花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設16年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調が重なり、家の回りの生活が主になった。

husbandを指す日本語

2012年03月28日 | 日記
英語で「husband」に当たる適当な日本語が見当たらなくて、いつも困るのは私だけだろうか。
「husband」を英和辞典で引くと「夫、亭主」と書いてあり、「主人」「旦那」という言葉は出て来ないのだ。
自分の連れ合いの事は「夫」という事にしているが、相手や第三者の連れ合いの事は、「あなたのご主人は…」とか「あの家の旦那さんは…」と言っている。
しかし良く考えると、辞典にない様に現代の男女平等の家庭生活に馴染まない前近代的な言葉なのだ。
だが、「あなたの夫さんは…」「あなたのご亭主は…」という言い方はまだ一般的でない。(確か昭和天皇が園遊会で、「夫は…」「妻は…」と言っていた記憶があるが)
日本人が男女平等の憲法を持ってから半世紀以上になるが、未だに家庭や社会に男性中心主義が残っているために、こういう言葉がなかなか変わって行かない事が悩ましいと思う。言葉には、その時代や地域の人々の生き方や暮らし方、考え方などが反映されているからだと思う。
因みに「wife」を英和辞典で引いて見ると「妻、夫人、女房、奥さん」と書かれているが、「家内」とは出てこない。(今の現実では「家外」の人が大半を占めるようになった)

また、誰かが自分の伴侶を呼ぶ時の言い方を聞いていると、色々面白い。
「お父さん」「お母さん」は、小さな子供に言葉を教える時に言い合ったのがそのままになってしまったのだろうが、外国人が聞いたら「え!あの人があの男性の母親??」なんて思う事になるかも知れない。

中国ではお互いを「愛人」と呼び合うそうだ。さしづめ英語なら「ダーリン」になるのだろう。この言い方も傍から聞こえて来ると、私ならすごく照れてしまう。まして自分の夫を「私のダーリンは…」なんて気恥ずかしくてとても言えない。
そんな訳で自分の伴侶の事を第三者にいう時は何と言っているのだろうか、気になる所だ。

私は、近所に住む80歳近い高齢の男性に「かあさん」と呼ばれる。その度に「あの人の母親じゃないのに、どうして?」と思っていた。先日その男性から説明があった。「『おばさん』と言おうかとも思ったが、そんな年でもなさそうなので『かあさん』にしたのさ。」だって。私はその男性を名前で呼んで来たので、できればそうして欲しいなといった。(~_~;)
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伯母達が喜んでくれた

2012年03月26日 | 高齢期の生活全般
先日、伯父の命日に伯母を訪れた。
行く途中でスーパーに寄って、昼と夜は自炊している伯母のために、キャベツ、玉葱、じゃが芋、人参、ほうれん草と仏壇用の和菓子を買って持って行った。

また、去年の7月初旬に、施設の友人と我が家に満開の薔薇を見に来た時に写した二人の写真や、施設の玄関先で撮った伯母の写真がパソコンに保存してあった。
5年前に伯母の庭から譲り受けた薔薇、芍薬、れんげツツジが咲いた時の写真をそれに配置し、2Lサイズにプリントして持参した。
伯母は伯父が大切に育てたツツジが満開の写真が気に入った様だったし、友人も写真を喜んでくれて良かった。

             
                  (二人合わせて180歳)

二人は「今日もカメラを持っているなら写して欲しい。」というので、廊下の窓辺で写した。
次に行く時、また編集して土産に持って行く事にしたい。

2日後、伯母から電話があり、「写真をデイサービス先に持って行って見て貰ったよ。」と報告していた。

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幸せが訪れそうな日

2012年03月22日 | 日記
私には前から、並んでいる数字に何かしら意味がある様に思う性質(くせ)がある。
例えば123と並んでいたり、2233と続いていたり、00と区切りが良かったりする数字に出会うと、何か良い事がありそうな予感がするのである。勿論これは自分勝手な思い込みに過ぎないのだが、車の距離計の数字や歩数計、ブログのアクセス数などを見た瞬間は、いつも表示されている数字が気になるのだ。

先程ブログを開いたら、アクセス数が227,995だった。後5で228,000になると分かり、写真の編集をしながらその瞬間が来るのを待った。
ブログを再度開けてびっくり。正に区切りが良く、新たなスタートが始まる数字になっていた。早速用意して置いたカメラで写した。

       

2007年2月14日にこのブログを開いてから5年1か月と8日、つまり1,861日目で228,000に達した訳だ。
乳がんの宣告を受け、手術後、精神的に落ち込んでいた時に、自分をもう一度見つめ直したい、日々の暮らしを少しでも意味あるものにしたい、そして限りある人生を記録したいと思って始めたブログだった。
読んでくれた方々からのコメントが励みとなって今日まで続けて来たが、その間、残念ながら同病者だったブログの友人2人の方がすでに他界するという悲しみも味わった。
私も始めた頃は、今まで元気でいられるなんて全く思えなかった。
今でも何かにつけて時々思い出される病気の先輩の2人の方からは、かけがいのない生き方を学んだと感謝している。

この後230,000になる日は、さらに幸せが来る日だと思っている。その日はいつの事だろうか。

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伯母の君子らん

2012年03月20日 | ガーデニング・家庭菜園
先日、ミステリーツアーに同行した従姉に、私が作ったマーガレットの寄せ植えの小鉢とプリントしたフランス旅行の写真、それに彼女が気に入って使っていた中国の栄養クリームを持って行って渡した。
写真は喜んでくれたが、バス内でそれを見ながら、人物と背景の距離の取り方で人の大きさが全然違う事を説明したりした。

ところで一月前に2階の部屋に置いてあった君子欄の根元に花芽を見つけた。
その大きな鉢を一日中温かな居間に下して様子を見ていたら、1日当たり3cmも芽の下の茎が伸び出した。
花芽が開きだしたので長持ちさせたいと思い、温度が低い玄関に移して置いたら、傍のもう一つの株からも遅れて花芽が立ち上がって来た。
開花を楽しみにしていたら、ついに今朝、最初に付いた花芽が9割方咲いていた。なんと小さな花が23個も付いている。それどころかその傍に同じ株から立ち上がった別の花芽も見つけた。

この花は、伯父が94歳で亡くなった後、家も畑も売り払った伯母が高齢者専用賃貸住宅に移る際に譲り受けた君子らんだ。我が家に来てからもう5年になるが、今年もこうして立派な花を見る事ができて嬉しい。明後日は伯父の命日だが、この写真を持って伯母の所に行く積りだ。

         

ちなみに今朝6時半の外気温はー6.5℃。まだまだ室内は暖房無しではいられない。北電から原発で作った電気をできるだけ買いたくないのだが、仕方なく暖房機のスイッチを入れている。


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ミステリーツアーの面白さ

2012年03月19日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
この度、K旅行社主催の「春のミステリーツアー」に従姉と参加した。
ミステリーツアーは行き先は内緒の旅行なので、どこに行くのか分からないという不安の反面、まだ知らない面白い所に連れて行ってくれるかも知れないと言う期待もある。
私は2回目の参加だが、従姉は初めてだ。
予め幾つかのヒントが出ていた。①開通記念 ②お肌つるつる、あったか温泉入浴 ③世界唯一!感動の熱い戦い ④シティーホテルで中華バイキング他だ。
私は「多分、〇〇方面だな」と思っていた。

当日、札幌駅集合7;20で7;30バスで出発した。当日の参加者は大勢いて空席はほとんど無かった。6000円で1日たっぷり楽しめるのだから人気があるのは当然だ。
間もなく高速道路に入り、走る事1.5時間。まだ私たちのバス以外は車が来ていない「〇〇道の駅」でトイレ休憩だった。
女性用の個室のドア裏に中国人向けと思われる張り紙がしてあった。以前に登別で見た張り紙より簡単な説明だ。日本のウオッシュレットが付いている温水便座を使って見て、中国女性はどう思うのだろうか。

     

さらにバスは北海道を東西に分ける日勝峠に全線開通した新しい高速道路を1時間走り、最初の目的地である帯広郊外の「〇〇菓子工場」に着いた。
ここには広い駐車場があって大型バスが何十台も停まれるし、建物の1階は店舗だが、3階に上がると菓子の製造現場を見下ろすようにして見学できる。おまけにコーヒーも無料で飲むことができる店だ。
帯広に今や全国的に有名になった菓子店が幾つか生まれたのは、菓子の原料となる小豆、小麦粉、牛乳、バター、砂糖みんな地元産だという事、人件費が安いからその分、菓子の価格を札幌の菓子店より低くできる事、そして現在も続いているが、主な2つの菓子屋が消費者に認められる美味しい菓子の生産と集客力を競い合った歴史があるからだと思う。
この店は札幌にも各デパートなど数か所に出店している。(以前聞いた話では、帯広の菓子店は毎朝3時頃に菓子を積んだトラックが工場を出発し、札幌の各店舗に配送しているという) 
その店にここでしか販売していないという菓子があったので、私は世話になっている近所の方にそれを数個買いサービス箱に詰めて貰った。自分用にはダイエットを考えて2個だけにした。見ると従姉を始めとしたほとんどの人達が驚くほど大量の菓子を買っていた。従姉には「そんなに買って、持ち帰るのが大変じゃないの?」と言った程だ。

  

そこから昼食会場の〇〇ホテルに行った。会場は狭かったが、とても美味しい中華バイキングで満足した。

次に向かったのは、今や世界で唯一になってしまった「ばんえい十勝競馬場」だった。かっては北海道の他都市にもばんえい競馬はあったが採算が取れずに廃業となり、今は帯広だけになってしまったのだ。
私達は感じの良い女性ガイドから説明を受け、馬券の種類、買い方を教わった。買った人が大勢いたが、私は買わなかった。
レースはあっという間だったが、重いそりを引きながら障害物を乗り越え、体から湯気を上げながら走る馬に力強さと美しさを感じた。

 

  

 

その後、「十勝川温泉の某ホテルに行って入浴」し、札幌に帰って来た。
出発から11時間半、行く方向も場所もほとんど私の予想が当たったミステリーツアーだったが、往復のバスの車内では久し振りに従姉とたっぷりと話せた事も良かった。
従姉は満足したようだし、北海道観光を台湾、中国、韓国などの東南アジアの人達だけに頼っていないで、私達ももっと地元の良さを知るために気軽に参加できたら良いと思う。またそのうち花が見られる季節になったら適当なバスツアーに参加したいと思った。




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映画『マーガレット・サッチャー』を観て

2012年03月16日 | TV・映画・音楽・美術
題名から分かる通り、1979年から1990年までの11年間、英国の首相の任にあったマーガレット・サッチャーを映画化したイギリス映画である。
サッチャー役を完璧に演じたメリル・ストリープが、この映画でアカデミー賞主演女優賞を得て話題になったので、上映初日を待って出かけた。メーキャップの出来栄えも去ることながら、メリル・ストリープが演じた言葉使いとその抑揚、演技には目を見張らされた。

映画では、既に認知症を患い、娘の介護に頼って生きているサッチャーの私生活を描きながら、若い頃の家庭の様子や政治家となった経緯、婚約時に夫になるデニスに告げた言葉(「食器を洗って、一生家庭内で過ごす女性にはならない」)などが次々と思い起こされ、折り込まれて行く。
そして男尊女卑思想が根強く、男性議員しかいなかった保守的なイギリス議会に、女性議員として初めて当選し、自己の政治信念を誰よりも強く打ち出す政治家になって行ったマーガレット・サッチャーという1人の女性の姿を浮き彫りにしようとする。
やがて首相に推され、経済政策、教育改革、フオークランド紛争での徹底抗戦などを強行に進めて行き、「鉄の女」と言われるようになる。
彼女は強い政治哲学に基づいて周りが反対する政策でも強行して行くのだが、そんな強引なやり方に周りの反発も強く、最後に打ち出した強権的経済政策で国民や所属政党の支持を失い辞任せざるを得なくなった事が画かれる。
最後まで彼女を支えたのは、ただ一人、夫のデニスだった。先だった夫に認知症の彼女は「あなたは幸せだった?」と問いかける。

私がこの映画を観て思ったことは、女性だったからこそ自分の利益などは考えず、様々な反対にあっても一途に考えを主張し、大ナタを振るう政治をやれたのではという事だった。
私もまた1960年代後半から仕事を始めたので、立場は大きく異なるが、妻、母の役割以外に経済的、社会的にも自立を目指した一女性としての考え方や生き方、それを阻もうとする様々な壁の前で苦悩し、決断、行動する彼女の姿には体験的に重なるものもあり、強く共感した。
当時はまだまだ働く女性を支援する社会的な仕組みは未熟だったので、自立を目指すと言っても家事・育児と仕事の両立は並大抵のことではなく、どうしても家庭生活に何らかの歪を来した人が多かったのではないだろうか。そんな訳でサッチャーと同じく「人生は満足できるものだった?」と家族と自分に問い直したいと思った。

また彼女の在任中、ヨーロッパで起こった経済共同体結成に参加することを拒否したためイギリスは孤立の道を進んだのだが、この間のギリシャ経済破綻に端を発したEUの深刻な経済問題を見ると、彼女の先を見通す目は、現在、イギリスだけでなく世界で再評価されているのではとも思った。

彼女が行った政治は、まだまだ先の人達が歴史の中で評価すると思うが、この映画は大きく動いて来た現代の世界史の一時期に確かな足跡を残したイギリス初の女性首相を、人間的な面で捉える事で多くの人達の共感を得たのではないかと思う。
多くの女性に見てもらいたい映画だと思った。

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ラジオ体操

2012年03月14日 | 医療・健康・食生活・衣生活
昨年、妹夫婦からラジオ体操をしているという話を聞いて以来、私も冬場の運動不足を少しでも減らしたいと始める事にした。
やってみると肩から腕の付け根を一番動かす体操だと言う事に気づいた。
第一から第二までの正味8分間位の体操で体の関節がほぐれて温まる。歌や前奏曲の間もできるだけ体を動かすようにしているが、終わると気分がいい。
確かにこの体操をしたからといって元気になる訳ではないが、つまずいたり転んだりするような思いがけない時に、体が柔らかければ、それだけ怪我など小さくて済むかもしれないと思う。
初めNHK第一で6;30からだけだと思っていたら、第二でも8;40、12;00、15;00とやっている事を知り、最近はそのどこかでできるだけするようにしている。
先日妹に電話をしたら、最近はやっていないと言っていた。何でもそうだが、続ける事はやはり難しいのだろう。しかし余りムキニならずにやって行きたいと思っている。

        
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問題AIJに社保庁OBが関与

2012年03月07日 | 暮らしと経済・経済生活
先日からAIJ投資顧問会社が預かった企業年金の大半に当たる2000億円もの資金が消滅していた問題が浮上して来た事で驚かされていた。
所が次第にその背景が明らかになって来て、更に呆れている。

旧社会保険庁のOB連中が平成21年5月時点で646人も多くの企業年金に天下りをしていて、彼らがAIJと投資コンサルタント契約を結んでネットワークを作り、講演会などを開かせ、企業年金側にAIJへの投資を勧めて丸投げの「投資一任契約」を結ばせていたのだという。
彼らがAIJから受け取っていた契約料は、1人、年500万円だそうだ。

旧社保庁は消えた年金問題で怠慢でずさんな仕事ぶりを露呈した上に、多くの退職職員が自身の保身のために資産の運用経験が乏しいのにもかかわらず、なりふり構わず常識では考えられない失策を演じていたのだからあきれ果てる。
彼らを雇った企業年金側の責任も大きいが、彼らは国家公務員として莫大な退職金を受け取った挙句、自身は一定年齢に達した場合は共済年金を受け取りながら、投資した企業に努めている多くの勤労者の退職後の生活基盤になる筈の年金に莫大な損害を与えてしまったのだ。

さらに損害を受けた企業によっては経営難に陥り、倒産する場合も出て来るかも知れないと言う。
公務員の天下りは大変な社会的損害を引き起こす事が今回も明白になった訳で、被害を受けた企業の社員は当然の事、たまたま今回関係なかった企業もこの事件を大いに教訓にするべきだと思う。

と同時に国は、17年に1度位しか立ち入り調査ができないという人手不足の「証券取引等監視委員会」の強化を早急に図るべきではないだろうか。そう考えると国の責任もまた大きいと思う。

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新しい地図帳

2012年03月02日 | 日記
私が今まで使っていた地図帳は、十数年前に子供が高校で使った平成9年版B5サイズの教材用だったので、薄く文字が小さい。
おまけに近年、旧ユーゴスラビアから独立したクロアチアやスロベニア、旧ソビエト連邦から独立したエストニア、ラトビアなどの国名や、国内で近年、市町村が合併するなどして市町村名が変わったりしても載っていないので困る事が多々あった。
一昨夜、グーグルで色々と調べ物をしていたが目的を果たせず、急に新しい地図張が欲しくなったのだ。

それで昨日、早速書店に行った。
近年は道路地図しか買って来なかったが、改めて日本と世界の地図帳を探したら、今は色々な特徴のあるものが並んでいた。
比べた結果、結局買ったのは「大きな文字の地図帳」1890円である。どんなに内容が良くても、字が読めなくてはどうにもならないからだ。
見ると世界遺産等に印が付いているし、大きさがA4サイズの見開きで、文字のサイズも3~4倍ととても見やすい。どうしてもっと早く、新しく買う事を考え付かなかったのかと後悔した。ただ、この地図帳は平成23年5月に発行されてから5版目のものなので、早いと買う事ができなかったのだろうが。
この先多少眼が悪くなっても、この地図帳で過去に行った事がある沢山の場所を1つ1つ確かめて、頭に入っている街並みを思い出して見たり、これから行きたい場所を探したり、その周辺を調べて旅行計画を立てるのにしっかり使いたいと思っている。
考えたら、この地図帳一冊で大きな地球を手に入れる事ができるのだから、もの凄い事なのだ。

   

              
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