はホームレスでも選挙権が与えられる現在では、白人の政治力は低く、白人の子供は会社に入れないので外国に行かざるを得ない。自分の子供もヨーロッパで仕事をしているのだといっていた。金持ちの中高年も国外に出る人が多いそうである。
 確かに私達が行ったレストラン、飛行場、ホテル、観光地で色々な仕事をしていた人たちの多くは黒人だった。
 考えると、もともと白人は居ない国だったのだから、アパルトヘイトの反動で、厳しくワークシェアーをすることになったのは歴史的に仕方が無い面があると思った。

 2001年、市街地に住む者の失業者は19.4%で、その58%が黒人、38%がカラード、3.1%が白人だったらしいが(wikipediaによる)、現在はこの数値がどう変わったのか興味がある。
 しかし、将来的に公教育が行き届けば、やがて適材適所の雇用形態へと変わって行くのではと思った。
 いずれにしてもアパルトヘイトが無くなってから二十数年経ち、白人は少数民族として生きて行かざるを得なくなっている事だけは事実らしかった。

 2010年にワールドカップが開催されるにあたって、南ア国は国際空港の拡張、道路の整備、環境整備、ホームレスの解消などを急いでいるが、そのための莫大な予算をどうするのかで、国民の中にはワールドカップ開催を疑問視する声も上がっていると言っていた。
 彼は、空港の近くに何時の間にかできたというホームレスの人達のスラム街を指しながら、「80%の人は仕事を持っていてもここで暮らしている。水も電気も上手く盗み、地代も税金も払っていない。それを負担しているのは私達一般市民だ。市は公共住宅を建てて入居を勧めるが、入ると安くても家賃がいるし、公共料金も払わなければ成らなくなるので、彼らは何時までもここに居たがる。」とこぼしていた。
 
 やはりこの国にも、現在、まだ多くの問題が残されていることを知った旅だった。
 長い報告になったが、これで南アフリカの旅の報告を終わりにする。

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南アフリカの旅(6) ケープタウンでの観光

2008年06月19日 | 海外旅行「南アフリカ」ジンバブエ・ボツワナ・ザンビア・南アフリカ

 ビクトリア・フォールズから南アフリカ航空の小型機に乗り、再び消臭剤の洗礼を受けながら1時間40分で南アの首都・ヨハネスブルグに到着。2時間半後のケープタウン行きに乗り換えて2時間10分飛び、やっと着いたのは18時を過ぎていた。
 幸い窓側の席だったので、ずっと南アの大地を見ることができた。緑は川辺にしか見られない。土色の大地の所々に大中小の多くの円形が見えた。初冬なので緑色の作物は見えないが、数ヶ月間の乾季には巨大なスプリンクラーで散水しながら農作物を栽培している農耕地だろうと思った。
 ケープタウンが近づくと、眼下の平地に整備された区画とそこに整然と並ぶ膨大な数の住宅が見えた。人口350万人の南ア第2の都市の東側には1000mを超えるのではなかろうかと思われる裸の山塊が連なっていた。そしてその先端は、喜望峰に連なっていた。

 その日の観光は、バスで小高い丘に登り、煌くケープタウンの夜景を鑑賞しただけで終わった。風が強く、気温は7~8度ではと思う位寒かった。

 翌日は朝から一日、ケープタウン観光だった。①標高1088mのテーブルマウンテンの頂上に行くロープウエイは強風でストップ、仕方なく漁港、ホウト湾に行き、15km南に浮かぶ小さなアザラシの島、デイカー島行きの観光船に乗った。
 波が荒く、小型船は木の葉の様に揺れたが、私は海に浮かぶ狭い岩島の上にいた②多数のアザラシを船縁にしがみ付きながら必死でカメラに収めた。
 アザラシは一般にハーレムを作るが、その島は岩地で滑りやすいため繁殖地にはなって居らず、8歳までの子供の雄と雌が生息していると言う。打ち付ける海水にもよく滑らないものだと感心した。

  ①  ②

 その後、③喜望峰や④小型ペンギンが棲むボルダーズビーチを観光した。
 喜望峰では灯台のある展望台まで5分ほど階段を登ったが、その途中、体が風で飛ばされそうになった。辺りにはアロエの花が真っ赤に咲いていた。

   ③  ④

最後に行った一大ショッピングモール、ウオーターフロントでは、持っていた少しのお金、ランドを全て使ってスーパーで食品を買ったり、並べられていた生鮮食品の写真を撮った。⑤⑥⑦ 驚いたのはトマトの値段が1kg4.99R(85円)なのだ。5個で1kgになった。同じくオレンジ1kg7R(119円)、大きなレモン1kg9R(153円)と安い。所が鮨のパックは1個52~79R(884~1343円)と高く、見ていたら立ち止まって思案する人がほとんどだった。

  ⑤  ⑥  ⑦

 翌日、空港に行く前は、テーブルマウンテン南東斜面に作られているカーステンボッシュ植物園の見学だった。南アの国花プロテアが82種全てあるというが、その珍しい花を次々と見せられた。⑧
 私には最後に見た⑨「マンデラ・ストレチア」の優しい黄色い花が印象的だった。アパルトヘイトと戦い、拘留が解けてから大統領になったマンデラの名にちなんだ花だ。彼は今年90歳で健在だと聞かされた。

  ⑧  ⑨

 

 

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南アフリカの旅 (5) 動物達との出会い

2008年06月18日 | 海外旅行「南アフリカ」ジンバブエ・ボツワナ・ザンビア・南アフリカ

 今回の旅のもう一つのハイライトは、自然の中で生息する動物達との出会いだった。
 3泊したビクトリア・フォールズ町のホテルは、隣国ボツワナに車で1時間程の場所にある。
 朝7;30小型専用バスで出発すると8;30には国境に着いた。
 ジンバブエの小さな管理事務所でパスポートに出国の印を貰って出国してから、バスで少し行くとボツワナの管理事務所があった。そこの小さな事務所でも私達は一列に並んで、入国を許可して貰うのだ。国境は針金でできた簡単な扉だった。

 しばらく行くと、程なくボツワナでナンバー2の「チョベ・ナショナルパーク」に着いた。私達は入り口に待機していた屋根しかない2台の大型ラウンドクルーザー(客は9人乗れる) に分乗した。大声を出したり、決して車から降りない様にという注意を受けて出発した。

 すると直ぐに数頭のいぼ猪に出会った。その後間もなくしてインパラの群れがいた。
 さらに車は土埃を上げながらガタガタ道路を進んで行き、ザンベジ川の川岸に出た。
 そこでは数種類の水鳥が戯れていた。真っ青な空から舞い降りる大型の鳥もいた。
 いよいよ道無き道の様な所を車は水辺に沿ってゆっくりと進んで行きながら、鳥や動物に出会うと車を止めてくれるのだ。遠くの物は双眼鏡で見た。
 
 運転手が「いた!」と小声で叫んだ。何がいたのかと思ったらライオンだという。言われた方向に目を凝らすと、茂ったブッシュの向こうに大きい雌ライオンの姿が1頭、確認できた。ほとんど動かない。暑いので木陰で涼んでいるようだった。  運転手は車を近くへ寄せようと、タイヤを砂に取られながら何度もハンドルを切ってブッシュを掻き分けるようにしながら3m位の距離に近づけた。私は恐怖心と好奇心の混ざった複雑な気持ちになりながら目を凝らし、シャッターを切った。ライオンは姿勢をほとんど変えることなく、リラックスして悠々と寝そべっていた。
 車がバックしてブッシュを出た時は、緊張が緩みホットした。他でもう一頭見たが、雄には出会えなかった。

 しばらく走ると、今度はバッファローの群れが道を横切っていた。車はしばらく止まって彼らを通した。
 すると遠くにアフリカ象の群れを発見した。運転手は来た道を戻り、脇道に入って象の群れに近づいてくれた。
実際に見る象はかなり大きかった。二十頭位の群れの様だが、中に親子らしい象もいた。この公園は6万頭の象がいることで有名なのだそうだ。

 また前の道に戻って進むと、途中で木の上に豹を発見。10m位離れていたのではっきりとは見えなかった。
 間もなくすぐ近くに数十頭のインパラの大群がいた。小さな子供は可愛らしかったし、華奢な体躯は素敵に見えた。
 また川辺に戻ると、大型鳥アフリカハゲコウ他数種類の鳥に出会った。水を飲んだ数頭のバッファローが陸に上がって来たところにも遭遇した。
 
 この広大な命が輝く国立公園でも、生きるための弱肉強食の摂理が厳然としてあるのだろうと考えると、私は大自然の中で生きるものの厳しさと命の厳粛さを思わされた。

    

  

 午後は、大型のボートに乗ってのサファリだった。
 午後の日差しは強かったが、ゆっくりと川べりを進むボートは心地よく、水を飲みに来た象、インパラの群れ、大型鳥アフリカン・フィシュイーグル、鰐、群れで水中にもぐっている河馬、サバンナモンキーなどを見つけては歓声を上げた。
私は日本から遥か遠い国に居ることを忘れ、雄大な自然とその中で生きる動物達の姿を見た感動に浸った。

    









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南アフリカの旅(4) 二つの国で見た滝の姿

2008年06月16日 | 海外旅行「南アフリカ」ジンバブエ・ボツワナ・ザンビア・南アフリカ

 滝を上空から見た後、まず先にジンバブエ側の展望台から真近に滝の姿を見るハイキングコースに出かけた。
 水で濡れるので、私は登山用に買ったゴアテックスの上下を着た。またカメラは、家で思案した結果、ジップロックの袋を被せ、onにすると飛び出すレンズ部分に穴を開けて用意して来た。

 添乗員がまとめてチケットを支払ってから、1.5km程の展望ルートに入った。
 ゴーゴーという雷鳴の様な水音が聞こえ出した。目の前がぱっと開けたら、そこは川辺に最も近い①デビット・リビングストン展望台だった。何という物凄い水量だ。ザンベジ川の激流がアフリカ大陸の深い割れ目に落ちて行く。数百mも立ち昇る水煙のため霞んではっきりと見えない。私はただもう立ち尽くした。

 ガイドに促されてまた少し歩いたら、しぶきで濡れた石段に出た。
 「手すりが無く滑るから、注意してゆっくりと降りるように」と言われたので、1段々々足元を確かめ、いつものように数えながら降りた。73段降りたら②滝を下から見上げることができる展望台だった。まだ川の端の方なのだが体が震えるような凄い景色だ。

  ①  ②

 さらに歩いて次々と4つの展望地点に立ったが、川の中央に進むほど水しぶきの粒が大きくなり、強い雨となって降り注ぐので、真っ白い水煙の中では視界が利かない。足元の道にはジャージャーと小川の様に水が流れている。カメラを向けることなどできず、ただずぶ濡れになっていた。

 昼食後、今度はザンビア側から見学するために、私達はジンバブエ国を1度出国し、ヘリコプターで見た国境の橋を車に乗って渡り、ザンビア国に入国した。冬とはいえ、午後の強い日差しの中でそれぞれの出入国管理事務所に行き、窓口に並んでパスポートに許可印を押して貰った。
 現地の人たちは荷物を背負ったり頭に載せたりしてかなりの距離を歩いていた。両手に荷物を下げ、ハンドバックは首に下げて歩いていた女性も2人見かけた。鋼材を積んだ見た事がない様な大きなトラックが何台も通っていた。小学生も先生らしい女性と一緒に滝見学に来ていた。(下写真)観光だけでなく、国境を越えて仕事をしている人たちも多い様だった。

    

 やっとザンビアに入国し、現地ガイドについて滝見学をした。
 こちらの方が遥かに水量が多く、水しぶきはまるで強烈な豪雨の有様に思えた。
 川辺の急流③デンジャー・ポイントでは、昨年3頭の象と2人の人が流されて死んだとガイドから聞かされた。滝壺のすぐ上の危険な場所なのに、柵もなかった。④レインボウフォールズの展望台では確かに美しい虹が掛かっていた。
 ザンビア側の雄大な滝を目前にした時、私には、水の惑星・地球に生きる素晴らしさがこみ上げて来たのだった。

 すべての展望台で見学し終わった時、滝と離れがたい気持ちに襲われた私は「最後にもう1度見させて欲しい。」とガイドに頼み、最初のデンジャー・ポイントで再び時間をとって貰った。そこで滝の最後の写真を撮った。

  ③  ④

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南アフリカの旅(3) 空から見たビクトリア・フォールズ

2008年06月14日 | 海外旅行「南アフリカ」ジンバブエ・ボツワナ・ザンビア・南アフリカ

 1989年に世界遺産に登録された世界三大瀑布の一つ、ビクトリア・フォールズの観光は、先ずヘリコプターに搭乗して上空から下の景観を見る事から始まった。
 ヘリコプターは1機だけなので、1度に4人ずつ順番に、乗り降りを含めて15分間の飛行をするのだ。
 乗る前に体重を測られるが、他人には計測面が見えないようになっているので皆、安心した。
 グループの中で私だけ最後に一人となり、個人で来ていた白人の男女と3人で乗った。
 
 座席の横に透明なプラスチックの窓が付いているが、カメラ撮影のために20cm四方程、スライドさせて開けることができる様になっていた。私はカメラを落とさないように首に紐を掛けた。機体がジンバブエ側からザンビア側へと雄大な滝の上空を国境を無視して大きく旋回するのに合わせて必死で何度もシャッターを切った。乗る前の不安な気持ちはすっかりどこかへ飛んでしまっていた。(写真中央はビクトリア・フォールズ橋、その左側がジンバブエ、右側がザンビア)

 晴天の下に上空から見えたビクトリア・フォールズは、雨季に大量に降った雨が、乾季に入った5月からザンベジ川に集まり、落差最大110m、幅1700mの滝壺に数百メートルもの高さの水しぶきを上げながらなだれ落ちていた。湧き上がる白煙の様な水煙には虹もできていた。想像していた通りの荘厳な素晴らしさだった。
 しかしカメラは、広大な大自然のほんの一部分を切り取る事しかできないし、まして歓喜の声もヘリコプターの轟音も写せない。目と体で感じる今の感動こそが本物なのだと強く思った。アッという間の短い感動体験だった。

 ※写真をクリックすると拡大します。

 ② ③
 

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南アフリカの旅(2) ビクトリアフォールズの町外れで 

2008年06月14日 | 海外旅行「南アフリカ」ジンバブエ・ボツワナ・ザンビア・南アフリカ

 ジンバブエ国ビクトリアフォールズは小さな町だが、世界的に有名なビクトリアの滝のジンバブエ側からの観光拠点である。空港からホテルまで20分位小型バスで走ったが、むき出しの赤土の道路が続き、下草が枯れた茶色の大地に潅木が点在している広大な風景が広がっていた。そういえば昼の気温が20度を超えているとは言え、今は初冬なのだ。

 ホテルに着くと広い中庭に通された。早速、現地の男性ダンスチームが打楽器と民族ダンスで歓迎してくれた。
 鍵を渡されて部屋に入った。まず目を引かれたのはベット上に設置してある蚊帳だった。マラリヤを媒介する蚊を排除することが一番大事なホテルのサービスなのだろう。
 蚊帳を見た途端、WHO、ODA、UNICEFなどを通して、日本がアフリカへ蚊帳を配布したという数年前のニュースを思い出した。このナイロン製らしい独特な天吊り蚊帳がそれかどうかは判らなかったが、私はその晩、50年ぶりで懐かしい蚊帳の中で寝た。

 ②

 夕食まで2時間もあったので、単身参加のOさんと誘い合って近くの店にミネラルウオーターを買いに行く事にした。ホテルの門にいた警備員に店の場所を教えてもらって歩き出したが、冬とは言え午後の日差しは強く、往復20分歩いただけで汗が出た。
 行く途中、帰宅途中の小学生に会った。話しかけてブーゲンビリヤの大木をバックに写真を撮らせて貰った。7歳だという子の屈託のない笑顔が素晴らしかった。

 辿りついた数件の店の周りには、昼間なのに若い男性達がたむろしていた。中には私達に「コンニチハ」と声を掛ける人も多かったが、彼らは多分失業しているのだろう。木陰では子供を連れた女性達が涼んでいた。
 少し大きなスーパーを見つけて入ってみた。入り口に警備員がいて、子供達が入るのを監視していた。
 いつの間にか10歳位の男子二人が傍について来た。ニコニコしながら「コンニチハ」という。やがてその内「アイアム、ハングリー」と言い出した。帰りもまだしつこくついて来る。一人に施しをすれば大勢がやって来るに違いない。仕方がないので「帰りなさい」と何度かきつく言うと、諦めて離れていった。
 すると今度は木彫りの動物を一個だけ持った男性が、「チープ」といいながら交互に付きまとって来た。「ノーサンキュー」と言いながら歩いている内にやっとホテルについた。熟年と老年の女の二人歩きは、甘く見られたのかも知れないと思った。

 スーパーでOさんが買った2L入りミネラルウオーターは1本3ドルだったが、ホテルの売店では500cc入り1本が2ドルで売られていた。Oさんは持って上げた私に、空のボトル1本分の貴重な水を分けてくれた。

 夕方5;30、ホテルから10分程バスに乗り、ザンベジ川で40人位は乗られる様な大型ボートに乗った。今回はもうひとつの団体と合わせても25~26人に過ぎなかったが、これからサンセットクルーズをするのだ。ボートはカバがいればその傍へ、鰐が見つかればそちら側へと行く。客は動物が見える度に歓声を上げて見つめ、シャッターを切る。自然の中で生息しているアフリカの動物達との出会いはやはり素敵だった。カバ6頭、小型鰐2匹、鹿1頭、鷺2羽を見た。
 やがて日没になった。茜色に染まる空と水を見ていたら、何かセンチメンタルな気持ちにさせられた。

 ③ ④

 真っ暗い中をバスに乗って帰る途中、道路脇で大きい猪2頭と数十頭の水牛の群れに出会った。闇の中、目の前で動く大型水牛の群れには感動した。夜は動物も安心して餌を食べるのかも知れない。

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南アフリカの旅(1) 千歳からビクトリアフォールズ迄

2008年06月13日 | 海外旅行「南アフリカ」ジンバブエ・ボツワナ・ザンビア・南アフリカ

 6月3日から11日まで、遥か遠くの国、南アフリカのツアーに参加して来た。
 私は北海道千歳空港を9;00発の飛行機に乗り羽田へ向かった。成田へはリムジンバスで行った。
 16時、成田国際空港でツアー主催会社の女性添乗員に会い、同時に参加者の顔合わせが行われた。大半はカップルだが、私を含む単身参加も3人いた。最高齢は単身の77歳の女性である事に驚いた。

 まずスーツケースを預けに行った。今回は、成田から香港、ヨハネスブルグを経由して、ビクトリアフォールズ空港まで運んでくれるように依頼する。

 次に空港内の銀行で、円をドルと南アフリカの通貨ランドに換えた。私はそれぞれ幾ら換えたら良いか迷った。ドルは余ってもまたの機会に使えるが、ランドはそうはできないからだ。結局、最少額にした。

 早めに厳しい出国検査を受け、18;25発の香港行きJLに30分前に搭乗したが、どうしたわけかなかなか飛ばない。理由の説明も無いまま30分遅れでやっと19;00に離陸した。
 やがて夕食の機内食が出た。気がついたら隣席の中国人男女は、まずバターロールを食べてから、次にメインディッシュ、サラダと一皿ずつ順番に片付けながら食べて行った。日本人の混ぜ合わせ食いは、やはり世界的には少数派だと再認識した。

 JL機は4時間30分飛び、22;30香港国際空港に着陸。
 そこで改めて23;50発の南アフリカ航空機に乗り換え、南アフリカのヨハネスブルグ迄13時間5分後の到着を目指す。この飛行機はANAと提携関係にあるということで、添乗員にカードを渡し、ポイント加算を依頼する。(添乗員の話では、加算されてない事が多いので、搭乗券をなくさないように言われる)
 座席はエコノミーだが日本の飛行機よりも少し広めだ。満席で、私は中側のE席だった。

食事は夜食と朝食の2回出た。夜食にワインを頼んだら2本くれた。赤ワインは美味しかった。
 白ワインは飲めなかったので持って降りたら、乗り継ぎの検査で取り上げられた。

 ①夜食 ②朝食

 TV画面では音楽、映画などを選んで楽しめるが、飛行経過の画面では「ストレッチ、アンド、フレックス」が挟まれていた。これは、「座席で血液循環を良くするために膝を20~30回繰り返し上げる、踵をできるだけ高く30秒間上下させる、膝を早く15秒間回す、2時間に1回少し歩く、アルコールだけでなく水分を十分取る」とアニメ入りで繰り返していた。エコノミー症候群が知られて久しいが、こんなにわかり易い防止キャンぺーンを私が見たのは初めてだった。私も2~3回目が醒めた時には実行した。
 狭い座席で座ったまま寝たが、最後にはでん部が痛くて仕方がなかった。

 着陸直前に隣の40代に見える女性と少し話した。彼女はヨハネスブルグに着いたらレンタカーで4時間掛けて国境を越え、モザンビークの自宅に帰ると言っていた。仕事は教師だそうだ。
 6月4日現地時刻6時55分(日本との時差7時間)に着陸。私達は乗り換え客が大勢ごった返す所で、30分も並んでやっと入国審査を受けた。審査場所はたった1箇所しか無かったのだ。
 
 最後は9;15発の予定が30分遅れで、再度、小型機に乗り換えて、ジンバブエのビクトリアフォールズ空港を目指した。
 この飛行機で驚いたことが起きた。黒人女性アテンダントが、離陸直前に両手に持った2本のスプレイを天井目掛けて一気に噴射させながら機内を往復したのだ。強烈な匂いが立ち込め、息苦しく目を開けていられない。私は慌ててハンカチで鼻と口を覆った。何の目的なのだろうか。その時は判らなかったが、ジンバブエにいる間、その訳を思い知らされることとなった。
 黒人の中にひどく鼻につく体臭の強い人が沢山いるのだ。40度もの気温に適応して生活する彼らは、体温調節のために大量に汗をかく。その汗と共に体臭が立ち込めるらしいのだ。
 帰りの飛行機でも同様に噴射された。消臭剤の奮発は、機内サービスの一つらしかった。

 現地時間11;00(日本時間18時) やっと小さなビクトリアフォールズ空港に着陸した。成田を離陸後24時間、私が千歳を飛び立ってからは33時間が経っていた。実に遠い国に来たのだ。全員の荷物は間違いなく着いていた。

 かなり気温が高かったが、出口では数人の男性が歓迎のダンスを次々と踊りながらチップを求めていた。私は彼らの熱意が伝わったので1ドル札を前に置かれたボールに入れた。
 後ろに荷物積みを引いた小型バスがやって来た。それに乗り込み、ホテルに向かった。

 ③ ④


 

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明後日から南部アフリカ4カ国の旅に出る

2008年06月01日 | 海外旅行「南アフリカ」ジンバブエ・ボツワナ・ザンビア・南アフリカ

 前回の定期健診では「異常なし」だったが、何時まで元気で動けるかわからないと思っているので、次の検診まで好きなことをしたい。
 そこで今回は、思い切って南部アフリカに出かける事にした。

 エジプトにはまだ行っていないが、事あるごとにTVで放映されるので、それを見ているだけで自分も行った気に成っているところがある。それに比べると南部アフリカの情報はまだ少ないから、どんな所なのか興味がある。 
 小学校1年生だった頃、月刊雑誌で見て憧れたナイヤガラの滝には20年前に行くことができた。今度はアフリカの壮大なビクトリアの滝を見てみたいのだ。友人は「地球の割れ目が見えた」と表現しているが、きっと凄いに違いない。
 また、アフリカゾウの宝庫と言われる「チョべ国立公園」のサファリドライブもある。少し恐ろしいが体験して来よう。
 アザラシの島やペンギンビーチなどの独特な自然と風土も楽しみだ。
 かって長い間、『アパルトヘイト』なる徹底した人種差別政策がとられていた南アフリカの現状も見てみたい。

 ここは今日も最高気温が10度を下回りすごく寒いが、ビクトリアの滝があるジンバブエは28~29度もあるらしい。急な気温差で体調を崩さないか心配だが、常備薬、日焼け止め、虫除けスプレイ、蚊取り線香、サングラス、双眼鏡などをカバンに詰めて行って来る。
 今回参加するツアーは成田空港出発なので、千歳から羽田を経由して成田までは自力で行く。
 また、成田への帰国予定は10日20時と遅く、乗り継ぎの便が無いので、私は成田のホテルに1人でもう1泊し、帰宅は11日の午後になる予定だ。(北海道の人が海外に旅行するには、先ずこの点が不利なのだが仕方が無い。) それまでブログはしばらく休むのでよろしく。

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