花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

寒い日のいい話

2009年12月26日 | 日記
仕事をしていた時には、職場ではずっとスカートで通していたので、どんなに寒い日でも少し厚いタイツしか穿かなかった。
しかし、病気で真冬に通院してからは、冬になると寒さ対策にズボンの下にスパッツを穿く事を覚えた。
肌が弱いので、昔から、なるべく綿100%に近い下着を選んで買っているのだが、最近はやたらと合成繊維が多い下着やパジャッマ、靴下などが売り場に置かれている。
合成繊維の方が製造原価は安いからだろうが、私はなるべくそれらには手を出さない。

実は、綿95%、ポリウレタン5%のスパッツを昨年2枚買って愛用して来たが、ウエストのゴムが伸びて弾力が無くなって来たので自分で取り替えることにした。
ところが、ゴムはウエスト部分に貼り付けて縫い付けられていて、ゴムだけを取り外す事ができないようになっているのだ。
色々とやってみたが上手く行かない。その内に怒りが湧いてきた。

たまたまメーカー名と電話番号を書いた布のラベルが縫いこまれていたので、電話をした。
「綿が95%のお宅のスパッツを愛用している者ですが、伸びたゴムを取り替えようとしたら、縫い付けられていて外せません。本体はまだまだ着用できるのに、ゴムが伸びたら捨てなければならないのです。こういう縫い方では、物を大切にできません。売ったらお仕舞いという事では駄目ではありませんか。」と苦情を言った。
すると電話に出た男性が、「申し訳ありません。今までお客さんの声を聞く機会がありませんでした。貴重な意見ですので、来年の商品開発の参考にします。」と言い、「お詫びに同じ製品を送ります。」と言ったのだ。

今日、宅配で品物が届いた。箱を開けると2枚も入っていた。
早速お礼状を書き、それに「布端に予めロックミシンをかけてから、ゴムを挟むようにして端を折り、押さえ縫いをする方法なら、簡単にうまくできると思います。送られた物は遠慮なく着用します。ありがとうございました。」と書いた。
今日は朝からずっと雪が降り続く寒い1日だが、製造業者に少し心が通じたようで、何となく嬉しい温かな気分だ。

                

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柚子漬け

2009年12月24日 | 医療・健康・食生活・衣生活
22日、スーパーに寄ると、冬至ということで、普段こちらでは見かけない程大量の柚子が売られていた。
大きさにより、1個58~100円という価格だ。去年12月に四国から1山買ってきた柚子の価格を思い出すと懐かしい。
皮に傷が無い1番小さな58円のを1個買った。帰ってから測ったら、直径7cmだった。

早速あり合わせの野菜で即席漬けを作り、千切りにした柚子を少し混ぜた。
いい香りのする漬物ができた。
余った柚子の皮は使いやすく分けて冷凍にしたので、正月に来る家族のためにまた柚子漬けを作ろうと思う。
たった1個の柚子で、幸せな気分になれた。

    
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季節外れの買い物

2009年12月20日 | 暮らしと経済・経済生活
昨日、暇だったのでスーパーを覗きに行った。
『年末大バーゲン』と銘打って、多くの商品が10~20%引きで売られてた。

中央に集めて売られていたバーゲンセール品の中に、旅行に持っていくと重宝しそうな裏無し、ポリエステル100%素材の軽いトラベルジャケットが、サイズも揃っていて数枚あるのを見つけた。
1枚を試着してみた。ぴったりだった。
良し、旅行中の風除け、雨避けに良いから買うぞ。でもベージュ色のはないだろうか、と、再度、ぶら下がっていた場所に引き返した。

するとそこに店員さんがいた。
聞くと、最初からベージュは無かったという。そしてさらに彼女は続けて言った。「今からですと40%引きにしますよ。」
「えっ本当に!」
店員さんは、40%引きのラベルを貼り付けてくれた。まるで信じられないような価格破壊だ。

買って来て、家で値札を確かめた。
最初の売値は5990円、その下に貼ってあった3枚の紙を順番に剥がして見た。
一番下に3990円の表示があった。さらにその上には2990円の表示、そして一番上が1900円となっていた。
昨日は、初め表示価格の20%引きだったから1520円になる筈だったが、結局私は40%引きで買ったので1140円だった。
最初の5990円に対して、僅か19%の価格になったのだ。申し訳ないような、凄く得したような気分だ。
来年はこのジャケットをカバンに入れて、何処に旅行しようかな。

          
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留学生が開いたクリスマスパーティ

2009年12月18日 | 日記
8月に数軒の家で分担し、1泊2日、日本人の生活体験をする目的でお世話した留学生たちが、明日から冬休みになるというので、最後に学生の手作りのクリスマスパーティをするという。
それで私たちにも是非、参加を、という誘いを受けたので、今日、出席して来た。

会場の学校へ行って見ると、日本語を学んでいる彼らのクラスは、風船やツリーで雰囲気良く飾り付けられていた。
会が始まると、学生が変わるがわる役割分担に従って前に出て来て、会を進めた。
挨拶に立った学生のよどみ無い日本語には感心した。
その後、全員でクリスマスソングを合唱したり、クイズやゲーム、ビンゴゲーム等で盛り上がった。
フルートを独奏した男子学生には、惜しみない拍手も巻き起こった。
途中、用意されていた飲み物、軽食を頂きながら、歓談もした。

彼らは若いから、新しい事をどんどん吸収できるのだろうが、4月の入学以来8ヶ月で、日本語がかなり上達していた。
指導している先生は、「真面目に一生懸命勉強するから、上手くなるようです。」と話してくれた。
韓国や中国といった国から、家族の応援を受けて日本に勉強に来ている学生達の真っ直ぐな気持ちを今日も強く感じて、今後もできる事は応援したいと思いながら帰宅した。



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伯母の誕生日

2009年12月12日 | 高齢期の生活全般
今日は伯母の誕生日。満90歳になったのだ。

昨日、伯母を慰問したが、1日早い誕生祝いをすることにした。
小豆がなかったので金時豆を煮て、それで赤飯を炊いた。圧力鍋で炊くと、弱火沸騰5分、消火後10分蒸らすだけで出来上がるから、朝急に思い立っても、もち米と豆さえあれば、豆の天然色素で美味しい赤飯ができるのだ。
(昨日は、たまたま小豆を切らしたので、秋に収穫した金時豆で作ったが、美味しかった)

それといつもの通り、あり合わせの材料で煮しめを作った。
次に、前日魚屋から買ったたらことつきこんにゃくがあったので、コンニャクのたらこ和えも作り、別に魚を焼いて持参した。

伯母に「途中でケーキを買って来ると良かったね。」と言うと、「ケーキなんかより、手作りの料理が何より美味しいから、ありがたいよ。」といわれた。

耳は大分遠くなり、目も緑内症が進んではいるが、元気で歩け、認知症にもならず、90歳を迎えられた伯母は凄いと思う。
私は10年後だって、元気で生きられる保証はないのだから。
施設の職員から、「ここで1番高齢なので、みんなの目標になっています。」と言われた。
伯母にはまず95歳を目標にして生きて欲しい。それに達したら次の目標は100歳だ。
私もできるだけ応援したいと、改めて思った。

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オーストラリアの旅(8)

2009年12月08日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
5日目の朝は、(7)に書いたようにビーチサイドで朝食を摂った後、ゴールドコーストの南西方向100kmに位置する「ラミントン国立公園」に2時間半かけて向った。ここは、世界自然遺産に指定されている公園だ。
起点は2箇所あるらしいが、私たちは「オライリーズ」へ行った。

ここは牧畜をしようとオライリー一族が山を買った後、その土地を含む地域が国立公園に指定されたため、今、彼らの子孫がその土地で観光客に野鳥の餌付けなどを無料で行なっているというのだ。
山に沿ってくねくねと曲がった道路を登っていくと、山間に羊の群れや点在する家々が見え、のどかな山岳地帯に入った。
暫く昇ると日が翳る樹林帯に入った。
ガイドが、「この辺がワラビーの生息地域ですから、見逃さないように。」と言ったので、私も必死で車窓の外を探したが、その日はとうとう1頭も発見できず、目だけがひどく疲れた。

標高を1000m程昇った所に、整備された熱帯雨林ウオークができる場所があった。
木道をガイドに付いて歩いて行くと、鳥の声が聞こえた。
「板根」が特徴の珍しい「スオウの木」①が沢山生えていた。私と友人は1月に行った西表島の仲間川で、サシシマスオウの巨木を見ていたので、何か懐かしかった。
ネットで調べると、スオウの木は英名でsapanwoodと呼ばれ、熱帯から亜熱帯に生えるマメ科の小高木である。心材やさやから取れる赤色の色素ブラジリンは、日本ではスオウ色として古くから使われて来たのだという。そういえば私は3月に行った台湾でも見た。
他にも、数本の幹が絡み合って中央の木を締め付け、やがて枯らしてしまう木②など、珍しい熱帯の特徴ある木々が沢山生えていた。

 ① ② ③

野生のキブツカツクリ(雑木を集めて大きな塚を作り、その中に卵を生む鳥)が歩き回っていたが、早すぎて上手くピントを合わせられなかった。③
暫く散策すると、立派なつり橋があった。1度に6人までと人数制限された橋を渡っていくと、15m下に熱帯雨林の木々が茂っていた。④⑤

 ④ ⑤

散策の後、野鳥の餌付けができる場所に行った。⑥
管理人が1人に1つづつ、中央に餌を入れた金属製の盆を渡してくれた。
するとすかさずオームに似た赤や緑の美しい鳥が何羽も飛んで来て、盆にとまり、餌をついばむのだ。
頭が赤で身体が緑色の鳥はキンショウジョウインコの雄、頭が緑色で胸が赤色のインコはその雌、鮮やかな青色と赤色が混じった鳥はクリムゾンロゼーラで、別名アカクサインコともいうそうだ。
鳥は頭や肩、腕にお構いなくとまるので、帽子を被っていなかった人の中には髪に糞をされた人もいた。
鳥の足の爪は結構鋭かったが、7~8分、互いに写真を取り合って楽しい一時を過ごした。⑦

 ⑥ ⑦

最後の夜となったその日の夕食は、ホテルのレストランで海鮮料理だった。⑧
豪華な海の幸や果物、デザートなどをビュッフェスタイルでたっぷり味わいながら、ツアー仲間との最後の交流を存分に楽しんだ。                   
            ⑧

翌朝は4時に起きて、明るくなった5時にホテルを出、ブリスベン空港から8;50発の飛行機で帰国の途に着いた。
成田空港には9時間20分後の17;10分に到着。
私と友人は成田発19;55に乗り継ぎ、帰宅したら23時に近かった。
疲れが溜まっていたのか、私は1日中機内で、食事時間以外ずっと寝ていた。

今回は正味4日間のオーストラリア旅行だったが、今まで知らなかったオーストラリアの雰囲気をたっぷり味わえた本当に楽しい旅になった。円高のせいなのか、今回のホテル、食事はとても良かった。
海外は初めてだった友人も、十分に満足したようで嬉しかった。

ただ一つ不満を言えば、ガイド料やバスの使用料を支払っている貴重な時間の中で、毎日1回は旅行会社が提携していると思われるお土産屋に、結構な時間、連れて行かれたことだ。
その時間を、シドニーなら水族館に行くとか、ブリスベンならシティホールで下車して館内にある美術館や博物館を見たり、ブリスベン川で市民の足だというフェリーに乗るなど、もっと観光に有効活用して欲しかった。
確かにお土産を買う目的の人もいると思うが、そういう人にはその日の観光を終えた後で案内するべきなのではと思ったのだ。
今後のためにも日本の主催旅行社には、現地の旅行会社に日程を丸投げせずに、もう少し客の立場に立って考えてもらいたいところだと思った。

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子ども孝行した日

2009年12月07日 | TV・映画・音楽・美術
昨日、遠くで働いている娘がやって来た。「明日、出張なので、今日の内に来たから泊めて!」というのだ。
今年になってから出張が多く、毎月1度位は無料宿泊所を目当てにやって来る。
今朝は雪が散らついていたので、家から今日の仕事先まで車で送った。
折角遠くの町まで行ったので、私はその近くにあるスーパーの中の映画館へ寄ってみた。何と「2012」が15分後に上映されると言う。直ぐにチケットを買って入場した。

2~3人のブログでこの映画の感想を読んでいたが、私の想像以上のダイナミックな地殻変動と都市の破壊映像が続いた。
大規模な津波が大陸を飲み込み、海面がエベレストの上部にまで達すると言う筋書きには正直なところ疑問を持ったが、十分に楽しめたファンタジーだった。
凄まじいまでに大都市が破壊されて行く映像を見ながら、私が最近、旅行で見て来たオーストラリアや韓国の超高層ビルの都市の姿が何度も思い返された。この映画が、高層ビルの警鐘に少しでもなってくれればいいなと思った。

それにしても命の危機が迫った時に、自分だけが上手く立ち回ろうとする人間がいる一方で、自分を犠牲にしても愛する家族や仲間を救おうとする人間がいる。そのどちらもが人間の本質だと思えた。
もしいつか、私が生きている間に地球が破壊される日が来るとしたら、私は大金もなく、特別な技術も力も無いのだから、きっと静かにその巨大な力が引き起こす運命に、身を委ねるのではないかと思った。
ただ、真実の情報は、全ての人間に公表されて欲しいとも思った。

アメリカの大統領専用機「エアホースワン」が、海の波にもまれて破壊され沈んでいく場面は、アメリカの威信を掲げて来たアメリカ映画界も、仮想現実として考えざるを得なかったんだと、この映画に何か現実味を感じさせられた。

映像処理技術の進歩で、こんな本当らしい映像を見られたことはありがたかったが、この先、これよりももっと凄い映像作り競争が起きるだろうと思うと、いつか娯楽の範疇を抜け出さないかと心配だ。
しかし中国の最高峰を望むチベット自治州(ひょっとしてシャングリラの映像かも)の映像は素晴らしかった。
九賽溝から黄龍に行く4000mの峠には行った事があるが、やっぱりここも行って見てみたいと思った。



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オーストラリアの旅(7)

2009年12月07日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
牧場滞在の後、バスでゴールドコーストに向った。
まずガイドブックにも載っているカンガルー皮の加工工房に連れて行かれた。
数人の人がカンガルーやダチョウの皮(オーストリッチ)のバックを買い求めたが、私は何も買わなかった。行く先々で買い物をしていたら、家中、物で溢れてしまうからだ。
しかし、広い土地があるなら、そこでダチョウを飼って排泄物は野菜作りの有機肥料にし、皮は取って商売をするなどというのはどうかなと思った。

ゴールドコーストは、オーストラリア大陸の東側海岸線の中ほどにある60kmも続くビーチで、別名「サーファーズパラダイス」とも呼ばれている町だ。
雨が少なく、1年で300日は晴れているらしい。
ガイドは、周辺の海や河口には鮫がいて、海には遊泳が許可されている場所だけで、時間を守って入ると話した。
監視人がいる台が設けられていた。カイトサーフィンを楽しむ人が多いそうだ。

翌日の朝食は、ビーチサイドにある監視人たちの宿泊所のレストランだったが、食事の後、私たちは裸足になってビーチを歩いた。砂が細かく、柔らかだった。
ビーチでは、カヌーの競技が行なわれていた。①
またビーチから町を見ると、まるで砂上の楼閣のように見えた。②
若者達が水着、裸足のスタイルで町を歩いていたのに驚いたし、スーパーマーケットで体格の良い女の子がビキニスタイルで買い物をしていたのにも仰天させられた。

 ① ②

地上230mの「Q1タワー」に昇った時、展望台から見たゴールドコーストは、幾筋もの用水路が張りめぐらされ、そこをモーターボートが行き来する美しい水の都だった。③
鮫が入り込むのか、素晴らしいビーチがあるのにプールのある家やコンドミニアムらしい建物が眼下に多く見えた。④

 ③ ④

ガイドの話によると、捕れた鮫はフカヒレとして中国に輸出され、肉はフライにして食べる。鮫の肝油はサプリメントとして、その多くはイギリスに輸出されるそうだ。
それを聞いて私は、緯度が高くて紫外線が少なく、そのために骨の形成不全になりやすいイギリス人がお得意様なんだと納得できた。
また伸縮性がある独特な鮫の皮膚は、イアンソープ選手の水着のデザインのモデルになったのだ。
ガイドがこの話をした途端、ドライバーが口を開いた。「このバスにも彼が乗ったことがある」と。

私たちの部屋は、レジャーランドとビーチが見える15階だった。⑤⑥
レジャーランドでは、夜遅くまでネオンサインが輝き、バンジージャンプなどに興じる若者達で賑わっていた。
鯨やイルカも来るというこの町に、2日間しかいられないのが残念だった。

 ⑤ ⑥

その夜、オプショナルで「土蛍洞窟ツアー」があった。
私は6年前ニュージーランドで、水が流れる洞窟をボートに乗って下りながら、天井に満天の星空のように輝く土蛍を見た事があったので、ホテルで洗濯をしていた。
10時半頃帰って来た友人は、真っ暗い洞窟を探検しながら、珍しい土蛍を見たことに大感激していた。






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オーストラリアの旅(6)

2009年12月06日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
4日目の朝は早起きして、7時半に朝食の弁当を渡されてホテルを出発し、空港に向った。
紙袋の中の弁当は、ビン入りオレンジジュース、りんご、野菜サラダ、菓子パン3個だった。バス内は飲食禁止なので、空港と機内で分けて食べた。
オーストラリアは、州が異なると規則が違う。また異なる州からは、果物を持ち込めない規則があるので、今回りんごは機内で処分した。

ニューサウスウエールズ州のシドニー空港を8;05に離陸した飛行機は、2時間半後にクイーンズランド州のブリスベン空港に着陸したのだが、ブリスベンは夏時間を採用していないためシドニーとは時差が1時間あり、私たちは時計を1時間戻した。
日本に比べてプラス1時間になったが、時差については何度経験しても、私にはまだぴんと来ないのだ。

空港を出てバスに乗り、ブリスベンの市内観光に出発した。
気温は30℃。陽射しが強く暑い。
「マウントクーサー展望台」から、オーストラリア第3の都市、ブリスベンの町を眺めた。
幾筋かの川が蛇行してゆったりと流れ、年中温暖な気候の町は緑も多かったが、山は遥か遠くにしか見えなかった。①
展望台にあった真っ白く大きな花を咲かせている木は、プルメリアだという。亜熱帯の景色だった。②

 ① ②
 
そこからバスは南のゴールドコースト方向を目指して走り出した。
その途中で「パラダイスカントリー牧場」に立ち寄った。
そこではコアラ、カンガルー、羊などを飼育していて、観光客はコアラを抱いた写真を撮影したり、羊の毛狩りショウを見る事ができる。
幾つかあるコアラの放牧柵に行ってみると、炎天下、上にテントが張られた柵の木に捕まって、夜行性のコアラはほとんど寝ていた。③
たまに目を開けたり、姿勢や位置を変えたり、片足を上げて身体を掻いたりするのもあった。④

 ③  ④  ⑤

コアラと写真撮影をする建物では、並んだ順番にコアラを抱いて写真を撮り、それを大判に仕上げて渡してくれた。
私の感想では思っていたよりもコアラは大きく、上半身だけで30cmもあり、抱いた時はずしりと重かった。
しかも抱くと爪を立ててしがみついて来たので、爪がTシャツを通して肌にさわり、少し痛かった。
撮影後見ると、私のTシャツはコアラに汚されていたので、夜、ホテルで洗濯した。(一応、汚れ防止にナイロン製のジャンバーを羽織る積りで持っていたが、あまりの高温で着ることができなかったのだ)

羊の毛狩りショウは、数年前にニュージーランドでも見た事があるが、それよりもそこの規模は小さかった。
しかし、担当した中年の男性の一生懸命なサービス精神が伝わったし、毛を刈られる羊が従順なのも意外だった。⑤
電動毛狩り機で裸にされたメリノ種の羊は、とてもスリムだった。
その後、広いレストランでバーベキューのランチを食べたが、テーブルは各国から来た観光客でごった返していた。

最後に20cm位のコアラの縫いぐるみと出来上がった写真をもらった。
お土産屋で売られている縫いぐるみのほとんどは『made in china 』の表示が付いていたが、その縫いぐるみも例外ではなかった。

            
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オーストラリアの旅(5)

2009年12月05日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
3日目、朝、ホテルを出たバスは、シドニーの西方100kmのところにある「ブルーマウンティンズ国立公園」まで、約2時間かけて走った。
走行中、道の両側ある街路樹のほとんどがユーカリの木であることを知った。
ユーカリの特徴は、葉が下を向いている事だが、ガイドは、「雨が少ない地域なので、少しでも葉に付いた水分は全部落として、根に吸収させるためです。」と話してくれた。
ユーカリの木は、抗菌成分が含まれていて腐りにくいため、道路脇に立てられている電信柱に使われていた。80年は持つらしい。
また所々に紫色の花が咲いた目立つ木があった。南アフリカにもあるジャカランタの木だった。初めて見たが存在感のある素敵な木だ。

やっと「ブルーマウンティンズ」についた。ここは約8000年前に巨大な大地が隆起した場所だが、その後、徐々に風化されて大地が削られ、幾つかの深い渓谷を作った地域なのだそうだ。

私たちは渓谷の一つ、「ジャミソン渓谷」に降りるため、最高傾斜52度ある世界一急勾配のトロッコ列車「シーニック・レイルウエイ」に乗って急なトンネルを下った。①はトロッコ列車が下りる小さなトンネルの入り口である。

トロッコから降りて、整備された木の遊歩道をガイドに案内されながらユーカリの森を歩いた。
土がない砂岩だらけの大地に、しがみつく様にして根を張っているユーカリの木は、ここだけで90種類もあるというが、原始の森さながらに生い茂り、太陽の光は木漏れ日程度しか届かない亜熱帯雨林の森の風情を見せていた。
ユーカリの殺菌防腐成分のため、土中に細菌がいないため、落ち葉も朽ちた木々もいつまでたっても分解されずに堆積していた。写真の木は、栄養の足りない砂岩の上に、賢く1つの根から数本の幹を生やす種類のユーカリの木である。②

 ①  ②

かって、埋蔵する石炭を掘った坑道跡もあったが、今は廃坑になっていて、石炭を運ぶ人馬の彫像が置いてあった。③
傍で鳴く鶯の声が響き渡った。
しばらく谷底のユーカリの森を歩いたら、ケーブルカー乗り場に着いた。
大きいケーブルカー「シーニック・スカイウエイ」で、それに乗ると瞬く間に深い谷底から抜け出し、最初にトロッコに乗った地点まで登って戻った。④

  ③  ④

次は、バスで「エコポイント」展望台に向った。
そこからは広大な「ジャミソン渓谷」の全望を見る事ができたが、遥か遠くは霞んでいて良く見えなかった。
渓谷は確かにユーカリの木が発する油分を含んだ蒸気によって波長の短い青い色だけが透過し、ブルーマウンテインの名の通りブルー色に霞んで見えるのだ。⑤
また「スリーシスターズ」と呼ばれるシンボルの岩が、展望台傍の眼下に美しく見えた。⑥
展望広場には、炎天下、一緒に写真撮影を希望する観光客からチップを貰う老アボリジニの姿があった。⑦

 ⑤  

 ⑥ ⑦

汗だくになった頃、私たちはエコポイントからバスでまた2時間かけて、シドニーに戻った。
夕食は、シドニー湾をクルーズする船でのディナーだった。色々な国の人がいた。私たちの傍には少人数の日本人ツアーの一団もいた。
海を見ながら、ツアーの仲間たちとしたディナーと交流は楽しかった。

埠頭ではアボリジニの男性が、ユーカリの木で作った長い木管楽器を吹いて、独特の民族音楽を演奏していた。
私にはその音色が、アイヌ民族のムックリが奏でる音色にそっくりに聞こえた。どうやらそこではCDを売っているらしかった。

あるガイドブックに、「1788年1月26日は、イギリスから囚人を乗せた船がシドニーに着いたオーストラリア建国の日だが、同時にその日は、アボリジニが自分達の土地を奪われた日になった」と書かれていた。
私は、彼らはその日から生活権も奪われてしまったのだと思った。




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オーストラリアの旅(4)

2009年12月04日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
シドニー初日の夕食会場は、町の中心に聳える324mの「シドニータワー」だった。
下から見上げると恐ろしいように思えて気が進まなかったが、250mの高さまでエレベーターで昇り、3層ある展望台の中の回転レストランに入ると恐怖感は小さくなった。
私達はそこで徐々に360度回転する1段高い内側の座席に座って、刻々と変化する夕刻のシドニーの町並みと沢山のヨットが浮かぶ遠くの海の景色を楽しみながら、1時間余りビュッフェスタイルの食事をした。カンガルーのステーキを食べてみたが、硬くてあまり美味しくなかった。①②

 ①  ②

ホテルに戻ってもまだ明るかったので、友人と1時間ほど周辺を散歩した。
仕事帰りの多くの人々が沢山歩いていた。
高層ビルに囲まれた広場がカフェになっていて、仕事帰りに仲間と一息入れる様子は日本と同じだった。
とに角高い高層ビルがぎっしりと立ち並んでいた。
ガイドの話では、「オーストラリアは古い大陸でほとんど地震がないため、耐震構造になっていない高層ビルを建てています。」というのだ。
しかし、全く地震がない訳ではなく、「10年に1度程度の割合で、震度1位の地震はある。」と話していた。
重厚な彫刻をぐるりと飾った歴史的な建築物もあったが、ガイドブックを持っていなかったので何の建物かわからなかった。③

 ③

空を見上げたら半月が見えた。日本でもこの月を見ている人がいるのだろうなと、少し感傷的になった。
翌日、「南半球で見る月は、形が逆です。」というガイドの説明には、そうなのかと納得した。

ホテルの部屋は、ビルの谷間にシドニー湾、ハーバーブリッジが見える18階の部屋だったので、夜、ライトアップされた光景も綺麗だった。

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オーストラリアの旅(3)

2009年12月02日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
昼食後、ゴシック様式の「セントメリーズ大聖堂」に行った。①
古い建物は1868年に消失したらしく、現在のは1923年に60年掛けて復元したという。
内部は写真撮影が禁止されているので写せなかったが、十字型の先端に作られた大きなステンドグラスが美しい大聖堂だった。
私は教会や寺院に行くと、信者達の強い信仰心に基づく寄進がその陰にある事をいつも思う。
友人と2人で集合時間ぎりぎりまで椅子に座って、ステンドグラスに描かれた宗教画を鑑賞した。


その後、イギリスからの移住者が最初に住んだという古い面影を今に残すロックス地区の免税店に連れて行かれた。私たちは直ぐに店を抜け出し、シドニー湾に向って散歩をすることにした。
現代美術館を覗くと、中国の兵馬俑の兵士が数体実物大にコピーされて飾られていた。2人の受付女性と少し言葉を交わした。
書店にも入った。オーストラリアの自然や動植物の写真がのった数点のカレンダーを品定めしたり、素敵にデザインされたクリスマスカードを見て楽しんだ。
やがてシドニー湾の埠頭に着いた。初めて潮風の香りがした。
そこから見た対岸のオペラハウスは、また違う表情をしていた。②

 ① ②  

ハーバーブリッジのバイロン展望台が眼前に見えた。③ 橋の手前の建物は、湾に張り出して建つパーク・ハイアット・シドニーホテルだろう。
埠頭から見えたロックス地区の教会(多分、ホーリートリニティ教会だと思う)などを撮ってから、免税店に戻った。④
30分程だったが、時間を有効に使えて良かった。

 ③  ④  
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オーストラリアの旅(2)

2009年12月01日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
最初の観光はファーム湾の対岸に「シドニーハーバーブリッジ」と世界遺産「オペラハウス」を臨む事ができる岬から始まった。
強い陽射しを受けて湾の向こう岸に建つ「オペラハウス」が白く輝いて見えた。(写真①)
これはデンマークの建築家が描いたデザインで、シドニーハーバーを駆け抜けるヨットの帆をイメージしたもので1973年に建てられた建物だと言う。
オペラハウスの右手奥にはこれも有名な「ハーバーブリッジ」があり、その下を観光船が行き来していた。②
「ハーバーブリッジ」は、シングルアーチの橋としては世界で2番目の1149mという長さだが、49mある幅は世界一である。
その中に8車線の車道と2路線の鉄道の他、自転車、歩行者のレーンもあるらしい。

 ①  ②

その後、「ミセスマッコーリーズ・ポイント」と名付けられた直ぐ傍の岬に案内された。
彼女の夫は19世紀初頭に長年総督をして忙しかったので、彼女は晴れた日には一人でこの岬から海を見るのが好きだったらしい。それで夫が夫人のために椅子を作ったというのだ。
私は木造の椅子を想像して行ったのだが、行ってみて驚いた。椅子というのは大きな岩盤でできたもので、200年経った今もそのまま残っていた。③

ひとしきり交互に椅子に掛けて写真撮影をしてから、再びバスに乗り、湾に沿ってぐるりと回ってベネロング岬に建つ「オペラハウス」に行った。
近くで見るとまた違ったデザインに見えた。④

 ③  ④

階段を登り、近づいて見たら、表面に張られた沢山のタイルは、少し灰色がかって見えるのだった。⑤
オペラハウスのトイレに入って見た。手洗い場も素敵にデザインされたものだった。⑥
丁度この後、子ども向けのショウがあるらしく、3~7歳位の着飾った女の子と親でホールはごった返していた。

 ⑤  ⑥

目の前に見える「ハーバーブリッジ」は、巨大で美しかった。⑦

 ⑦




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